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    うたこ

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    うたこ

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    異層の魔法使いたちと黒猫のカーニバル展示その2
    アポ兄とヴァカ隊長がデートするお話です。それだけの話です。オペレーション・ホリデーの後らへん。

    Just a little monopolize 兄が取材を受けたという話は聞いていたのでエリュマでヴァッカリオは酒を買うついでにその雑誌も買った。これは、兄とは絶縁状態にあった頃からの習慣だ。職場で開くのはちょっと抵抗のある雑誌だが、店長(あだ名)相手なら気にせず買える。彼とはいろいろお互い様の関係なので。
     店内のイートインコーナーに腰掛けて、買ったばかりの缶のプルトップを開ける。雑誌を開くと女性向けのファッション誌で、アポロンⅥ以外に載っている男性は若手の俳優ばかりだった。
    「なんでこれで浮かないのかねぇ」
     パラパラと雑誌をめくっていく。
     一日密着取材、と銘打ったその記事は確かに兄の一日を追ったものだった。決まった時間に起きてトレーニングをし、栄養面を考慮した食事を短時間で済ませて、始業開始時間より早めに出勤して、ヴィランが出れば陣頭指揮をとって自らも出動。紙面を飾る写真はどれも凜々しく、キラキラと輝いている。意外にもポーズをとったような写真はなく、本当に仕事中を撮っている写真ばかり。きっとこのカメラマンはアポロンⅥのファンだ。どの写真も良い。
     特にビル群を染める夕焼けの中でアポロンⅥが佇んでいる写真は眼を引いた。写っているのは後ろ姿。激しい戦闘があった後だろう、少し服が傷んでいる。街を守ったことを誇るように背筋を伸ばして、いるその背中はまさにヒーローそのものだ。
     この背を、幼い頃から憧れて追い続けていた。
     決して大柄な方ではないのに、誰よりも頼りになる。
     家に帰ったら、ここだけ切り抜いて取っておこうかな、などと考えながら次のページをめくると新しく始まるドラマに宣伝のための記事だった。すらりと長い手足、小さな顔の俳優が洒落た服を着て紙面に収まっている。
     ドラマの内容は、突然ヴィランの力に目覚めた見目麗しい若者達の青春物語、だそうだ。最初はヒーロー達と敵対するも云々書いてあるところを見ると、最後には力を合わせて戦うことになるのだろう。英雄庁も多少撮影に協力しているとのことだ。「悩むことも多いと思うが、もし神話還りの力に目覚めたのなら正しきことに使って欲しい」という生真面目すぎる兄の言葉が添えられている。
     自分がごくごく平凡な一般人だと思っていたのがある日突然、とんでもパワーに目覚めたらそりゃ万能感に浸っちゃってやらかしちゃうのが思春期ってもんでしょ。自分が特別でありたいって思っちゃう時期だ。力試しもしたくなっちゃう気持ちも分からなくも無い。それが視聴者の共感ポイントだろうけど、お兄ちゃんには共感できなかったんだろう。
    「青春ねぇ」
     もう一度、前のページに戻る。
    「あったのかなぁ、お兄ちゃんに、青春」
     ティタノマキア事変があった十年前、兄のアポロニオは充分に大人だった。あの事件前の記憶の中にいる兄はいつも笑顔だ。あの性格だから若い頃でも調子に乗って羽目を外すようなことはなさそうだ。思い話になると、ちょっとタカが外れることはあるが。
     自分せいで兄の青春が暗かった、なんてことは無いと思う。
     それでも十年、ヴァッカリオは兄から笑顔を奪った。
     でも、あの時はそれが一番得策だと思ったんだよなあ。
     残り少ないディオニソへの変身というカードを、いざという時まで隠して温存したかったし、自分が死んだときの兄の負担を少しでも減らしておきたかった。後から考えてみれば、ヴァッカリオの死後に真実を知った方が、アポロニオにとっては辛かったように思う。ありがたいことにアレイシアもエウブレナもわりと自分を慕ってくれている。ゾエルは全てを知っているし、彼女は口調は乱暴だが面倒見は悪くない。アレイシア達の悲しみを和らげるために、なぜディオニソスが最前線から距離を置いていたのかを話す可能性も充分あって、そうすれば遅かれ早かれ兄にもバレたはずだ。そういう結末にならなくて良かったとも思う。
     それにしても、十年間は長かった。その長い時間、あの太陽のような人が憎しみを抱き続けることは、たぶん、きっとすごく苦しかった。
     浮かんだ後悔をため息で吐き出して、雑誌のページをめくる。
