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    サイボーグで手足が外せるカルナさんのジュナカル。何でも許せる方向け。

    埋み火 カルナは生まれてすぐに捨てられた。下水を流れる水音が今も耳にこびりついている。
     幸か不幸か、その夜のうちに彼は拾われた。粗末な箱に入れられ、路地裏に放置された彼を見付けたのは、国内のアンドロイド産業を牛耳る大企業の幹部であった。箱の蓋が開かれ、通りから差し込むネオンの光が、一瞬カルナの肌を照らしたが、中身が人の子だと理解した男はすぐに蓋を閉めてしまった。戸惑ったのは僅かな間で、彼は素早く箱を持ち去った。
     当時世界では、アンドロイド技術や、更にはそこから派生したサイボーグの研究が盛んであった。だが一方で、被験者が極端に不足してもいた。義肢は兎も角、身体に直接機械部品を取り付けたり、脳に集積回路やらマイクロチップを埋め込むことに対し、まだ多くの人は忌避感を抱いていた。各企業は被験者を求め、日夜奔走していたのだ。
     幹部は拾った赤子を、下部組織の研究部門に託した。自由にして良いと言い添えて。
     物心ついた頃、既にカルナには生身の手足が無かった。右眼も機械に置き換わっており、脳内には情報処理とネットワーク接続の為のチップが埋められていた。幼い頃の事故で手足を失ったのだ、と組織には教えられていたが、カルナはそれが嘘だと知っていた。知ってはいたが、拾われ、食事を与えられ、生かされたことに変わりはない。何より、自分を必要としてくれるのなら。必要とされることは嬉しかった。生きている意味に等しかった。だからカルナは、日々行われる実験に耐え続けたし、成長に伴う数々の手術も、甘んじて受け入れた。あったはずの器官が切り取られ、必要の無い臓器を埋め込まれたりした。何故そんな手術が必要なのか、カルナには分からなかったが、これが多くの人の為になるのだと聞かされれば、別に構わなかった。
     カルナが成人を過ぎた頃には、大企業は更に巨大化していた。やはり使い勝手の良い被験者を手に入れたことが大きかったのだろう。発達したサイボーグ技術は広く利用されるようになり、また軍事目的で負傷兵に施術されることもあった。
     サイボーグ技術の軍事転用に際しては、当然カルナで実験を行った。義肢の筋力を強化し、更には武器を内蔵させた。元々脳のネットワークチップは、彼の監視とバイタルの確認、生体データ取得の為に埋め込まれていたが、カルナの意思でネットワークにアクセスできるようアップデートされた。GPSだって掴めるし、簡単な分析も行える。
     この頃になって、企業は今更カルナのことが恐ろしくなった。
     元々カルナは、五体満足の子供だった。捨てられていたその子供から、企業は手足を奪い、片目を奪い、人生を奪った。彼があんまり従順だから、今まで気にも留めていなかったが。
     あるとき、誰かがこう漏らした。いつか、彼に復讐されるのではないかと。
     最初は誰もが笑い飛ばした彼の不安は、瞬く間に組織内に伝播していった。今やカルナは、人など簡単に殺せるだけの性能を持っている。あの何を考えているのか分からない表情の奥で、研究者たちに向けて暗い怒りを抱えているのでは。カルナが優しい青年だということは、誰もが知っていた筈なのに、疑念は真昼の霧のように彼らの心を曇らせていった。
     いや、そうでなくとも、彼の存在がもしばれたら。彼に復讐心などなかったとしても、何かの拍子に、彼のことが公になったなら、どうなるだろう。
     捨てられていた赤子を違法に連れ去り、非人道的な実験を幼い頃から行っていた。今も研究所に飼い殺して、外から隔絶している。人としての機能を奪い、本来不要な機械すら埋め込んだ。世間にバレたなら、バッシングは免れ得ない。最悪、企業としての命が絶たれる可能性すらある。
     恐怖は遂に上層部にまで届いた。彼らは満場一致で、カルナを廃棄することに決めたのだった。
     最後の日。朝食のあと、実験を行うからと部屋から連れ出されたカルナは、自分の人生がここで断絶することに気付いていた。直接聞いたわけではないが、研究員の視線や、言葉遣いから、自分の運命を悟ったのだった。
