Hand(ハンルス02)01続き ルースター視点
「お前、来週こっちに来るんだって?」
電話越しのハングマンの言葉に俺はぎくりとした。ハードデックでの件から三週間。発端はハングマンにあるとはいえ、あの顛末は流石に気の毒に思い「次は奢るよ」と言ったものの、その機会が来る前に俺達はそれぞれの基地に戻ることになった。一足先にファイタータウンから去ろうとする俺に「連絡先教えろよ」とセルフォンを差し出してきたハングマンは、表向きはいつもより爽やかな笑顔を作っていたが、「逃げられると思ってんのか」という副音声が聞こえてくるような圧を発していた。いや、別に反故にしようとしていたワケじゃ無いし、と心の中で反論しながらも、まぁ奢るのは次にあった時━━そんな機会がいつあるかなんて検討もつかないのに━━でいいかと思っていたのも事実なので、「もちろん、お前のも教えてくれ」なんて笑顔で連絡先を教える。そんな俺を疑わしそうに見据えた後、いつも通りの胡散臭い笑顔に戻ったハングマンは「じゃ、いい店があったら連絡する」と言って見送りもせずに去っていった。アイツ、凄い高い店を選んでくるんじゃないだろうな、という一抹の不安を抱えながら俺はホームタウンに帰還した。
自分の基地に戻ってからというものの、あの任務以前と同様、もしくはそれ以上に忙しい日々が続きハングマンと連絡先を交換したことはすっかりと頭から抜け落ちていた。つまりはこの三週間、お互いに連絡を取ることが無かったということだが、それはこれまでの俺達にとって当たり前のことだった。だから、そろそろ寝るかとベッドに向かおうとした時にかかってきた電話の表示名に驚いたあまり、うっかり切ってしまったとしても許してほしい。勿論、掛け直した先の相手ことジェイク・ハングマン・セレシン大尉のお得意の嫌味からは逃れられなかったワケだが。
「悪かったって。もう眠ろうと思ってたから、ボーッとしてた」
「おいおい、それだとまるで眠い時だけぼんやりしてるみたいに聞こえるぞ。お前は四六時中ぼやっとしてる雄鶏くんだろ?」掛け直した直後は不機嫌そうだった声音が、俺に嫌味を言っているうちにイキイキとしてくるのを感じ取り、コイツも難儀な性格だなと思う。
「相変わらず絶好調なようで何よりだよ。で、用件は?」さっさと終わらせてベッドに潜り込もうと思い先を促すと、先ほどまで立板に水の如く喋り続けていたハングマンが一瞬躊躇する気配を見せた。そして続けられた言葉が、「お前、来週こっちに来るんだって?」だった。
俺は言葉に詰まり、うんともいやともつかない音を発した後、「よく知ってるな」とだけ返す。急激に焦り始め、視線を彷徨わせると壁にかけてあるカレンダーが目に入った。先日めくったばかりのカレンダーには大きく12とプリントされている。いくつか書き込まれている予定の中で赤く丸が付けられているのは、どこで聞いたのか知らないがハングマンの言った通りカリフォルニアへ向かう予定だった。
「前に同じ部隊だった仲間の結婚式があるんだよ。軍を辞めて今はそっちにいて……」
続けた言葉は自然と尻すぼみになってしまう。あの任務につく前から結婚式の事は知っていたというのに、それがハングマンとの約束と全く結びつかなかったのだ。ハングマンからしたら、近々に約束を果たす機会があるくせに何も言い出さないなんて物理的距離を良いことに約束をうやむやにしようとしてるように思えるだろう。言い訳にしかならないが、ハングマンと任務関連意外で顔を合わせる考えが全く頭に無かった。ハングマンとはこれまで長らく煽り煽られ、時に呆れ呆れられという関係を続けてきたが、アイツがアヴィエイターとして優秀なことは元から認めていた。さらにあの任務からは仲間としての意識も強まり、親しみも感じ始めている。その矢先に、意図しないことで失望されるのかと思うと胃の辺りにモヤモヤとしたものが広がる。
「ふぅん。そのうち、どっかで時間あるか?」