     インタビューの後には、今流行中のおしゃれなお店の紹介が載っていた。
     ―― 大人の遊び場。
     そう書かれているのは、ちょっとしたゲームがあるだけの小洒落た酒場バーだ。見たことのある男の写真が載っている。十年以上前、まだナンバーズになる前に一緒に遊んでいたことのある男。
     そういや、こいつ、自分の城を持ちたいとか言っていたな。これはいっちょ行ってみようか。店のコンセプトもなかなか良さそうだ。
     自分の青春を思い出しながら営業時間や場所を確認していたら、暗くて重い視線を感じた。
     振り返ると、店長(あだ名)が真っ青な顔をして、ヴァッカリオの見ている雑誌の誌面を泥のように淀んだ瞳で見つめている。
    「それは、まさか……まさか……アレイシアさんと……?」
     声まで震えている。
     神様って何百年も生きてるんじゃなかったっけ? 何千年だっけ? なんでこの人、今にも死にそうな顔してんの。
    「んなわけないでしょ? あの子にはまだ早いって。だいたい酒飲める歳じゃないし」
     お店の紹介の写真には、普段飲んでいるような安酒じゃない、瓶に入った高級品が並んでいる。ゲームがあるといってもダーツとかスロットとかカードゲームだ。先日のオペレーション・ホリデーで楽しんでいたようなコンピューターゲームではない。若い子を連れて行った所で楽しくもないだろうし、そもそも騒ぐ場所でもない。
    「そ……そ、そう、そうですね」
     店長の顔にみるみる血の気が戻ってくる。
    「この間お二人で夕日を見に行っていらっしゃったのでまたどこかにいくのかと。しかもそんなお店で大人なデートなんて、いけませんよね!」
     すっかり元気になったのか、店長はいつものどこか胡散臭い営業スマイルを浮かべた。
    「二人じゃないでしょ。店長、見てたでしょー?」
    「はい!」
     ホント、優秀なのかそうじゃないのかわからない神様だ。極秘情報を収集をしていたり、いろんな組織に潜り混んだり、やってることはすごいのに、やることがちょいちょい雑すぎる。店長は覗き見をしていたことを元気に肯定してから雑誌の隣にパワフルワンを一缶置いた。
    「サービスです」
     酒を飲めば運転ができないからアレイシアをバイクに乗せて連れ回すことがないとでも思って居るのか最近よく店長からアルコールの差し入れがある。この間のことを根に持っているらしい。ま、こっちとしてはありがたいが。
    「だいたい、おいら、元・上司よ? デートなんてする間柄じゃないでしょうに」
     ありがたくパワフルワンはもらい受けると、上機嫌で店長が去って行った。入店してきたお客さんにいらっしゃいませ、と営業スマイルを投げかけている。
    「お兄ちゃん、お酒は飲めたよな」
     雑誌の誌面にもう一度視線を落とす。
     ヴァッカリオは質より量をとって普段安酒ばかり飲んでいるが、兄にはこういう酒の方がよく似合う気がする。お互いそれなりの年齢だし、たまにはこんな店もいいかもしれない。。
    「大人のデートねぇ……」
     最近は一緒に出かけたりすることもあるし、たまには自分から誘ってみようか。



     スーツはある。仕事で着る必要があることがあるから。だけど、完璧なビジネススーツだ。それ以外の服と言えばトレーニングウェアと出勤着と祭典の時に着る礼服。出かけるための服なんて、アポロニオのクローゼットには入っていなかった。どれもピシっとクリーニングされて清潔ではあるけれど、全部仕事関連の服だ。なんというか、私服が無い。そういえば、先日お弁当を持ってきてくれた日もトレーニングウェアだった。高級品でオシャレなのと、雰囲気で昼間ならそれでも問題はなかったけれど、夜の町に着ていく服じゃない。
    「さすが、伝説の八〇六勤」
     オシャレな服なんてヴァッカリオだって持ってはいないし、人のことは言えないけど、さすがにバーに着ていく服くらいは持っている。
     アレイシアも問題だったけど、お兄ちゃんも「有意義な休日の過ごし方」みたいな本を読んで、そのまま実行しているんじゃなかろうかと疑いたくなる。散歩やジョギングをして、本を読んで、料理の作り置きをして、みたいな。それが一番ストレスの無い性格ではあるけれど。
     とりあえず。
    「服、買いにいこっか」
     なんか、この流れ前にも見た気がする。これだからワーカーホリックは……。
     古い知り合いが店をやっているから一緒に行って欲しいと言ったら、アポロニオからは二つ返事でOKをもらった。せっかくだから二連休を合わせてとった。
