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    うたこ

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    うたこ

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    にーちぇさん(@chocogl_n)主催の合同誌に載せていただいた、ディアエンのダンシャロです。
    エンブレムの最後は悲劇的な結末になることが確定しているので、互いを思う二人に幸せな時間がありますようにと思い書きました。書いたのが8月でGAの発表もまだだったので、今開催中のイベントとは雰囲気が異なるかもしれないです。

    インターリフレクション 白く清潔なテーブルの上に置かれたマグカップから、フルーツの香りが漂う湯気がふわっと湧いた。ほのかに異国のスパイスの匂いも後から追いかけてくる。
    「先生、ヴァンショーです。あったまりますよ?」
     この香りは昔、嗅いだことがある。
     何百年も前の風景、ガス灯や石畳の町並みが一瞬だけ脳裏に浮かんだ。へにゃっとした緊張感の無い少年の笑い顔と一緒に。
     懐古趣味なんてらしくねぇなぁ。
     頭に浮かんだ人物と風景を追い払ってマグカップに口を付ける。
     甘い。
     ヴァンショーは葡萄酒に柑橘系の果物とスパイスを加えて煮るのが一般的だが、出されたものには甘いベリーがたっぷりと入っていた。この医療都市にそびえ立つパンデモニウム総合病院には、もちろんしっかり空調が完備されている。真冬の今も建物内に居る限り、さほど寒さは感じない。大昔、隙間風の入り込む部屋で飲んだヴァンショーとはありがたみが随分違う。
     だからだろうか、少し物足りない。
     いや、違うな。ひと味足りない。
     妙にあの頃の事を思い出すのはあの顔のせいだ。医院長のバエルが送り込んできた新人研修医は、悪魔王ソロモンと同じ顔をしている。ご大層なそっくりさんがいる当人は、小柄な身体に比べると大きめの白衣を着て、それをぱたぱたとはためかせながらバックヤードから別のマグカップを運んでいる。看護師のフェリスの分だろう。
    「こりゃ、アルコールが全部飛んじまってるじゃねぇか」
    「当たり前ですよ! 休憩時間とは言っても勤務時間内なんですから。アルコールはきっちり飛ばしました」
     研修医のお堅いド正論での反論を右から左に聞き流しながら、もう一口温かな飲み物を口に含んで、窓の外を見る。地上の様子は大分変わったが、上空の様子はあの頃と同じ。
     遙か昔、ヴァンショーを飲んだ日も、重い雲が空を覆っていた。



     新しい本がそろそろ馴染みの書店に入っている頃だろう。今しがた読み終えた本を閉じ、外に出ようとドアを開けると居候のシャロームが「あ!」と声をあげた。
    「ダンさん。お出かけですか?」
    「あぁ。本を取りに行く」
    「ついていって良いですか?」
     いつも緊張感のない顔をしているが、今日はそれに輪を掛けて緩んだ顔をしている。
    「好きにしろ」
    「はい! 好きにします」
     ダンタリオンのそっけない返事にふふふ、という小さな笑い声を漏らしながら、シャロームが隣に駆けてきて、歩調を合わせる。季節は冬だ。空気は澄んでいるが、風は冷たい。見上げれば重苦しい灰色の雲が空を覆っている。
    「降りそうだな」
     普通なら、朝から昼間に向かって気温は上がっていくものなのに、むしろ朝より寒い気がする。できれば、降り出す前に家に帰り着きたいところだ。
    「ちょうど良かったかも」
     ダンタリオンの考えとは逆にシャロームは、雪が降る方が嬉しいらしい。凍った道を転ばずに歩けるほど器用でもないくせに。
    「何がだ」
    「……えーっと……秘密です」
     しまりのない笑顔を浮かべる少年にダンタリオンはため息をつく。
     この少年、嘘もつけなければ、隠し事もできない性分。それでお人好しときているから、あっちこっちでシャロームは欺されてばかりいる。ここ悪魔都市バビロンは、日夜魔神達が最強の座を狙って争いを繰り広げている。力なき人間は、ある日突然理不尽に命を奪われたりするような場所だ。そんな場所には、元々の住処を追われるような、過去を尋ねられたくない脛に傷のある輩が集まってきてしまう。他の場所より、この都市は善人は住みづらい。それなのに、シャロームは出会った頃と同じままだ。変わらず単純ですぐに人を信用してしまう。