「前々日の夜に着くから、その時なら。結婚式の後はすぐ帰らなくちゃならなくて」
「O.K. じゃあその日に約束通り奢って貰おうか」
俺の心配をよそにテキパキと話を進めるハングマンは、別に怒っていないようだった。藪蛇になるかと思いながらも「そっちに行くこと言ってなくて、悪かったな」と言葉にする。落ち着かなくてカレンダーに記入した文字を無駄に何度もなぞって返事を待った。
「そんなに時間とれないだろうし、どうせお前のことだから任務以外でオレと会うだなんて思ってもみなかったんだろ」何でもないようなハングマンの声に、思わず俺は「よく分かったな」と口に出した。
「単純なお前のことなんて直ぐ分かるんだよ。だが、言っておく。これからはいつでもオレと会う可能性があるってことを頭に入れとけよ。まぁ、鳥頭には難しいかもしれないが、オレがその度に思い出させてやるよ」楽しそうな声に、いつもの皮肉げな笑顔が思い浮かぶ。なんなら電話の向こうでウインクの一つもしてるかもしれない。
「了解。じゃあ、行きたい店を選んでおいてくれ。優秀なセレシン大尉は俺の給料を慮ってくれると信じてるよ」
「お前は容赦無くハードデックの鐘を鳴らさせたのに? まぁ、良いところに連れてってやるから財布の準備をして楽しみにしてろ」
軽口の応酬をして電話を切ると、そろそろ日付が変わりそうだった。薄着だったのですっかり体が冷え切っている。寝る前にシャワーを浴び直すか。手早く服を脱ぐとシャワーのコックを勢いよく捻る。体にかかる熱い湯にホッとため息をつくと、自然と先ほどまでのやり取りが頭に浮かんだ。そもそもハングマンとプライベートで会う約束をするなんて妙な感じだ。ハードデックで飲むことは任務からの自然な流れでまぁあるとして、と思ったものの前回のやり取りは割と不自然だったなと思い直す。シャワーヘッドから絶え間なく降り注ぐお湯が背中を伝う感触に、俺の背中を好き勝手になぞっていったハングマンの指を思い出した。自分の名前を綴りから教えてやる、なんてふざけた物言いはアイツらしいが、実際にあんな風に俺に触れてくるのは初めてだった。あんな熱に浮かされたような目で見てくることも。あの時、ハングマンにしっかり捉えられた手に流れ落ちた汗と篭った熱を思い出し居心地の悪さを感じ始める。三十年以上も生きていれば、あの目と熱が示すものに思い当たる節がないわけでもない。ただし、それは相手がハングマン以外だったならばだ。俺の挑発にギラついた瞳も熱い指も、あの時のハングマンが強かに酔っ払っていたせいだ。そう結論づけて、頭によぎった馬鹿な考えを振り払うように、一層勢いよくシャワーの水を体にたたきつけた。
「よぉ、流石に冬はアロハじゃないんだな」開口一番、俺の普段の格好をからかってきたハングマンは三週間ぶりに会ってもやはりハングマンだった。まぁ、年単位で会っていない時でもお得意の煽りを浴びせかけてきて、変わらないなと呆れるやら納得するやらがいつもの流れなので三週間程度で変わったらその方が驚きだ。ハングマンが俺の頭から靴の先までじっくり見てから「ふぅん」と一つこぼすのを聞いてドキリとする。
「もしかしてドレスコードが必要な店に行くとかじゃないよな?」
戦々恐々とした俺の言葉に、ハングマンが口角を上げる。
「そんなに期待してくれていたとはな。ご期待に沿いたいところだが……」ニヤついて顎を撫でるハングマンの格好も別にフォーマルなものではない。コートの下にネイビーのテーラードジャケットのセットアップとタートルネックを合わせている。シンプルだが仕立ての良い格好は、自信溢れる態度も合わせ、いかにも出来る男と言った感じだ。俺もグレーのチェスターコートにシャツとニット、と特段変な格好はしていないつもりではある。バージニアから一緒の便でやってきた同僚も「似合ってるぞ」と言ってくれたし。その後、「髭がなければ、学生に見えるかも」と付け足されたけど、俺の口髭は今日も立派に任務を全うしているので問題はない。