     スーツならあるじゃないか、というお兄ちゃんを引きずって、まずはショッピングモールに行く。高い服を買う必要は無い。行こうとしている店の棚に並んでいる酒は高級品だけれど、大人が日常を忘れて楽しむ店だからあんまり背伸びをする必要は無い。だからこそ、仕事用のスーツなんて着ていったらつまみ出されてしまう。
    「そういうものか?」
    「そういうもんなの。だいたい俺のオトモダチよ? スーツとか、そういうガラじゃないの、わかるでしょ?」
    「ヴァッカリオは背も高いし足も長い。スーツも似合うと思うが?」
    「そう言ってくれるのは嬉しいけど、そうじゃなくてね」
    「ふむ。話の腰を折って悪かった。せっかくヴァッカリオの友人と会うというのに無作法はいけないな。ルールは場所によりけりだ。といっても、私にはどういうものが良いか分かりかねる。お前が選んでくれ」
     そう言うと、アポロニオはいつものトレーニングウェアで意気揚々とショッピングモールに入っていく。平日だが人は多い。当然、英雄庁の看板みたいな存在のアポロニオはあっちからもこっちからも声をかけられてるし、手を振られればお手本のような笑顔をそれに返す。
     慣れきったもので、その動作には淀みも無く照れもない。
     今までメディアへの露出を避けていたヴァッカリオとしてはプライベート時間にこれは落ち着かない。
     この群衆の中でヒーローの中のヒーロー、アポロンⅥに似合う服を見繕うってけっこうハードル高くない?
     センスに自信があるならともかく、ヴァッカリオだってまあなんとなくいつもと同じ感じ、で服を買う人間だ。かっこよく見えるかというより、楽さを優先していまうような。
     お兄ちゃんの分もそんな感じで良いと思ってたんだけどな。
     ため息をついて周りを見る。
     すでに遠巻きに人だかりができてしまっていた。
     自分で言い出したことなのに不安になって、つい、きょろきょろと周りを見てしまう。店員さんに丸投げしちゃおうかとも思うが兄がそれを許してくれる気がしない。せめて、アドバイスをしてくれるようなプロがいないだろうか。つまりカリスマ店員的な。
    「ん?」
     視界に何か見知ったものが入った。
    「Ⅷもお休み?」
     こちらをこっそり伺うように物陰にいるのは同じナンバーズのアルテミスⅧだ。これを捕まえない手はない。野郎二人よりは大分心強い。なによりナンバーズが三人も固まっていれば近寄ってくる人間もいないはずだ。
     声をかけられたことで諦めたのか、Ⅷが近づいてくる。
    「ナンバーズが三人も一緒に休みなんてあんまりないんじゃない?」
    「合わせて休みを取ることで、有事の際にトップが出払っても各フォースで連携をとって業務を回せる訓練をとしようとこの間決まったではないか。だからヴァッカリオが同じ日に休みをとろうと言ってきた時に、さっそくその実践するのかと嬉しく思ったのだが」
     あー。その日はたぶん二日酔いかなんかで話聞いてなかったかもなー。
    「それで我にも同じ日に休みを、と打診があったなのでな」
    「危機というのは突然やってくる。何があるかわからない。トップ不在でも潤滑に業務を回せるようになれば安心して出撃できるというものだ」
     にっこりとアポロニオが微笑む。
    「それでⅥらは何を?」
    「お兄ちゃんの服買いに来たの。この人、仕事関連の服しか持ってないからさー」
    「今までそれで不都合がなかったからな」
     ぱちぱちとⅧがよくわからない、といった様子で瞬きをしている。
     そりゃそうだよね。
     申し訳ないけど付き合ってくれないかな、と言うと、カッとⅧが眼を見開いた。
    「え? なに?」
    「いや、なんでもない」
     こほん、と咳払いを一つして「で? どんな服を探しているのだ?」と聞いてきてくれたのでホッとする。これがⅩあたりだったら面白がってとんでもない服を持ってくるだろうし、Ⅰのセンスはちょっとアレだ。アレイシアやエウブレナだとセンスが若くて、似合うものは選んでくれそうだけど、ちょっとお兄ちゃん的に厳しそうだ。見た目は若いけどそれなりの歳だし。
    「ヴァッカリオの古い友人の店に行くことになってな」
    「ちょっと小洒落たバーみたいな感じの店だから、ジャージで行くのも違うんだよねー」
    「ふむ」
    「感じとしては大人のデート服みたいなの、選んで欲しいんだけど。スーツみたいな堅苦しいのじゃなくて、もっとゆる~いヤツ」
    「デート」
     一瞬だけ素っ頓狂な声を出した後、Ⅷがまたこほん、と咳払いをする。
     この人も案外、年齢のわりにピュアだ。
    「そうだな」
