君を評して「ブラッドリーがあどけなくて困ってるんだ」
軍人にしては少々小柄ながらも数々の伝説を持つアヴィエイターが放った言葉に、オレは耳を疑った。思わず彼を凝視するが、丸太のような腕を胸の前で組み思い悩む姿は真剣そのものだ。基地内で珍しく見かけたマーヴェリックに駆け寄ったのはつい先ほどのこと。いつもの眩い笑顔で挨拶を交わしたはずが、突然雲行きが怪しくなった。様子のおかしい上官の対応に迷っていると、少し下の位置から再度つぶやきが聞こえる。「あんなに無防備であどけなくて大丈夫だろうか?」
……よし、聞かなかったことにしよう――上官に対する態度としては決して誉められたものではないが、独り言かもしれないし、口を挟まれては逆に迷惑かも知れない。大分苦しい言い訳を胸に、用事を思い出した体でその場を去ろうとしたが、
「なぁ、君もそう思わないかい? セレシン大尉」マーヴェリックの瞳はきっちりこちらをロックオンしていた。
クソッ、判断が遅れた。思わずしかめ面になった顔を取り繕い、マーヴェリックの方へと向き直る。
「……念の為に確認なんですが、ブラッドリーとはあのブラッドリー・ルースター・ブラッドショー大尉のことで合ってますか?」
「もちろん」
他に誰がいるんだ?と言わんばかりにマーヴェリックは即答した。もしかしたら「オレが知らない本当にあどけない年齢の何処かのブラッドリー君」の話なのでは?という期待は儚くも散った。ドッと疲れを感じる心を叱咤し口を開く。どんなくだらないことでも上官の問いを無視するなんてことはしない。なぜならオレは優秀だからだ。
「あのルースターのことなら、心配することなんて無いでしょう。大佐にとっては幼い頃から面倒見てた可愛い子供かもしれませんが――」
ほら、と胸ポケットからセルフォンを取り出し一枚の画像を見せながら続ける。
「客観的に見れば、ルースターは三十も半ばの筋骨隆々の軍人です。しかも、ヒゲ面の。アヴィエイターとしても――まぁ、オレには負けますが――優秀だ。何も心配することなんてありませんよ」
オレの言葉を聞いているのかいないのか。マーヴェリックはセルフォンに表示された画像に釘付けだ。
「……やっぱり、可愛いな」
ダメだ、話が通じない。
見せた画像が悪かったのか?セルフォンをしまうついでに確認したが、いつもの軍装とサングラス姿で空を見上げるルースターにはあどけなさの欠片もない。ルースターのことを知らない奴が見れば、威圧感さえ感じるだろうに。
「あの子の表情豊かな丸い瞳を見ると、なんとも言えない気持ちになるな」
セルフォンをしまった胸ポケットに未練たらしい視線を向けながら、大佐が同意を求めてくる。
「いや、瞳はサングラスで隠れてましたよね……?」
どんなルースターでもあどけなく見えてしまうアンクルフィルターの分厚さに呆れと恐怖を覚えながら、オレはこの場をどうやって離れるか算段し始めた。
「お〜! 美味そうだなぁ」
「………………」
目の前に置かれた甘味の塊をしげしげと眺め、ルースターは嬉しそうな顔で笑った。成人男性の顔ぐらいの大きさのグラスに、山盛りにされたバニラアイスと生クリーム、更にそれを覆うようにかけられたチョコレートソースを前にして戦意喪失しているオレとは対照的だ。早速食べ始めるのかと思いきや、写真を撮り始めた。
「意外だな。写真撮るにしても、全部食べ終わってから、忘れてた!って空の食器を撮るタイプかと思ったのに」
「……まぁ、そういう時もあるけど。今回はフェニックスに送ってやりたいからな」
「成る程」
カメラの向きを変えて何枚か撮っているルースターだが、水の入ったグラスやコースターが映り込むことは気にしないようだ。そういう大雑把さがコイツらしい。「よし!」無事に使命を果たしたらしいルースターがセルフォンをスプーンに持ち替えた。「さぁ、食おうぜ」ワクワクした気持ちが抑えきれない顔で促され、オレも腹をくくってスプーンを手に取った。