     書店で頼んで置いた本を受け取って、さらに新しく入った本も包んでもらっている間に、シャロームは市場で夕飯の買い出しを済ませてきていた。なにやら酒瓶のような物も入っている。息をきらせているところを見ると、大急ぎでいろいろな店をまわってきたようだ。
    「ダンさん! 見てください。このお野菜、おまけしてもらったんですよ!」
     嬉しそうに食料の入った袋を抱きしめている。
     この市場に初めて来た時には、ぼったくられそうになっていたというのに。
    「僕が食べたことが無いって言ったら、少しだけあげるから試しに食べてみなって。スープに入れると美味しいそうです」
    「香りが特徴の葉菜だ。原産国は北の方にある」
    「そうなんだ。確かに良い香りが……ダンさんは本当に物知りですね。早速夕飯に入れてみます」
     ダンタリオンと少年が、買い出しに一緒に出かけることもある。最初は家事はやるというから店を案内しただけ。その後は出かけるダンタリオンにシャロームが付いてくるからだ。人外の存在の圧が伝わるのか、見てくれがいかついからなのか。最初、流れ者のシャロームに法外な値段をふっかけていた店主達も、少年の背後に立つダンタリオンを見るとすぐに真っ当な価格を提示してきた。あの時も、事情が理解できていないのか随分安く買えて良かったですね、とシャロームはヘラヘラと笑顔を浮かべて居た。
     そんなことがあったのに近頃は随分気安くなったものだ。最近はシャローム一人で買い出しに出ても、不当な値段で食材を売りつけられることはなくなった。それどころか値段以上の食材を持って帰ってくる。
     ダンタリオンが叡智の魔神としての力を持っていた頃は、崇高ともいえる願いを持った人間に知恵を分け与ていた。その知恵により人間の善性が光を失っていくのも散々見てきた。シャロームを側に置いているのだって、その善人面の化けの皮が剥がれるところを見てやろうという気持ちからだ。
     しかし、今見ているのは、自分の想像していたのと逆の光景。
     善性なんて持ち合わせて居なさそうだった八百屋の店主はいつの間にかシャロームと挨拶を交わし、笑顔で雑談をして外国産の葉菜をおまけして、知識を与えている。少年の無知をあざ笑い、財をかすめ取ろうとしていたのはつい先日だというのに。
     あの店主が善人に変わったということはない。欺しやすそうな人間がフラフラ近づいてきたらまた同じ事をするだろう。毎日通ってくる馬鹿正直な少年に情でも湧いたか。根っから腐っていたわけでも無いということだ。あの男は、善人では無いが、悪人というほどでもなかった。
    「あと、酒屋さんに旅人さんが来ていて」
    「旅人?」
    「はい! あちらこちらの国を見て回っているそうです」
    「酔狂だな。こんな都市に」
     ここが危険な場所だということくらい近隣諸国には知れ渡っているだろうに。
    「知らない国があるまま死ぬのが嫌なんだって言ってました。だからどこにでも行ってみたいって。なんかかっこいいですよね」
     その好奇心には感心するが、酔狂なことに変わりは無い。好奇心は猫を殺すという言葉もある。
    「で、その人に、この瓶のお酒を一杯分けてあげたんです。ぼくはこんなに要らないから」
     抱えている買い物袋から飛び出ている酒瓶を、シャロームがちょんと指の先で叩いてから空いている方の手をポケットに入れる。
    「そうしたら、お礼にって、これをもらいました。凄いキラキラしてて綺麗なんですよ」
     ポケットから出てきた手に乗っているのは、複雑な形にカットされて様々な色の光を放つ透明な石だ。細い鎖が付いている。
    「ワイン一杯に対しては随分な礼ではあるが、高価なものではない」
     シャロームの手から、それを取り上げて眺めてみる。
    「ここからは随分遠い国の、お守りのようなものだ」
     バビロンよりもはるか北の国、冬の間はほとんど太陽が雲に隠れている国で少しでも日の光を部屋の中に入れようと考え出された品で、魔除けのお守りとして重宝されている。窓辺に飾るものだが、魔神の家に魔除けを飾るというのもおかしなものだ。町に現れる下等悪魔だってこんなものの光に怖じ気づきはしない程度のものだが。
    「ただのガラス玉だ」
    「ガラス? こんなにキラキラしているのに?」
