夢と現の狭間で ぼんやりとした意識の中、聞こえてくるのは誰かに呼ばれる声だ。
「シャスティル……」
ああ、大好きなお兄様だ。
いつも頼りになって、守ってくれて、シャスティルのお手本になってくれる優しいお兄様だ。
「そんなに急いで走ったらまた転んでしまうよ」
「大丈夫! 転んだりしな……ひゃぶっ!?」
「ああっ、もうそんなに急ぐから……」
転んだりしない……と言おうとした矢先に転ぶ自分にも悲しくなるけど、何故か兄の姿を見たら胸がいっぱいになったのだ。
「もう……大丈夫か?」
兄様は心配しながら近づいてくる。転んだ時はいつも手をさしのばしてくれるのだ。
「うん……大丈夫」
手を兄様の方へ伸ばすといつものように手を繋いでくれる、大きくて暖かい手だ。
「そうだ、先程ヴァリヤッカ殿からクッキーを頂いたのだ。リビングで一緒に食べよう」
「うん!」
手を繋いで一緒に歩いていく。美味しいクッキーも好きだけど、こうして兄様と手を繋いで歩く時間は大好きだ!
「楽しそうだな」
「うん!」
だってお兄様が一緒だもん。大きくなったらお兄様のお嫁さんになりたいくらい大好きだ!
ずっとこうしていられたらいいのに。
……あれ? ならどうして最近はこうしていなかったんだっけ……?
「魔王との衝突で生き残れたのはヴァリヤッカ殿だけだったそうだ」
「彼の書く絵は本当に魅力的だったのに……本当に惜しい人を亡くした」
「シュルヴェステル殿はリルクヴィスト家の立て直しを期待されてたのだが……」
あぁ、そうか。兄はもう……
「あとあの家の子供は12歳位の娘だけだろう?」
「はっ、没落貴族らしく身分を弁えるんだな」
家族を失い、哀しみにくれている自分達を見下すような言動……あんな人達なんか絶対に兄様の足元にすら及ばないはずなのに……!
軽蔑したくなるような言葉の数々。きっと、こういった嫌味からもシャスティルを遠ざけてくれてたのだろう。
「兄様……もう守ってくれないんだ……」
父も他界しているからリルクヴィスト家の子供は自分だけだ。これからは兄の分まで自分が頑張らないといけないのだ。
これ以上母を悲しませるわけにはいかない。あの優しい手に頭を撫でてもらえなくても……もう誰かに守ってもらえなくとも……
「あ……」
幻、だろうか? お墓から伸びる影は人の形をしているように見え、その手はシャスティルの頭を優しく撫でてくれる。
「何があっても守るから」
頑張った時は頭を撫でてくれた優しい手。幻だとしても兄様が見守ってくれるならなんとかなる気がする。
「うん……私、頑張るよ」
「……無理せず程々にな」
兄のように誰かを守れるように。自分の手の届くところにあるものは救えるように。
けれど自分は未熟で、顔剥ぎの件で何人もの仲間を失ってしまい、自分自身も危うく悲惨な末路を辿るところだった。
その後、新しく補充要因としてつけてもらった三騎士たちには初対面で「娘同然に愛でるのも我らの義務」など言われ遊ばれている気もしたけど……
それでもそんなやり取りのお陰で立ち直れた気もするし本当に尽くしてくれる。彼らを守れるように努力しなくては。
そう思い自分なりに精一杯やってきた。けれど必ずしも努力や想いは認められるわけじゃない。
思い悩んでいる時、教会へ戻ると準備されていたのは紅茶だ。誰かの優しさというものは本当に救われる。
疑うことなく口をつけて……
「っ!?」
……思い出した。そうだ、これはただの紅茶なんかじゃない!
