まさに甘美なる、シルバーアッシュの舌先。
触れた唇は溶けてしまいそうなほど熱いのに柔らかかった。
毎日座っている執務室のソファ。しかしシルバーアッシュと向かい合って座り、唇を貪りあう今、普段と座り心地が違ってフワフワと浮かぶような気がする。
「あ、あぁ…」
漏れた情けない声を素通りさせ、蕩けそうな脳で考えた。
キスしたときに混じる唾液だけで、これほど甘くて美味しいなら血はどれほどなのか…と。
シルバーアッシュの血を啜ったら一体どうなるのか、未来はよく分かっている。
きっと堪らなくなり、全ての血液を吸い尽くしてしまうに違いない。
目の前で、ぐったりと項垂れるシルバーアッシュの姿が脳裏にチラついた。
それだけは絶対に阻止しなくてはと、高ぶる興奮を抑え込もうとする。
「あ、あぅっ…うぅッ」
じゅるりと唾液を交わらせ啜られると、ドクターの背をぞくぞくと快感が駆けてゆく。
すがる場のない手を握りしめ、血が飲みたいという欲求を、どうにか押し殺そうとした。
ふと優しくシルバーアッシュの手がドクターの顎を取る。
更に先へと誘うように、指先が顎のラインをなぞって心地よさに呻くような声が出た。
「んっ、うぅ…んっ」
誘(いざな)うシルバーアッシュの指先に歓喜した自分を呪いたくなった。
気持ちがいい、美味しい、もっとしたい。
でもこれ以上したら、シルバーアッシュに噛み付いて血を啜ってしまう。
(…だめ、だめ)
酸欠になりそうな程、唇を求められてもっとステップを登りたくなる。
もっとシルバーアッシュが欲しい、血が飲みたい。
(…だめ、これ以上は嫌われちゃう)
実は吸血鬼という悪しき者だと打ち明けても、シルバーアッシュは全く変わらず友とは考えられない過剰なスキンシップをしてくる。
試されてるとしても、やっぱり嫌われてしまうのは怖い。
ふとにぎり締めた拳を、空いているシルバーアッシュの指先が触れる。
「うんッ」
驚いて呻くと、しっかり手を握られてシルバーアッシュの体温を更に感じてしまった。
抑え込もうと必死に足掻いているのに、吸血行動の蓋が徐々に開く。
「んぁ、あぅ」
名前を呼ぶことも、目を開けて姿を確認する事も出来ず、大きな手を握り返した。
キスをするときは、いつも恥ずかしくて目をつぶってしまう。だが閉じた瞼の向こうにいる、シルバーアッシュを本当は確認したい。
至近距離で眺める姿は扇情的だろう。あちこち噛み付いて、血を啜りたくて仕方ない。
魅力に溢れるシルバーアッシュを一等間近で目に焼き付けるチャンス。
それなのに、血を飲みたくなるから厄介だ。
惜しげも無くさらされた、あの逞しい首に力一杯噛み付いたらどうなるのか?
筋肉質だが、しなやかな動きをするし、何よりパワー大爆発な真銀斬を持っている。
きっと血も飲み応えがある。声や仕草と同じで、もしかしたらチョコレートみたいに甘みがあるかもしれない。
ケルシーが配合した血液成分を模した薬とは違い、温かくて香り高い味がしそうだ。
必死に殺した欲が、じりじり染み出てくる。
「は、はぅ…うぅ」
絡めた舌先を甘噛みしてしまった。
シルバーアッシュの舌を、このまま噛んで飛び出た鮮血を啜ってみたら…柔く歯を立てた刹那ふと我に返る。
おぞましい想像を断ち切るよう、ドクターは咄嗟に両手を突き出した。
「ッ~!」
顎を固定されていたシルバーアッシュの手がとっさに離れる。
がくがくと震える足で、立ち上がろうと藻掻く。
「盟友、どうした?」
そう訊ねるシルバーアッシュの顔を見上げることが出来ない。申し訳なさと、嫌悪感にドクターはソファから転がるように降りた。
「どうした、気分でも優れないのか」
その場にうずくまったドクターにシルバーアッシュが手を差し伸べる。黒い手袋の隙間から覗く手首は血管が分かるほど太い。
噛み付きたい、そう思った。
「ダメ…こっち来ちゃダメだよ」
逃げないと、噛み付いてしまうかもしれない。それなのに身体は動いてくれなかった。血が欲しい、シルバーアッシュの血が。
意志が欲に負けて頭(こうべ)を垂れる。
黄色信号が点滅し、赤に変わるように危険だと頭では分かっているのに。
「ごめん、シルバーアッシュ。ごめんね…」と譫言(うわごと)のように呟きながら、差し出された手を掴む。
「わたし、もう…」
「具合でも悪くなったのか」