     シャロームが驚いた声をあげて、ガラス玉を見る。太陽は雲に隠れているが、七色の光を放っていた。少年にガラス玉を返すと、口を開けたまま、その光に劣らないくらい瞳を輝かせてガラス玉をくるくると回して眺めている。
     もうじき雪が降り出しそうだというのに。
     ため息をついてから、いつまででもガラス玉を眺めていそうなシャロームを置いて歩き出すと、慌てたような待ってくださーいという声と軽い足音が近づいてきた。
    「日の光が当たるところだったら、もっと光が……」
     そう言いかけて後ろからついてきているだろう少年の方を振り返ると、ガラス玉に気を取られていたのか、横の道から飛び出してきた少女とシャロームがぶつかっていた。とん、という軽い音がした程度で、双方、転ぶこともなく怪我もしていない。
    「ごめんなさい。大丈夫?」
     慌ててガラスをポケットにしまってそう聞くシャロームに、平気、とだけ告げて少女が去って行った。慌てふためくシャロームと対照的に、彼女には人とぶつかったことに対する狼狽は微塵も無かった。申し訳なく思う様子も、憤りを感じている様子も無かった。それでいて逃げるように、隙もなく消え去った。全部、予定されていた行動のように。
     あれは、間違いなくスリだ。
     人を疑うことを知らないシャロームは当然気付いておらず、あの子、大丈夫だったかな、と心配そうに少女が消えた方を見ている。
     この魔都市のど真ん中で、間抜け面ででかい荷物を抱えていれば狙ってくれと言っているようなものだ。財布ではなく、買った品の何かを盗られた様子だったので、被害は少ない。だったら早く帰るのを優先させた方がいい。気温も大分低くなってきた。
    「……あ!」
     少女の消えた方を見ていたシャロームが小さく声を上げた。
     今度は何だ、とそちらを見ると火球のようなものが飛来してくるのが見える。どこかで魔神達が戦闘を始めたらしい。その流れ弾だろう。下級悪魔に飛ばせるような類の攻撃ではない。とはいえ、この程度、バビロンでは日常だ。
     このままだと、あれは市場突っ込むだろうか。
     幸いなことに戦いは遠い場所で起こっているようで魔神の気配は感じない。
     ちょうど良い、さっさと退散すればいいだけの……。
    「ダンさん、これを持っていてください!」
     放っておけ、と言ったところで少年は聞かないだろう。たいした魔法も使えないくせに。
     買い込んだ荷物をダンタリオンに押しつけると、シャロームは魔導書を抱えて火球の飛んでくる方、今出てきたばかりの市場に走って行く。
    「まったく……」
     いくら流れ弾でも、魔神の攻撃だ。
     ぶつかれば人間は普通に死ぬ。
     走って行くシャロームのポケットから、何かが光りながら転がり落ちるのが見えた。先ほどもらったガラス玉だ。
     気に入っていた様子だったのに。無くしたことに気付いたら残念がるだろう。
     落ちているガラス玉を拾い上げて、大きなため息をつくとダンタリオンは、よく知りもしない第三者を助けるために飛び出していった少年の背中を仕方なく追いかける。
    「ガラスか……」
     成る程。これを使えば力を無くした魔神と半人前の魔道士でもなんとか流れ弾を防ぐことくらいできるだろう。

     ガラスというのは人類が見つけた叡智の中でも群を抜いて優秀なものだ。
     材料は透明な砂粒で珍しいものでもなんでもないのに、溶かして自由な形を作ることができる。その上、どんな強力な魔法薬を入れても変質することはない。固い金属でも溶かしてしまうような魔法薬でも、だ。ちょっと力を加えたら壊れてしまうのは難点ではあるものの、再生は容易で溶かして同じ物を作ることができる。
    「シャローム!」
     大声を出すと、少年が振り返る。
     数字を二つ告げるとシャロームは笑顔を見せて、本を広げた。
    「二段階で詠唱を行う。できるか?」
    「一度に魔法を二つ使うということですか?」
    「そうだ」
    「やってみます!」
     少し不安そうな様子を残しながら、それでも意を決したようにシャロームが空を睨む。市場の人間達が心配そうに出てきておろおろと彼らも同様に空を見る。視界の隅に、さきほどのスリの少女の姿も見えた。
