隣人観察玄関
ドアにピタリと耳をつけて集中する…
今日は燃えないゴミの回収日
大丈夫
シャワーは浴びた
薄化粧もした
歯も磨いた
髪もセットした
大丈夫
集中しろ
鍵穴が回る音を聞け
ドアノブが回る指先を想像しろ
あ、ドアが開く音がした
コツコツコツ…
通った
1、2、3……
ガチャリ
「あ、おはようございます。」
「あぁ、お隣さん。おはようございます」
何食わぬ顔で挨拶すれば、目的の人物がくるりと振り返り挨拶を返してくれた。
うん、良い。
パリッとアイロンのかかったYシャツ
目の覚めるような真っ赤なネクタイ
引き締まった足がパツパツに入ったスラックス
綺麗に磨かれた黒の革靴
ヤバイ
太陽に負けないくらいの笑顔
綺麗に並んだ白い歯
鍛えられた筋肉
低く通った声
良い
凄く良い
ヤバイ
「ゴミ出しですか」
「えあ、はいそうなんです。うふふ。」
袋にはビールやサワーの空き缶が入っている。
それをサッと後ろに隠した。
「今日も晴れましたね。」
「あぁ気持ちの良い日で良かった」
「本当ですね。うふふ、うふふ。」
私が必死に猫を被って作った笑顔は大丈夫だろうか
私の最大限の可愛いは出せているだろうか
お隣さんの半歩後ろにつく。
チラリとお隣さんのゴミ袋を盗み見た。
コーヒー
ジュース…
あれはプロテインの缶かなメーカー何だろう
あぁいうジュースも飲むんだ…、今度買いに行こう。
あんまりお酒は飲まないのかな
うん。
ゴミ袋からお隣さんの生活が見えるのって良いわ…
次は燃えるゴミの日にしよう。絶対に楽しい。
「はい、どうぞ」
「まあ、ありがとうございます。うふふ。」
お隣さんがわざわざゴミステーションの戸を開けて待っていてくれた。
紳士的だ。
こういう所も良い。
凄く良い
「それじゃ、行ってきます」
「はい、いってらっしゃい。うふふ、うふふ。」
お隣さんは駅の方に歩いて行く。
降り注ぐ太陽が身体に染みる。目が痛い。
血圧80の低血圧には辛い状況だ。
それでも、その姿が小さく見えなくなるまで見送った。
そして自分の部屋へ小走りで戻る。
あぁ、またやってしまった。
何回目だろうかこんなやりとり…
このままでは駄目だ。
分かってる。
でも止められない。
お隣さん
煉獄さんは去年の春に越してきた。
ピンクの紙袋に小さな菓子折りを持ってやって来た時の衝撃を、今も忘れられない。
一目惚れとは、こういう事をいうのかと知った。
その日から、週に1、2回、出勤時間のタイミングを狙ってはゴミ出しと称して会いに行っている。
はぁ、駄目だ。
こんな事続けていて言い訳が無い。
変わらなきゃ
あの人に見合う人にならなきゃ
チラリと玄関に備え付けてあったシューズボックスを見る。
そこには『煉獄』と書かれたと小包みと電気の請求書があった。
お届けしなきゃ…
小包みはひょんな事から私が預かる事になってしまった物だ。早く渡しに行かなくちゃ…。何故、今朝渡さなかったんだ。日が延びれば延びるほど渡しづらいというもんだ…
ネットショップの段ボール。ニコリと笑った口の絵がなんとも憎らしい。
段ボールを持てばズシリと重い…あのゴミ袋に入っていたプロテインでも入っているのだろうか
気になる。開けたいでも、それは駄目。
必死に耐える…
電気の請求書…
実は開けてしまっている。
自分の物だと疑わず、封を切ってから気がついた。
間違って届いていたのだ。
先月の使用料金は8,947円
一人暮らしにしては高すぎる使用料金
どんな家電を使っているんだろう
パソコンとか沢山あるのかな仕事出来そうだもんね…
あ、ペットがいるとか
あれでも、うちのアパートはペット禁止だから違うか…
本来ならば私の手元にあるはずの無い物達で、持ち主の生活を想像するだけの日々
駄目だ。
良くない。
変わらなきゃ
私は煉獄さんの隣人
週に数回、ゴミ捨て場までご一緒する仲
趣味は隣人観察
早く彼の特別になりたい
***
玄関
ドアノブを持ち外に意識を集中させる…
今日は燃えないゴミの回収日
玄関に取り付けた小型の監視カメラは起動してある
ボイスレコーダーも持った
鞄に仕込んだ隠しカメラも問題無い
革靴に仕込んだカメラもしっかりと起動している
集中しろ
彼女の息づかいを感じろ
瞬き一つ取りこぼすな
ドアを開き、彼女の部屋の前を通る
コツコツコツ…
ここからだ…
