人は簡単に死なないらしい。自分に失望するのは常なのだが、またもやドクターは己にがっかりしていた。
体力がないと言われ続けている癖に、そう簡単に死ななかったからだ。
自ら命を断とうとした訳ではない。ただ敵対勢力の奇襲を受けて、作戦中に配置変更を行ったときに気がついてしまった。
敵の狙いは本拠地である、自分のいる場所だ…と。
分かっていたのに、守るオペレーターをあえて配置しなかったのは死を受け入れていると、指摘されても仕方はない。
そして当然のように敵部隊がドクターを襲い、出会い頭に喉元を切り裂かれた。痛みや恐怖よりも、先に来たのは『死ぬかな』という期待だった。
応援に来たオペレーター達の声が、口々に喉から血が大量に出ていると叫んでいる。とうとう怯えたようなアーミヤが自分を呼ぶ声に、これが末期(まつご)なのかと納得してしまった。
どうにか生きたいと足掻くこともなく、ドクターは安堵の心を抱きしめる。
(…もうシルバーアッシュに好かれるために…なんて考えなくて良いんだ)
寝不足の身には永久の眠りは贅沢のような気さえして、胸を揺するアーミヤの手のひらを感じつつ意識を手放した。
それなのに目を覚ましたら天国でも地獄でもなく、ロドスの医療室じゃないか。
普段と変わりない冷めた様子のケルシーに此方を覗き込まれ、アーミヤに泣きつかれてドクターは残念だと思ってしまった。
「咽頭の裂傷が酷かったが、どうにか持ったようだ」
ケルシーの説明を聞くに、結構惜しかったらしい。やはり期待通りには、なかなか行かないものだ。
あっさりと死ねたら、今後シルバーアッシュという存在に悩む必要なかったというのに。
◆
死を得ずがっかりしたけど、良いことがあった。激しく咽頭を切られていたので、ドクターは声が出なくなった。
即ち話す事が出来ず、会話でのコミュニケーションを放棄するしかない。それは非常に嬉しい出来事だった。
シルバーアッシュに抱かれたときの汚い喘ぎ声も、余計な話をしたなと後悔しながらひとり泣く嗚咽も出ない。
それに話をしない相手なんて、色々とコミュニケーションを取るのが面倒で疎遠になる可能性がありそうだ。
このまま体よく関係が破綻すれば、もう「シルバーアッシュの特別になりたい」なんて馬鹿を言わずに済む。
夢は寝てみろ、なんて言うけども夢どころか、期待もしてはいけない関係性だったのだ。
最初から分かっていれば良いものを、ついついシルバーアッシュによりよく見られたいなんて格好つけたのが悪い。自分が馬鹿で、立場を弁えていなかった。
自分の声と言葉を呪う時間が無くなるのは、いま流行のタイムパフォーマンスに優れていると感じる。
なにより夜も熟睡できているし。夜中にシルバーアッシュから明日来ると連絡があって、どう話せば良いかなと悩む時間がないのは、タイパ価値が高いに決まっている。
他人に言えば激怒されるだろうが、その話す声を手放しているのだから、どう思うと勝手だろう。
オペレーター達は口々に「気の毒だ」「痛々しい」と心配してくれる。けれどもドクターは気楽だった。
作戦指示はタブレット端末で事前に通知しているし、有事の際は代わりにアーミヤがいるので簡単なコミュニケーションはとれる。
困ることは早々少ない。ドクターにとってはメリットだらけなので、ケルシーが処方してくれた薬は飲まずにこっそり捨てていた。声を出す訓練も当然やっていない。
このままで困るなと感じないのだから、当たり前だ。
病室から自室へ戻ると、あまり会いたくはなかったシルバーアッシュがお見舞いに来た。
喉を切り裂かれたと聞き、酷く慌てたこと…手術を終えた青白い顔を眺めていたときは、落ち着いていられなかったこと。
良く通る声が色々と言葉を並べてゆく。まるで詩人にでもなったのかと、笑いたくなる長い台詞をドクターは黙って聞いていた。
(…こういう時、声が出ないって便利だな)
シルバーアッシュの話は長い。他者と会話をしているのを見かけたら、数回で会話が終了して驚いたことがある。
自分にはよく話してくれるので、ついつい勘違いが加速していた。
「お前ほどの者が、何故配置転換をしなかった。自分の身の回りに、もう少し気を配れ」
普段よくしている、こちらを試すような口調はなりを潜め、心配しているんだとは分かる。
けれどもドクターには、もうシルバーアッシュに向かって歩みを進める気力はなかった。
近づいたら、その分だけ期待し上手くいかずに落ち込む自分を、いつでも呪っていたから。
シルバーアッシュの一番になりたかった。
一番大切で好きだから、きっとシルバーアッシュもそう思ってくれる。少しずつで良いから好かれる努力をしてゆけば、一番になれるんじゃないかと期待をしたのが不味かった。
「盟友、もう少し自分を大切にした方が良い。私で良ければ力になりたい。ロドスで治療するのが立場上困るのであれば、いつでも―」
形の良い唇が甘い言葉を吐く。勘違いしそうになり、ドクターは緩やかに首を振った。
「何故だ―」と言いながら、シルバーアッシュに手を取られる。握り返しながら、もう一度首を振った。
もし話せたらシルバーアッシュを責めていたかもしれない。
『恋人じゃなくても良い。でも一番優先される関係を、私が望んだのはそっちのせいだ』と絶叫して泣いたのかもしれない。
話をしない、じゃなく出来ないというのは楽だ。
無駄口をきかない。自分を呪い続けずに済む。シルバーアッシュに好かれたいのに、責めて詰(なじ)る事もしない。
大きな体躯と同じ手を、両手で包みドクターは精一杯の笑顔を向ける。
普段とは違い、シルバーアッシュは怪訝な顔をしていた。
続くのかしら?