     シャロームの詠唱と共に、巨大な鳥が現れ、その翼で市場全体を守るように囲んだ。守る範囲が広い分、薄く壊れやすいシールドだ。飛んできた火球がシールドに当たった瞬間、パリン、という音を立ててあっけなく砕け散った。きりぎり火球は消えたが、砕けたシールドが、プリズムを放ちながら、宙を舞う。その光を見て、この曇天でも日の光は地上を照らして居るのだな、と妙に感心した。この場にある光源は雲の向こうの太陽だけだ。ダンタリオンの手元のガラス玉が、砕けたシールドの光を反射してキラキラと七色の光を地面に落とす。
     美しい、と思った。ガラスの放つ光は、自然と、人の叡智の光だ。
     ダンタリオンの感慨を打ち消すように、すぐに次の火球が飛んでくるのが見えて、周囲から悲鳴が上がる。
     自分一人の命なら逃げれば護れるが、店は護れない。ここに居る人間達は、ここで生活している。火球に気づいていない者は建物の下敷きになって死ぬ。火災にも巻き込まれる。シャロームという年端もいかぬ少年が、その全てを守ろうとしているのは分かっていた。
     細い少年の指が魔導書をパラパラとめくっていく。見にくそうに眼を細めて、厳しい顔をした少年の手が止まってもう一つ、魔法を唱えた。
     再生魔法。
     詠唱が終わった瞬間、鳥の羽のように舞っていた砕けたシールドが放つプリズムが集まって再び薄い防御壁を作り出す。僅かな時間ではあるが、何度シールドが砕けようが市場を護れる。ダンタリオンにはかつての力は無いし、シャロームの持つ魔力は魔神のような無尽蔵な物でも無く、弱い。作れるのはせいぜい、ガラス細工のような魔法の壁だ。弱い魔力を集めて作れるけれどすぐに壊れる。しかし、瞬時に元に戻れれば、新たな魔力を使う必要が無く、詠唱も必要ない。力が無ければ知恵で対抗すればいい。
     本気で魔神クラスが攻撃してくれば、こんな薄くて脆いシールドは簡単に突破されてしまうし、再生だって間に合わない。流れ弾だから、なんとかなっているだけ。今は充分有効だ。
    「綺麗……」
     どこからか、そんな呟きが聞こえてきた。
     いくつもの火球が被弾してシールドを割り、そのたびに七色の小さな光を放つ破片が煌めきそして元に戻っていく。チカチカとプリズムが頭上でまるでショーでもしているように賑やかに輝いている。
     破片が互いに互いの光を反射して、反射した光をまた反射する。
     しばらくして、魔神の戦いの勝敗が決まったのか、どこかに移動したのか、火球が飛んでこなくなった、音が止んでから、市場を守っていた鳥の姿が、魔力の四散と共に空気に溶けていく。
     頭上に残ったのは、今にも雪を降らせそうな灰色の空だ。
    「帰るぞ」
     焦点の合わない様子で視線を漂わせている少年に声をかける。
    「あ、はい!」
     変な方向に足を踏み出して、ふらついたのを片手で掴んで支えると、情けない顔をしてへへへ、すいませんと謝りながら締まりの無い笑顔を浮かべた。魔法を使った後、この少年はどういうわけかやたらと頼りなくなる。この都市にたどり着いた時に記憶を失っているというから、場慣れしていなくて気が抜けるせいかと思っていたが、こう毎回だと少しは慣れてくれ、という気にもなる。
     たった今、何人分もの生命と財産を守った英雄だというのに。
    「あの……」
     ため息をついていると、さきほどぶつかってきた少女がこちらに駆けてきた。
    「ごめんなさい、これ」
     そう言って差し出してきたのは琥珀色の液体の入った小さな瓶だ。先ほど擦った品だろう。
     シャロームはダンタリオンに支えられながら、宙を見つめ首を傾げているので、仕方なくそれを受け取る。擦った相手ではなく、厳つい男が手を出してきたからだろう。少女は喉が引きつるような小さな悲鳴をあげた。
    「助けてくれて、ありがとう」
     怯えながらも、小声で告げて、先ほどと同じように逃げるように少女は人混みの中に消えていく。
     盗った物を返してきただけだ。
     あの少女が善行を行ったわけではない。
     マイナスとプラスでゼロになっただけ。
     それなのに、どうして少し嬉しいのだろう。
    「プリズムみたいだな」
    「何がですか?」
    「何でも無い」
     じゃあ、帰りましょうかと、まだふらふらとしながらも、シャロームが歩き出そうとする。