「安心しろ。ホテルに戻って着替えて来いとは言わないから」
どうやらこの格好のままで問題ないらしいが、どこに行くとは教えてくれないままハングマンは歩き出した。仕方ないのですっかりクリスマスムードの街を眺めながらついていく。クリスマスに向かって高揚していく雰囲気が、子供の頃本当に好きだった。今も皆が楽しそうなのは嫌いじゃないが、母さんがいて、マーヴェリックがいたあの頃は何の心配もなくただただクリスマスが待ち遠しかった。街がクリスマスの飾り付けで彩られるのも、友達が招待してくれたパーティーも、母さんが腕によりをかけたダイナミックな料理も楽しみだった。でも、一番心待ちにしていたのは、大体遠い場所で任務についていた――子供ながらに何かやらかしたんだなとは薄々感じていた――マーヴェリックが帰ってくることだった。『ブラッドリー‼︎』そう叫ぶなり、イルミネーションよりも煌めく笑顔で俺を抱きしめたあの人のプレゼントは、いつもちょっとセンスがズレていた。懐かしい思い出に思わず口元が綻んでしまい、そんな自分に驚く。こんなに素直に子供時代のクリスマスを思い出したのは20年ぶりぐらいかもしれない。長年の隔絶を終え、生還と任務成功の高揚感も手伝ってハグも交わしたものの、少し距離を置くとぎこちなさが戻ってくる。あまりに長く離れていたせいで、どんな態度を取るべきなのか考え始めると深みに嵌ってしまいそうだった。今年のクリスマスはあの人にメッセージカードぐらい送ってもいいんだろうか。
「おい」短いながらも鋭い声に意識を引き戻すと、しかめっ面のハングマンが俺を見据えていた。大体、どんな状況でも口だけは笑顔の形を作っているハングマンにしては珍しい表情だ。
「一緒にいる人間を放って、考え事なんてマナーがなってねぇな。お前、デートの時もそうなのか?」
「あ、これデートだったのか」
何も考えずに口から出た言葉に(いや、今のは例えだろ)と自分自身でツッコむ。しまった、こんなミスはハングマンの格好の餌食だ。『あぁ、悪い。比喩を理解するなんて、雄鶏くんには難しかったかな』などと揶揄する姿が容易に頭に浮かぶ。攻撃に備えて様子を伺うと、ハングマンは予想に反して口を閉ざし複雑な表情をしていた。怒っているような戸惑っているような、それでいて少し嬉しそうな……? 複雑すぎて読み取れない表情だが、とにかく困惑しているのは伝わってきた。常に無い表情のハングマンを目撃した俺に浮かんだのは、何故か助けてやらなきゃという気持ちだった。脳内に「アンタっていつもそう」というフェニックスの声がするが、今回は自分の身を危険に晒している訳でもないので見逃して欲しい。
「ところで、今日の店ってここか?」
助け舟を出すべく話を切り替え、目の前の建物を見る。クリーム色の大きな建物は外からでも店内の盛況ぶりが窺える。意を決した割には強引になってしまった俺の話題転換だが、ハングマンは無事に乗ってきてくれた。「そうだ、ま、入ろうぜ」促されるまま店内に足を踏み入れると、少し薄暗い照明ながらもわいわいとした活気のある光景が広がっていた。老若男女がめいめい料理と会話を楽しんでいる。予約していたらしくスムーズに案内された席につくと、「意外そうだな」と俺を見ながらハングマンが笑う。その顔はすっかりいつも通りで、いつもは少し鼻につくくらいの自信溢れる笑顔に何故だか安堵してしまう。
「てっきり会員制のバーにでも連れてかれるんじゃないかと怯えてたからな。この店は好きな雰囲気だ」
「もっと時間に余裕があったらそうしてもよかったんだがな。安心しろ、この店も美味い」
