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    うたこ

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    うたこ

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    にーちぇさん(@chocogl_n)主催の黒ウィズ合同小説本に載せていただいたものです。
    企画で執筆したため、公式設定やストーリーに準じた内容で書いています。
    BONOのシリス君を中心に書きました。

    #黒ウィズノベル企画

    Day by Day 誰かの気配があるとシリスは眠ることが出来ない。
     理由もわかっているのに、騎士団長になった今もそれは変わっていない。
    「リュオンさんの磔剣を受け継いだっていうのに、ざまあないですね」
     朝目が覚めて、誰も居ないことに安堵の息をついてから、一人きりの部屋でそう呟いて、自分自身に呆れたように笑う。無防備になる時に誰かがいると不安になるのだ。近くに居るのが仲間でも。信用していないわけじゃないのに。情けない。
     いつから誰かの側で眠ることができなくなったのか、はっきりしている。あの男の犬になった時からだ。もう幼い頃のように恐怖と辱めを受けて泣き叫ぶことはない。あの男はもう居ない。原因は取り除かれている。全て終わっているのに……ずっと胸の内に澱のように不安が貯まって揺らめいている。もしも、万が一、たった今、あの男が蘇って目の前に現れたとしてもシリスが負けることだってありえないのに。
     壁に掛けた暦を見る。
     一度目を閉じ、大きく息を吸ってからもう一度それを見る。
     大丈夫、僕は強くなった。
     それなのに、日付を見てぞわりとした気持ちの悪いものを感じてしまう。
     数年前の明日、まだ幼いシリスは聖域で生き残るためにあの男の物になった。大教主マルテュスの物に。
     たいていの人にとってはなんでもない日だろうが、シリスにとっては一年の内で一番忌々しい日だ。暦を見ただけで息が苦しくなるほどに。



    「メルテールさんの商隊だったら僕らが護衛に来る必要なんてなかったんじゃないですか?」
    「無茶言わないでよ。こんな大人数をあたし一人で守れっていうの?」
     安全の確保ができるまで先に進めない、ということでいくつかの商隊が一カ所に集まっていた。人口的には、村くらいの規模になっている。
     始祖審判獣ニュクスが倒れた後、ほとんどの審判獣は大人しくなった。とはいえ、人間と審判獣が共存する世界になったわけじゃない。ニュクスが居なくなったことで起きた気候変動によって、眠りから覚める審判獣も出てきた。審判獣に人間の言葉は通じないし、そのほとんどは人間のことを餌だと思っている。彼らと話ができるのは、マグエル一人きりだ。
     人を襲う審判獣が出たという報告を受け、執行騎士団のシリスとマグエルがやってきたのは南方の荒れ地である。木々はほとんど生えて折らず、目の前には荒涼とした岩肌と砂地が広がっている。
     最近、この岩砂漠に眠っていたらしい審判獣が眼を覚ました。
     ここからさらに南に行けば、地下資源や宝石が採れるし、珍しい羽色の鳥などがいる。それらを交易品として多くの人々が暮らす地域に運ぶ商隊にとって大切な通り道だ。交易品は聖域から追われて南方に逃げたインフェルナ人達の大切な収入源だし、それらの南方の品々は聖域に彩りを添えてくれる。この道を安全に通ることができれば、今も消えないサンクチュアリとインフェルナの軋轢の解消に僅かばかりでも役立つのでは無いかと思うと、一肌脱ぐより他に無い。この道を避けて周り道をすると、目印も無いただっ広い砂地を抜けるか、底なし沼があちこちに潜む危険な湿地帯を通らないといけないから、商隊はかなりの危険を冒すことになる。