     ちょっと首を傾げてから「でも、動きやすさは必要だろう?」とアポロニオに確認する。休暇中でも目の前で助けを求める人がいたら動いてしまうのがヒーローだ。万が一を考えるとある程度の機動性は欲しい。
    「見目が良いから何を着てもだいたい似合うだろうが」
     そう言いながら、店内をしばらくうろうろしてから緩いシルエットのデニムとシンプルなジャケットを何着か手に取る。
    「ジャケットは形はそこそこきちんとしているがニット素材で動きやすさに問題は無い。パンツは伸縮性のない素材ゆえ、ぴったりさせず、かつ緩すぎないシルエットにすれば問題なかろう。デニムならカジュアル感も出る。試着して一番気に入ったものを選ぶと良い」
     指さされた試着室に、アポロニオが「かたじけない」とこれまた堅苦しい挨拶をして、渡された品を持って入っていく。楽しそうな笑顔を浮かべて。
     ちらちらとこちらを見ている人もやはりいるがあまり気にならない。アルテミスⅧのしゃんとした立ち振る舞いは見ていて気持ちが良いものだが、近寄りがたさも感じるのだろう。見られていると言っても、好意的な視線ばかりだ。
     こそばゆい気持ちで、兄の入っていった更衣室を眺める。
     仲違いをしていた十年間もずっと兄を見てきた。大好きだったから突き放した。だからメディアを通すことがほとんどだったけど、兄の姿をいつも探していた。
     だから、いろんな顔を見てきたのに。表裏の無い人だけど、あんな柔らかな笑みは見たことは無い。
    「ちょっと休日に弟と出かけるのが嬉しいもんかねぇ」
     そんな歳でもなかろうに、という思いを込めて言うとふっとⅧが笑った。
    「Ⅵは二度、弟を失っておる」
    「二度? 一度じゃない?」
    「十年前と、先日の戦いで」
     ティタノマキア事変の後、兄弟の縁を切った。そして先日の戦いでは命を落とした。ハデス神の計らいで蘇生できたものの、アポロニオは弟の死をそれなりに落ち着いて受け止めたとアポロンフォースの人達からは聞いている。
    「仕事が仕事だ。いつ何があるか分からん。そしてⅥは大切な者を失う痛みをよく知っている。今、共にあることが嬉しくても仕方あるまい。置いて行かれる者の痛みは置いていく方にはわからぬものだ」
     この人も、ヒーローとして活躍するようになってそれなりの年月、ヒーローとして戦ってきた。それ相応の経験があるのだろう。
     部下を失うこともある。友人を失うこともある。
    「まぁ、少しはわかるけどね」
    「失う辛さを知ったからこそ、だろう? あの笑みは」
     試着室からアポロニオが出てくる。
     ジャケットの下に着ているのは、トレーニングウェアだがそれも黒だから気にはならない。特別オシャレというわけでもないが、形がかっちりしている分、兄のまっすぐな性格とよく似合っているし、色も落ち着いていて年相応だ。
    「これが一番着心地が良い。これにしよう。助かったぞ、Ⅷ」
    「いや、シュチュエーション別に着てもらいたい服はファンクラブでよく話題になるからな。我の意見だけというわけではない」
    「ファンクラブ?」
    「いや、何でも無い。戻してくるから選ばなかった方の服をもらおう」
     律儀にきっちり畳まれた服を受け取って、Ⅷが優しい笑みを浮かべる。
    「その格好なら、大抵の遊び場で浮くことはない」
    「ふむ? 大抵の遊び場とは?」
     意味が分からない、とアポロニオが首を傾げる。
     やっぱりお兄ちゃん、休暇はとってもあまり遊びに行ったりはしていないんだな。
    「映画館でも、美術館でも、水族館でも、遊園地でも、大きな公園でも、洒落たバーでも」
     しばらく考えた後、アポロニオの顔がぱっと輝く。
     八〇六連勤しちゃうような人だ。お兄ちゃんは世界の楽しいことを、たぶん知らない。あと、遊び場のチョイスが妙に生真面目というか、いかにもお兄ちゃんが好きそうな場所ばっかりなんだけど。
     映画館とか美術館とかはともかく、遊園地におっさん二人で行くの? マジで? あー、でも、喜びそうだな。アレイシアとかも誘って保護者面して行けばいいかな。
    「それは、次の休みが楽しみだな」
     兄の笑顔が眩しい。
     会計のために、また試着室に兄が戻っていく。
    「よくわかってるね~、お兄ちゃんのこと」
    「ずっと見てきたからな。ところで、報酬というわけではないがあの服で写真を撮ったら、広報も兼ねてSNSにあげてくれないか? 是非、洒落たバーでのやつがいい」
    「……それ、報酬になんの? 写真送るとかじゃダメ?」
     SNSとかそういうキラキラした世界はおっさんにはどうも敷居が高いんだけど。
    「いや、同士にも見せたい」
     同士って何の同士?
