私の前に現れた少女は、利発そうな瞳を瞬いた。
「シルバーアッシュさん、こんにちは。少しお話をしても宜しいでしょうか?」
小柄ながらロドスのトップを勤めるアーミヤという少女を見下ろす。
「あぁ、構わないが」
「ありがとうございます!手短に済ませますので」
長い耳を揺らし、少女は私に深くお辞儀をした。
ケルシー女史と違った、温和な雰囲気を持っているが、中身は王と呼ぶべき要素を持つ不可思議な存在。
しかしながらロドスとの関係を築くには、彼女ともうまく付き合っていかねばならない。
何よりも盟友の存在が一番重要なので、大概のことには目を瞑ってやろう。
私が通されたのは、会議室でも応接室でもなく、倉庫だった。
壊れかかった簡素な椅子を私にすすめてから、少女アーミヤは倉庫の外を見渡しドアを閉める。
「こんなところで、すみません。でもここなら、ドクターが来るまで時間がかかると思うので」
なんとも返答のしようがない。
と、少女アーミヤは着ていたサイズの大きなコートのポケットから、包みを取り出した。
「はい、これはシルバーアッシュさんの分です」
差し出されたのは所々が焦げた、やや歪な形のクッキーだった。
けれども青色のリボンが巻かれ、丁寧に包装されている。
「私に?」
「はい!これドクターが作ったものなんです!」
倉庫内に響き渡る弾んだ声を上げてから、少女は長い耳をやや横向きに下げた。
「…すみません、大きな声出しちゃって」
「いや、構わない」
私はすすめられた簡素な椅子に腰掛ける。ふと私の前にある段ボール箱のうえに、彼女は子供らしいたどたどしさで座った。
「これを盟友が?」
「そうです!シルバーアッシュさんのは猫ちゃんですよ!」
「猫―」と言いながら、クッキーを頭上に翳(かざ)してみる。
少し歪んだ丸い形のうえに突起が二つ。どうやら耳のつもりなのだろうか。
作成者を聞かなければ、少し焦げているただのクッキーだが、途端に特別に思えるのだがら困ってしまう。
「盟友は、どうして此れを…」
向かいから幼さの残る笑みが私に向けられていた。
「ドクターはお世話になってるひとに、何かお返ししたいと言ってました。それでクッキーを作ってくれたみたいです」
「そうか。理由が盟友らしい」
段ボール箱から落ちる程の勢いで少女アーミヤは頷いた。
「そうなんです!でも上手く出来なかったから、自分で食べるって…だからそうっと貰ってきました。ラッピングしたのは、わたしなんですが」
「いや、感謝する。知らぬうちに盟友が食べてしまうところだったとは」
「一生懸命、作ってくれたんです。でも、失敗してしまったってドクターは、落ち込んでしまって…」
少女の長い耳は、また横に向いてしまった。
「これはお話ししないほうが良いのかもしれませんが―」と言いながら、大きいサイズのコートの袖口をグッと握る。
「ドクターは、とっても頑張ってクッキーを作っていました。シルバーアッシュさんのことも、わたしのことも考えて喜んでもらいたいと思って作っていたから…知らないことにしたくなかったんです」
その力で盟友の心を読んだのかと聞くのは野暮な質問だろう。
私の目にも、慣れない仕事に悪戦苦闘する盟友の姿は浮かんでくる。
それにしても他人の口から、私のことを考えている盟友の姿を聞くのは、甘美な気分を味わえて気分が良かった。
「…食べるのが惜しいな」
「そうですね。でもドクターに見つかる前に、早く食べないといけないんですが…あっ、わたしのはウサギさんなんですよ!」
私に向かって差し出されたクッキーは、やはり歪な丸形に細長い耳が突き刺さっている、かなり前衛的なウサギだった。
互いに早く食べなくてはと思っているが、なかなか手をつけることが出来ず、手のひらに置いたクッキーを眺めていたときだ。
突如倉庫のドアが開く。