     SOSを受けてシリスとマグエルが駆けつけたところ、共にニュクスに挑んだ戦友がいたのには驚いた。かわいらしい見た目に反して、戦い方も豪快だったが性格もたくましく豪胆な少女だ。
    「手強い相手じゃないと良いんですが」
    「敵が集団じゃなけりゃ、おいらが話をつけてやるよ」
     胸を張ったマグエルにその時はお願いします、と言うとマグエルがにっと歯を見せて笑った。
    「頼りにしてるわ」
     メルテールはマグエルを通すことで得物の思念獣と心を通わせることが出来るので、サンクチュアリの騎士の中でも特に彼を信頼している。シリスとマグエルに晴れやかな笑顔を見せるメルテールに、インフェルナ人の青年が深々とため息をついた。
    「聖域の騎士なんか頼らなくても……」
     小声ではあったけれど、はっきりと聞こえるように言われた。インフェルナの人々を助ける度に言われているし、聖域で長いこと間者をやっていたシリスにはチクリとも効かないが。
     何を言われても仕方ない、信用されないようなことをしてきたから、そんな気持ちがどこかにずっとある。
    「この人達とは、一緒に戦ったのよ」
     板挟みになったメルテールが、言い聞かせるように青年にそう言ったが、青年は顔を歪めた。
    「俺の妹はこいつらのせいで死んだんだんですよ」
     吐き捨てるように言って去って行く。
    「あの子元々聖域で暮らしてたんだけど、妹が悪の烙印を押されて聖域から放り出されたの。なんとか頑張って聖域の外に探しに出て……野犬に喰われた死体を見たんですって」
     ついこの間まで、当たり前のようにあった悲劇だ。審判を受けたばかりの歳の赤ん坊が聖域の外に一人で放り出されて生きていけるはずが無い。青年の背中を見ながら淡々と言うメルテールに、シリスは返す言葉が見つからなかった。
    「だから彼、この隊で医者をやってるの。聖域に戻って死んでしまった誰かを助けたいって医学の勉強したんだって。すごく助かってるわ」
    「偉いですね」
    「でしょ?」
     シリスの言葉に、メルテールが嬉しそうに目を細めた。
     彼の妹を放り出したのはシリスではないし、当時のことを考えればどうしようもなかったことだけれど、執行騎士という中枢に近いところにいたのは事実で、やはり少し後ろめたさを感じる。死んだ妹の代わりに誰かを助けたいというのも彼の本音だろう。しかし、聖域で受けた高等教育でインフェルナの民を助ける、というのを復讐としてやってもいるはずだ。本物の聖人だったら、シリスやマグエルに恨み言は言わない。サンクチュアリ人のための必要経費として、医師育成には多額の公的費用が中央から教育機関に支払われていた。
      彼からは、とても強い憎しみを感じた。彼は今も復讐のまっただ中にある。
     もうサンクチュアリもインフェルナも関係ない、というのが世の建前だが今までのことを水に流せるほど人間の心は単純でもない。シリスだって、騎士団長と呼ばれ、磔剣を背負っているにもかかわらずマルテュスの亡霊に怯え続けている。
     家族を殺された憎しみがあっさり消えるはずがない。
    「そういう悲劇を無くすためにおいら達は戦って、始祖審判獣に勝ったんだろ。そんな難しいことができたんだ。あいつともわかり合えるさ」
     ぽん、とやさしく背中を叩いてきたマグエルの言葉に、そうですねと頷く。幼い見た目とは裏腹に、長く生きてきた騎士の先輩は笑顔だ。
    「今は誰であろうと救う。とりあえずそれしか僕たちにはできませんしね」
     磔剣を背負い直す。
     この剣の持ち主だった青年は端麗な顔をしていたわりに考え方が強引な力業に寄っていた。根回しをするとか、裏から手を回すというまわりくどいことは考えていなかった。とにかくやるべきは、「守るべきものを守る」といった感じだ。それを貫いた結果、人とわかり合えないはずの存在である審判獣と心を通わせ共に生きている。ひっそりと暮らすリュオンとイスカを見た時に、シリスとマグエルが目指すものが、そこにあるように感じた。
