アベックコーデ 「師匠――」
モブが俺を呼ぶ。こいつが11歳の頃、俺の経営する霊とか相談所に現れて、俺を見つけてくれたその時から、何度も何度も呼ばれた言葉だ。【師匠】なんて滑稽だって笑われそうだが、それは俺が呼ばせたわけで、俺たちを繋ぐ偽りで塗り固められた大事な関係を示す。
とんでもないことに、こいつはそれが【偽り】であると分かってからも、俺を【師匠】と呼び続けた。正確にはずっと分かっていたのかもしれないが、その真相はわからないままだった。
そしてさらにとんでもないことに、俺たちには【師弟】としての関係はそのままに、新たに【恋人】としての関係が加わった。
「師匠! ねぇ師匠ー! 聞いてるんですか?!」
「おわっ! モブ……! な……なんだ?」
ボーッとして何考えてるんですか? と弟子兼恋人が俺の顔を覗きこんでくる。そして、突然びっくりすることを言い出したのだ。
「これ! 一緒に着ましょう」
俺の目の前にズイッと出されたのは、白と黒ののんびりとした愛くるしい、笹を食べる肉食動物――パンダが描かれた部屋着だった。
違うことを考えていたこともあるが、予想外のことに普段回転の早い俺の頭は一瞬動きを止めた。
「え……? これ何?」
「かわいいでしょう? 僕とおそろいの部屋着です。師匠に似合うと思うんです。これからはこれ着てくださいね」
モブは顎割れしながら、ふふんと自慢げにそのパンダの部屋着を手渡してきた。動きを止めた俺の頭がやっと通常通り動き出したところであった。
「えぇ?! 何言ってんだよ! おそろいってお前……俺もうアラサーも終わりかけてるオッサンなんだぞ……は……恥ずかしいだろ……」
この弟子浮かれてる! 絶対に浮かれてる!! この浮かれぽんちが!!!
今日は弟子がバイトない週末ということで泊まりにきていた。俺はもちろん週末も仕事だが。弟子が浮かれている気持ちもまぁわからんでもない。なにせ俺もめちゃくちゃ浮かれているのだから……。
よく考えてみれば、こんなくたびれたオッサンにアベックコーデしようなんて普通言わないだろ。俺自身、14歳も歳の離れた若者に愛想尽かされないよう、オッサンはオッサンなりに必死に気を遣っているのである。
まぁかく言う俺は、モブこと影山茂夫に現在進行形でぞっこんな訳ですはい。
アベックか……その昭和な響きを脳内に響かせ、今の子はこの言い方分かるのかななどと、目の前に見えるご機嫌で顎割れしてる弟子を眺めながら考えていた。俺のかわいいかわいい弟子は【恋人】になってからこんな調子だ。
俺は当初その新たな関係に反対していた……常識的に考えてもみろ、俺とこいつ――影山茂夫は14歳も歳が離れている、そんな俺たちが【恋人】? いや、そんなおかしなことあるはずはない。そう俺たちが出会ったとき、モブは11歳、俺は25歳だったんだ。
俺はこいつを子どもとして親御さんからお預かりした立場だった。最初はそんなつもりもなかったが、不思議なことにいつの間にか俺はこいつのことを大切に思ってしまっていた。俺にとって何事にも変え難い大切な子どもになってしまったんだ。
俺とこいつは大人と子ども。子どもは大人が守るべき存在だ。俺は何があってもモブを守る。無意識だったと思うが、確かに俺はモブに対して、モブの親のような【愛情】を抱いていた。
こいつは自分の持つ【超能力】に悩んでいた。俺はその悩みを聞いて受け入れた。
俺もそうだった。お前と同じように悩んでいた。超脳力は個性だ。大切なのは人間味だ。力の使い方を教えてやる。などと言い、その力を利用した――。
俺は最低なことをした。こいつの本当の苦しみも知らないくせに、口からでまかせばっかりで。それでもモブは俺から離れず俺の偽りではない部分を信じてくれていた。自分の中で葛藤しようとも、俺を信じてくれていたんだ。
そんなモブから「好きです」と初めて告白された時は一体いつだっただろうか。
いつだっただろうかと考える隙を与えないほどの光の速さで俺はその光景を思い出せる。絶対忘れない、忘れられるわけないだろ、俺はその時すでにモブへの【愛情】の中に守るべき大切な子どもへの感情以外のなにかが生まれてしまっていることに気付いていたんだから。