     この少年が常日頃行っている人助けもおそらく偽善だ。何か目的があってやっているに決まっている。それでも、例え偽善でも、その善行が呼び水となって、心が煤けて曇っていたような人々がほんの少しの善行を行う。そんな小さな小さな光は反射して、その光がまた反射して、あちこちでチカチカと輝く。それは、ほんの時々起こるだけのことかもしれない。それでも、かすかな光は確かにある。善人では無いが悪人でもない者は、ガラスの材料になる砂粒みたいなものを持ち合わせているのかもしれない。小さくて、弱くて、すぐに砕けるくせに、どんな強力な薬にも変質しない、壊れても、曇っても再生できるそんなものを。
     何百年も、何千年も生きる魔神がこんな年端もいかぬ少年に影響されて、町を守るための魔法を提案してしまったのは、なんとなくそんな夢を見ていたかったせい。
     馬鹿馬鹿しい。
     そして、未練がましい。
     そんな人類への希望は捨て去ったはずなのに。
     ダンタリオンは重いため息をつく。
     そんな幻想は、諦めろ。どうせ裏切られるだけだ。
     叡智の魔神ともあろう者が、何度、同じ過ちを繰り返せば気が済むのだ。
     心の内で、自身を叱責して、少女から受け取った小瓶をシャロームから渡された袋に入れて、ガラス玉を懐に突っ込む。
    「転ばれて怪我でもしたら面倒だ。捕まっていけ」
     おぼつかない足取りのシャロームの手を取る。
    「え? あ? ありがとうございます」
     少し驚いてから、ふんわりとした、心底嬉しそうな笑顔を浮かべたシャロームがきゅっと手を握り返してくる。
    「心強いです」
     言葉通り、今度はきちんとまっすぐに少年が足を一歩踏み出した。
     その足元に、ぽつりとひとひら、雪の粒が舞い落ちる。

     買い物袋からいそいそと材料を取り出すと、ダンさんはそこで待っていてくださいね、と言いながらシャロームは台所で何か作り始める。しばらくすると果実酒とベリーとスパイスの香りが家の中を漂ってきた。
     それだけで何を作っているのか、ダンタリオンには検討がつく。
     いくら力の大半を地獄に封印しているといっても叡智の魔神だ。彼の知識の量は分厚い辞書をいくら積んでも足元にも及ばない。その香を楽しみながら、窓際にもらったガラス玉を吊す。雪が止めば、きっと外の光を虹色に変えて部屋に届けてくれるだろう。
    「スイーツのお店の人に教えてもらったんです。寒い日にはとびっきり美味しくなるって。だからすごく寒い日に作ろうって楽しみにしていたんです」
     シャロームがキッチンから出てきて、嬉しそうに、カップをテーブルに二つ置く。
     ヴァンショーだ。
    「コレを入れるのが一番のポイントだそうです」
     そう言いながら取り出したのは、少女に擦られた小瓶だ。
     盗られたことにも気付いていなかったくせに、と少しおかしくなる。
    「どうかしました?」
    「何がだ」
    「ダンさん、なんだか楽しそうです」
     ヴァンショー好きなんですか? ぼくは飲んだことないから楽しみだなぁ、と言いながら、スプーンに小瓶の中の液体、蜂蜜をとって二杯ずつ入れてくるくるとかき混ぜる。
     はい、どうぞと渡されたヴァンショーからは温かな湯気が立ち上っていた。
    「せっかっくだから乾杯しましょう!」
     何がそんなに嬉しいのか、シャロームがそんなことを言い出す。
    「何のために?」
    「えっ……と、なんとなくダンさんが笑ってくれると嬉しくて」
     加熱をする前のワインならともかく、子供でも飲めるようなアルコールの飛びきったヴァンショーで乾杯なんて奇妙なことを言うが、仕方なくカップを持ち上げ、少しだけ傾けてシャロームの持つカップの縁にこつんとあてた。
     乾杯、と笑って少年がカップに口をつける。
     同じように一口、それを飲む。
     甘いベリーがたっぷりと入った上に、蜂蜜まで入っている。少し甘すぎではないかと思ったが、今日は冷え込む。目の前にいるのはまだ子供と言っても良いくらいの年齢の男の子だ。
     まぁ、これくらい甘くてもいいか。
    「おいしいですね、ダンさん」
     幸せそうにシャロームが言う。
    「あぁ、うまいな」
     どうしてか、その時は、素直にそんな言葉が口から出てきた。



    「確かこの間、もらった蜂蜜あっただろ」
    「蜂蜜、ですか?」
     フェリスが「そういえば、ありましたね」とバーカウンターの方に行き、木箱に入った高級蜂蜜を出してくる。