「甘い……、けど美味いな」
見るからに甘いホットファッジサンデーは、予想通り大層甘い。だが、安っぽい味ではなかった。温かいチョコレートソースが濃厚で、バニラアイスと生クリームによくマッチしている。トッピングされているナッツによって食感の違いも楽しめて、思っていたよりも食べやすい。
「だろ?良い材料使ってるって評判なんだよ、この店。フェニックスも来れたら良かったのにな」
休みなくスプーンを口に運びながら、ルースターが残念そうな顔をする。まぁフェニックスが来れたなら、オレ達がカウンターで隣り合ってサンデーを食べるなんて状況は生まれなかったわけだが。もともと諸用でこっちに来る予定のルースターに合わせ、二人でこの店にサンデーを食べに来ようと約束していたらしい。しかし前日にフェニックスに用事が入ったため、代役として今オレがここにいる。話を聞いた時は、男二人でデカいサンデー?どんだけ悪目立ちさせる気だよと思ったものだが。オレの心配を一笑に伏したフェニックスの言う通り、意外と客層が広く程よく人が入った店内では、オレ達も然程目立っていないようで杞憂だったようだ。
「にしても、フェニックスがお前に声をかけるなんて思わなかったな。いつの間にそんな仲良くなったんだ?」
「言っとくが、オレが声をかけられたのは4番目だ」
オレの前に声をかけられた3人は、急な話だったため都合がつかなかったらしい。それでオレにお鉢がまわってきたってわけだ。まぁ、以前よりはお互いに距離は近づいている、というか信頼関係が深まっているとは言ってもいいだろう。例え、4番目だとしても。それは隣で幸せそうにアイスを口に運ぶルースターにも言えることで。あのミッション前のオレたちだったら、二人肩を並べてサンデーを食べるなんて絶対有りえなかったことだ。
「そういえば2週間前くらいに大佐に会ったぜ」
「マーヴに? 元気そうだったか?」
「あぁ。ちょっと挨拶しただけだが、変わらなかったな。でも、お前のこと心配してたよ」
オレはわざと意味深長に言葉を止めて下を向く。大佐と話していた時は、ルースターがいつまでたってもあどけないだの可愛いだの言われることに同年代として同情心を覚えていた。だが、ルースターを揶揄うネタを手にしておいて出し惜しみする気もない。『お前があどけなくて心配なんだとよ』、そう告げてやろうと顔をあげると丁度こちらを向いていたルースターと目が合った。
「いや、お前、髭に生クリームついてんぞ」
全く予定していなかった言葉が零れ落ちた。
「え、うそ、どこ?」
「いや、そっちじゃない、ぶはっ、ちょっと待てって」
口髭の端にわざとかと思うほどしっかりついたクリームに腹が捩れそうになる。それでもルースターが闇雲に口元を拭う前にシャッターを切ったオレの早業は讃えられるべきだろう。
「おま、撮るなよ! 消せって」
「いやいやいやいや、お前がこんだけ満喫してるんだってフェニックスに送ってやろうぜ」ウインクをしながらセルフォンを尻ポケットに移動させる。諦めずにオレのセルフォンを取り上げようとするルースターに、騒いだら店に迷惑だろとそれらしいことを言って嗜めた。渋々サンデーに向き直ったルースターだが「フェニックス以外には送るなよ」と念を押してきた。いや、フェニックスには送ってもいいのかよ。前から思っていたが、お前ら仲良すぎじゃないか?なんだか釈然としない気持ちを抱えながら、オレも自分のサンデーに向き直った。大分食ったつもりだったが、グラスの中にはまだまだアイスの山が燦然と聳え立っている。いや、多すぎんだろ。
「……で、マーヴがなんの心配してたんだよ?」