     別段恨んだりはしなかった。ここまで生かされただけ、ありがたくもあった。ただ、もう彼らが自分に望むことが、カルナ自身の死しかないということに対しては、胸の奥が少し苦しくなった。
     下着だけにされたカルナは、手術台に寝かされ、ベルトで身体を固定された。カルナの存在は抹消される必要があったが、その身体には様々な研究資産が収まっている。開腹し、それら全てを取り外してから、身体は焼却処分される。それが彼の末路だった。
     麻酔は使われなかった。頭の上では、研究者のひとりが、カルナの手足を取り外すための準備をしていた。腹の横に立った手術着の男が、解剖用メスを手に取り、カルナの白い肌に押し当てる。呻き声が漏れた。叫び出したかったのかも知れない。いずれにせよ、刃先がずぷりと腹にめり込んだのと、殆ど同時に、室内が真っ暗になった。
     研究者たちがパニックを起こして、「停電か?」「明かりを!」などと叫んでいた。ガタン、と何かが倒れる音が聞こえ、派手な音を立てて硝子が割れた。腹に酷い痛みを感じてカルナは歯を食いしばる。中途半端に突き立ったメスが、闇の中で、変なところを傷つけたらしかった。そのメスが突然、ズルリと引き抜かれる。
    「あぐ……っ」
     ズキン、ズキン、と傷口が痛む。身体の横で何か音がして、胴体を固定していたベルトが外された。何かがおかしいことにカルナは気付いた。研究者たちは未だ真っ暗闇の中で、硝子片を踏みつけながら右往左往している。だのに、そんな中で全く冷静に、誰かがカルナを手術台から抱き起こした。
    「だれ、だ……」
     小さな声で呟くと、唇に指らしきものが押し付けられた。喋るなということか。そしてカルナの身体は宙に浮いた。背中と膝の裏を支えられている。真っ暗で何も見えないのに、カルナを抱きかかえた誰かは、研究者たちの叫び声の間を、ダンスのステップでも踏むように軽々とすり抜けていった。
     ガラリとドアが引き開けられる。その先の廊下も真っ暗だ。このエリアに窓はないから、明かりが消えればしるべは何も無い。
     ふう、と鋭い吐息が聞こえた。誰とも知れない誰かは、冷静ではあるが、極度に緊張しているようだった。何の為に、この人間は、こんな真似をしているのだろうか。気になるが、先ほど喋るなと言われたので、カルナはしっかりと口を噤んでいた。
     歩調が段々速くなる。突き当りのドアが押し開かれ、視界が明るくなった。そこはもう外だった。思わず息を呑むと、肺が驚いて少し噎せた。記憶する限り、外の空気を吸うのは初めてだった。
     それから、自分を抱きかかえる男をカルナは見上げた。だが彼は、顔をすっぽりとヘルメットで覆っており、表情は愚か人相も分からなかった。ウインドブレイカーの前を上までしっかり閉めて、グローブも着用しているので、肌の色すら分からない。ただ体格から男性だということだけ分かった。
     カルナが危惧したのは、この人物が企業に敵対する者で、機密を盗むか、或いは他の損害を与える目的で自分を連れ出したのではないか、ということだった。自分が企業に見捨てられたことは分かっていたが、それでも恩義はある。
     男は停めてあったバンに走り寄った。運転席には既に誰かが居たが、男と同じく顔を隠している。カルナは迷った。男の手を振り払うべきか。男が車のスライドドアを開いたとき、背後から怒声が聞こえた。顔を向けると、警備員たちが銃をこちらに向けている。止まれ、と叫んでいるが、カルナの右眼は彼らの指がトリガーにかかっているのを捉えた。警告に意味は無い。撃つ気だ。
    「あ」
     カルナは後部座席に放り込まれた。シートが背中を叩き、腹の傷が痛んだ。男はドアを閉めながら警備員たちを振り返る。手で運転手に「行け」と指示を出す。
     自分だけ残るつもりか。