     守りたいものを守る。
     だから、それが今のシリスの道しるべになっている。



     審判獣が出た、と商隊の男がシリス達の元に駆け込んで来たのは、昼を過ぎた頃だった。
    「皆、後方に避難してください!」
     磔剣を担ぎ、皆に逃げるように指示を出しながら男が指さした方に向けてシリスとマグエルは迷い無く駆け出す。メルテールも得物を手に隣にぴたりとついてきた。
    「まずはどんな審判獣か確かめないとだな」
    「突然、目の前に現れたと言っていましたね」
     空から現れたのか、地中から現れたのか。
     商隊のキャンプ地はそれほど広くない。少し走った先に、審判獣の姿がある。原始の地で戦ったほどではないが、かなり大きい。インフェルナの兵もシリス達と共に駆けつけたサンクチュアリの兵も、果敢にも審判獣に立ち向かっていたが、既に押され気味になっていた。
     蛇を思わせるような、長い身体はシリスが契約を結んだレヴァイアタンとよく似ている。
    「僕たちが止めます。あなた達は商隊の方の避難を!」
     商隊の護衛を担っている兵達を下がらせながら磔剣を構える。
     視線の端に先ほどの医者の青年が目に入った。怪我人が出たと聞いてきたのか、大きな箱を抱えている。何人か兵士達が転がっていてうめき声が聞こえてくた。血の匂いもする。
    「相手が一体なら、話ができるかもしれねえ」
     マグエルが巨大な審判獣を強く見据えて、近づいていく。穏便にすめばその方が良いが、そう上手くいかないことの方が多い。既に血が流れた。剣を向けられて敵も気が立っているだろう。何かあればすぐに飛び出せるように構えながら、マグエルを見守る。
    「大丈夫かしら……」
     マグエルの力を知っていても、メルテールの声は不安げだ。
     まっすぐに近づいてくる人間を、不審げに見ていた審判獣がゆっくりと鎌首をもたげる。話をする気があるのだろうか?
     シリスはその動きを注意深く観察する。レヴァイアタンより力は劣るものの、形からいって同属だ。あの動きは……。
    「下です! マグエル先輩!」
     叫んだ瞬間、地面が爆ぜた。
     細く鋭い針のような審判獣の外殻が地面から勢いよく飛び出す。戦歴の戦士であるマグエルはシリスの声に即座に反応して後ろに飛ぶ。しゃっという何かが裂ける音はしたが、針がマグエルを貫くようなことはなかった。
    「っぶね」
    「やはり、簡単にはいかないみたいですね」
     大きく後ろに跳ねて後退してきたマグエルの腕と足には薄く血が滲んでいるが掠っただけの浅いものだ。ほっとしたのもつかの間、逃げられた事に怒ったのか、審判獣が鋭い咆哮をあげた。空気がビリビリと痺れる。始祖審判獣と戦ったシリスがそれに怖じ気づくようなことはない。
     それなのに、マグエルがその叫び声に軽くよろめいた。
    「先輩?」
     見れば、傷口は浅いが僅かに紫色に変色し始めている。
    「…………毒?」
     レヴァイアタンも攻撃力そのものより、毒を使った攻撃を得意としている。
    「大丈夫だ、このくらい」
     マグエルが顔をしかめながら言う。辛そうではあるが、彼には審判獣と繋がりがある。耐えられるかもしれない。異界の魔法使いも、レヴァイアタンの毒を魔力で解毒をしていたのだし。
     ただ、マグエルが大丈夫だからといって他の者が大丈夫なはずはない。視界のあちこちで今まで審判獣を抑えていた兵達が膝をついていく。彼らの身体の中に、徐々に毒が回ってきている。
    「マグエルっちの救護を……」
     メルテールが医者の青年に声を掛けた。青年が明らかに嫌そうな顔になる。
    「どうしてですか。そいつら、俺の妹を殺したんですよ!」
     怒鳴るように言い捨てた青年の方にメルテールが身体を向けた瞬間、審判獣が動いた。
     アイツには知性がある。人間側の誰が強いのか、はっきりと認識していてその隙を見逃さない……!