暫く一心に食べ進め、どうにかゴールが見えた頃合いでルースターが口を開いた。限界はとっくの昔に迎えている。一方、ルースターのグラスはきれいに空になっていて、最後のチェリーを口に放り込んでもまだ余裕そうだ。すげぇな、こいつ。質問の返答は後回しで胸のムカつきに耐えていると、ルースターが顔を覗き込んできた。下がり気味の眉の下にある丸い瞳が、少し不安そうな色を湛えている。そんなに気にしなくてもすげぇトンチキなこと言ってただけだぞあの人、とネタばらししてやりたいところだが今は自分の胸と胃の世話で手一杯だ。それにしても、幸せそうだったり、ワクワクしたり、慌てたり、怒ったり、不安そうにしたり。今日見ただけでも色んな表情が浮かぶくりくりした目に、2週間前に聞いたマーヴェリックの言葉が頭をよぎる。
『あの子の表情豊かな丸い瞳を見ると、なんとも言えない気持ちになるな』
あの時は呆れた気持ちで聞いた言葉だったのに、今は妙な説得力を持って脳裏に浮かび上がってくる。……いや?いやいやいや、そんなワケあるか。ルースターは35歳、屈強な体の現役軍人で、海軍でも上位に入るアヴィエイターだぞ。そんな男を捕まえて「あどけない」なんてのたまうのはマーヴェリックただ一人でいい。……いいハズだ。
「おい、大丈夫か? 気持ち悪いんだろ、水飲むか?」
黙り込むオレにルースターが水を渡してくれる。いつの間にか頼んでくれていたらしい。時間をかけて水を飲むと、少しは胸のムカつきが落ち着いてきた。
「……悪い、もう平気だ」と声をかけると、ルースターの瞳から不安そうな色が消えていく。なんだよ、オレの心配をしてたのかよ。
「むしろこっちが付き合わせて悪かったな。いつもこんなに甘いもん食わないだろ?」
「そりゃそうだ。でも、久々に食ったら結構美味かったよ。ま、しばらくは遠慮したいところだが」
「ハハっ、それはそうかもな。俺だって頻繁には食べないよ」
「そうとは思えない食いっぷりだったぜ。マーヴェリックもお前が健康的な食事をしてるか心配してたしな」
「え? 何だマーヴの心配ってそんなことかよ。いつまでも子ども扱いなんだよな」
オレの嘘を信じたルースターは、不満そうな、それでいて照れたような顔で口を尖らせる。拗ねたような表情が妙に似合っていて、あどけな――……だから、あどけないわけあるか!おかしな思考を振り払うように頭を振れば、気持ち悪さがぶり返してきてしまう。
「お、おい、急にどうした?」
心配するルースターに軽く手を振り、椅子から下りる。このままだと、マーヴェリックの思考にオレまで感染してしまいそうだ。マズい流れは切り替えるにかぎる。
「食い終わったことだし、そろそろお開きにしようぜ」
「OK. フェニックスにはハングマンは結構付き合いの良い、イイ奴だったって伝えておくよ」
「おい、間違えるなよ。そこは、凄いイイ奴だろ」
「自己評価がクソ高い」
いつもどおりの会話の応酬をしながら店を出る。以前と変わらず煽ったり煽られたりのオレ達だが、あのミッション以降はルースターの笑顔を見ることが多くなった。真剣な表情をしていれば、それなりに厳つい男だが、気を許した相手には大分緩んだ顔をする。ほぼ身内のようなマーヴェリックがコイツのことをあんな風に評するのも正直わか――「おーい、ハングマン?」
オレが再び思考のトラップに嵌りそうなっていたら、ルースターに呼び止められた。大分、気の抜けた声だ。
「お前こっちの道じゃなかったか?」
ルースターが指す方角は確かにオレの帰路だ。どうやら気づかないうちに別れ道に差し掛かっていたらしい。本当に今日は決まらないな。決まらないついでに信号にも引っかかたので、別れたルースターの後ろ姿を見送ることにした。軽くリズムをとりながら大きな体をゆらゆら揺らして歩く背中はゴキゲンなようだ。