     衝動がカルナを動かした。痛みも忘れて起き上がり、閉まりかけたドアを掴んで無理矢理開ける。こちらに背を向けた男の腕を引っ掴み、バンの中へと引き摺り込んだ。銃声を聞いた。同時に身を乗り出したカルナの瞳孔が収縮し、目の裏で圧縮されたエネルギーが鋭い光を伴って空中に直線を描く。薙ぎ払った。発射された銃弾は悉く蒸発し、光線は警備員たちの足元を焼き焦がし弾けさせた。彼らは怯んで一歩下がり、同時に車は急加速する。一瞬の出来事だった。
     目の奥がじりじりと熱を持って痛んだ。機能として備わっていることは知っていたが、実験以外で使うのは初めてだった。ましてや、人に向けて放つなど。企業に対し敵意を向けたのも、これが初めてだった。
     様々な衝撃にへたり込んだカルナの後ろから腕が伸び、車のドアを閉めていった。それから抱き締められた。首元で、長い溜め息が聞こえた。
    「ほら、安心してないで座りなよ。飛ばすから」
    「……はい」
     運転席から掛けられた声に、男はのろのろと身体を離すと、カルナにブランケットを掛け、座席に座らせ、シートベルトを締めさせた。男もどさりとシートにもたれかかり、重たいヘルメットを脱ぎ捨てた。
     精悍な顔立ちだった。
     見たことのない男だった。肌は褐色で、黒い癖毛が汗で少し湿っていた。しばしカルナは呆然と彼の顔を見詰めていたが、腹の痛みで我に返った。ブランケットを捲ってみると、腹から流れた血が下着や足を汚していた。深くはないものの、ズキズキと痛む。
    「着いたら、すぐに手当しましょう」
    「何処に?」
     聞き返すが男は答えなかった。別に構わない、特に興味はなかった。それよりも、知りたいのは。
    「お前は……、誰だ? 何故オレを連れ出した?」
     銃口の前に身を晒した。身を挺して、カルナを助けようとした。仮に彼がカルナを利用しようとして攫ったのなら、自分の身を犠牲になどするだろうか。
     男は口を開きかけて、噤んだ。言葉を選んでいるようだった。
    「何を迷ってるのさ、早く自己紹介しなよ」
    「分かってますよ、クリシュナ……」
     運転手に急かされて、ようやっと男は名乗った。
    「私はアルジュナといいます。……あなたの、弟です」
     続いた言葉に、カルナは耳を疑った。



     アルジュナによれば。
     彼はカルナを囲っていた大企業の、社長の子息らしい。大学を飛び級で卒業し、その後は企業の研究部門で働いていた。お前の顔は見たことがない、とカルナが言うと、私は本社に居たので、とアルジュナは答えた。
    「一度下部組織を視察したときに、あなたの姿を見ました。マジックミラー越しですが。そのときは兄のユディシュティラと一緒で……、彼があなたのことを母に似ているというものですから、少し気になったのです」
    「似ているのか、オレは、母に」
    「どうでしょう。ああでも、目元とかが、少し」
     腹の傷を縫合され、包帯を巻かれながら、カルナはアルジュナの話を聞いていた。聞いてはいたが、それはどうにも、何処か遠い場所の出来事と感じられた。
     カルナに家族は居ない。ずっと居なかった。だのに、この男は、自分がカルナの弟だと言う。しかも他にも兄弟が居るらしい。
    「あなたについて調べたら、どうもおかしくて。あなた個人の情報は全くと言って良いほど残っていない。けれど、積み重なった実験データは、あなたが一歳未満のときから被験者だったことを示していた。実験の頻度もおかしい。生活を脅かすほどで、これでは真っ当な人生など送れないだろうと……」
     包帯を留めて、アルジュナの指が白い布を軽く撫でた。擽ったい。
    「ある夜のことです。夕食の席で、ふと兄があなたのことを話題にしました。下部組織の研究機関に、母に似た被験者が居たと。何と言うことはない雑談で、父は適当に相づちを打っていました。ですが母が……、兄がその話を持ち出してきたとき、母の顔色が明らかに変わったんです。すぐにその話は終わりましたが、母はずっと俯いたままでした」
     カルナを椅子に座らせたまま、アルジュナは立ち上がるとクローゼットに向かった。隅に置かれていた紙袋を取り出す。
    「あなたの服です。とりあえずこれに着替えて下さい」
    「……感謝する」