そう言って見せられたメニューには、確かに美味そうな料理名がずらりと並んでいた。肉もあるがシーフードが特に売りの店らしく、目移りしてしまう。少し悩んだのち俺は白旗を上げ、「何でも奢るから、好きに頼んでくれ」とハングマンにメニューを返す。俺の行動が予想できていたかのようにひとつ頷くと、いくつかのメニューを素早く注文した。手際の良い慣れた姿に、コイツモテるだろうなという感想が素直に浮かぶ。会う度に煽って絡んでくることと飛び方が気に入らないのとで敬遠していた男だが、実際バーで女性に熱視線を向けられているところを目撃したことは何度もあった。また、その視線をさらりと交わすスマートさも豊富な経験を感じさせるが、交わしておいて俺のところに絡みにくるのはどうにもよく分からなかった。いや、俺のことはいいから女性たちとよろしくやってろよ、と思ったことも数回じゃ済まない。ハングマンの不可解な行動を思い出し首を傾げていると「何だよ? 嫌いなもんは頼まなかっただろ?」と声が掛けられる。
「あぁ、それは大丈夫。というか、俺の苦手なもんなんて知らないだろ」
「んなもん、見てりゃ分かるだろ」事もなげに言うハングマンに俺は「そうかぁ?」と返す。
「まぁ、お前はオレの好き嫌いなんて一生分からないだろうがな」含みのある言い方でハッと鼻で笑うハングマンに少しムッとした気分になる。
「今は分かんなくても、一生ってことはないだろ。こんな風に一緒に飯食ってたら、そのうち嫌でも覚えてお前の皿からズッキーニを取り除いてやってるかもしれないぞ」
「ズッキーニ嫌いなのはお前だろうが。お前がオレの好き嫌いを覚える頃にはオレはお前についてマスターになってるな」バカにしたように笑うハングマンだが、満更でもなさそうな顔つきだ。これからの伸び代が多い俺とは違って、現時点でも本当に俺の好き嫌いを把握してるらしいハングマンの観察眼には舌を巻く。スタンドプレイが目につくハングマンだが視野が狭いわけじゃない。ハングマンの機体があんなに速く駆けられるのは瞬時の状況把握能力が高いからだ。そしてそれを支える観察眼。でもそれが他人の食べ物の好き嫌いにまで発揮されてるとは思わなかった。意外な一面に感心しているとクラムチャウダーとアーティチョークのグリル、クラブケーキが運ばれてきた。どれも美味そうで、喉が鳴る。ハングマンに促されて、早速クラブケーキを食べると口いっぱいにカニの風味と旨味が広がった。「美味い!」破顔して素直に告げる俺に、ハングマンは一瞬目を見開いてから「そうだろ、感謝しろよ」と尊大にのたまった。「はいはい、ありがとうございます、ハングマンさん」俺のおざなりな感謝にハングマンが眉を上げる。
「おいおい、任務外でコールサインは止せよ。他の客に何事かと思われるだろ」大袈裟に肩をすくめてハングマンが言う。ハングマンとルースター、攻守刑執行人に雄鶏……、確かにおかしな組み合わせではある。もし自分が隣の席からそんな呼び名を聞いたらどう思うかな、いや意外とどうでもいいんじゃないか? などと考えているとハングマンが続けて口を開く。「……もしかして、オレの名前を忘れてる訳じゃないよな? ブラッドリー?」疑わしそうな目を向けるハングマンに俺は目を丸くする。いくら何でも名前ぐらいは覚えてるという気持ちと、ブラッドリーと呼ばれたことに。コールサイン以外で呼ぶことがあったとしても、普段はファミリーネーム呼びだと言うのに。
「そうなら、今度こそちゃんと教え込んでやらないとな、オレの名前を」そう言いながら空中に指で文字を書くような動作をするハングマンに、ハードデックでのやり取りが思い起こされる。布ごしに俺の背中を滑るハングマンの熱い指を思い出しそうになり、グッと眉根を寄せた。
「覚えてるから必要ないって言ったろ、……ジェイク」渋々名前を呼ぶ俺とは対照的にハングマンの口は三日月のような円弧を描いた。
「それは残念! 鳥頭のお前が忘れそうになったら、いつでも特別レッスンで思い出させてやるから安心しろよ?」安心要素が一つもない言葉を投げかけてくるハングマンを無視し、湯気を立てるクラムチャウダーを口に運ぶ。うん、これも美味い。
「この街ってクリスマスのイルミネーションが有名なんだよな、確か」
