誕生日どこからか聞こえるバースデーソングを、僕は疎ましく思った。薄暗い廊下を歩きながら、光の方へ視線を向けると、食堂の方から賑やかな声と美味しそうな甘い匂いがする。賑やかな声に軽く舌打ちをする。幸福な人間がいるというのは、こんなにも己を惨めにする。
この荘園は誕生日と言うものになると、このようなゲームをさせておきながら悪趣味にもパーティが開かれるため、どこからともなく招待状が配られる。今回のパーティにも僕は事務的に「不参加」に丸を付け、ポストマンであるビクターに手渡す。金すら貰えない慈善事業だと言うのに手紙を受け取ると、ビクターは心底嬉しそうに笑った。そんなビクターを眺めると、僕は薄暗い部屋へ踵を返した。
誕生日など馬鹿らしい。かつて母に祝ってもらった遠い記憶を思い返して目を瞑った。
どうせ僕が神殿で眠るまで、若しくはこの荘園での死を迎えるまで、こんな化物の誕生を祝うものなどありはしない。そして逆に僕が祝えば、祝福の讃美歌すら葬送曲のように変化するだろうと他人の誕生日を祝ったこともない。
そんな想いの中で、隣人の「囚人」であるルカ・バルサーの誕生を横目で流す。食堂で他の皆に祝われているのだから、自ら僕なんかに祝福を強請るということもないだろう。バルサーとは数回話した程度である関係で、そこまでの仲ではない。だと言うのにどうしてだか、隣室であると言うだけで何だか気まずい気持ちにもなる。わざと扉の前を視界から外して、こそこそと横を通り過ぎた。やたら重く感じるドアノブを回して部屋に戻ると月明かりが埃っぽいベッドに落ちていて、きらきらと輝いていた。僕はそこにすごすごと戻ると、腰を落とす。荘園のベッドは、ここに来る前に墓守をしていたベッドよりはいくらか柔らかい。喉元を締め付けるスカーフを緩めると、はぁと溜息を吐いた。
別に僕もあそこに混じってバースデーソングを歌いたいわけでもない。それは絶対だ。
しかし、何故だか妙に気になるのだ。ルカ・バルサーの生誕が。
上半身をベッドにぼふりと落とすと、壁に向かって体を転がした。外から憎たらしく覗く月明かりすら目を焼いて、ぼんやりと窓枠が揺れるように歪む。この体は己の視界さえも上手くコントロール出来ない。
カチカチと鳴る時計を聞きながら目を瞑ったが、意識は一向に沈むことがなくどうにも寝ることも出来ない。自分の寝息すらうるさく感じ、呼吸の仕方も遠くなる。どうやって眠っていた、眠るときにどこを見ていた。カチカチ、また時間が過ぎていく。しばらくそんな時間が経過し、僕は勢いをつけてベッドから飛び起きた。そして火が付いたように引き出しを開けると、我ながら綺麗にラッピングされた小包を取り出した。
ああそうだ、もちろん全部嘘だ。全て建て前だ。
本当は人とは違う真白い体に偏見無く、差別なく、屈託なく笑うバルサーと言う男に親愛の念と細やかなプレゼントを用意していた。しかしどんな顔で、何て言って渡すと言うんだ、この根暗で卑屈な僕は。そんなことを考えている間にパーティの時間は終わるし、既に日付はあと一刻で0時の数字を回る。ああ、どうしたものかと僕は頭を抱えた。明日にでも忘れていたと宣って、意味も無いように渡してしまえれば特別感は薄れるだろうか。それにしてもプレゼントとは、重たいだろうかと部屋の中を馬鹿になってしまったかのようにぐるぐると回った。
そして音がなる。コンコンコンと三度のノックの音だ。僕は肩をびくりと大きく揺らし、思わず本棚を蹴りつけた。がたりと大きく揺れた振動と音に対して眉を潜める。しまった、これでは居留守が出来ない。案の定、扉の前の主は僕の不在を否定したか、声をかけてきた。
「クレス君。起きているのかい?」