――忘れもしないその日。
暖かい陽の光が相談所の窓から差し込む中、桜が舞い散るのを俺はいつもの椅子に座り眺めていた。俺の構える胡散臭い相談所のある、この調味市では中学校の卒業式が行われていた日だった。
バタバタと何やら急いで階段を上がる音がする。俺はボーっとしていた頭を切り替えて、さぁ仕事だと背筋を伸ばす。視線を窓からドアへと移して、いざドアが開かれるのを待った。
ガチャ
「……っ?! モ……モブ……」
「し……師匠……」
はぁはぁと息を切らしながら、そのドアを開けたのは胸にお祝いの造花をつけた俺の弟子だった。
入学当初はブカブカだった学ランは3年間で、少し窮屈そうだった、あぁ大きくなったな……と思った。子どもの成長はあっという間だ。こいつは身体の成長とともに心も成長した。
モブ、お前は人間味のあるいい奴になったな。これからももっともっといい奴になっていくんだろう。
キラキラしたこいつの姿を見た。眩しかった。
――そうそれは紛れもなく俺の光だった。
「モブ、卒業おめでとう」
俺は、自分の中から湧き上がるこの熱い感情をなんとか抑えて、その言葉を口にした。
なんだか泣いてしまいそうだった。もうモブの方を見てられそうになかった。不自然にならないよう、後ろをむこうと身体の向きを変えようとした瞬間――
「好きです」
正直もう俺は大切な大切な弟子のお祝いの節目の場面にぶち当たり、胸がいっぱいだった。
そんな俺に追い討ちをかけるように、聞こえたその言葉は、一瞬で俺をまた違う世界へと誘った。
これは……夢か? 俺にとっての都合の良い夢? 目下の状況に疑いを抱いた俺は、静かに頬をつねった。
――痛かった。
と、まぁこんな感じで、弟子から告白された俺は、現実だ……と、理解はしたものの、何が何だかよく分からないまま、溢れ出る感情の波を抑え込むことができなかった。俺は堰を切ったように鼻水と涙でぐしゃぐしゃになってしまった顔で、唯一残っていた理性を振り絞って、弟子の告白を断った。
バレバレだったかもしれないが、俺は大人としての役割を果たすことができたはずだ。
今こうして【恋人】となっているのは、そのあとも弟子からの熱心なアプローチを受け続けた俺が、ついひと月ほど前の5月19日、モブが19歳になった日についにその愛を受け入れて、自分の弟子に対する【愛情】の中に、守るべき大切な子どもへの感情以外のなにかがあることを、弟子に認めたからである。
その【恋人】関係になったばかりのモブは、俺がなんやか回想している間に先に風呂をすませたようだ。あのパンダの部屋着をしっかり着ていて笑ってしまった。俺も風呂に入ってしまおう。いそいそと準備をし、浴室へ向かった。
一応言っておくが、まだモブとは手を繋いだくらいで、キスはしていない。健全な【恋人】関係だ。20歳を超えるまではしない、とキッパリ伝えている。
それをモブに伝えたとき、一瞬顔を顰めつつも、
「はぁ……僕はすぐにでもしたいんですけど。まぁ師匠ならそういうと思ってました。今19なので、これまでの年月考えたら、そのくらい我慢します。本当はすぐにでもしたいんですけど」
というようなことを言って了承してくれた。何やら2回同じこと言ってる気がしたが、敢えてはツッコミはしないでおく。
風呂から出た俺は身体を拭いて、意を決して、そこにある綺麗に畳まれた服を着た。
なにせ俺はモブに甘い。正直かわいくてかわいくて仕方がない。できることはしてやりたいし、モブが喜んでくれるのならそれは俺だって嬉しいんだ。モブが俺のために、俺だけのために選んでくれた物が嬉しくないわけがない。恥ずかしかったけど、それの5万倍くらいは嬉しくて嬉しくて、顔がにやけきってしまう。俺はいつからポーカーフェイスが苦手になったんだ。
俺がパンダの部屋着について「恥ずかしいだろ」
って言った時のモブの顔見たか……? 俺がめちゃくちゃ喜んでんの丸わかりですよ。って顔してたんだぞ。
この脱衣場の扉を開けたらモブがいる。モブが待ってる。あいつ、嬉しすぎて俺に飛びかかってくるんじゃないか? 開けたあとのモブのとびっきりの笑顔を想像して、俺はニヤニヤしながらその扉を開いた――。
おわり