1930年1930年
「ホグワーツに残った英雄譚はどうするつもりなんだ?」
君あの学校では有名すぎるだろう、転入生。と獣道を歩くセバスチャンは言う。ざくりざくりと音を立てる靴底を感じながら、転入生と呼ばれた男は後ろに続くセバスチャンを捉えると安心させるように微笑んだ。
「アルバスに任せたよ。彼なら上手くやってくれる」
僕たちが7年生の頃に入学してきた青く聡明な目をした小さな1年生だった男は今や、麒麟に傅かれるひとかどの人物となって魔法界を牽引している。きっと僕たちの存在を完璧に隠してくれるだろう。
「魔法生物たちもスキャマンダーに任せたし、僕の準備はこれで十分かな」
「あれだけ犬猿の仲だったのによく引き受けてくれたな」
早足で隣に並んだセバスチャンが茶化すように肩をぶつけてくる。厚みのある肩を抱き寄せもつれるようにそのまま歩くと耳元でクスクスと愛しい声が響く。踏みしめる土と体に擦れる草、彼の笑い声を耳にしながら2日前を思い出した。友人の結婚式帰りだという何度も保護方針で対立した親子ほども歳の差のある魔法生物学者は、開口一番「魔法生物たちを任せたい」とだけ伝えた僕をしばらく見つめて何も言わずにうなづいた。
「少なくとも、僕を魔法生物の保護活動家としては認めてくれてたのかも」
「ならもっと早く仲良くして欲しかったな。学会で年下と本気で言い争う君を見てる僕の気持ち考えたことはある?」
「それは…悪かったと思ってるよ」
許してとそばかすと細かな皺の乗った目元にキスすると、セバスチャンは仕方がないとばかりに鼻を鳴らす。50歳を超えた彼がたまに見せる出会った頃と同じ仕草はいつでも僕を喜ばせた。
今日、出会ってからずっと愛しているこの男に、全てを捨てさせる。闇払いとしてのキャリアも、今までの、そしてこれからの人生を。
「…本当にいいんだね、セバスチャン」
闇の魔法使いグリンデルバルド。彼が国際魔法使い連盟で行った様々な暴挙は、今後の古代魔術の秘匿に危機感を抱かせるには十分だった。この力は使う者次第で癒しも、破壊ももたらす特大の爆弾。強く賢く、闇に魅入られやすい者ほどこの力を求め溺れていくだろう。それは一度セバスチャンと堕ちた身だからこそわかる直感のようなものだった。だからこそ出来るだけ人々から遠ざけた。導くもののない魔術を使うには魔法族はあまりにも未熟だ。
だから僕は古代魔術の力と秘密ごと、時の流れの届かない場所へ去ると決めた。やり方はわかっている。一度アンの命が尽きる前の過去に飛んだことがあったから。遠くで妹の命が尽きたことを悟り、毎日のように泣き、嘆いて衰弱していくセバスチャンを見ていられなくて、たった一度だけ過去を変えた。そのせいで変わった未来もあったから、これは誰にも話していない自分だけの秘密だ。
次は歴史を、事象を変えるわけにはいかない。力を秘匿するためだけの旅路で、僕はどの時代に現れたとしても、そこにいるだけで何にも干渉しないモノに成り果てる。
「一度始めたらもう二度と普通の時間では生きられない。永遠に時と時の間を旅することになる」
「わかってる」
「闇払いとしてのキャリアも、今までの、これからの人生を全部捨てる事になるんだよ」
「君だって、ご両親にオブリビエイトまでしてる」
会話をしながら歩を進めた先、目的の場所には立派な村があった。姿を見られないように木々の間に身を潜めてセバスチャンとよく似た顔をした女性が広場で子供たちに囲まれている姿を2人で見つめる。数十年ぶりに見た妹の姿に、抱いた肩が小さく震える。弱り痩せ細った体で兄を糾弾したアン・サロウは、今や健康的な体躯で溢れんばかりの笑顔を浮かべていた。まるでホグワーツで共に学んでいた頃のように。
「…それに君は、一度過去を変えてくれた」
彼女を救ってくれただろ、と涙で目を潤ませたままセバスチャンは肩を竦ませる。
「どうして」
「君がこの話を始めた時から、やった事があるんだろうと思ってた」
アンが急に回復したってオミニスから聞いた時から変だとは思っていたしね。君は僕のことをたまに舐めてるよなと呆れた声を出すセバスチャンに僕は何も言えなくなった。
「何も借りを返すためじゃない。僕が君と居たいんだ、それこそ永遠に」
少しだけ低い位置にある頭が、甘えるように頬を掠めた。慣れ親しんだ両の手が頬に伸び、慈しむように目尻を親指でなぞられる。そうして見つめてくる栗色の目が、彼の決意を雄弁に語る。彼に言い募るべき事は、もうなかった。
「行こうセバスチャン、時間旅行に」
「ああ、楽しみだな」
唇同士を触れ合わせて感じる熱に溺れそうになりながら、大事なことを思い出す。
「その前にオミニスを迎えに行かないと」
「おっと、忘れるところだった」
ゴーントから自分の資産を全て引き上げると豪語した親友は旅への準備に時間がかかっているようで、この後キングズクロスまで迎えにいく予定だ。実家を破産に追い込むのだと彼は見たこともないほど素晴らしい笑顔を浮かべていた。
3人でまた冒険ができると年甲斐もなく胸が弾む。ホグワーツで過ごした3年間が戻ってきたような心地だ。
物音に気がついたのか体を向けて兄を見たアンの姿を視界に入れながら、僕たちは木の葉だけを残して姿をくらませた。
そうしてその日、世界から三人の男が消え去った。