伝う 長い冬の鎖からようやく解放されつつあるらしい。開く花々に満ちるのはまだ先だろうが、雪解けの土の下には真新しい緑色の気配が顔を出し始めている。
弥生初めの午後などまださほど温もりはしないものの長閑で、縁側には柔らかく陽が差し込む。座卓にガラクタ様の材料をがらがらいわせながら並べてみたら、早速好奇心の強い男が寄ってきた。
皆出払って今日は夜まで暇だから気まぐれに思い立って、ちょっとしたツテで調達してきたものだ。いやまぁ大体暇なんだけど。今日はそれなりのやる気と創意が天から降ってくる方の暇な日だったのだ。
「門倉何だこれ?わざわざゴミ拾ってきたのか?ジジイ見分けつかなかったか?何する気なんだ?」
「ちょっとちょっとそう矢継ぎ早に訊くんじゃないよ。ひとっつずつ順に訊きなさいっての」
「うーん、これゴミか?」
「ゴミじゃねぇよ、材料だ材料」
「何のだ?」
「あーーー、んーーー、説明めんどくせぇな。まぁそこで見てなよ」
「何だそれ!答えになってないじゃないか」
「えー、あれこれ説明するよりできたもん見せたが早えんだよなぁ」
言われた通りにしたのに回答を得られなかったキラウㇱは口を尖らせたものの、知りたい気持ちが勝ったかおとなしく横に座った。教えを乞う子どもみたいに、興味津々を絵に描いたような顔をして真っすぐ座りじっと見ている。
「なぁこれカンてやつだろ?」
「そ。知ってたか。あのね、ちょっとこれの口んとこに厚めの紙を貼って、底にこのキリ使って穴空けんの」
「門倉不器用だからこういうの使うときっとケガか失敗する。危ないから俺がやってやる、真ん中に穴空ければいいんだな?」
「ウン……いや俺だって銃の手入れとかさぁ、かつてはそのくらい細かい危険作業やってたのよ?……でもいいや、キラウㇱやって」
普段から何かと手仕事をしているキラウㇱの方が老眼でしぱしぱしがちな自分よりずっと器用なのは間違いなかったが、あまりに早々にお株を奪われた。ぎゃりぎゃりとなんとも言えない不快な音がしばらく響き、やがて底面に小さく穴が空く。
「もうひとつも空けてくれる?」
「分かった。任せとけ!」
目を輝かせながら張り切るキラウㇱがせっせと動いてくれるおかげであっという間に下準備が終わった。あとは仕掛けを作って仕上げればいい。続きはひとつずつ分担して作ることにする。手本見せられるし早く済むからな。
「この紙は缶の口でケガしないように貼るんだわ」
「ここに肌が当たるのか?」
「そそそ。なんだいお前さんカンがいいからなんか説明の甲斐がねぇなあ」
「それ褒めてるのか?褒めてないのか?」
「あーうん褒めてる褒めてる。そんでね、この木綿糸でそっちの缶とこっちの缶繋げんのよ。それはやるわ。後でちっと貸して」
切り口に二人でそれぞれ厚めの和紙を貼り、四尺半ほどの木綿糸を穴と穴に通す。玉留めで抜けないようにしてから底に紙で押さえるように上貼りしてやれば完成だ。
「……セイピラッカみたいなやつか?」
「せい……なに?」
「ええと、乗って遊ぶオモチャかこれ?」
「いや、違う違う。こうすんの」
缶のひとつをキラウㇱに持たせ、よっこいしょと立ち上がった……ところでぱきっと膝が鳴る。いてえ。ゆるゆる後ずさりしながら糸がぴんと張ったらまたよっこいしょと座り直し、キラウㇱに声を掛ける。変わらずきょとんとしている姿は子どもそのもの。やはりこう、なんというか懐かしい気持ちになってしまった。どちらにも失礼な話かな、と少しの自嘲も含み。
「糸張ったまんま耳に当ててみ」
「こうか?」
