深夜のお茶会お茶会のお菓子に手軽なクッキーと、それからスコーンも欠かせない。キッチン担当のサーヴァントによると、焼いておけばその日のうちにはけてしまうらしい。しかしながら、彼らとて手が回り切らない時もある。必要な時に簡単な調理で食べられるお菓子の生地を大量にまとめて作って冷凍庫に入れている、というのルーラーのモリアーティが知ったのはついこの間のことだ。
「クッキーと、スコーンの生地があるのかい?」
「ああ、そのあたりなら機械でまとめて作りやすいからな」パイ生地もあるぞ、と普段は赤い服の弓兵が言う。今は赤い服は脱いで、エプロン姿だが。
「もしかして、その調理って僕にもできたりするのかな?」
好奇心旺盛な若者が黒い眼をキラキラさせるのを見て、弓兵は快く紙とペンを取りメモを書いてくれた。
一度ひとりで作ってみて、完璧にできると分かってから誘うつもりだったのだ。
紅茶に焼き立てのスコーン! 老齢の自分が紅茶を淹れてくれることもあるのだが、自分だってそれぐらいはできるのだと。さらに美味しいお茶菓子を添えてもっとできるのだと見せつけてやろうと思ったのに、いつの間にか若者が行うお茶会のもてなし役の練習を教授が見ていてあげよう、なんて話になっていた。
こんな夜中に、いきなりの本番である。練習なんかであるものか、数学の話では散々やり込められてる屈辱が蘇ってくる。数学は関係ない娯楽でも教授風吹かせるつもりだろうか…と、モリアーティがちらりと横目で老齢の方の自分を見る。
「ティーセットは好きなのを自分で取ればいい」
「そういうところもホストが気を配るものだよ、若輩者は知らなかったカナ?」
「うぐ……そうなのか? ホスト、か…」
その立場が高そうな言葉に少し機嫌を良くした若いモリアーティである。調子よく自分から準備を始めた。もらったメモ書き通りにオーブンを200℃に温め、6個の冷凍生地を天板に乗せて焼き始めた。
「では、ホストはお客様の好みを把握していなければならないね?」
「クロテッドクリームに苺ジャム、そこは定番で構わないヨ」
何を添える?との問いに、教授はテーブルに肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せたままで答えた。整えられた髭の陰でうっすらと笑みを浮かべているのが見て取れる。その笑みの意味をどう捉えていいのか、少し戸惑いながらモリアーティは紅茶用にお湯を沸かし始めた。あまり紅茶を淹れた経験はないけれど、知識はある。
「先にポットを温めるんだったね」
「そうそう」
「お湯は沸騰したて……コレ、どの段階が沸騰したてなのかな?」
「先に茶葉をすぐ入れられるようにしておきたまえヨ」
慣れない様子でお茶の準備をする様子に、年長者はついつい口を出してしまう。偉そう、というより世話を焼かれているような雰囲気を感じて若いモリアーティの緊張も取れてきた。
口出しに「分かった」と素直に答えたのは第一再臨の彼という理由もあるだろう。もたつきながらも紅茶を淹れ、ジャムやクリームを用意していると、チンっとオーブンが香ばしい香りと共に彼を呼んだ。
「ワアァ!これは凄いぞ!」
あんなに小さかったスコーン生地がすっかり縦に開いて、膨らんで大きくなっている。その様子に普段から高いテンションをもっと上げたモリアーティは、紙を敷いた皿にスコーンを並べた。
「流石にここまでの焼きたてはなかなかお目に掛かれないヨ。美味しそうだネェ」
今度こそ若いモリアーティにも分かる、楽しそうに笑んでいる教授に釣られて彼もますます得意げになる。
「しかし、少し多いカナ…?」その通り、どのぐらい膨らむのかが分からないので少し多めに焼いていたのだ。
「ひとり2こで十分だったかな」
「なら、もう一人呼んでくればいい。例えばマスターくんを夜更かしさせて、クリームたっぷりのスコーンを食べるという悪の道に引きずり込む良い機会じゃないカネ?」
「それはなかなか」
いつの間にやらここ、カルデアでは夜更かしと夜食がマスターの悪事の代表のように言われているのだ。バレると医療班に怒られる、という形で罪を償わなくてはならない。逆に言うと、あの善良なマスターが行える悪事というとそれぐらいしか見当たらないということになるのだが。
にやり、とお互いに笑いあって焼きたてのスコーンが冷める前に早速、と行動に移そうとした瞬間、ソレは訪れた。
「随分美味な香りがするものでね、悪だくみをしているのではないかと来てみれば…まさに、といったところか」
「ゲェ!ホームズ!!」
「うわぁ…」
二者二様にイヤ~な顔をしているのにも構わず、名探偵は空いた席に当たり前のように腰かけた。
「では、私の分の紅茶も淹れてもらおう」
「呼んでねーヨ!! お前に飲ませる紅茶は無ェ!!!」
「老齢の僕……そのギャグどっかで聞いたことある」
大人げなく騒ぐもう一人の自分に呆れて、もうあきらめた若いモリアーティがティーセットを用意した。おかわりするつもりでポットは大きいものを使ったから量は問題ないだろう。皿にクリームとジャム、スコーンを二つ乗せてホームズの前に置く。
「こんなヤツまでもてなすのかネ? 随分寛大なホストだね若い私は!」
主催は邪魔なゲストをたたき出す権利だってあるんだからネ!なんて、口髭まで生やした立派な老紳士のはずが片ひじを付いて唇を尖らせ、子供のようにむくれている。
「みっともないから拗ねるな。どうせ大人しく帰るわけがないし、面倒なところに告げ口する材料にされたんじゃたまらない。だったら精々もてなして終わらせる方が得策では?」
「おや、今夜は若い教授の方が物分かりが良いじゃないか」
ホームズからの珍しい誉め言葉に若いモリアーティが胸を張る。
「こんな大人にならないのを目標にしているからね!」
「なるほど、それは同意見だよ。がんばりたまえ」
「そこ! なに共感しあってんの!!」
急に精神年齢が逆転したような老若モリアーティの様子に「興味深いね」と呟いて、ホームズはまだ十分に温かいスコーンを割った。ふんわりと湯気が上がり、焼きたての香りが広がる。
その香りにつられて他愛のない口喧嘩は収まり、それぞれにスコーンや紅茶を口にする。
「……美味しいヨ」「本当? 紅茶は?」
「紅茶はまだまだカナ」「くっそー! また練習しておく」
「君ねェ、私にリベンジしたい事多すぎじゃない?」
数学に、チェスに……と指折り数える教授と、食い下がる若いモリアーティ。
たまに一言を挟むホームズがまた余計に場を乱す。
夜中とは思えない騒がしいお茶会が、成功したのかどうかは……これだけの頭脳がそろっていても、どうにも判断が付かないのだった。
Raishi 20230716,