「ごめんね、アーミヤ知らないかな。何処に行った―」とまで口にしてから盟友は私たちを指さした。
「いた~!って何してんの、こんなとこで二人とも」
さっとフードを外した、素顔の盟友は私を見てからあっと声をあげた。
「アーミヤ!やっぱりクッキー持ってきたの!?」
「ごめんなさい、ドクター。でもどうしても食べたかったので」
少女アーミヤに詰め寄る盟友を前にして、私はクッキーを即座に懐にしまう。
このままでは食べる前に返せと言われそうだ。
「あっ、ちょっと!さりげなく持って帰ろうとしないでよ、それ失敗作なんだから」
「私への品物ならば、所有権を主張しても良いだろう」
「ダメだよっ!」と盟友は声をあげた。
「折角なら、上手に焼けたやつを食べてほしいから。いつもお世話になってる君たちだから…失敗したのを食べてもらいたくない」
眉を寄せて、俯いた盟友は非常に愛らしい。ふたりきりなら、確実に抱きしめていた。
「ドクター。頑張ってドクターが作ってくれたクッキー、食べたいです」
「でもねぇ」と言いながら考え込む盟友のコートの裾を掴んで、少女は説得している。その姿は妹に諭されている兄のような雰囲気が漂っていた。
何処か懐かしく、見覚えのある光景を黙って眺めていたところ、此方を盟友が振り向いた。
「う~ん、そこまで言うなら今回は」
「やった!では頂きましょう、シルバーアッシュさん!」
ふと盟友が慌てて止めに入る。
「ちょっとちょっと!こんな埃っぽい倉庫で食べないでよ、私の部屋で食べよう」
また私を振り向いて盟友は柔らかく微笑んだ。
「実は失敗作を私も食べようと思ってたから、一緒に食べよう。ね?」
困ったような、照れたような笑みも愛らしい。
二人きりなら絶対に抱きしめていたといってもいい。
少女は私と盟友を交互に見ると、照れたように肩をすくめた。
「ドクター、良かったですねぇ」
私の考えを読んだのか、それとも盟友のをか。やはりここで勘ぐるのは、野暮というほかにない。
***
ロドス艦内で鉢合わせた盟友は、常に着ている黒地のコートではなくブラウン色を着ていた。
そして目深に被ったフードの頭には鹿を想像させる角が付いている。表情は相変わらず、
口元まで布地で覆われているが、珍しく首元が露わになっていた。華奢な首には大ぶりな鈴がついている。
「あ、シルバーアッシュ」
「今日は変わりがあるようだな、盟友よ」
「うん。今夜の私はね、トナカイさんだよ」
盟友の首元にある鈴を指先で触れる。音はしないのでレプリカなのかもしれない。
「良く似合っている」
「そう?ありがと」と口にした盟友の隣に立つオペレーターは、私を見上げて怪訝な顔をした。
「ドクター。終わったなら解散だ」
盟友は私の手から逃れて、オペレーターに向き直った。頭上についている角が左右に揺れている。
「ドーベルマン。付き合ってくれて、ありがとう」
「構わない」
盟友が再度礼を言い終える前に、素早くオペレーターはこの場を去った。
溜め息をつき、盟友は私を見上げる。
「…あんなに慌てなくても良いのに」
原因は盟友ではなく、私にありそうだが。どのような態度をされても、譲歩する気はない。
「少しは仲良くなれたのかなと、思ったんだけど」
私の先を歩くフードについた角が不安げに揺れる。
いま気がついたのだが、コートの裾にはトナカイの尾までつけていた。非常に愛らしい。
「そう気にするな」
「う~ん、そうだけど」
いつしか自室の前にきた盟友は立ち止まり私をまた見上げる。そして手を差し出した。
「トナカイさん実はね、まだ仕事があるんだ」
「そうか、忙しいのだな」
屈んで出された手を取ると、引き寄せられるように部屋へ招かれる。
私をソファへ案内しながらも、部屋のドアをロックする盟友を見逃さなかった。
盟友はテーブルのうえにあった紙袋と箱を手繰り寄せる。