「あ、うんうんそんな感じ。そのまんま真っすぐしといてね」
素直に言われるがまま、顔を横に向けて耳を当てるキラウㇱを見ていたら驚かしてやりたい気持ちがむくむく湧いてきた。どんな顔をするんだろうか、喜ぶだろうか。
「……わっ!」
「わぁあっ!!なんだ!?すごいなこれ面白い!ここから門倉の声がする!!」
身体全体跳ねさせて驚き、目をまんまるにして缶とこちらとをかわるがわる見ている。興奮気味に片膝立ちになっている姿といい考えていた以上の大きな反応が返ってくるのがおかしいやら可愛らしいやら。こらこら、そんなご開帳されちゃ目のやり場に困……らないけど困るって。わぁわぁと盛り上がる姿にこちらも楽しくなってきた。もう一度缶に口を当てる。
「糸でんわってのよ。この糸を伝って俺の声がお前さんのとこに聞こえてんだ。おっと、糸たわませちゃダメなんだぜ。……どうだい?糸張りゃまたよく聞こえるだろ?」
「ほんとだ!ぴんと張るとよく聞こえる!面白いなぁすぐ目の前に門倉がいる感じだ。……フフ、内緒話してるみたいだな」
「ほら、お前さん他にもなんか喋ってみなよ」
早速こちらを真似て話してくれるものの、内緒話と言うには十分すぎるほど声がデカくて肉声で全て聞こえてしまっている。でもそう言われてみると自分も耳元に口を当てられている想像なんてしてしまって急にこそばゆい。こちらがこそばゆいんならあちらもこそばゆいだろう、きっと。
「ムックリやトンコリの音が弦の張り方で変わるのと同じなんだろうか。ぴんと張ると高くなってよく響く。弛みすぎだと音が出ない。遠くまで聞こえるのは低い音だけど、耳に入るのは高い音だ」
「弦楽器ってのはみんなそうだもんなぁ。いやほんとお前さんカンがいいな」
話して、聞いて、また話して、また聞く。ほんの子どもみたいなお遊びだが、行き交う互いの声にはくぐもっていてもいつもとは違う新鮮な響きがあった。何物かは分からぬそれを、二人の間に繰り返し転がし合いながら探っている。
緩めば音はしないけど少し近寄って、ぴんと気を張りゃ声がする。細く長く、限りはあっても伸びる糸。二人の間を繋ぐ線。話せば聞き、傾けた耳に声が呼ぶ。端と端、辿れば互いに伝う一筋。えにしのような、道のような。
「えっと、門倉はだらしない!朝は寝坊助だしゴロゴロしてるしぼーっとしてるし危ないことばかりするし手がかかるしジジイのニオイするし、ジジイのモユㇰだ!」
「おいおい今度はいきなり全編文句かよ。苦情受付窓口じゃないんですけどぉ」
「……でも、優しい。こうやって俺に何でも教えてくれる。シサㇺの色々なウエペケレ……昔話?とか、新聞とか、花札もそうだ。でもシサㇺの当たり前を持たない俺たちを馬鹿にしないし、見てないようで見てるし聞いてないようで聞いてくれてる」
そりゃまぁ、そうやってしれっとしてるのが長年の仕事だったんですから。お前さんみたいにあっちとこっち、二つの言葉に二つの文化を行き来できるような器用さは持ち合わせてないからむしろ立派なもんだと思ってるくらいだよ。だけども――。
「……俺は優しくなんかない。そう見えるのも俺がぼーっとしてるボンクラ狸だからだ。教えてやらにゃ、なんておこがましいことも考えてねぇさ。言われた通りにここで留守居して、たまに散歩ついでに偵察してるだけ。そりゃまぁお前とは……」
「……サウレ」
「え?なんつった?」
こっちも向こうも口を当てて話してしまったら聞いている奴がいない。口元に微妙な振動が来てむずむずするし、無精髭の生え際がなんだか痒くて耳に当てなおすしかない。