あの後、メカジキのグリルとロブスターテールに特製シーフードのパスタ、さらに最後はホットブラウニーのアイス添えまで平らげて大満足で店を出た。普段、甘いものなんてあまり口にしなさそうなハングマンがデザートまで頼んでたことに少し驚くと、「お前、甘いもん好きだろ」と当然のように返してきた。これには、悔しながらまた『コイツ、モテそう』という感想を抱いてしまった。温かいブラウニーに少し溶けたバニラアイスとナッツのソースを絡めて口に入れたら最高で「これ、好きなやつ!」と笑いかけると、何故か食いしばるような表情を見せてから「知ってる」と呟いていたのはよく分からなかったけど。
「あぁ、イルミネーションか。ずっと昔からやってるやつな。少し見ていくか? 凄い混んでるけど」
「うーん、いや、いいかな」
ハングマンが顎で示す方に顔を向けるも、断って俺達は逆方向に歩き始める。腹ごなしに少し歩くことにした。
「ところで、これで貸し借りは無しだよな?」大満足のディナーだったものの、ハングマン相手にこういった事を有耶無耶にしておくと後が怖い気がするので確認する。ハングマンは「絶対、オレの出費の方が多いけどな」と言いながら、何か思案しているようだった。
「えぇ、まだ何かあんの?」恐々尋ねる俺に、「絶対、一曲弾かせてやろうと思ったのに……」とハングマンは少し不満そうな顔を見せる。その顔が拗ねているような年下然とした顔で、思わず笑ってしまう。今日は今までに見たことの無いハングマンの顔を沢山見たな、と振り返る。
「じゃぁ、差額分払うよ」俺の言葉に「は?」とますます眉間に皺を寄せるハングマンを連れて近くの公園に足を進める。
「いや、別に金はいらねーよ」ブツブツ文句を言ってくる男にベンチに座るよう促して、俺も隣に腰掛けた。財布ではなくセルフォンを取り出した俺に「デジタルマネーで払う気かよ」と呟くハングマンに堪らず噴出してしまう。今にも口撃を仕掛けてきそうなハングマンを手で制し、俺はアプリをたち上げた。周りを見回して人気が無いのを確認してから、セルフォンの画面を軽く叩く。ポロンと鳴るピアノの音に反応し「おっ?」と言う顔をするハングマンに、してやったりの気持ちになる。軽く息を吸った後、閑散とした夜の公園で俺は歌い出した。子供の頃からよく聞いてきた、この時期にお馴染みの曲だ。ピアノアプリでメロディラインを弾きながら、同じフレーズを何度も繰り返すと子供の頃のクリスマスが待ち遠しい気持ちが蘇ってくる。俺の指には携帯端末上の鍵盤は小さすぎるが、足りないところは自分の声でカバーする。誰も完璧さなんて求めちゃいない。チラッとハングマンの方を窺うと、初めはポカンとしてた顔が少し紅潮して口元がムズムズし始めている。意外と表情豊かだったんだな、お前。
「〜That's the jingle bell rock!」
冷気に晒され冷えているはずなのに、何だかあったかい気持ちになって最後の歌詞を歌い上げた。
「ちょっと早いけど、メリークリスマス、ジェイク。差額分になったか?」
少し首を傾げて尋ねる俺にハングマンは一旦そっぽを向いて、また向き直った。
「仕方ねぇな。今回はこれで勘弁してやるよ」偉そうな言葉とは対照的に嬉しそうな表情を見せるハングマンに俺も笑顔になる。
「じゃあ、そろそろ帰るか」言いながら立ち上がった俺の手にパチンと衝撃が加わる。視線をやると、まだ座ったままのハングマンの両手に俺の手が包み込まれていた。「ん……?」俺の困惑をよそに「すっかり冷えてんじゃねぇか。よくこんなんで指動かせたな」などと言いながら、俺の手を摩って揉み込んできた。ポケットに突っ込んでいたらしく俺の手より温かいハングマンの手が、手の甲、手のひらに飽き足らず指の間や爪の先まで撫でさすってくる。我に返って止めさせようと体を捻ったところで、今度は逆の手を捕らえられた。同じように丁寧に揉み込まているかと思えば、それだけに止まらず手首の血管をなぞりながら、コートの裾から上へ上へと這い上がってこようとする。不埒な動きに堪らず制止の声を上げると、ハングマンはパッと手を離した。「油断してると体全体が冷えるぜ。体調管理はオレ達の基本だろ?」まるで自分には何の非もありませんが? みたいな顔をするハングマンに納得のいかない気持ちになっていると、ずいっと黒いものが差し出された。
