「ドクターは、ボトムだよな」「あぁ、確かに。間違いない」「戦術は攻めてるけどソッチとは別なのか」「スタイルは良いし、ボトムとかヤバっ」
はじまりはオペレーター達の会話を耳にしたときから。
野営拠点を移るため、撤退準備を進めていたオペレーター同士の会話を聞いたドクターは声をかけた。
「私はボトム?そうなの?」
そう背後から話しかけたら、オペレーター三人は黒ずくめの戦闘服を飛び上がらせた。
「ドッ、ドクター!?なんで、此処に?」
「ん?配置の変更があってね。早いほうが良いかと思って…それよりボトムって、どういう意味なのかな」
おろおろとし出したオペレーターをみて、ドクターは感じた。どうやら良い話をされていたのじゃないと。
「えっとですね、あの…」
口ごもったオペレーターを前に、聞いてしまった手前どうしたものかと考えていたら、突然腕を強く引かれた。
「いたいた。見つけたよぉ、ドクター」
音もなく現れたのはクルースだった。最近では背が伸びてすっかりお姉さんになり、よくドクターの護衛を引き受けてくれている。
「アーミヤちゃんが探してたよ~」と言いながらクルースはドクターの腕を柔らかく引っ張った。
「ちょっと待って!まだ配置変更を伝えてないよ!」
「それは作戦内容が書いてあるタブレットみれば分かるよぉ」
クルースはくるりと振り返り、オペレーター達に向き直った。
「ね、そうでしょ?下らない話してないで、ちゃんと作戦内容を確認しないと駄目だよ」
きっぱりとクルースに言い切られて、オペレーター達は黙り込んでしまった。
「さ、行こ~」と暢気な声に戻ったクルースに、再び腕を取られドクターは歩き出した。
慌ただしく撤退を進める野営本部まで戻ると、ドクターは声を潜めてクルースに礼を言う。
「ありがとう、クルース」
オレンジの髪をなびかせ、大人びた表情のクルースがにっこりと微笑んだ。
「ドクターにお礼を言われることなんてしてないよ」
「ううん、助かった。ついでに聞きたいんだけど、彼らの言ってたボトムって…」
笑顔の間々、クルースは細い目を更に細くした。
「………う~ん、何のことか分かんないや」
これは分かっている。だがクルースが気を使って言わないということは、良い意味ではないだろう。
「そっか」と呟いたドクターにクルースはただ笑っていた。
***
ロドス本艦に帰ってからドクターは執務室で『ボトム』を検索してみた。
『ボトム 性行為で受動的な役割を好む人』
モニターの前でしばらく固まる。
検索内容を理解してるのに、脳みそが拒否してるらしく全く頭に入ってこない。今更だが、白昼堂々なんて話をしてるんだと、オペレーター達に怒りが湧いてくる。
良い意味ではないと思っていたが、予想よりも下世話な話だった。
クルースが言いよどんだ理由が今になり分かる。気を遣わせてしまったなと反省しつつ、サイトを閲覧するべくマウスを動かしてゆく。
『ボトム』とカテゴリ分けされてる原因が、検索ワードを見るにつれて分かってきた。
ドクターはデスクの椅子にもたれる。
「…シルバーアッシュか」
つい独り言を呟いた。
うすうす感じていたが、やっぱりそうとしか考えられない。
他のオペレーターがいようと、お構いなしに引っ付いているシルバーアッシュ。
外側からみたら、そうみられても仕方ないのかもしれない。
というか、実際どうなのかとなれば、ドクターは受け身のポジションでシルバーアッシュとはそういう関係なのだった。
オペレーター達が噂にしていた通りなのは癪だが、事実なのは変わらない。
「外では距離を保て」「いきなり触るな」
そう注意をし続けているが、一向に改善は見られなかった。
一番の解決方法は、他のオペレーターがいる場で、シルバーアッシュと関わらない事だろう。だがどう予測しても急に距離を取れと言って、出来るタイプの人間ではない。
手数を誤ればイェラグに強引に連れて行かれる未来が待っている。
いくらなんでも、雪国で余生を送るにはまだ早すぎるし。
それに現在でさえ十分すぎる程に、シルバーアッシュ家当主様から寵愛(ちょうあい)を受けているのだから、これ以上の過剰摂取は身体に毒だ。
「う~ん」
椅子に背を預けて、両手を組む。
ロドス内部でも扱いを慎重にせざるを得ないオペレーターのシルバーアッシュ。
カランド貿易の窓口でもある彼との交渉はドクターが全てを請け負っていた。というかドクター以外と話をしないので、仕方なくというのがロドス側の意見だったりする。
それよりも一番の心配事はシルバーアッシュの妹でオペレーターのクリフハートだ。
まさか兄が「ドクターに手をだし、出禁を食らいそうです」なんて噂になったら、可哀想すぎる。
何かと苦労が多いのに、明るく振る舞うクリフハートに悩みを追加したくはない。
「ん?」
と、ポジション用語の掲載されたホームページを、スクロールする手をドクターは止めた。
ボトムと言われるのはパートナーとの相性問題と記述がある。
全てはシルバーアッシュの押しの強さが原因のようだ…と責めてしまえば楽に問題解決するかもしれないが。
(…いや、違うな。それは狡い)
全てをシルバーアッシュのせいには出来なかった。確かに積極性に欠けると自覚はある。
マウスから手を離し、カランド貿易から支給されたマグカップを持つ。
危機契約や高度な作戦にシルバーアッシュは快く参加してもらっている。それに最初こそは迫られて迷惑だと暴れていたが、流され続けてゆくうち考えが変わってきた。
シルバーアッシュと過ごす夜を、密かに待っている自分がいる。
とはいえ、正面から好意を渡すのは恥ずかしい。散々拒んで今更って言われそうだし。
「…はぁ」
冷めたコーヒーを飲んでドクターは溜め息を吐いた。
(…こういう所がボトムなのかな)
あまりにも受け身なところを止めるにはどうしたら良いのだろう。
とりあえず前後不覚にされないこと?それとも、ちょっとは素直になることか?
(…それには技が必要なんじゃないか)
ドクターは悩んだ末にポジション用語の掲載されたホームページを消してパソコンの電源を落とした。
流石に職場のモニターでソチラのノウハウを見る気にはなれない。
まさか寝室に籠もって『性行為 技術』を検索する日が来るとは。
いや、これも受け身を止める良い機会だと自分を励ましてみる。
何もかも完璧だが、恋路の趣味がイマイチ悪いシルバーアッシュを驚かせてやりたいじゃないか。