ショーダウン 来客を見送ったヴィレスとラシュリィが控え室に戻ってくる。
「珍しいですね。副頭取がカードゲームとは」
「何のゲームをなさっているんです?」
控え室の小さなテーブルの上には三つのカードの山。対戦相手のサージュと自分が持っているカードは互いに五枚ずつ。
「ポーカーですよ。他のゲームを副頭取が知らないもので」
「ババ抜きくらいは知っている」
「二人でババ抜きしても仕方ないでしょう」
呆れた声でサージュが言って山から一枚カードを取る。開始からずっと、うっすらとした笑みを浮かべているだけで表情が全く変わらない。ポーカーフェイスとはよく言ったものだ。彼の手札が良いものなのか、それともクズなのか、全く読めない状況がずっと続いている。
外回りをしていた頃、お客様の希望でポーカーやチェスの相手をすることもあった。ローカパーラに預けられるような資産を持った人間はそれなりの地位にある人も多い。こういったゲームでは人間の本性が出る。お客様はそれを見るために誘うのだろう、と先代は言ってた。どういう心構えで対応すれば良いかと聞いたら、お前はそのままでいい、と言われたのは良い思い出だ。確かに、不誠実なゲームをするような相手に渡したら危険な資産がこの銀行には山ほどある。ゲームは負けることが多かったが、代わりに仕事に結びつく成果を得られていたと思う。
「ということは何か賭けられているのですか?」
ヴィレスが首を傾げると、サージュはカードの端をペシペシと指で弾きながら心底つまらなそうに答える。
「副頭取はご存じの通り、石頭のくそ真面目が服着て歩いてるようなもんですし、なーんにも賭けてませんよ。わたくしとしては別に賭けをしてもいいんですけどねえ。その方が面白いですし」
ゲームに誘ってきたのはお前だろうが。
その言い草に呆れながら、一枚カードを引く。ハートのK。なかなか良いカードだ。これでKが二枚、九が二枚。
「銀行の経費を使うことは無論できないが、個人的に賭けにのってやらんこともない」
強い手札が揃いそうで、少し気が大きくなってしまったのかそんなことを言うと、サージュの眉がぴくりと動いた。些細な動きだが、ゲームを始めてから感情が現れたのは初めてだ。
お客様相手にささやかな賭けに誘われることは多かった。損得が絡まなければ本性は現れないからだろう。賭けていたものは一杯のワインや、一粒のチョコレートなどでギャンブルとはほど遠い遊戯ではあったのだが。
「自腹を切ってくださると?」
にやりと笑みを深めるサージュが山からカードを取って、それを手札に加えた。多少表情が変わったものの、やはりその顔から手札の様子を伺うことはできない。
白湯がお茶に……? という呟きがヴィレスの口から出たが無視をする。休憩時のお茶を白湯にせざるを得ないことをしているのはお前だ。銀行は慈善事業じゃない。反省を促すためにもしばらく銀行員達には白湯で我慢してもらうつもりだ。その辺りをわかっているのだろうラシュリィが「無いと思います」と即座に否定すると、ヴィレスが少し悲しそうにする。だったら、高い資産ばかり要求しなければいいものを。
「まぁ、お金が絡むと副頭取がゴネそうですし、要求できるものはお金のかからない何か、でしょうか」
「そうですね」
「副頭取はドケチですから」
どうやらこいつらの頭の中ではプライベートでも俺は過度の倹約家なんだな、と思いながらカードをとる。手元に来たのはダイヤのK。カードを見た瞬間、指先が震える。
これは……勝った!
「おや? 役が揃いましたか?」
かけられた言葉に、ギクリとする。
「バレバレですよ。全部顔に出てますから」
まっすぐに底の読めない赤い瞳がこちらを見て、微笑む。
「では、手札開示と参りましょうか」
小さく息を吐いて、手札をテーブルの上に広げる。
「フルハウスだ」
「これは、これは……お見事です」
サージュが眼を見張った。声にも少し驚きが混じっている。どうせ賭けの対象なんて、簡単な労働くらいだろうに、胸をなで下ろす。
だというのに。
「でも、残念」
サージュがもったいぶって広げた手札には、全てのスートのJが揃っていた。
「フォーカード、わたくしの勝ちです」
フルハウスより一つ上の役だ。驚いてその手札を凝視して、J以外のカードに眼が止まる。あるはずのないカードがそこにはあった。
「いかさまじゃないか!」
指さした先にあるのは、ハートのK。イカサマをするにしても、わざわざこのカードを見せてくるか? イカサマをしましたと言っているようなものじゃないか。
「酷い言いがかりじゃないですか。私がイカサマをしたという証拠でもあるんです?」
サージュはいけしゃあしゃあと、傷ついたような口調で言うが、唇には嫌らしい笑みが浮かんでいた。
「証拠ならそこに……」
「わたくしがイカサマをした、という証拠です」
「なに」
一組のカードしか使っていないというのに、ハートのKがテーブルの上に二枚ある以上、イカサマはあった。確実に。ただ、客観的に見ればどちらがイカサマをしたのか、という証拠にはならない。目の前の男に正義感が欠片もなくても。この男の性格と自分の性格を考えれば自然に答えは出るはずだが、それは主観だ。物理的な証拠は無い。公平性には欠ける。助けを求めて傍観している二人の銀行員を見ると、彼らは顔を見合わせて肩をすくめた。
「ありませんね」
「ないですね」
嘘をつけ。どっちか一人くらい見えていただろう。お前らなら。
「…………」
唇を噛むと、ラシュリィが聖母のような微笑みを浮かべて「やられましたね、副頭取」と追い打ちをかけてきた。思わずうなり声が出る。
「そろそろ次のお客様が見えられる時間です。何があるかわかりませんから副頭取もスタンバイお願いします」
時計を見ながらヴィレスがそう言い、ラシュリィと二人で控え室から出て行く。それを見送って深いため息をつき、「で? お前は何を望むんだ?」と勝者に問うと、喉の奥でくぐもった笑い声を上げてサージュがきゅっと眼を細めた。
「流石、往生際が良いと言いましょうか、覚悟が決まっておられる。せっかくの権利ですから、ちょっと考えさせてもらって良いですか?」
嫌な予感がした。
「わたくし、正義感は皆無ですけど……下心はあるんで」
他に誰も居ない部屋の中、耳元でサージュがそう囁いた。
その声に深い欲が滲んでいるのに、普段見せない真摯さを感じた。背筋がぞくりと震えた。