「……カドクラ アナㇰネ サウレ モユㇰ……イク コㇽ パテㇰ アン……ふふふ」
にゃろう、もゆくが狸だってのは俺ぁもう知ってんだぞ。確かに自分でも狸と言ったがどうせまただらけてるとか働かないとかあることないこと……?なくもないけど、分からないと思って文句垂れてるんだろうよ。まったくどんなニヤついた顔して悪口言ってやがんだか、いたずら小僧め。
「……コㇿカ、……イラㇺ クコン ルスイ……」
「え?」
最後だけ声の調子が違った。さっきまでより小さな声で、ひっそり訴えかけるような。もちろん意味は分からない。分からないが。
「……内緒話だ」
分かっちまうだろ、そんな顔で言われたら。
カンカラを置いてよっこいしょと立ち上がる、ときにまた膝が鳴った。いてえなよく鳴る膝だこと。座卓の脇にちょんと座ったまま耳から首から赤に染めて、少し伏せた顔。真正面にまたよっこいしょと胡座をかいてからぐっと身を乗り出し、ふさふさ強い毛のもみあげを撫でて耳殻をなぞる。厚い耳たぶを親指と人差し指でそうっとつまみ、耳のすぐそばまで口を近寄せると寄ったその分首が逃げた。座卓の縁と我が身で挟み込んでにじり寄れば逃げ場はもうない。
「……んん」
「あのな、ジジイはお耳が遠いのよ。そんなに内緒の大事なことならこうやって近くまで来てちゃあんと聞かせてくんないかね?」
「ぁ……、そしたら、くれるのか?」
くれる?はて、何を。こちらに向けられた眼差しはその目の端を赤くして潤み、弱々しく揺れている。だめだろお前、仮にも牙を持つもゆく相手にそんなとこ見せたりしたら。
「お話できないってんなら俺が話しちゃうぞ。……美味そうだよ、お前」
「……エネ ワ エンコレ……そしたら門倉の中に入れる」
「え、入れたいの?」
「そうだったらどうする?」
「ええ……」
「フフフ、冗談だ。体力ないジジイ転がしてどうにかしたいわけじゃない」
「おま、からかうんじゃねぇよ。まだ歯抜けジジイってんでもないんだからよ、ほらな」
丸っこい耳たぶから首筋へ、かぷりと軽く歯を立てながら下ってゆくとキラウㇱはくすくす笑いながら首をすくめる。あたたかな温度に走る脈、ほのかに感じる干し草みたいな日向の匂い。あぁ、ほんとにこの男はどこもかしこもが生きているって言ってくる。それが分かるぬくみでできている。全部食ったら胸も腹も焼かれてしまうかもしれないから、火傷しないよう少しずつだ。舌の先で確かめながら。
「ん……あ、ぁ……ラㇺ アユㇷ゚ ロ……ん、かどくら……」
「なんて言ったの……?」
「フフ……内緒話だ、ん……ふ」
「……そうかい」
もつれながら段々と。縁側の向こうには夕刻に近づいていく空。視界が縦から横になり、下になった黒曜の瞳に己の影が被る。その境目を見ながら、湿り気が混じった日向の匂いをゆっくり深く吸い込んでいった。
からころから。引き倒されて転がるふたつの缶の間で糸が絡まっていく。このえにしのように、この道のように。この二人のように。
◇◇◇
サウレ
優しい
カドクラ アナㇰネ サウレ モユㇰ
門倉は優しい狸だ
イク コㇽ パテㇰ アン
飲んでばかりいる
コㇿカ イラㇺ クコン ルスイ
だけど俺はお前の心が欲しい
エネ ワ エンコレ
食べてくれ
ラㇺ アユㇷ゚ ロ
俺たちは心を強く締めよう(結ぼう)
※ほぼ例文があるのですが間違っていたら申し訳ありません。生あたたかい目で見てやってください……。
※作中で糸でんわとしているのは伝声管の原理から作られたもので、糸「伝話」とするものだという説をお見かけしたためです。