リューとの話水篠旬は死線にいた。
眼前に迫る無数の真紅。死の剣筋で埋められる空間。
避けなければ死ぬ。
対峙する男から向けられる、明確な殺気に襟首がひりつく。
久しく味わっていない「死」の感覚。
掠っただけでも無事では済まない、自分であっても致命症を負うほどの威力を持った一刀。
双方手加減なしの、殺し合い。命のやり取り。
無限の紅の中で身体は踊るように動き、襲い来る死を避け続ける。
それを万回繰り返す。
堪えきれず笑みが溢れる。
―楽しい。
―愉しい。
死線を捌く度に、旬の胸は熱く高鳴る。
―すごい。
―素晴らしい。
―「人間」が、ここまで極められるのか。
旬の胸に去来しているのは感動である。果てしない鍛錬により身につけた神の技を繰り出し続ける男。もはや「人間」を超えている。
苛烈で、絶対的なこの紅に、刻まれてみたい。終わりを、死を感じたい。自分は誰よりも死に近いというのに。
「…!」
その時、男は愛刀-鬼神蛇行刀-を神速に振るう手を止め、眉間に深く皺を寄せていた。
「お前は、また…!俺を馬鹿にしているのか…!」
国家権力級を目指す男、リューは、本気の戦闘になら応じるという旬へ以前の手合わせの再戦を申し込んだが、一向に両の手の獲物を振るわず反撃しない旬に、ついに耐えきれずに苛立ちをぶつけた。これも以前と同じ、旬の遊びの延長なのかと。
―ふざけ過ぎてしまった。どうか機嫌を直してほしい。自分は機嫌がいいのだから。それも最高に。
「…ああ…悪い…。つい…見惚れてしまって…。貴方のその刀に刻まれたら、どんな…、どんな具合なのかと」
いつもは感情の動かない自分から震えて高揚した声が出ていることに、他ならぬ自分が一番驚いていて。
その想像だけで、勝手に口角が上がってしまう。自分がバラバラに、細切れに、四肢を、胴を、首を、あの真っ直ぐで美しい線で、一切の躊躇いなく、両断されたら。なんて。
―あぁ、なんて美しい想像。
分かる。自分もそうやって刻むから。敵を蹴散らす時、たとえそれがシステムに命令された殺人だとしても、高揚がないと言えば嘘になる。そうして、刻まれた方のことは考えたことがなかった。そうか、こんな心地で。
―それは、とても良い。
旬の歪んだ笑みに、リューは愕然としている。
(何を言っている?言っていることは通訳を介さなくてもわかる、いや分からない、何を刻む?俺をいつでも肉塊にできることを?俺をまた弄んで?)
「ふふ、はは、リューさん、まさかそんな。貴方ほどの人を弄ぶなんて。そんな素晴らしい技を持っている貴方に刻まれたら、想像したら、もっともっと感じたくて、続けたくて、つい。ごめんなさい。これでも俺、本気です。でも貴方を死なせるのが本当に惜しくて」
―あぁコレを、初めて生きている人間に言いたくなりましたよ。
あは、あはは、と愉快そうに笑いながら近づく旬に、リューは底知れぬ恐怖を感じた。何なのだ、あれは。人間か?いや、あんな禍々しいものが人であるはずはない。切るべきもの、障害、敵。だが体が微塵も、指一本でさえ動かせなかった。愛剣の柄を強く握りしめたまま鞘から引き抜けない。指が、手が、全身が、目の前の得体のしれない化け物を恐怖している。笑い続ける旬は、震えて動けないリューをいとも簡単に押し倒し、地面に縫い付ける。滴る冷や汗。目の前にいるのは何だ。魔獣より恐ろしい何か。逆光で見えない黒い顔、不吉な紫がソレの瞳から溢れ出す。黒い影は紅を引いたかのような唇を開く。
―影になるか?
それは問いかけの形をした影の君主の意向。決定事項。運命であり、定め。
自らの影からゆらりと闇が吹き出し、リューを覆う。
「や、やめ、やめろ…」
あれだけの神業を繰り出す腕も手も、闇から無数の腕には叶わず、弱々しい声しか出せない。それもついに口も覆われ、男は闇に完全に取り込まれる。
そこにはもう、男の姿はなかった。
唯一、主人を失った彼の太刀だけが残った。
リューが最後に見たのは、自分を熱のこもった視線で見つめる闇より深い影-うっとりと微笑む旬の姿だった。
◆用語
旬
コロしてません。影にもしていない。人間でここまで極めた技を繰り出すリューに感嘆している。この一件からリューから「女狐」と呼ばれ忌み嫌われ恐怖されるが、本人は全く気にしていない。むしろもっと強くなるトリガーかもしれないと思い、引き続きからかっている。こうみえてリューを気に入っており、好き。どれだけアプローチをかけても後ずさられるのでそこだけ残念(アプローチが失敗しています主君…)。
リュー
死んでない。あやうく影にさせられそうになった。国家権力級に拘るS級ギルドハンター。旬との手合わせ、アリの王戦から生き残り、技に磨きをかけている。最悪な別れ方をした旬に、どうして好かれているかわからない。影に取り込まれてから恐怖が勝ってしまい、旬を見かけると抜刀してしまう。本人曰く、「早くこの世から取り除いたほうがよい」とのこと(何をしても旬には勝てないのだが本能的に)。
影たち
旬が生きている人間に興味を持ち、自らリクルートしているのを嫉妬している。そのため、若干荒々しく影に取り込み、リューに恐怖を刻み込んだ。取り込んだ影の中では無言で取り囲んでいたそう(もともとまだ話せないので)。
旬くんが「女狐」と呼ばれる、という設定をつけていますが、特定ものを差別する意図ではありません。ここでの旬くんは蠱惑的で狂気的な方向に振り切っていて、リューに潜在的な恐怖を刻むもの(旬本人は純粋にリューが好き)としています。