     どこぞの大企業のお偉いさんを治療した際にお礼としてもらったもの、だった気がする。そういうのもらっちゃっていいんですか? とピースは小言を言っていたが、当然もらえるもんはもらっておく。治療のお礼だ、別に賄賂にもならない。
     蜂蜜を使ったカクテルも何種類かあるというので、カウンター裏に置いておいたのだ。
    「それをスプーン二杯、入れてくれ」
    「はい。先生。せっかく甘い蜜を入れるんですから、私に蜜みたいなあま~い言葉を囁いてくださってもいいんですよ?」
     眼を細めながらそんなことを言っているが、当然ダンタリオンは無視をする。
     フェリスは無駄口は多いが、言われたことはきちんとやるので、スプーンで二杯、蜂蜜を入れてかき混ぜてくれたカップを渡してくれた。
     口を付けると、今度はあの時と同じ味がする。
     ピースが自分のカップを手に取ってこちらを覗き込んでいた。
    「それ、美味しいんですか?」
    「あ?」
    「なんか、おいしそうな顔して飲んでるから気になっちゃうんですけど」
    「知らんのか? バビロンのヴァンショーに蜂蜜は必要不可欠だ」
    「え? そうなんですか?」
     デタラメなことを言ったら、本気にしたようで「いただいていいですか?」と自分のカップを持って少女がフェリスの元に行く。
    「自分でやりなさい」
     看護師は素っ気無くそう言うと、腰をくねくねさせながらダンタリオンの隣に陣取って自分の分を飲み始める。ピースはいつものことだから、フェリスのそんな様子も気にすること無く、自分で木箱を開けて蜂蜜をスプーンで二杯、入れた。
    「うわぁ。なんか、懐かしい味がしますね! おいしい!」
     研修医の少女は感動したように言ってから、ふふっと笑った。
     その笑い声とこちらに向けられた笑顔は、あの少年にとてもよく似ていた。


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    DONEにーちぇさん(@chocogl_n)主催の合同誌に載せていただいた、ディアエンのダンシャロです。
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     懐古趣味なんてらしくねぇなぁ。
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     甘い。
     ヴァンショーは葡萄酒に柑橘系の果物とスパイスを加えて煮るのが一般的だが、出されたものには甘いベリーがたっぷりと入っていた。この医療都市にそびえ立つパンデモニウム総合病院には、もちろんしっかり空調が完備されている。真冬の今も建物内に居る限り、さほど寒さは感じない。大昔、隙間風の入り込む部屋で飲んだヴァンショーとはありがたみが随分違う。
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    うたこ

    DONE黒猫男子きょう何食べたい?企画のお話。
    さじゅさんとう゛ぃれさんが出ます。
    たいやき。 飽きませんか? と聞かれて何のことを聞かれているのか分からなかったのは昔の職業のせいだろう。昔はそこそこ真面目にお仕事をしていたから、当たり前だと思っていたのだ。
     そういうもの、だと思って居なければ飽きるかもしれない。張り込みなんて。
     言われてみれば、ほとんどの時間は、動きの無い現場をただ見張っているだけだ。退屈でつまらない仕事だ。
     厄介な資産を回収してこいとルダンに命じられて、面倒そうだけど、仕事だからしょうがない。サボりながらやるかと出向いた先には先客がいた。資産を持っているのは没落貴族の娘だそうで、その資産というのは値の張る宝飾品だそうだ。よくある話だが、家宝の古式ゆかしく豪華なアクセサリーには多くの人の恨み辛みが宿っていた。よって幻想銀行に相応しい資産というわけだ。持ち主を不幸にするとか、取り殺すとかそういうアレ。まだ彼女の家が栄華を誇っていた頃にはその家宝の宝石を巡ってどろどろした争い事がたくさん起こったのだそうだ。そうして沢山の怨念を取り込んだ宝石は意思を持つようになったのか、更なる不幸を呼び始めた。彼女の両親も、突如気の触れた侍女に刺し殺された。
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