     わずかに上がった砂煙を見た瞬間、シリスとマグエルが同時に動いた。地面を蹴ったマグエルがメルテールを抱えて飛び、シリスが磔剣を翻して空から振り下ろされた毒の牙をたたき折った。粉々になった外殻が砂地に舞う。引きつったような、青年の悲鳴が聞こえた。
     メルテールの危機には恐怖を感じたのか。
     彼は、聖域の騎士を憎んでいても、インフェルナを率いてきた彼女のことは慕っている。
     毒がまわってきたのかフラフラと立ち上がるマグエルをメルテールが支えた。青年がすぐ近くで安堵の息を吐く。
     リュオンさんなら、威厳でなんとかできるんでしょうけど。
     シリスには無理だ。だから、その気持ちを利用することにする。
     舌先三寸で相手を丸め込む、なんて間者時代にとった杵柄を利用することになるなんて。
     心の内に、苦笑いが浮かぶ。もちろん、おくびにも出さないが。
    「時間がありません、ここは取引をしましょう」
     シリスは審判獣を油断なく睨めつけながら、後ろにいる青年に向かって声をかける。敵に隙は見せられない。
    「取引?」
    「はい。対等な取引です」
     青年からの返事は無い。反論がないということは話を聞く気はあるということだ。
    「さきほどのメルテールさんの言葉から、あなたは毒に関する知識もあって解毒もできると解釈しましたが、合っていますか?」
    「あぁ。できる」
    「この審判獣は僕がなんとかします。この道を開けます」
    「なんとかって……」
    「僕は審判獣の相手は、けっこう慣れてますから」
     ニュクスを倒してからもずっと戦ってきた。誰よりも審判獣との戦いに精通している自負はある。それに、シリスも先ほど審判獣の毒針の破片を多少浴びて少し肌に傷がついたが、うっすら血が滲んでいるだけだ。レヴァイアタンとの契約のおかげだろう。どうやら毒に耐性がある。
    「だから、マグエル先輩を頼みます」
     青年が言葉に詰まる。
     マグエルがメルテールを助けたのを見たばかりだ。嫌とは言えないはず。
    「インフェルナの兵も、サンクチュアリの兵も誰にも死んで欲しくない。貴方にしかできない」
     剣に縋っても身を起こしていることができなくなった兵達が砂漠の中に倒れていく。それでも、まだ間に合う。誰も死なせない。全員助けたい。
    「お願いします」
     ほんの少し唸るような、ため息のような声をだした。わかりました、という青年の低い声を聞いて、シリスが叫ぶ。
    「マグエル先輩! 負傷兵を下げてください!」
     顔色はかなり悪くなって、息も荒くなっているが、それでもまだ立っていられるマグエルが笑顔を浮かべた。
    「まかせとけ!」
     磔剣を構える。シリスの殺気を感じたのか審判獣がガシャガシャと外殻を鳴らして威嚇音を出した。
    「あたしは、どうしたらいい?」
     いつの間にかメルテールが近くに寄ってきていた。
    「ちょっとかっこ悪いところ見られちゃったから、挽回しなくちゃね」
     重い音がした。彼女の得物は超重量級のハンマーだ。一人で戦うのは骨が折れそうな相手でも、彼女が手伝ってくれるなら、楽ができる。
     笑みが浮かんだ。
    「僕が敵を引きつけます。毒針は叩くので、隙を見て本体をお願いします」
    「了解!」
     メルテールの声を合図に駆け出す。