それは渦中の人物である、バルサーの声だった。僕の混乱と焦燥を差し置いて、更に声がかけられる。「パーティで出た余り物がたくさんあってね。配っているんだ。腹に明きは無いか?」と、遠慮めいた声量で話されるそれに僕は毒気抜かれる。誕生日の主役だというのに、配膳の真似事とはどういったことだ。僕は、「い、今あける。」と、動揺と共に施錠を外した。
現れたバルサーは、眉を下げて「夜分にすまないね。」と笑ったが、貴重な食糧の差し入れとあっては頭を下げるのはこちらの方だった。虚勢を張るしかない僕は「いや・・・。」と否定はしたが、次の言葉がなかなか出ない。そんな僕を見かねて、「入っても良いか。」とバルサーは首を傾げた。どこか断られるとは考えていないようで、ドアの間に足をかけている。食事を両手に持っているからか、足癖が悪い。僕が戸惑いながらこくりと頷くと、「失礼。」と、殺風景な部屋にバルサーはすたすたと入ってきて、食事を机の上に置いた。
「随分綺麗にしているんだね。」
とバルサーは言ったが、金に貪欲な僕の部屋は物がないだけだ。それに、しばらく日の光を避けていたからか、ベッドがやや埃っぽい。僕は「じろじろ見るな。」と、自分の粗を隠すように吐き捨てた。居座る気だろうか。ならば、一人用の椅子しかないこの部屋ではベッドに座る他ない。シーツだけでも、こんな時間だが洗濯室へと運ぼうか。そう考えた最中だった。
「おや、これは?」
机に置かれた小包をバルサーが拾い上げる。バルサーの瞳をイメージしたグレーのリボンがふわりと舞い、僕はゆらりと揺れるそれをバカみたいに凝視して、そして猫のように目を細めた。待て、それに触るな。僕がそう叫ぶ前に、バルサーは僕をぎょろと視線を向けたかと思うと再度「これは?」と僕に問うたのだった。大きなアーモンド形の目がこちらを凝視している。そして、それは何故だろうか期待に輝いているように見えたのだ。
どうにも可笑しいだろう。どう見ても自分へのプレゼントであるそれを持ち、僕なんかに子供のように目を輝かせている様は異様に滑稽であった。僕の返事を待つバルサーの顔は、同じ男ながら整っていて精悍だ。すらりと伸びた綺麗な鼻筋、片目がつぶれているとは言え長い睫毛に縁どられた整ったグレーグリーンの瞳、野生的に尖った歯がちらりと覗く唇は薄く大きく男らしい。そんな顔で、唐突に自分にスポットライトが充てられたように視線を浴び、僕はパニックだった。「あ、あ、」と無駄に出る母音は、「ん?」とずいと顔を近づけられたことにより「う・・・っ」と喉奥までのみ込まれる。
「あんたへのプレゼントだ。」そう一言いえば終わる話であったのに、意地っ張りでアマノジャクだった僕は、そんなことを言えるはずがなかったのだった。咄嗟に出た喉奥からの言葉に、そしてその反応に僕は恐れた。
「人への、プ、プレゼントだけど・・・!ち、違うからな。あんたのじゃない。」
じゃあ、誰のだ。心の中で、もう一人の自分が反論する。
友人や知り合いなど、この荘園に居ないだろう。そんなこと頭の良いバルサーにはすぐにバレて「何を言っているんだ。」と笑うか、「そうなのか。」と興味を失くすに違いない。そう思ったのに、バルサーは僕の予想を翻したのだった。
バルサーは目を見開くと、途端に酷く落胆したような表情をしたのである。視線を下に落として、小包を机に置き「・・・それはすまなかった。」と、首を落としたのだ。
これには僕は内心飛び上がるように驚いた。いつも聡明で難しい言葉ばかりを使うバルサーが、いつも冷静でどこか余裕を感じるバルサーが、目に見えて落ち込んだからだった。