     袋の中には服が一式入っていた。アルジュナがずっとこちらを見ているのが落ち着かないが、カルナはシャツを手に取ると、ボタンを外して袖を通した。カルナの手は、正常に、カルナの意思に従って動いた。カルナにとって自身の腕とは、物心ついたときからこの機械の腕だった。見た目はヒトの腕と変わりない。ただ汗はかかないし、触感も人間の肌とは少し異なる。それだけだ。
     アルジュナが複雑に目を細めた。技術への賞賛と嫌悪が入り交じっているようだった。
    「母の反応で、私の中の疑念が無視できない程に膨らみました。だから徹底的に調べました。あなたを拾ったという元幹部にも会った。……私は、我々の技術は人を生かす為の技術だと考えていました。あなたの犠牲も知らずに」
    「いや、お前たちの技術は、正しく人の為になるものだ。それにオレは、犠牲になったとは一切思っていない」
     吐き気を堪えるように、アルジュナは顔を顰めた。 
    「企業内には、あなたの全塩基配列のデータも存在しました。勝手だとは思いましたが、私のゲノムと照合して……、結果はお伝えした通りです」
    「お前は誠実なのだな」
    「……何のことですか」
     苦々しい瞳がカルナを見た。ジーンズに脚を通し、ベルトを締めたカルナは、色の違う両の目を瞬かせた。
    「知らずとも良かったのに、目を背けなかった」
    「ただの自己満足ですよ。……兎も角それで、あなたを兄だと知った訳です。ああ、父親は違います。あなたは母が父と出会う前に生まれていますから」
    「そうか……」
     感慨は無かった。母が居る、と言われても、大きな感情の動きはカルナの中に生まれなかった。それこそ、弟が自分を見付け、連れ出したときに比べれば。
    「どうするべきか、迷いました。いずれにしてもこんなことは、止めさせなければいけない。決めかねて親友に相談しました。運転席に居たのを、覚えていますか?」
    「ああ」
    「彼に……、クリシュナに、全て話しました。最初私は、父にこのことを話そうと検討していたんです。ですが」
    「お前に似た男を見たことがある」
     カルナが口を挟み、反対にアルジュナは口を噤んだ。形の良い眉の間に皺が寄る。
    「何度か実験を見に来た。多分、あれがお前の父親だったのだろう」
    「ええ、多分、そうでしょう。クリシュナは、父の会社のことを私よりずっと深く知っています。だから、父があなたの存在を知っていて放置していたことも、私たちとあなたに血縁があることも、あなたに廃棄予定があることも、彼は知っていました。知っていて黙っていたことについて、クリシュナを怒る気は無いんです。彼は企業の人間で、けれども私の味方ですから。私が知らずに済むならそれで良いと思って、黙っていたのでしょう。しかし父は違います。あの男は、全てを知っていながら、廃棄の許可を出した」
     徐々に早口になっていくアルジュナを、着替え終えたカルナは黙って見詰めていた。その視線から逃れるように、彼は俯いて、しかし舌はなお怒りを紡ぐ。
    「私たち兄弟とあなたに血の繋がりがあることを知りながら。あなたが幼い頃から社に囚われていたことを知りながら。保身のためにあなたを切り捨てた。あの男は」
    「きっとそれは違う、アルジュナ」
    「何が違うって言うんですか!」
     黒い眼がカルナを睨んだ。怒りと、父親への失望で燃ゆる瞳。カルナは臆しなかった。ただゆっくりと首を横に振る。
    「あの男は、お前の母のことを大切に思っているのだろう」
    「……は?」
     何を言っているのだ、とアルジュナは眉を顰める。カルナは椅子から立ち上がり、アルジュナとの距離を詰めた。身長は同じくらいだ。視線が交差する。
     彼自身の正しさが、アルジュナを動かしたのだろう。彼自身の、自ら正しくあろうとする心が、父親と会社の不義を許さなかった。時間は無く、取り得る手段も少なかった。だから彼は、自分の力で、カルナを連れて逃げることを選んだ。
     結果としてカルナは生き延びた。皆がカルナの死を望む中で、アルジュナの正しさによってカルナは生かされている。それは得がたい経験であり、けれどそれのみでは駄目だった。