     まっすぐに走れば毒針に捕まる。レヴァイアタンの力を使って、自分も同じように得物を狩ってきた。敵の考え方も、避け方はわかっている。不規則な蛇行をするシリスを追って唐突に地面から現れた針をたたき折り、頭上から襲いかかってくる牙を払い斬る。
     誰にも繋がっていない磔剣の鎖を握り、反動を付けて大きく飛び出してくる牙を刈り取る。さらにその力を使って方向を変え、止まらずに地表を走り続ける。審判獣の懐に向かって。止まったら即座に串刺しだ。
     審判獣の苛立ちが地表を通じて伝わってきた。砂が舞って、宙で震える。
     ゴミから生まれた人間ごときが自分達に刃向かうのか。劣等種のくせに、いい気になるな。貴様らなど我らの餌になる以外の存在価値などないのだ。言葉は通じなくても、そう言われていることはわかる。
     巨大な針、砂の中からサソリに似た尾が現れた。
     イスカの尾と似ている。あれが、審判獣の奥の手だろう。
     彼女の戦闘スタイルを思い出す。走りながら磔剣を構えた。小型ならともかく、それなりに大型の審判獣の渾身の一撃を剣だけで受けることはシリスにはできない。振り下ろされた尾に対して斜めに受けたが、衝撃で吹き飛ばされる。
     審判獣が身を伸ばした。
    「レヴァイアタン!」
     審判獣の外殻が硬いとはいえ、背側に比べれば腹側のガードは緩い。シリスはその殻と殻の割れ目に向けて、飛ばされながら、地面に仕込んでおいた毒針を放つ。手応えがあった。レヴァイアタンの牙が突き刺さった痛みで審判獣は悲鳴をあげたが視線はこちらを向いたまま。審判獣の表情はわかりにくいが、宙を舞うシリスに向けて、確かに、にたりと笑った。
     地面を走っているときには方向転換を繰り返すシリスを捕まえられなかったが、空を飛べない人間には落下地点を変えることはできない。おそらく、地面に落ちた瞬間にその足場から毒牙が飛び出してくる。もし、自分だけならここで死んでいただろう。
     でも、僕は、一人じゃないんですよ。
     レヴァイアタンと同じタイプのあの審判獣には、毒は効かない。シリスのあの程度の攻撃で審判獣が倒れるはずはない。
     シリスは囮で、毒の牙はただの足止めだ。
     視界の端を鉛色の塊が弾丸のように飛んで行く。審判獣と互角に戦うことができる思念獣の槌を持つ少女が速く、力強く疾駆していく。
     審判獣の視線はシリスに釘付けで、メルテールの存在には気付かない。
     勝負あり、だ。
     シリスが地面に落ちる時には、槌に潰された審判獣の晶血が砂漠の日の光にキラキラと舞っていた。人間は審判獣に比べたら弱い生き物だが、協力する術を持っている。だから引けを取らずに戦える。
    「話、できたら良かったんですけどね」
     審判獣とも力を合わせて共に生きることだって、たぶん、可能なはずだ。シリスの武器、磔剣の元の持ち主はそれを実現しているのだから。
     だけど、シリス達の目指すその域は、まだ遠い先のことになりそうだ。



     商隊のキャンプが落ち着いた頃には既に夕方になっていた。マグエルの元を訪ねると、ベッドには横になっているものの随分と顔色も良くなっていた。シリスの顔を見て身を起こす。その動きも、いつも通り俊敏そのものだ。
     そのマグエルの隣には、医療の心得をもった青年が立っていた。
    「こいつがしっかり手当してくれたからな! もう大丈夫だ」
    「みたいですね。他の兵達の様子も見てきましたが皆回復していました」