「毒が……入って……」
自分を疎ましく思う者から盛られたのだ。それも信じていた者から……
一所懸命やってきただけなのに……ただほんの少しだけ自分の心に正直になっただけなのに……
「たすけ……て……」
段々寒気が増して、呼吸も辛くなってくる。裏切られた事も相まって、思わず誰かに縋りたくなるほど辛くて……
「……絶対助けるから」
誰だろう? 魔術師にも教会にも疎まれている自分にそんな声をかけてくれるのは。
なんだか温かい……? まるで毒で冷えた身体を温めてくれているようで……
優しさというものに温度があるとすればこんな感じなのだろうか……
「ま、てめえひとりで苦労したって世の中変わりゃしねえよ。使えるもんはなんでも使うんだな」
そうか……自分にも頼れば助けてくれる人達はいるんだ。彼も悪態はつくけれど依頼と関係ないところまで助けてくれて……
「人に頼れと言っておきながら自分が他人を頼れないのでは本末転倒だったな」
「分かってんならもう少しぐらい頼れよ。そうすりゃ、てめえの不味い紅茶よりはマシなもん入れてやるぜ?」
労いのつもりだったけど、こうして紅茶を飲む時間は割と気に入っている。
共生派なんて自分に背負えるのか分からないけれど、魔術師と手を取り合える未来というものは、きっと素敵な事だと思うから。
「全く……不味いと言いながら最後まで飲んでるじゃないか」
それに彼だけではなく、レイチェルも陰ながら支えてくれていて、そんな彼女は休みの日には兄と楽しそうに過ごしている。
その光景は眩しくて……自分は失ってしまったけど、今度こそ守りたい。ひとりでは大変でも誰かの手を借りればきっと守れるはずだ。
「兄、か……」
優しくて、頼りになって、シャスティルを守ってくれて……
「兄様……駄目だな泣いていては……兄のように私も頑張らないと……」
「別にいいんじゃねえの? 自分が頼れないようじゃ駄目なんだろ? なら一人で我慢すんなよ」
「バルバロス……?」
「別に背中くらいなら貸してやる……今は誰もいねえし、俺も背中に目はついてねえ。お前が何しようと咎める奴なんていねえよ」
「……うん」
少しだけ……甘えてもいいだろうか?
バルバロスの背中に縋ると、堪えていた涙は堰を切ったように溢れ出す。
思わずマントを握りしめてしまったけれど、それでも彼は何も言わず、知らないフリを続けてくれる。
普段は悪態ばかりなのに、本当に時々だけど優しくしてくれて、有事の際には命懸けで守ってくれて……
どれくらいそうしていただろうか?涙はおさまり、気持ちもスッキリしている。
「もう大丈夫だ、ありがとうバルバロス」
「……もうちっとぐれえ普段から素直になったってバチは当たらないぜ?」
「素直……」
今なら、言えるだろうか……
「……好きだよ、バルバロス」
言えなかった想いを伝える。彼はどう思ったのだろうか……何も言い返してこないけど、何となく慌てているような気もする。
そんなバルバロスの表情を確認しようと思い、顔をあげて――
「ん……」
ぼんやりとした意識は徐々に覚醒する。
もう朝か。先程まで何か夢を見ていた気がするけどどんな夢だったのだろうか? 普段は覚えていない夢などそんなに気にはならないけど……
「……?」
なんだか片手が温かい気もする。もしかしたら身体の下敷きにでもなっていたのだろうか?
でも何故か真っ先に頭に浮かんだのは優しく握ってもらったイメージで……もしかしたらそんな夢だったのだろうか?
いや、もしかしたら本当に……?
そう考えて……瞬時に思考を振り切る。流石にそれは願望の……いやいや! そんな事思ってないわけじゃないというか、なくもないというか……
なんとなく恥ずかしくなり顔を覆い隠して……気づいた。その頬は濡れていることに。
「あれ……? 私、泣いてたのか……?」
もうどんな夢だったかよく思い出せないけど……でも誰かに寄り添ってもらった気も……?
――頼れよ――
……確かめるすべはない。本人に聞くなんてそれこそ恥ずかしいし、聞いたところで答えを教えてくれるとも限らないのだから。
「……さて、今日も頑張らないとな」
なら、どちらだとしても変わらない。この恋心を抱えながら今日も一日自分に出来ることをするだけだ。
―――――――――――――――――――――
誰もが寝静まる夜中、シャスティルの眠る部屋に入り風邪をひかないように布団を掛け直してやる。いつもの事でもう慣れたものだ。
「ん……」
シャスティルの寝言は多い方で、聞いていて飽きない。もちろんわざわざ聞き耳を立てている訳では……ないと……思う……多分。
「にいさま……」
今日は兄の夢だろうか……そういやこいつの兄はシアカーンに殺されたんだっけか……
「んー……ころんだりしな……ひゃっ!」
「っ!?」
こいつ……今絶対転んだよな? 夢の中でもポンコツやらかしてんのかよ。
「ったく……大丈夫か……?」
その声に反応するように手を差し出してくる。もちろん偶然だとは思うけど、なんだか何かを求められている気がして……
その手にそっと自分の手を重ねれば優しく握りこまれる。
「っ……」
これ、どうすりゃいい?
一瞬慌てるものの、握っているシャスティルの表情はなんだか幸せそうで……
別に外すくらい何時でも出来る。せっかく良さそうな夢を見ているのだから片手くらいもう少し貸していてもいいだろう。
「楽しそうだな」
「うん……」
返事のようなものをしたと同時にその顔はふにゃりと緩む。全くどんな夢を見ているやら。
けど、しばらくすると幸せそうにしていたのも何だか変化してくる。
「にいさま……もうまもってくれない……」
ああ、そうか。今度は死別した後なのか……
先程まで幸せそうだった分、別れはやはり辛いものだったのかもしれない。
自分は親しい者の死を悲しんた事などない。魔術師の感性では理解してやれないことかもしれないけど……
……でも、もしシャスティルと死別したら?
