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    UyalJr

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    左右描写はあまりありませんが、🧡❤️のつもりです
    許しを得る🧡さんの話

    #FoxAKuma

    免罪これって、何か深刻なバグかなにかなのかな、と、毎朝ベッドで目覚めるたびミスタは思う。

    他の食器は雑貨屋で買った安価なものから、ジノリのプレートやらバカラのグラスみたいなブランド品までがごちゃごちゃと雑多に棚に並んでいるのに、たった一組コップ立てに揃ってかかっているペアのマグカップ。
    洗面所のフックに引っかけてある二本の歯ブラシ。
    シューズボックスの片隅からじわじわと侵食してきている家主のものではない靴。
    後から買ったがめに部屋のコンセプトから微妙にずれているワードローブ。
    互いの家に、互いのものが染み出している。そう表現するのがしっくりくる。

    恋人というか、連れというか、ボーイフレンドというか、彼氏、のヴォックス・アクマ。
    彼とミスタがそういう関係になってから、大体四ヶ月が経つ。

    巷の恋人たちが別れの危機に陥るという一つ目の三の倍数を大した問題もなく通過した二人は、お互いの空いた時間に通話をしたり、休日には適当な場所でデートをしたり、どちらかの家に行って二人の時間を過ごしたりなんかして極々普通の中距離恋愛を楽しんでいる。

    けれど、ミスタは毎朝目覚めるたび、己の今の状況を顧みて、これってなにか、世界が変な調子にバグってこういうことになってんじゃねえの、と思うわけである。

    クーラーのついた冷え切った部屋で毛布をかぶって、眠りからゆっくりと抜け出したミスタはほんの少し身じろぎをした。
    あといくらか体を動かせば触れてしまう距離に、ヴォックスはいる。

    昨日、ミスタはヴォックスと夕方に駅で落ち合って、少しウィンドウショッピングをしてからパブに入った。
    昨日行った店はパブクラシックでサンデー・ローストを出していたから、それをつまみつつダラダラ飲んで、何ラウンドしたっけ、マァ閉店ギリギリまで二人で駄弁りながら酒を舐めていた。
    ヴォックスがビールを六パイント飲んだあたりから数えるのをやめたけれど、ワインやらシャンディガフやらサイダーやら、彼は食道の先にブラックホールが繋がってるんじゃないかってくらいたんまり飲むもんだから、見ているだけで満足しちゃって、ミスタ自身は大した量を飲まなかった。
    鬼っていうのはみんなあんなに酒豪、というかワクなんだろうか。もはや一種の酒に対する冒涜を感じる飲みっぷりであった。

    それからほろ酔いのミスタと足元がふらついているヴォックスは深夜の道路をダラダラ歩いてミスタの家に帰り、(ちなみに家に着いた頃にはもうヴォックスの酔いはかなり覚めていた)ちょっとの間リビングでネットフリックス・アンド・チルをしてからどちらともなくベッドになだれ込んだわけである。
    そして翌朝、今に至る。
     
    ブラインドカーテンの隙間から差し込む朝日でほのかに照らされる室内。
    空気中をチラチラと漂っている埃に陽の光が反射しているのをぼうっと眺めながら、ミスタは隣に寝転んですやすやと寝息を立てている美丈夫の髪をそっと触った。そも、人外に睡眠って必要なんだっけ。

    差す光でところどころ赤く透ける髪に指を滑らせて、何度見ても不思議なものだなぁ、と思う。
    ヴォックスのこの髪も、朝目覚めたら彼が隣に眠っているということも。

    何百年とかいう途方のない年月を生きてきているくせ、ヴォックスには随分人間らしい情緒がある。
    人外仕様で常識がかなり、かなりズレているけれど、それは今言いたいことには関係がなくて。
    なんというか、生き生きとした喜怒哀楽がある。
    ある種の無邪気さや快活さがあるのだ。
    歳を経れば程度の如何はあれど、こう、仙人っぽい、悟りを開いた感じになるものじゃないんだろうか。

    けれどもまあ、ミスタの祖父も御年八十も半ばを超えれど未だ横柄で、かつ家父長主義を気取った亭主関白に骨の髄まで浸かった重度のニコチン・アルコール中毒者だったから、生き物というのは歳を重ねてもそう本質は変わらないのかもしれない。
    三つ子の魂百までというし。ウン。