     医者の彼は、インフェルナの民もサンクチュアリの兵も分け隔て無く手当をしてくれたようで皆元気になっているのはここに来るまでに確認してきた。
    「そういう時は一番最初に相棒の所に来るもんだぜ?」
    「マグエル先輩があの程度でやられるなんて思ってないだけです。信用してるんですよ」
     シリスの言葉に納得のいかないような顔を浮かべるが、「そういうことなら仕方ねえな」と呟いて、またベッドに横になる。
     解毒で体力を使って疲れているんだろう。
    「ありがとうございました」
     青年に礼を言うと、
    「約束ですから」
     とぶっきらぼうな返事が返ってきた。
    「本当に信じたんですね、俺のこと。命がけだったじゃないですか、あの審判獣を倒すの」
     どこか複雑そうだ。
     そんなことを言われるというのは、彼はシリスのことを信じていなかった、ということだろう。インフェルナとサンクチュアリの確執まだまだは根深い。
    「僕は、メルテールさん……友達があなたを信用しているから信じられました。それに、お医者さんが前線に出る必要なんてないのに、あなたは医療器具を抱えて審判獣のすぐ近くまで来てましたからね。一刻も早く仲間を助けたいって思っていたんでしょう? そういうところ、メルテールさんと同じです。だから僕の大切な先輩を任せても大丈夫だと感じました」
     シリスの台詞に、マグエルが小さな笑い声を上げた。
     青年が目を伏せてから、小さく息をつく。それから、小さな容器を差し出してきた。
    「傷が化膿するといけないので」
    「薬……ですか?」
     ぐい、とそれをシリスに押しつけて、青年が足早に去って行く。
     手の中には塗り薬が残った。いつものことなので気にはしなかったが、審判獣の毒針を折りながら走り回ったからか、あちこち服が裂けて血が滲んでいる。
     どう足掻いても、彼の妹は戻ってこない。憎しみも悲しみも、彼の中に残り続けるだろう。この薬は大切に使おうとシリスはそっと撫でて懐にしまった。
     きっとよく効く。
    「また審判獣の説得、できなかったな」
     二人きりになって気が抜けたのか、マグエルが手を見つめながらぽつりと弱音を呟く。
    「でも、彼とは少し仲良くなれた気がしますよ。先輩の尊い犠牲のおかげで」
    「死んでねえよ」
     元執行騎士の二人は、顔を見合わせて軽口を笑った。
     確かに審判獣とは戦うことになったけれど、なんの成果がなかったわけじゃない。インフェルナの青年医師との距離が縮まった。そして誰も死ななかった。目指すべきところは遠いけれど、小さな進歩だけれど、一歩は一歩。先に進んだ。いつか話を聞いてくれる審判獣にも出会える。



     いつの間にか、マグエルと話をしている内に眠っていたらしい。
     目を開けた瞬間、起きた時に目の前に人が居たことでびくりと肩が震えた。湧いた感情は恐怖、だ。幼い頃、執拗な虐待を受けて意識を失った後、水を掛けられて目を覚ます、といった事が数度あった。あの時は楽しげに笑うあの男の顔が見えた。逆らうことが許されなかった。自分を蔑む笑顔が怖かった。
     でも、今見えるのは安らかに寝息をたてている先輩の顔だけだ。
     人が側にいるのに眠れたのか?
     いつの間にか身体には毛布が掛かっている。
     誰かがすぐ近くに来ていたのに気付かなかった……?