     まぁ、ヴァッカリオも大人なのでその辺は深く突っ込まずに了承すると、Ⅷも楽しげに良い仕事をした、と言って去って行った。



    「しっかり捕まっててよ、お兄ちゃん」
     買ったばかりの服に着替えたアポロニオにヘルメットを投げる。受取ながら了承した、と兄はそれを被った。メットを被れば誰だかわからなくなるので行動もしやすい。この人の場合、ビルとビルを飛び越えながら直線距離を突っ走った方が早そうだけど戦闘でもないのに変身はできないし、何より今日は休暇中だ。
     愛車アリアドネの後部座席に座って背中からしっかり腕を回してくる。
    「幼い頃は、私がおまえを抱いたものだが、大きくなったな、ヴァッカリオ」
    「……あのさ、お兄ちゃん。言い方。人目もあるから」
     おにいちゃんならこんなにしっかり捕まって無くても振り落とされたりしないだろうな、と思いながらエンジンを吹かす。時速一キロでも制限速度をオーバーしたらお叱りを受けそうなので、あくまでも安全運転で夕日に染まった街を単車で走っていく。
     目的地は橋の向こう。岸からほど近い小さな島だ。大きな橋で繋がっているし、電車でも行ける。気楽に行けて景色が楽しめるために、商業施設が乱立している。
     真っ赤に染まった海の中、まっすぐな橋を進んで行く。お気に入りの場所から見る夕日はもちろんキレイだが、これはこれでなかなかオツだ。晴れていて良かった。
     運良く渋滞もしていない。聞こえてくるのは風の音。背中はほんのり温かい。
     天上は夜に染まり駆けているけれど、目の前には煌びやかな夜景が近づいてくる。島に上陸するとまだ夕方だというのに既に夜の賑わいを見せていた。地図は頭に入れてあるが、まっすぐには向かわず街の中をゆっくり流した。ヴァッカリオ自身も初めて来た場所だから見てみたかったというのもあるし、アポロニオがこういう場所に来たこともないだろうと思ったから。
     本格的に夜が始まると店も混むだろう、と空が暗くなりきる前に目的地の店に入る。そこそこ大きなビルの、最上階とはいわないがそれなりに高い位置にある。
    「よぉ、来ちゃった」
     そんなに大きな店ではないので店員も少ない。カウンターにいる顔なじみ、この店の主はすぐに見つかった。声をかけると思った通り、昔と同じ笑顔を見せてくれた。兄を紹介すると「ご活躍は拝見しています」と挨拶をして窓際の観葉植物の影になっているテーブルを案内してくれる。有名人だから、という配慮だろう。窓からはしっかり、絶景の夜景が見える。
     まだ宵の口だというのにけっこう人が入っていた。良い店なのだろう。ささやかな笑い声が聞こえてくる。
    「誰も声を掛けてこないのだな」
     客達はちらりと見て、そこにいるのがあのヒーローだと気付いても、皆その後は素知らぬふりをしている。今日一日、行く先々でアポロニオは声をかけられた。今日はプライベートで来ているからと、写真と一緒に撮ったりといった時間のかかるファンサービスこそしないものの、全員に丁寧に対応をしていた。よく鬱陶しくならないな、と思うほど。
    「そういう店なんだって。人付き合いとか疲れちゃった人でも気楽に飲めるようにって、他のお客さんに干渉するのはNGっていう決まりがあるの。交流できるのはゲームのコーナーだけ。あそこに行けばお兄ちゃん、モテモテだと思うよ」
     あの雑誌の兄を見てから、この店のコンセプトを知って一緒に来てみようと思った。
    「お兄ちゃんはみんなのヒーローだから」
    「おまえだってそうだろう。最強のヒーローはディオニソスだ」
    「……そういうんじゃなくてさ」
     どう言っていいか考えているとウェイターが注文をとりにきた。せっかくなら何かあのお高いお酒が飲みたいな、とは思ったが目の前には兄がいて、自分はバイクで来ている。