    あれだけの月日を生きてさまざまな経験をすれば、物事の物差しが増えて考え方の幅が広がるのはわかるけど、それにしても、こんな人間を選ばなくたっていいんじゃあないの。
    ミスタは度々このことを考える。
    毎度おなじレコードに針を落として、すっかり音が歪んでしまうまで、繰り返し、繰り返し聞き続けるのだ。一種の悪癖とも言えるだろう。

    自分がヴォックスから最愛を囁かれた何番目の人間なのかなんてミスタは知らなかったが、彼の歴代の恋人の中で自分が一番劣っているということにはしっかりとした自信があった。
    ミスタはそういう変な自負と、それからやや偏った自己肯定感の低さを持っていた。
    そして一度本気で誰かを好きになってしまうとどうも依存して精神が立ち行かなくなってしまうから、意識して自制をしているのである。
    ええ、本人は自制をしているつもりなのだ。
    余談だが、ヴォックスはミスタのこういう小動物じみた(下等生物じみたとも言い換えられる。他意はない)愚かさを心底愛しく思っている。

    時に甘い息を吐きながらベッドに体を横たえて、時に二人の会話の中、ふと生まれた空間を眺めて、なんとはなしに、それがミスタの世界でいっとうの奇跡であると認識もせず、ヴォックスはミスタへ愛を囁く。
    もうそれなりの期間を共に過ごしてきているのだからいい加減慣れてもいいだろうに。
    ヴォックスから睦言じみた愛の言葉が自分に向けて発されるたび、ミスタの呼吸はいつも一瞬止まる。
    自我と肉体が、現実と空想がはっきりと解離しているみたいな、変な気分になるのだ。
    心臓が小さく跳ねて多幸感に包まれるのと同時に、頭の奥の方の芯がキンと冷えるような心地がする。

    ヴォックスはそんなミスタの様子に気づいているのか、いないのか、この世でもっとも愛らしい生き物を見つけたみたいな笑顔をそのおもてに浮かべて、ミスタの頬を撫ぜたり、髪に指先を滑らせたり、手を掬うようにとって、きゅうと緩く握ったりする。
    するとミスタの方はなんだか涙が出そうな気持ちになって、その情動が愛しさや幸せからくるのか、それともどうしようもない哀しさからくるのかすっかり分からなくなってしまうのだ。

    ぼうっと彼のことを眺めているうち、昨夜ヴォックスにつけた鬱血痕がもうほとんど消えかかっているのに気がついて、ミスタはそっとその一つへ唇を寄せた。
    唇と皮膚が触れ、しっとりと添い合うように互いが形を変える。

    途端、いつものどうしようもない感情が体の底から湧き上がって、ツンと鼻の奥が痺れた。ミスタの瞳の表面を涙になる前の水分が薄く膜になって覆う。
    そこには、やわく光を透かし反射する宝石のような、有機物の輝きがあった。

    そのまま舌をそっと皮膚に触れさせて軽く湿らせてから、吸い付くようにして痕を付け直す。
    少しの水音が冷えた空気を微振動させる。
    ぢゅ、と最後に強く吸って、ゆっくりと顔を離せば、ミスタの眼下には記憶にあるのと同じ鬱血痕が映った。

    今この瞬間ヴォックスのことを殺めてしまえば、オレがつけた痕は、その白肌に浮かぶ唯一の瑕疵は、未来永劫消えなくなるのかしら。
    そんな、到底実現しようのない考えが脳味噌へ不意に浮上する。

    しかし神に愛された美術品であるとすら言い切ってしまえるほどの完成された美貌は、多少の傷なぞ、ただの装飾に変えてしまえるようだった。
    執着と懇願と愛憎とをことこと煮詰めて、その煮凝りを垂らして乱雑に擦り付けたようなその痣は、ヴォックスという生き物の性質に一欠片の影響も与えなかった。
    ただ、その硬質な事実のみがミスタの目前にあった。

    ふと、意識の外にあった涙が瞳の淵から溢れて頬を伝っていく感覚がする。
    生暖かい液体の温度を感じて初めて、ミスタは自分が泣いていることに気がついた。
    こんなにも幸せなのに、きっと自分の人生の中で、これ以上に幸福な時間なぞ訪れるがないのに。
    ヴォックスの側にいることがこんなに苦しいと感じてしまうのはなぜなのだろう。