     かけられていたのは簡素な寝具だ。聖域で使われているものではない。来てくれたのはメルテールか、あの青年か。
     よほど疲れていたのか、それとも安心しきっていたのか。シリスには、どうして眠ることができたのかよくわからない。それでも眠ることができたのは事実だ。
     外を見ると、空は明るみ始めていた。確かに何人か毒に侵されはしたが昨日の様子では皆、順調に回復していたから今日にも商隊は出発するかもしれない。彼らが目指す聖域まで、それほどの距離があるわけではないし、サザとラーシャがいるから聖域の警備も安心だ。このまま商隊について帰還してもいいだろう。急いで戻る必要も無い。昨日の今日で不安に思っている民もいるだろうし。
     ゆっくりと周囲を見回す。
     あぁ、そうか今日はあの日か。ふと思い出して、ざわついた胸の内を洗うように朝のすがすがしい空気を大きく吸う。
     今日はあの男の犬になった日。密偵をし、仲間を初めて裏切った日。
     まだ怖いと思う。あの男の影に怯えている。誰かに信じてもらえることに対して懐疑的な部分も消えては居ない。過去は消えない。
    「でも、少しだけまた強くなれましたよ、リュオンさん」
     磔剣に触れる。
    「今日が少しだけ、嫌な日じゃなくなりました」
     赤ん坊の頃は両親や兄弟の側で眠っていたのだろうけれど、シリスはそれを覚えていない。だから今日は記念日だ。
     初めて、誰かの側で眠れた日。
     背筋を伸ばす。
     白いマントを着たメルテールがこちらにやってくるのが見えた。なんか懐かしくなって着てみたの、と笑う彼女に微笑みを返す。
     それは自然に湧いた笑みで、だから今日はいい日になる。シリスにはそんな予感がした。
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    うたこ

    DONEにーちぇさん(@chocogl_n)主催の合同誌に載せていただいた、ディアエンのダンシャロです。
    エンブレムの最後は悲劇的な結末になることが確定しているので、互いを思う二人に幸せな時間がありますようにと思い書きました。書いたのが8月でGAの発表もまだだったので、今開催中のイベントとは雰囲気が異なるかもしれないです。
    インターリフレクション 白く清潔なテーブルの上に置かれたマグカップから、フルーツの香りが漂う湯気がふわっと湧いた。ほのかに異国のスパイスの匂いも後から追いかけてくる。
    「先生、ヴァンショーです。あったまりますよ?」
     この香りは昔、嗅いだことがある。
     何百年も前の風景、ガス灯や石畳の町並みが一瞬だけ脳裏に浮かんだ。へにゃっとした緊張感の無い少年の笑い顔と一緒に。
     懐古趣味なんてらしくねぇなぁ。
     頭に浮かんだ人物と風景を追い払ってマグカップに口を付ける。
     甘い。
     ヴァンショーは葡萄酒に柑橘系の果物とスパイスを加えて煮るのが一般的だが、出されたものには甘いベリーがたっぷりと入っていた。この医療都市にそびえ立つパンデモニウム総合病院には、もちろんしっかり空調が完備されている。真冬の今も建物内に居る限り、さほど寒さは感じない。大昔、隙間風の入り込む部屋で飲んだヴァンショーとはありがたみが随分違う。
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    うたこ

    DONE黒猫男子きょう何食べたい?企画のお話。
    さじゅさんとう゛ぃれさんが出ます。
    たいやき。 飽きませんか? と聞かれて何のことを聞かれているのか分からなかったのは昔の職業のせいだろう。昔はそこそこ真面目にお仕事をしていたから、当たり前だと思っていたのだ。
     そういうもの、だと思って居なければ飽きるかもしれない。張り込みなんて。
     言われてみれば、ほとんどの時間は、動きの無い現場をただ見張っているだけだ。退屈でつまらない仕事だ。
     厄介な資産を回収してこいとルダンに命じられて、面倒そうだけど、仕事だからしょうがない。サボりながらやるかと出向いた先には先客がいた。資産を持っているのは没落貴族の娘だそうで、その資産というのは値の張る宝飾品だそうだ。よくある話だが、家宝の古式ゆかしく豪華なアクセサリーには多くの人の恨み辛みが宿っていた。よって幻想銀行に相応しい資産というわけだ。持ち主を不幸にするとか、取り殺すとかそういうアレ。まだ彼女の家が栄華を誇っていた頃にはその家宝の宝石を巡ってどろどろした争い事がたくさん起こったのだそうだ。そうして沢山の怨念を取り込んだ宝石は意思を持つようになったのか、更なる不幸を呼び始めた。彼女の両親も、突如気の触れた侍女に刺し殺された。
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