もちろん死なせるつもりなんてない、けど……もしそうなったら今まで死んでいった奴らと同じように振る舞える気はしない。
それに頼れる者、心を許した者との別れは辛いだろうし心細くもなるものだ……何故そう思うのかはわからないけど。
そっとシャスティルの頭を撫でてやる。少しでも辛い気持ちが和らぐことを願って……
「何があっても守るから」
そいつの分まで俺が守りきってみせるから。
「わたし、がんばる……」
「……無理せず程々にな」
少しは落ち着いて来たのだろうか。泣き出しそうな雰囲気ではない……とは思う。
出来れば悲しむ夢よりも幸せそうな夢を見ていて欲しいものだけど……あいにく自分の魔術ではそんなものに干渉などできない。
「どく……が……」
「っ!?」
「たすけ……て……」
今度は毒を飲んだ時の状況を思い出してしまったのだろう。寒気もあるのか身体は震えている。
幸せそうな夢を願ってこれなのだから、自分は神とやらにでも嫌われているのだろう。
まあ魔術師なんて冒涜を犯し続けているような存在だろうからそんなやつの願いを聞く神などいないかもしれないけど。
だからそんな奴をあてにしたりしない。
「絶対助けるから」
夢だから実際に毒はなく治療なんて出来ないけれど、それでも苦しむシャスティルを見ているだけなど論外だ。
すぐ火の精霊を呼び出して部屋を暖める。気休めでしかないかもしれないけど、少しでも楽になれば……
あの時抱えていた身体は、心拍は異様に高いのに徐々に体温は下がっていき……あんなもの二度と飲ませるつもりはない。
これ以上魘されるなら一度起こそうかと思ったけど少しずつ落ち着いてくる。もう少し様子をみても大丈夫だろうか?
「ん……たよれ……ないの、ほんまつてんと……」
どうやら毒はもう大丈夫のようだ。呼び出していた火の精霊を戻す。
「……分かってんならもう少しぐらい頼れよ」
その際必ず悪態をついてしまうだろうけど、シャスティルの頼みなら己を蔑ろにしないものなら聞いてやっても構わないのに。
「まったく……のんでる、じゃないか……」
そう言うシャスティルの寝顔は穏やかなものだ。このまま良い夢だけ続けばいいのだが……
「にいさま……だめ……ないて、は……」
また兄を思い出しているようだ。シャスティルにとって本当に大切な存在だったのだろう。
「別にいいんじゃねえの? 自分が頼れないようじゃ駄目なんだろ? なら一人で我慢すんなよ」
「バルバロス……」
名前を呼ばれた。夢の中に俺がいるのか?
「……別に背中くらいなら貸してやる……今は誰もいねえし、俺も背中に目はついてねえ。お前が何しようが咎める奴なんていねえよ」
だから頼れよ、夢でも現実でも。
それくらい、いくらでもしてやるから。
「……うん」
繋いだままの手を握りしめながら静かに泣き始める。先程名前を呼んでくれたけど、夢の中の俺はこいつを助けられたのだろうか……?
「ったく……もうちっとぐれえ普段から素直になったってバチは当たらないぜ?」
ちゃんと見ててやらねえと、こいつは自分だけの問題だと思ったら一人で抱え込もうとするのだから。
「……好きだよ、バルバロス」
「っっっ!?」
突然言われた言葉に心臓は飛び跳ねる。
どうして今の言葉になった!? 今まで泣いていたはずだけど一体どんな夢を見ている?
そもそも今のはどういう意味だっ? その好きにはどういう意味が込められている!?
もしかすると……自分と同じ意味なのだろうか……いや、そもそも自分の気持ちだってちゃんと向き合えていないのだ。
「ん……」
シャスティルは身じろぎをし、握っていない方の手で目を擦り始める。ヤバい、これは起きる前触れだ!
すぐさま手を離し影を広げて煉獄へと戻る。
気づかれていない……よな? 寝言は気になるけどそもそも夢を覚えているかどうか……自分から聞きに行くのは高リスクだ。
いや、咄嗟に煉獄の中へ逃げてしまったけど自分は何でこんなに慌てているのだろうか。
やましい事は何もしていない……はずだ。ただいつものように布団をかけ直して、そのあと少し手を握ったり頭を撫でたり……
……やっぱりバレたらまずい。
『あれ……? 私、泣いてたのか……?』
どうやら夢は覚えていないらしい。
なら普段と何ら変わらない。
――好きだよ――
『……さて、今日も頑張らないとな』
自分の心境は関係ない。今日も一日このポンコツを守り通すだけだ。