1、2、3……
ガチャリ
「あ、おはようございます。」
「あぁ、お隣さん。おはようございます」
何食わぬ顔で振り返れば、目的の人物が照れくさそう笑いながら挨拶をしてきた。
うむ、良い
全身から石鹸の香りがする
ほんのり色づけられた唇と派手すぎないメイク
少し大きめのシャツから覗く細い腕
柔らかそうな太もものラインが見えるデニム
愛い
ピンク色に染まった頬と耳
少し傾げた首
洗いたての少し湿った艷やかな髪
遠慮がちにふせられた目
愛い
凄く愛い
素晴らしい
「ゴミ出しですか」
「えあ、はいそうなんです。うふふ。」
そう尋ねれば、ビールやサワーの空き缶が入っている袋をサッと後ろに隠された。
また飲んだのか…
早く体調管理をしてあげたい…
「今日も晴れましたね。」
「あぁ気持ちの良い日で良かった」
「本当ですね。うふふ、うふふ。」
俺がどんな気持ちで対面しているか分かっているだろうか
君への想いがどれほどのものか分かっているだろうか
俺の半歩後ろにつく。
隣では無い奥ゆかしさがたまらない。
ふわりと香る石鹸の香り…
以前と匂いが変わった。前のシトラスの香りのが良かった。今回のココナッツ香りは少々甘過ぎる。この匂いを他の誰かが嗅いだらどうするんだ。今すぐ新しい物に変えてやりたい。
君には柑橘系や石鹸の香りが似合う。今度日頃の礼にと似合う物を贈ろう。
自分が贈った物の匂いを彼女が纏うと考えただけで興奮する。
「はい、どうぞ」
「まあ、ありがとうございます。うふふ。」
ゴミステーションの戸を開けてやれば、嬉しそうに微笑んだ。
愛らしい。
こういう所も良い。
今すぐ抱きしめたい
「それじゃ、行ってきます」
「はい、いってらっしゃい。うふふ、うふふ。」
駅の方に歩いて行く。
そんな俺を見えなくなるまで見送る姿が慎み深い。
朝が苦手な癖に
仕事も夜勤が多く、まだ身体も辛いだろうに
それでも会えば必ず最後まで見送ってくれる。
今すぐ自分の物にしたい衝動を必死に抑え、スマホのアプリをつけイヤホンを耳につけた。
イヤホンからガチャリと戸の開く音がする。
おや、走ったのか急がなくて良いものを…
もし一緒に居たなら慌てる必要は無いと伝えられるのに…
こうして彼女の生活音しか聞いてやれない事が辛い。
彼女
お隣さんとは去年の春に出会った。
引っ越しの挨拶の時、じっと俺を見つめてくれた瞬間を、今もまだ覚えている。
運命とは、こういう事なのかと知った。
それから彼女が夜勤では無い日はゴミ捨てに出るタイミングを見計らっては、彼女の様子を見に行っている。
イヤホンからはガチャガチャと食器の音がなっている。
遠くからはニュース番組らしき音もする。
彼女の生活音を聞く事が出勤前の俺の楽しみだ。
『これ…届けなきゃな…』
先程会話していた時より、ワントーン落ちた彼女の地声。
こちらの方が耳に馴染む。
良い。
きっと俺宛の荷物と請求書の事を言っているのだろう。
それは俺が仕掛けた。
宅配は俺が居なければお隣さんに受け取ってもらうよう頼んだ。
もちろん、身内と言ってあるから問題無い。
少しでも彼女との接点が欲しくてやった事なのに、臆病な彼女はまだ俺の所に現れない。
そんな所も可愛らしい。
だが、それでは駄目なのだ。
何も変わらない。
だから、次は請求書を彼女のポストに入れた。
金銭が絡めば来るんじゃないかと思ったが、それでもやっぱり彼女は戸惑っている。
仕方がない。
次の彼女の休みの日にでも、俺からおもむこう。
控えめな彼女には、それぐらい押してやらねば発展しない。
『もう、この請求書、私が払おうかな。』
そんな事はしなくて良い。
ぁぁ、でも、彼女が俺の為にしてくれるのかと思うと興奮する。今すぐ彼女で満たされたい。
そんな時は鞄に入れてある“ある物”を手にする。
ジップロックに入っているのは、ハンカチ。そのハンカチには、彼女が以前使っていた石鹸の匂いが染み込んである。
それを手にして、思いっきり吸い込めば身体いっぱいに彼女で満たされる気持ちになる。
必ず、必ず彼女を自分のものにする。
あぁ、駄目だな。この匂いだけで半立ちした。
あぁ、良い。
本当に彼女は最高だ。
ずっとこのままでいてくれ…
俺は彼女の隣人
彼女の部屋に向けて盗聴器や監視カメラをつけて彼女を見守っている男
趣味は隣人観察
早く彼女を特別にしたい