    「アルジュナ。オレは何をすればいい」
    「……え?」
     アルジュナが困惑の表情を浮かべる。カルナが急に話題を変えてきたことと、彼の質問の、両方に対して。しかしカルナとしては、アルジュナの父がどうしてカルナを切り捨てたのかについての説明は、既に先のひと言で終わっているつもりだった。
     それよりも問題はこれからのことだ。
     ぐるりと、カルナは部屋を見渡した。はっきりと分かる生活感の無さ。カルナの為に、新しくこの場所を用意したのだろう。しかし、では彼は、この場所にカルナを置いて、一体何を望むのか。
     水音が聞こえる。頭の中で鳴っている。企業がカルナを生かしたから、彼はその温情に報いてきた。彼らが望むことを良しとし、何も望むことが無くなったなら、捨てられることも致し方なしとした。
     では、アルジュナは。
    「お前は、オレをあの場所から連れ出して、どうしたいんだ?」
    「どう、って……」
     彼はたじろいだが、こればかりはカルナも譲れなかった。ただ生きる、という概念は、カルナの中に無かった。望みに応えることこそが彼の人生だった。
    「何も無いのなら、これ以上お前の世話になる訳にもいかん」
    「馬鹿な。何処にも行く宛てなどないでしょうに」
    「それでもだ」
     カルナは譲らない。
     別に、アルジュナは何かを要求したくて、カルナを連れ出したのではないということは理解していた。不義を正すため。許せないからそうした。だから、彼の望みはもう叶っている。
     アルジュナは困惑していたが、やがて苛立たしげに目を伏せた。それで今度は、カルナの方が困ってしまった。怒らせるつもりは無かったのだ。
    「オレが必要無いのなら、お前にとって、オレをここに留めておく意味は無いだろう」
     何か言い方を間違えたかと、言葉を重ねてみるも黒い双眸に睨まれる。噛みつきたいのを堪えるような声で、噛み潰した苦虫を飲み込みながら、アルジュナは言った。
    「何でも良いのですか。私が何を要求しても、従うのか」
    「オレにできることなら」
     カルナは迷い無く頷いた。その答えに、アルジュナは深々と溜息を吐き、俯いて額を手で覆った。しばしの間ののち、顔を上げてカルナを睨み付ける。
    「私の、要求は」



     諸々の結果として、カルナはこの家に住み続けることになった。
     日中、アルジュナは何処かに出かけて、家にはカルナひとりになる。アルジュナが何をしているのか、カルナは知らない。カルナを連れ出したとき、アルジュナは顔を隠していたから、彼の関与については何も発覚しておらず、未だ父親の会社に勤め続けているのかも知れない。或いは、会社から逃げて、何か別のことをしているのかも知れなかった。危険なことでなければ良いと、窓の外を眺めながらカルナは思う。木々の間から暮れかかった空が見える。そろそろ時間だろうかと、窓辺の椅子から立ち上がった。
     夜には大抵アルジュナがやってきた。偶にアルジュナが来られないときには、クリシュナが訪ねてくることもあった。彼とはあまり話さない。必要に応じて食料や本を置いていくことはあったが、用事が終わるとさっさと退散した。カルナには興味が無いらしい。
     今日も、ガチャリと鍵が回り、ドアが開く。
    「ただいま戻りました」
    「ああ、おかえり」
     玄関で出迎える。アルジュナはいつも疲れの滲んだ目をしている。それが、カルナが出迎えたときには、少し緩んでたわむ。何かと気苦労が多いのだろう。彼が多少でも穏やかに過ごせるのなら、確かにここに居る意味はあるのかも知れない。一方で、自分がここに居ること自体が、彼の疲れの一因になってもいるのではないかという疑念もあった。
     外でテイクアウトしてきた紙袋をテーブルに置くと、アルジュナは着替えに行った。元々住んでいた家も残してあるとのことだったが、殆ど毎日、アルジュナはカルナを置いているこの家へ通っている。クローゼットには衣類が掛けられ、冷蔵庫にはふたり分の食材が詰まっていた。
    「今日は中華か」