そんなにもプレゼントが欲しかったのかと思った。そして、そんなにも落胆してくれるのならば、渡せば良かったとも思った。
「・・・聞きたいけど・・・、これ、欲しいのか?」
「ん?そりゃあ欲しいさ。しかし私のものではないのだろう?」
「う、でも受け取ってくれるなら、」
「いや、良いんだ。人の物を強請る気は無いさ。しかし誰に渡すかだけでも教えて貰ないだろうか。」
言葉に詰まる。もちろん、バルサーのものだ。しかし、ここで手の平を返すのも億劫で、居もしない人物の名前をあげるようなことも僕には脳が足りない。きっと足がつく。僕は「バルサーには関係ない。」と顔を背けた。バルサーはまた酷く落胆したような表情をした。
そして訪れる無言。
ああ、こんなことをしたいわけではない。手持ちのスコップが部屋の隅に置かれたことで、手持無沙汰にそこに立つことしか出来ず、僕は内心大慌てだった。素直に祝ってやればいいものの、どうしてそれが出来ないんだ。じわりと涙さえ浮かぶ。こんなことが言いたいわけではないのだ。このままで良いわけがない、勇気を出せと自分を叱咤し口を開く。
「で、でも、今日誕生日だろう?」
「・・・おや、知っていたのかい。」
「招待状が来たから。プレゼントは、今は無いけどその代わり何かを送りたいんだ。僕はこういった経験が、全くないから・・・、どうしたら良いか分からない。」
望むものを、と聞きながら上目にバルサーを覗くと、少しばかり驚いたように僕を見つめていた。バルサーは、ううんと考えるとこう続ける。
「では、友人としてのポジションを。」
「え。」
「毎年君が私を祝うのを当たり前とするポジションを貰おうか。他の誰かを羨むのはごめんだ。君が私のために一日を考えるような、そんな日に来年はしてほしい。」
バルサーは少しばかり機嫌を直してそう続けた。意味が分からなかった。何故そのような無価値なものを欲しがるのか。てっきり、もっと価値のある財宝でも金でも要求されるのではと身構えたが、まったくの見当違いであった。価値観が可笑しな人間だと思っていたが、どうして僕なんかと友人などと?クエスチョンを浮かびながら、心底理解出来ない気持ちで一杯であった。そんなもの。
「いくらでもくれてやる。別に、全部でも。」
僕にそこまでの言葉をかける変人はお前だけだ。お前だけが、僕の無価値な存在を望んでいる。それならば誕生日くらい全てをかけてもいい。まあ、僕に出せるものは限られているし、それこそ何もできないかもしれないが。
そう思いバルサーをちらりと視線の淵に取らえると、バルサーは大きな口に弧を描いて腹を抱えて笑った。「ひ、ひひひ、参った参った。全てとはね。」と、呼吸を弾ませるバルサーの機嫌の高低差が分からず、僕はぽかんと口を開けた。
「な、なにがおかしい!」
「いや、そのプレゼントの主には何を渡すのかと思ったが、全ては渡さないのだろう。」
「う、どういう意味だ。」
「いいや、分からなくても良い。いやはや、熱烈だなあ。」
バルサーはひとしきり笑うと、ひょいと指揮を取るようにしてフォークを持ち上げた。「食事が冷めるぜ、アンドルー。」と笑う。
「名前・・・。」
「おや、全てをくれるのだろう?ならば、名前を呼ぶ権利から貰おうか。」
いつ気付いてくれるのだろうなぁと、意味の分からない発言を一人ごちるバルサーは、僕には全く理解出来なかった。とにかく満足したならそれで良しとしよう。明日にでも包装を変えてバルサーの部屋の前に置いておけばいい。僕は促されるまま近付くと、バルサーの持って来た食事を一口含んだ。まだ少しばかり暖かなチキンは、舌を満足させ喉奥を通り過ぎる。バルサーは「ついてるぜ。」と穏やかに笑うと、僕の頬からそれを奪い去ったのだった。