それにしても撫で肩だな、筋肉もしっかりついてるはずなのにルースターがどこもかしこも丸く見えるのはなんでだろうな。なんて意味の無いことを考えていると、急にアイツが立ち止まった。かと思えば、振り返って大股でこちらに戻ってくる。勢いに気圧されたオレの前に現れたルースターは「ハングマン! 肉は好き?」と口を開いた。
「は? いや、肉は好きだが……」
「じゃあ、次は肉食べに行こうな。フェニックス達も一緒にさ」
「いいけど、それを言いにわざわざ戻ってきたのかよ」
「あぁ、次の楽しみがあった方がいいだろ?」
呆れ顔のオレのことなんか気にもかけず、ルースターは楽しそうだ。丸い目を細くして、嬉しそうに笑いかけてくる顔は屈託がない。『ルースターがあどけなくて困るんだ』――頭に浮かぶのは、本日何度目かのマーヴェリックの声。その声を追い出すかのように、オレは言葉を搾り出した。
「ルースター……、悪いこと言わないから、お前もうずっとサングラスかけとけよ」
「えっ⁉︎ なんで」
――――――――――――――――――
「Hi, ハングマン! この前は代役ありがとう」
午前中の業務を終え、休憩に入るところで後ろから声をかけられた。立っていたのは、予想通りフェニックスだ。ここら辺で彼女に会うことは殆ど無いので、わざわざ足を運んで来たんだろう。
「どういたしまして。4番目のご招待、痛み入るよ」
オレの返答をハッと鼻で笑ったフェニックスは、「それで?」と続けた。組んでいた腕を解き、片手をこちらに向け催促する。
「それで、って?あぁ!もしかして報告書の提出が必要だったか?」
「アンタが書きたいなら書いてもいいけど。それより私に送る写真があるって聞いたんだけど?」
オレは内心チッと舌打ちする。あの店で撮った写真のことは誰にも言っていないし、見せてもいない。となると、話の出所は一つだ。どうやらルースターは、オレがフェニックスに写真を送りつけてないか探るつもりで墓穴を掘ったらしい。マヌケな奴め。仕方なくセルフォンを取り出し、あの写真を表示して見せた。
「あら……、ハハっ、アイツらしいね」
さっきまでの挑戦的な顔はどこへやら。いい歳して口髭にクリームをつけた男の写真を目にした途端、フェニックスは顔を綻ばせた。
「ふっ、ルースターって、なんかあどけないとこあるよね」
「……っ」
当然のことのように放たれたフェニックスの言葉に思わず息を呑む。
「そう思わない?ふとした時の表情とか仕草とか、顔に赤みがさしやすいのとか。あと……」
「あの丸くてくりくりした目とか……?」
オレがそっと続けた言葉をフェニックスが肯定する。
「そうそう。表情豊かだよね」
「そうだよな‼︎」
「わっ、急に大声出さないでよ」
思わず腹の底から出た声にクレームが入るが、オレはそんなことを気にするどころではなかった。ルースターとサンデーを食べた日から5日。あの時はちょっとおかしかったんだ、仕切り直せば大丈夫、という気持ちとは裏腹に、一度あどけなく見えてしまってからは思い出すルースターの映像がもう「そう」としか見えなくなってしまって頭を抱えていた。考えたくもないが、オレもマーヴェリックのようになってしまったんじゃ……、いやマーヴェリックはほぼ身内だからまだ分かるとして、ただの仲間のオレは何なんだと密かに悩んでいた。しかし、フェニックスの言葉を聞いて一気に解決した。
「アイツがあどけなく見えて、何とも言えない気持ちになるのはオレのせいじゃない!アイツの方に問題がある!まったく悩んで損したぜ、あのオンドリめ」
「アンタ、大声で何言ってんの?」
悩みから解放された高揚感でつい大声になってしまったオレに、隣から白い目が向けられるが些細な事だ。フェニックスに感謝を伝え、オレは晴れやかな気持ちでその場を後にした。
後日、ルースターが今度は艶っぽく見えはじめ、再び頭を抱えることになるのはまた別の話だ。