    「ええ。苦手ですか?」
    「知らん。食べたことがない」
     テイクアウトの箱から皿に料理を移そうとして、カルナはアルジュナに止められた。私がやるから、座っていて下さい、と。
    「……これくらいは、構わないだろう」
    「いいえ」
     にこり、とアルジュナは微笑む。こういう顔をするとき、アルジュナが譲ったためしがない。もとより、これもアルジュナの『要求』の一部なら、カルナは呑まざるを得なかった。渋々トングをアルジュナに渡し、食卓に着く。キッチンのアルジュナを眺めながら、小さく溜息を吐いた。
     現状、カルナには困りごとがふたつある。
     ひとつは、アルジュナが何もさせてくれないことだ。
     何も自分に対し望むことが無いのなら、ここを出て行くと言ったカルナに対し。アルジュナが要求したのは、自分にカルナの世話を焼かせることだった。
     最初カルナは、自分が聞き間違えたのかと思った。アルジュナの世話を焼けと望まれるのなら分かる。聞き返したカルナに、しかしアルジュナは首を振った。
    『いいえ、私が、お前の世話をする。それを許容しろ』
    『意味が分からない』
     心底、意味不明だった。それの何処が等価なのだろう。何故そんなことを自分に望むのか理解できずに、要求を突っぱねようとしたのだが。
     だがしかし、言質を取られていた。何を要求しても従うのかと確認され、カルナは首肯したのだから、今更撤回することはできなかった。
     そういうわけで、カルナは宛がわれたこの家で、アルジュナに日々世話を焼かれている。
    『アルジュナよ、掃除ならオレが』
    『いえ、カルナは座っていてください。病み上がりでしょう』
    『問題ない。なら昼食の仕度を』
    『もう下準備はできていますから、気にしないでください』
    『……傷はもう塞がっている。義肢も問題なく動く。掃除も炊事も不要なら、オレは洗濯を』
    『いいえ、私がやりますので』
     万事、この調子だ。一切の家事をさせてもらえない。
     最初は、経験の無さを不安がられているのだろうかと考えた。確かにあの企業に囲われている間、家事などしたことはなかったが、脳のネットワークチップでやり方は全て調べてあるから何の問題も無い。そう伝えても、アルジュナは頑として首を振った。
    『ダメです。カルナ、全部私にさせてください』
     そういう約束だろうと、有無を言わせなかった。それを言われてしまっては弱いので、結局カルナは黙る。
     だが落ち着かない。
    「……アルジュナよ。オレも少しは働かないと、身体が鈍ってしまう」
    「適度に筋トレでもしていれば問題ないでしょう」
    「……している」
    「よろしい」
     何故そこまで頑ななのか、カルナには分からない。カルナとしては、匿われた身で何もしないというのは気が引ける。しかしどう言っても毎度断られるので、結局は諦めてソファに身体を沈めるのが常だ。……極めて不服ではあるが。
     不服ではある。世話をされるためにここに居る、という生き物を何と言うのか、カルナは知っている。ペットだ。カルナは愛玩動物ではない。そのように扱われるのは不愉快だった。
     ただ、カルナの世話を焼くアルジュナが、穏やかな顔をしているので。帰宅時、彼の目元に色濃く残る疲れが、こんなことで解消されるのなら。彼の顔を見ると、カルナとしても文句を飲み込んでしまうのだった。
     そしてもうひとつの困りごとは。
    「カルナ、食事が終わったらメンテナンスをしましょう」
    「いつも言っているが、自分でできる」
    「駄目です」
     こちらも原因は、やはりアルジュナが何もさせてくれないということにある。



    「大体、やりづらいでしょう。私がやった方が早いですし、ちゃんと整備できます」
    「しかしだな……」
     週に一度、アルジュナはカルナの手足をメンテナンスする。別にメンテナンスくらい、カルナは自分でできる。ただここに来た当初、まだ腹の傷が痛んでいた頃にアルジュナの助けを借りて、完治した今となってもそれが続いているだけだ。