    気持ち悪い。
    自分から傘を畳んで、雨の中に踏み出したくせ、寒い、辛いとベソをかいている。
    どこまでも被害者ぶらんとする自分の性質が心底気持ちが悪かった。
    要因も、咎も、全てが自分にある。
    甘ったれているのだ。救いようがない、心の隅で救われたいと何かに祈っているところが、どうしようもなく救いようがない。
    どうしようもない、どうしようもない、自分は、どうしようともしていない。

    自己愛と自己嫌悪の溶液が彼の胸に染み込む。
    ミスタはこのとき、今さっき彼に自分の手で痕をつけたときよりも、もっと重大でひどい傷を刻み込んでしまったかのような感覚に陥った。
    きっと一生をかけても贖えないような罪を、この瞬間犯してしまったような気がした。

    水滴が皮膚に落ちるその僅かな感覚に眠りを妨げられたのか、ヴォックスがちいさくみじろぎをする。
    ハッとなってミスタはシーツの上で壁の方へと後ずさったが、ヴォックスの瞼はゆっくりと上がっていった。
    差し込んだ光が瞳を舐めて、彼の瞳孔がきゅうと縮むそのコンマの動きが、ミスタにはくっきりと鮮明に見えた。

    「どうした」

    ほんの少し目を見開いたヴォックスは、そうつぶやくとミスタの頬に手を伸ばし、人差し指でそうっと涙を拭う。

    あ、と思う。
    あぁ、だめだ。その一つの動きで、そのたった一言で、ミスタの心はガシャンと音を立てて崩れた。

    自分は決してそんなふうにやさしく微笑まれていい人間じゃない。
    そんなふうに救われていい人間じゃない。
    そんなふうに愛されるに足る人間じゃあないのだ。

    「違う」

    刹那、スカイブルーが融解するみたいに滲む。
    瞳が溶けて流れ出してしまっているんじゃないかとすら思うような涙だった。
    熱くて、冷たい、有限の輝きを持った涙だった。

    「違うんだよ」

    ミスタは溢れる涙を乱雑に拭って、視線を落とし、シーツに縫い付ける。
    到底ヴォックスの目なんて見れやしなかった。

    ヴォックスはミスタの感情をそのままに受け取って、自分のことのように傷ついたと言わんばかりの表情をして、ぎゅうとシーツをきつく握るミスタの手をそっと包み込んだ。

    「俺のミスタ、一体何が違うっていうんだい」
    「……ごめんなさい」

    叱られる前の幼子のそれにも、神に赦しを乞う敬虔な羊のそれにも似た懺悔。
    自分の感情を、泣いている理由を告げればきっと、ヴォックスは全てを受け入れる慈母の笑みを浮かべてミスタのほしい言葉をくれる。
    それを分かっていてなお、彼の前で謝った自分が許せなかった。
    それでも。全てをかなぐり捨てて楽になりたいと思ってしまうほど、もう自分を愛することに苦心するのは一切やめてしまおうと思うほど、この懊悩から解放されたいと強く願っていた。

    「ミスタ。いいんだよ」

    ヴォックスの瞳がゆるく細まって、ふっくらとした涙袋が浮かぶ。
    ミスタにはなんでかその瞳孔が細らんでいるみたいに見えた。縦に、きゅうと。
    薄い唇がゆっくり開いて、血のように赤い舌が覗く。

    「お前は何も悪くないんだから」

    呼吸の速さのまばたき。

    「俺はお前のくるしみをすっかり取り除いてしまうためにここにいるんだよ。俺の、愛しいミスタ」

    白いかいながミスタの方に伸ばされ、一拍置いて、ヴォックスの温度がミスタを包む。
    自然とミスタの呼吸は早まって、見て取れるほどに胸が上下しているのが自分でも分かった。
    薄く空いた口から、は、は、と息が漏れる音が落ちる。
    シーツに染み込んでいくそのかわいた音が鈍痛に叩かれる頭蓋の中で反響して、とうに滲んだ視界がぐらぐらと揺れた。

    「いいんだ。なにに苛まれる必要もない。どんな罪だって、俺がゆるすよ」

    死にたくなるほどあたたかい温度が、ゆっくりとミスタの冷えた皮膚に染み込んでいく。

    ヴォックスが今どんな表情をしているのか、ミスタには分からなかった。
    ただ自分が、これからもこの悪魔と共にあり続けるということだけは、はっきりと理解できた。
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