もしかしたら、誰でも良かったのかもしれない。
ドクターはブロックパズルのピースを、照明にかざして形を確認した。寝室でひとり、言い訳大会を開催する。
『シルバーアッシュが何故こんなにも自分へ愛情を寄越すのか』
議題はいつもと同じ。
ぽつぽつ、心のなかで疑心が重なる。
首尾良くシルバーアッシュの策略を曝いたから?
妹のクリフハートがロドスでオペレーターをしていたから?
(…きっとそう、これは彼の気まぐれなのかも)
だからいつかはこの付き合いも終わりを迎える。
シルバーアッシュが飽きるのが先か、それともドクター自身が死ぬのか。
死ぬまえに別れを告げる自分の姿が思い描けないのは、惚れた弱みとはいえ情けない。
そこまで考えているのも、格好悪いから絶対に墓場まで持っていこうと思っている。
シルバーアッシュがどうして自分に、ここまで執着し愛情を示すのかが分からない。
だから何か裏があるんだと、理由を探している。ひとを疑うのは悪い癖だけど、捨てられる立場なんだから少しくらい守りを固めておきたい。
似た形のピースだが、選んだもので間違っていなかった。ブロックパズルは猫に少しずつ形が出来てゆく。
(…なんでかな、私を選んだの)
常に疑問を問いかけるが、答えはなし。本人に問いただす勇気もない。
それに聞いたところで、甘いチョコレートのような妄言(もうげん)を与えられて、終わる気がする。
『そんな顔をするのは止せ。私の前では楽しそうにしていろ』
嫌そうな表情にさせているのは誰だと、なじりでもしたら良いのか。
過剰な愛情は拒否したいだけだ。お腹いっぱいに満たされても、相手が飽きて供給不足になったら飢えるだけじゃないか。
記憶喪失になり、空っぽの身体に甘い仕草と声が足されてゆく。執着したくないのに、空洞の身には心地よくて失う日が恐ろしくなる。
(…楽しそうにしても、先がある訳じゃないし)
出てきた言い訳のピースを整列し並べてゆく。
そしたらドミノ倒しのように関係が壊れても、傷つかない。本音はシルバーアッシュに「飽きた」と宣言されるよりも、先に死んでるのが理想だ。
でもそれは難しいだろうから、もしもの時に備えて要望線を張り素っ気ない反応をする。
あぁ、せめて泣かずにいたい。
「そう、私も清々した」と、素っ気なく言えるなら良いのだが。
どうにもこれは無理そうな気がドクターはしているが、強がるくらいはさせてほしい。今夜もシルバーアッシュは部屋に来る。
その時間を待ち望んでいるなんて、なんとも哀れで惨めで、とても苦しい。
約束の時間にはまだ早いのに、ドクターはベットのうえに散らかったパズルを片付け始めた。
***
シルバーアッシュの熱い舌先が、唇を舐めている。その後はいつもキスをされるのだが、段階を踏まないで早く押し倒してほしい。
時間をかけた分、シルバーアッシュの声や表情が記憶に残ってしまうから。
自分の寝室にいると思い出してしまう。
ドクターはいつも最中になるべく目を瞑っている。恥ずかしいからというのもあるが、シルバーアッシュをなるべく残さないようにするためだ。
「盟友」
頬から指先が落ちて、顎を固定する。興奮を抑えつけようと、必死に冷静さを装うとするが難しくなってきた。
拳に手を握り、どうにか落ち着こうとするのにソワソワと身が揺れる。
「口を―」と柔らかな声が聞こえ、ドクターは僅かに唇を開けた。
名前を呼ばれた後に、優しく唇を奪われる。目をきつく瞑って、少しでもシルバーアッシュの姿を残さないようにした。
「…っ」
シルバーアッシュの何にも包まれていない指先がドクターの背を撫でる。シャツを剥ぎ取って、早く肌に触れてほしい…なんて言えるわけない。
頬を掠める髪飾りの感覚でさえ、もどかしいのに素直になってしまったら負けだ。
(…早く早く)
急いてしまうのは、彼好みに身体が変化をした証拠なのか。
そうシルバーアッシュに告げたら、多少は関係が延命できるかと考えて止めた。
ただ惨めさが増すだけな気がするから。
やっと差し込まれたシルバーアッシュの舌先に懸命に追いすがる。
「んっ」と甘ったれた声が漏れてしまうほどに待っていた。これから始まることの合図だとドクターの身は知っている。
期待をせずにはいられない。
じゅっと唾液を吸い上げられ、弱めの快感が背をかける。
期待に跳ねる身体を無視して、シルバーアッシュの指先がドクターの顎の拘束を解いた。
いつもなら空気を吸うことさえ許さないと、咥内を蹂躙するのに今日はさっと舌と指が離れてゆく。
「え」