     もう助けは要らないと、何度言ってもアルジュナは聞かない。
    「ほら座って。まず右足から行きますね」
    「だがアルジュナ、オレは」
    「いいから」
     ム、とした顔で、アルジュナはカルナを椅子に無理矢理座らせる。その顔がどうも幼げで、成人間近の男性には相応しくないとは知りつつ、ついカルナは可愛いと思ってしまう。いつもそれが敗因になる。見蕩れた一瞬の隙を突いて、アルジュナは義足の留め具を弾いた。
     ガチャ、と音を立てて足が外される。瞬間、足の神経が断絶し、軽い眩暈が起こった。
    「う……」
    「大丈夫ですか?」
     僅かに俯いたカルナの顔を、アルジュナが覗き込む。黒い瞳がこちらを見ている。そしてカルナは、今日も弟への敗北を知るのだ。
    「……不服だ」
    「はいはい」
     軽くいなされて眉を顰めるが、アルジュナはどこ吹く風だ。取り外した足を脇に置き、義足の接続部を掃除する。密閉性は高いが、それでも細かな汚れが付くので、それを布で拭き落としていくのだ。特に、神経接続部は慎重に、丁寧に。
    「んっ」
     咄嗟にカルナは唇を噛んだ。身構えてはいたが、慣れるものではない。むき出しになった神経を、柔らかな布で撫でられる感触。
     物心ついたときから定期的にメンテナンスは行ってきた。だからこの奇妙な感覚も、慣れ親しんだものではある。自分で掃除する分にはの話だが。
     うんと幼い頃は研究員が整備していた筈だが、もうカルナはその頃を覚えていない。だから実質、手足の整備を他人に委ねるのは、初めてのようなものだった。
    「ふ……、ぅ」
     痛くはない。辛いわけでもない。アルジュナも本社で研究職に就いていただけはあって、整備はカルナ本人がやるより完璧だ。任せて悪いことは無いはずなのだが。
     その、神経接続部に触れられる感覚だけは、駄目だった。
     布が撫でる度に声が漏れかける。必死で口を噤んでいると、アルジュナの手が離れていってほっとした。少しの間息を吐く。この感覚を言い表す言葉をカルナは知らない。知らないが、どちらにせよ口に出すのは憚られるものだと、何故か直感していた。
    「く、う……」
    「もう少し、我慢して下さいね」
     頷く。上擦った声を出さないのに精一杯で、返事はできなかった。グリスが塗られ、拍子にときどき、布が神経を掠めた。身体がひくつく。
     耐え難い。しかしカルナは、自分の中に生まれたこの感覚を、どうにも処理できないでいた。二十数年生きてきて、初めて味わう未知の衝撃。止めて欲しい、と思いながら、もっと触れて欲しいという欲求を感じてもいた。自分が理解できない。
     遠い昔に身体から切り離された何かが、疼くような。いつだったか身体に埋め込まれたものが、何かを求めているような。
    「ぁ、ん……っ」
     目元と、腹の底に熱が溜まる。ぎゅっと拳を握りしめた。
     アルジュナはカルナの弟である。彼は甲斐甲斐しく兄の世話をしているだけなのだ。だからこれは、この衝動は、秘して隠して、表に出してはいけないものだ。手を伸ばしてはいけない。
    「はい、右足は終わりです」
    「あう……!」
     ガシャンと足をはめ込まれ、カルナの身体が跳ねた。太ももを起点にして、全身に電気が駆け巡るような衝撃が走る。一瞬、頭の中が白くなった。びくびくと余韻が続く。
     はあ、と深く息を吐き出した。視界がちらちらする。顔が熱くて、全身が脱力していた。倦怠感が襲う。
    「大丈夫ですか? まだ三本ありますが」
    「き、気遣いは、不要だ」
     強がりだった。否、求めていたのかも知れない。アルジュナに整備されるのは不服ではあったが、決して、嫌いではないのだ。
     褐色の指先が伸ばされて、目元に滲んだ涙滴を拭っていった。
     こんな風に自分に触れる人間は初めてだと、ふと気付いた。
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