「ほら、これ使え」
半ば無理やり手の中に握りこまされたのは表面のしっとりした革の手袋のようだった。
「いや、俺が使っちまったらお前が困るだろ」
「オレは車に戻れば、別なやつがあるんだよ」
「俺だって、確かポケットの中に……」
そう言ってコートのポケットを探すも指先に当たるのはセルフォンと昼間に食べたキャンディの包み紙だけだった。
「無いんじゃねーか。ほら。まぁ、お前には指先がぶかぶかかもしれないが」
「いや、俺の方が指長いだろ」
軽口に促され、渋々指を入れた手袋のサイズは思いのほか丁度よく「あれ、ピッタリだ」という言葉が口をつく。
「おい、不思議がってんじゃねーぞ。失礼な奴だな。オレの指の長さを分からせてやろうか」
不穏な動きで迫ってくるハングマンの手を躱すため、もう片方も手袋をはめる。手に吸い付くような肌触りの手袋は、なかなか良い品のようだった。
「じゃあ、ちょっとだけ借りててもいいか?」
ハングマンに手のひらを向けながら話すと「やる」という短い言葉が返ってくる。
「いや、これ割と新しいヤツだろ」
指を入れた時に感じた使用感の無さ。ほとんど使ってないように思えた。
「喜べ。今日買ったヤツだ」
割とどころか新品だったと聞いて、俺は慌てて、でも丁寧に手袋を外し始める。
「やるっつってんだから、外すな。貸しにしといてやるから」
しっしっ、とでもいうかの様に手を振るハングマンはこれ以上無いと言うほどニンマリとした顔をしている。
「それが嫌なんだよ! せっかく清算したと思ったのに」
「清算とか言うなよ、失礼なうえに薄情なんて困った雄鶏くんだな」わざとらしく肩を上げて見せたハングマンは、さっさと公園を出ようとする。置いて行かれないように大股で歩きながら、「やっぱりいいって」「しつこい男は嫌われるぞ」などと言い合ったものの結局は押し切られてしまった。
「じゃぁ、何か欲しいものあるか?」有り難く頂戴することになった手袋をはめ直しながら尋ねる。冷気から遮断された指先にいささかホッとする。
「自分で考えろよ。さっきのみたいに」薄ら笑ういけ好かない態度のハングマンだが、どうやら先程のクリスマスソングは俺が思った以上にお気に召したらしい。皮肉げな笑みを浮かべる割に鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気に、(仕方ない、次も喜ばせてやるか)と思ってしまう。会う度に絡まれてうんざりしていた相手にこんなことを思う日が来るなんて、不思議な感じだ。先のことなんて本当に分からないもんだな。長年抱えてきたあの人への複雑な感情も、これから次第で別な色に変わるのかもしれない。認めたくない気もするし、待ち望んでいたような気もする。
「おい」今、ここにはいない人間に思考が飛んだ俺を見透かすように、ハングマンが声をかけてきた。
「お前のホテル、あそこだろ」寒風から逃げるように大股で歩いてきたため、いつの間にかホテル近くの通りまで来ていたようだ。公園よりもだいぶ明るい通りの、100mほど先に今夜泊まるホテルが見える。明日の朝にはここを出て同僚たちと合流し、友人のもとへ向かう予定だ。
「じゃ、いつも通りボケっとして、待ち合わせに遅れるなんてノロマを発揮しないようにしろよ」まるで俺の日常をよく知っているような口ぶりに反論しかけるが、そういうことも無くはないので口をつぐむ。「お前も気をつけて帰れよ。これ、ありがとな」手袋を指しながら言うと、ハングマンは俺の全身を一度見てから手袋に視線を戻しニヤッと笑った。意味ありげな笑いに俺が文句を言うより先に、向こうが口を開く。