不安から目を開けると、まじまじとシルバーアッシュに見つめられていた。
「…なに、そんな見ないでよ」
居心地が悪くなり、可愛げがなく呟いてそっぽを向く。
「盟友」と柔らかい声で呼ばれて、頬をシルバーアッシュの指先が撫でる。
「もう少し、その顔を私に見せてほしい」
「なんで。必要ないでしょ、いつも見てるんだから」
僅かの沈黙のあとに、シルバーアッシュは声を潜めて話し出した。
「面倒な仕事ができて、ロドスにしばらく来れない可能性がある。少しでも長く顔を見ていたい」
来た、と声に出そうだった。
「あ、そう―」と、なんとか呟いた声が、震えているのが自分でも分かる。
期待と興奮が冷めて、残ったのは寂しさ。いつか終わる、この関係は長く続かない。
捨てられる未来が透けてみえるのに、本気になるなんて酔狂が過ぎる。
そう何百回も言い訳を並べておいたのに、いざとなれば縋り付いてしまいたくなった。
(…怖い怖い怖い)
捨てられるのも、飽きられるのも変わらない。結局は後味が最悪なエンドロールが流れるだけ。
シルバーアッシュの指先から逃れようと身を引く。
予期していたエンディングが早く来ただけだ、落ち着けと言い聞かせる。ふと耳を落ち着いたシルバーアッシュの声が滑ってゆく。
何かを言っているけど、恐怖で分からなくなっている。
「大丈夫だよ、分かってたから。君は私に飽きて―」と口にして、シルバーアッシュを盗み見た。
いつもと同じ落ち着いた表情。色素の薄いグレーの瞳、はっきりとした眼差しに追い込められてゆく。
自分だけがジタバタしている、分かっているのに想像通りの行動が取れない。
苦しい。
胸をぐっと刺すような痛みに、指先で爪を弾いて落ち着こうとする。
「君は、ずるいな」と、つい本音を溢してしまった。
「盟友?」
「シルバーアッシュ、君は良いね。何も失わない、私だけだ」
訝(いぶか)しんだシルバーアッシュの表情が恐怖を煽る。
視線をシーツに落として、泣き出したいのを必死に耐えた。でも本音を止められない。
「シルバーアッシュ。君は何も失わないじゃないか、私は身体の中まで君使用に変えられてしまったのに」
もう身体の奥でしか気持ちよくなれないし、傷が出来るほどに噛まれて快感を得る身になってしまった。
想像通りの仕上がりで満足したのだろうか?だからもう用済みなのかもしれない。
育成期間が終われば、興味を失って倉庫行き。
「急にどうしたんだ」
差し出されたシルバーアッシュの手を身をよじって拒絶する。
そして自分のシャツの袖口をきつく握りしめ、ドクターは漏れ出る嗚咽を噛んだ。
「飽きられると困るのに」
まだ倉庫に行きたくないという言葉を無理に飲み込む。埃を被る時期を、あと少しだけ先延ばしにして欲しい。
「盟友」
拒んだ手が伸びてきて、抱きしめられる。もう抗ったら次はないと受け入れた。
(…嫌だ、怖い)
シルバーアッシュのシャツを握る。そして胸に額を当てて、しゃくり上げてしまった。
「まだもうちょっと捨てないで、私を捨てないで」
ぐいと顎を取られて、顔を上向きにさせられる。ぼたぼた、頬に涙が落ちてゆくのが分かる。
「捨てない。それに飽きてもいないし、私はお前を絶対に手放さない」
涙で前が見えず、シルバーアッシュの表情が見えない。だがドクターにしたら、その声だけで充分だった。
視角の情報は記憶に強く残る。シルバーアッシュを失いたくないけど、忘れなくてはいけない日がくるなら手放すのに躊躇したくない。
「約束する。絶対に飽きない、まして捨てるなどという愚かな行為を私はしない」
背をさする手のひらが温かい。この優しい体温を知らなければ、ドツボに嵌まらず器用に泳げたのに。
「…本当に?」
「私を疑いたい気も無論、理解している。だが、お前にだけは、真実を伝えると約束しよう」
握りしめていたシルバーアッシュのシャツから手を離す。そして顎をとる指先に、そっと触れた。
「シルバーアッシュ、私の中身は君しかいないんだ」
確かな力で背を押されて、逞しい胸のなかに収まる。そして触れた指先を握り返された。
「記憶喪失になって、何もないまま。でも君の仕草や声が、私の空っぽな身体のなかに埋まってゆくんだ。シルバーアッシュが居なくなったら、私は…また、空になってしまう」
背から手が前に回り、ドクターの胸をしなやかな指先がトンと押した。
「お前の中身は私だけ、そうなんだな」
「うん、そうだよ」
空洞のビンのような身のなかに、シルバーアッシュがひとつ入っている。
今からえちえちにしていきたいです