「はい、これ。トナカイさんからクリスマスプレゼント」
紙袋から取り出されて、私へ差し出されたのは、猫形のクッキーだった。
少女アーミヤが盟友の手で処分される前に、救出してきたものよりも形が整って美しく焼けている。
包装もあのときと同じで、中身だけが上達しており盟友の努力が覗えて嬉しくなった。
「ありがとう、大切に食べる」
盟友はトナカイの角のついたフードをすっと外した。
そしてクッキーを持つ私の手に優しく触れてから、もうひとつの箱を差し出す。
「これは…トナカイさんじゃなく、ドクターさんからのクリスマスプレゼントです」
今度は打って変わって、自信のない声と表情だった。
差し出されたのは、猫のイラストが描かれた四角い缶。私は受け取ってから直ぐに盟友の頬に触れた。
「開けても良いか?」
俯き加減で「うん」と言う盟友の前で、缶の中身を開ける。
中には猫形のクッキーが、ぎっしりと詰められていた。一番上に大きな猫のクッキーに白銀の色が付き、目まで灰色で描かれている。
私をイメージしていると一目見て分かった。
「これを、お前が?」
「うん。アイシングっていうらしいんだけど、難しくて時間がかかっちゃった。でも君のは特別だから…」
「ありがとう。大切にする、だが食べるのが惜しくなるな」
私の隣で盟友は、ブラウン色をしたコートの袖を手で握った。
これは緊張したり悩んでいるときに出る盟友の癖だ。
「迷ったんだ、君に何をあげたら喜んでくれるかって。予算もあんまりないし、ずっと考えていたら…アーミヤがクッキーが良いんじゃないかってアドバイスをくれたんだ」
かの少女が身近にいる盟友の心まで読むとは考えがたい。つまりは傍目に分かるほどに、私への贈り物を迷っていたという事になる。
「クリフハートに聞いたら、イェラグにはクリスマスを祝う風習ないらしいね。でも…私は君に何かしたかったから」
丁寧に缶を閉めて、私はやはり注意をしてテーブルに置いた。
「抱きしめても良いか」
私の隣で真っ赤になった盟友は頷く。
緊張しているのか、またコートの袖口をまた握る。
「盟友」
優しく両手を広げると、おずおずと下げたフードの角を揺らし盟友が飛び込んできた。
「とても嬉しい」
「そ、それなら良かった!」
いつになく素直に盟友は私の胸元に額を寄せた。
「イェラグには確かに、クリスマスという風習はない。だが私も、お前に贈る物がある」
盟友は顔を上げて、微笑んだ。
「そうなの?とっても嬉しいけど、君がクッキーもらってくれたから充分だよ」
「せっかくだ、受け取って欲しい」
私は盟友の華奢な首元にあるレプリカの鈴を指先で弾いた。
「此れの変わりに我が家へ伝わるネックレスを、着けてくれないか」
黙ったまま、盟友は私の手首を掴んだ。
「いきなり家宝を持ってきちゃ駄目だよっ!」
諭すように掴んだ手首をさすりながら、私の目をみる。
「今日は、ただのクリスマスだよ!?しかもソレ、私みたいな奴が着けちゃ駄目なやつだよ、絶対。早く戻してきなさい、誰にも言わないから」
「何故?お前は私のものだろう。ならば、我が家の品を着ける資格がある」
掴んでいた私の手を離し、今度は頭を覆いながら盟友は唸り出した。
「おかしいなぁ、クリスマスってこんな激重な品を貰う日だっけ?それに私はいつからシルバーアッシュ家の人間になったの?」
「まだ書類を交わしてないが、お前は私のものだ。それは紛れもない事実なのだから、安心して良い」
盟友は私を眺めてから、またコートの袖を握った。
「それって、その…プロポーズじゃないか」
特段そのつもりはなかったが、盟友がそう受け取ったなら構わない。嫁にもらう意思は固いので、早まっただけなら良いことだ。
耳先まで真っ赤になった盟友は、私の名前を呼んでくれた。
「エンシオディス、君ってひとは―」と。
おしまい