いつになく落ちたシルバーアッシュの声に首を振る。シルバーアッシュは柔らかくドクターの腕を支え、ソファに戻るようにと促した。
おずおずと座り直したものの、面と向かって話をするのが怖くなる。
「前に私は、吸血鬼って話をしたよね?」
「あぁ、聞いている。吸血行動をしたいと思えないので、血液成分を薬で接種していると」
「そうなんだけど…」と、もごもご言いながらコートの裾を指先で弄る。
尾を揺らしながらシルバーアッシュは、穏やかな吐息をはいた。
「私の血が飲みたい…そうなのか?」
先手をとられて、ドクターはただ頷くしかなかった。やはりシルバーアッシュを見る勇気がない。
血を寄越せなんて無茶を言うのに失礼だと思う。けれど希薄だが整ったシルバーアッシュの表情が嫌悪するのを見たくないというワガママ。
「ごめん。だから…その、しばらく会わない方が良いと思うんだ。私、君に何かするかもしれないし」
ふとスッと頬に手が伸びて、ゆっくりと顎にかかった。丁寧な仕草でシルバーアッシュはドクターの顔を上向かせる。
やはり固いが綺麗な顔が澄まして、こちらを見下ろしていた。
「私の血が欲しいのなら、好きにして良い。お前が望むなら、私は吸血されようと構わない」
「…噛み付いて血を吸うから痛いし、貧血になっちゃうよ?そんな、無理しないで」
「いいや、無理はしていない。お前と過ごす時間が持てなくなる方が、私にとっては大きな問題なのだということを理解してもらいたいのだが」
「でも…」と言いよどみ、ドクターは困ってしまった。何をどう言おうが、きっとシルバーアッシュは譲らないだろう。
普段は他のオペレーターがいるときは、ベタベタ触るなくらいの注意なのでギリギリ守れなくてもいい。だが今回はシルバーアッシュ本人に大きな負担がかかる。
やり始めてみたら、しんどくなるのは目に見えていた。ドクターは顎を掴まれた状態のまま、どうにか首を振ると手が離れる。
「ダメ、ダメだよ。君に大変な思いさせたくない」
「今後それなりの対策を講じるので問題ない。何度も言うが、お前と過ごす時間を阻害される方が私にとって大きな問題なのだ」
強い口調で言い切られ、ドクターは更に俯いてしまう。
「だってだって…君は、シルバーアッシュは美味しそうだから。たくさん飲んで、君を困らせたくない」
涙声になり、ぐずぐずと鼻をすすると、溢れた涙を手袋に包まれた指先が拭う。
優しく指先で涙をふくと今度は強引に抱きしめられた。
「遠慮せず、私の血を飲めば良い。それとも他に吸血をする相手を作るつもりなのか」
「ううん」と口にしてから、ゆるく首を振る。
シルバーアッシュのシャツを握り上向いた。澄ました整った顔を見上げつつ、シャツを指先で弄(もてあそ)ぶ。
「君しか血を飲みたくない。でも、だから困ってるんだ…どうしてこんなに、って」
乏しかった表情が和らぎ、自信満々に微笑まれた。
「そうか。今のお前の答えだけで充分だ、好きに飲んでくれて構わない」
「でも、でも…」
そう言いよどんだら、グッとシルバーアッシュに身を寄せられドクターは固まった。
「では私も対価を貰う事にする。お前を貰う、これでどうだろうか」
「へ?」
間抜けな声をあげれば、シルバーアッシュの豹柄をした太い尾が後頭部を撫でる。耳先で粘度高めな声で名を呼ばれ、コートがめくられた。幾重にも着た服をくぐり抜け、ドクターの素肌を手袋に包まれた指先が這う。
そこでやっと、シルバーアッシュが提示した対価の意味を理解した。
「あ、わっ、私を…も、貰うって、そういう!?」
「そうだが」
さも当然というような声音が、甘く変化して名前を呼んでいる。今度は耳先まで真っ赤になったドクターはいとも簡単に押し倒された。
色気満載なシルバーアッシュが銀髪のうえにある猫耳をピンと立たせて見下ろしてくる。
「私も対価を貰うのだから、お前も遠慮しないで良い」
ドクターはシルバーアッシュの一言に、血が欲しいと思ったことも吸血鬼になったことも後悔していた。
「お前が抱えた問題を解決できるのは、この私だけだ。そうだろう、盟友よ」
いささか乱暴にコートを脱がされ、咄嗟にあげた悲鳴もシルバーアッシュの唇に無残に塞がれた。
翌日、ドクターの腰と尻が死亡したのは言うまでもない。
吸血鬼でも身体は弱いほうなのに。
おしまい!