「似合ってんじゃねぇか。流石、オレのセンス。お返し忘れんなよ」俺が忘れてても、絶対に取り立ててやるという強い意志を感じさせる笑顔でそう言って、ハングマンは踵を返した。逆方向に足早に去っていく後ろ姿を眺めながら、もしかしてホテル近くまで送ってくれたのかなとぼんやり思う。同じ軍属の、俺みたいな大男にもこんな態度なら女性にはさぞかし……。「モテそう……」本日何度目かの感想はついに口からこぼれ出た。俺に対しては律儀にも思えるほど挟んでくる皮肉と煽り、不遜な態度でプラマイゼロになっているが、おそらく付き合ったら良い恋人なんだろう。そこまで考えて、何で仲間と飯を食っただけで相手の恋人仕草まで考えてんだ、と自分自身にツッコミを入れる。今日初めて見たハングマンの表情と友人の結婚式間近の雰囲気に自分でも知らずに浮かれてたんだろう。ちょっと恥ずかしくなって、頬をポリポリかきながらホテルへと足を向けた。
「ルースター! よく来たな!」
晴れやかな顔で迎えてくれた友人に俺も笑顔になってハグをする。明日の結婚式を前にリハーサルディナーに招待してくれた友人の顔には幸せが溢れていた。軍を辞めると聞かされた時はショックだったが、今こんなにも幸せそうな友人を見ていると嬉しくなる。
「ますます良い男になったんじゃないか?」俺の言葉に相好を崩した相手は、一歩離れて俺を眺めて口を開く。
「ルースターもより精悍に……、いやあんまり変わらないか」
「おいっ」
「いや、でもお前変わんないよ、本当に。いい意味で」以前と変わらぬやり取りに笑い合っていると、「ん?」と言う声が友人から上がる。
「全然変わんないって思ってたけど、趣味はちょっと変わった?」首を傾げる友人の視線の先を追っていくと、自身の手に辿り着く。昨日、ハングマンに貰った手袋がはめられている。ネイビーグレーの飾りもないスマートで上品なそれは、確かに俺がいつも選ぶ品とは違っていた。それでも、よく気がつくもんだなと感心しながら「昨日会った仲間が、自分のヤツくれたんだよ。指先が冷えるからって」と答える。端的に行動だけ説明するとめちゃくちゃ良い奴みたいだな、あいつ。友人は「へぇ〜」と言いながら、俺の手を持ち上げたり、ひっくり返したりしながら手袋をまじまじと見ている。遠慮は無いが他意の全く無い友人の触り方は、昨日のハングマンの手つきの異質さを際立たせた。――じゃぁ、ハングマンの他意って何なんだ――どう考えても今は追求すべきじゃない思考に嵌りそうになって頭を振る。「これ結構良いものだろ。気前の良い仲間だな?」俺の手を解放した友人の言葉に、更に何か言いたげな気配を感じる。
「何か言いたいことがあったら言えよ」
「いやぁ。……良い物だし似合うけど、色も見た目もお前の趣味と違うから目を引くんだよな。お前のことをよく知ってる相手こそ気になると思う。これ、くれた奴って主張が強いタイプ?」
即座にハングマンのクセの強い笑顔が頭に思い浮かぶ。
「主張は……、まぁ、めちゃくちゃ強いな」
「大丈夫かよ。まずは手から、そして順々にって感じだったらどうするよ」
聞き捨てならないことを言う友人の肩を揺すぶって「順々にって何を⁉︎」と問いたい衝動に駆られる。しかし、新たな人生の門出を明日に控える彼に無駄な心配をさせてはならないと思いグッと堪える。
「お前が心配するようなことなんてないよ。ただ、体調管理をしっかりしろって意味合いだ。偉そうな奴なんだよ」友人の心配を払拭させるように俺は明るく笑いかけるが、自分の指先が手袋の防寒効果以上に熱くなってくるのを感じる。
「それよりも、お前の素敵なパートナーを紹介してくれ」
近々ハングマンへのお返しに頭を悩めるだろう予感を確実に抱きながら、今は友人の幸せを精一杯祝うべく彼のパートナーの元に足を進めた。
END