    「あまり強くない酒で、お勧めはあるか?」
     ドリンクメニューを睨んでいたアポロニオが店員に聞く。やっぱり酒の銘柄に興味なんてなかったんだろうな、と思ったがメニューにある酒の名前はヴァッカリオにも馴染みのないものばかりだった。コンビニに置いてあるような酒はここにはない。
    「甘いお酒ある?」
    「でしたら、カクテルをお作りしましょう」
    「ヴァッカリオには、アルコールの入っていないものがいいのだが」
    「でしたらノンアルコールのカクテルをお持ちいたします」
     店主の知り合いと聞いているからなのか、アバウトな注文を受けて店員が去って行き、しばらくするとオレンジとグリーンのカクテルを置いていく。小さなグラスの中にはそれほど多くの液体は入っていない。おしゃれで、きれいで、非現実的だ。
    「そういえば自分の飲み物じゃなくてお互いの物を注文してしまったな」
     逆に置かれたカクテルを交換する。ついでに店員に頼んでグラスをかちん、と合わせている姿で写真を撮ってもらった。あとはこれを広報担当に送るだけだ。どうしてこれが報酬になるのかわからないが、恩を仇で返すのは良くないので考えるのは止めよう。これが載ればお兄ちゃんの作ってしまった「英雄=ブラック公務員」の印象も薄らぐかもしれない。
     普段は静けさとは真逆の職場環境にいるせいで、静かに鳴る音楽と間接照明の薄暗い店内はどこか夢の中のような感じがした。頼んだ料理も運ばれてきたところで、乾杯という声をかけてグラスを合わせてから、飲み慣れないカクテルグラスから一口飲む。
     ノンアルコールだから当たり前だけど、さっぱりとした飲み口の……ジュースだ。
     やっぱりちょっと残念だったな。普段飲めないような酒がずらっと並んでいるのに。次は電車で来よう。作ってもらったカクテルが美味しかったのかアポロニオが眼を輝かせてグラスを見ている。あれも、一口飲んでみたかったと思う。自分には甘過ぎな気もするが。
    「ここなら、お兄ちゃんもみんなのヒーローじゃなくていいんじゃないかなって思ったんだよね」
     窓の外はキラキラした世界だ。いろんな色の光で溢れた宝石箱みたいな夜景。
     兄が先頭をきって守った街。
     誰だってピンチの時に兄の顔を見たら安心する、この人はそういう存在だ。
     仲違いをしていた十年間も、毎日のようにどこかで見ていた。
    「やってみたかったんだよね。ほら、ずっとそういうのできなかったから」
    「何を?」
    「買い物したり、ツーリングしたり、サシで飲んだり」
     神話還りの力を得て、駆け上がるようにトップヒーローになった兄は誇らしいけど、遠い存在になっていた。ティタノマキア事変が起きてからは、触れることすらできない存在になってしまった。まさに、空の上で輝く太陽に等しい存在。そうあって欲しくて自分から突き放したのに。
     アポロンⅥはみんなのヒーローなのに。
     お兄ちゃんのファンからしたら許せないことかもしれないけど。
    「要するにお兄ちゃんを……独り占め、してみたかった」
     少し驚いた顔をして、そして、兄は少し照れた様に微笑む。
     子供じみた欲だと呆れることもなく。
     年甲斐も無く、はにかんだような笑みだった。
    「私はおまえの兄だ」
     だから、その気持ちを嬉しく思う、と言ってもう一度かちんとカクテルグラスの縁を合わせた。
    「私からも一つ、わがままを言わせてもらっていいか?」
    「アポロンⅥ様からわがままを言われるなんて光栄なことかもね」
    「あぁ。お前にしか言えないな」
     その言葉に、とくん、の胸が鳴った。
    「約束して欲しい。また、出かけよう。二人で」
     まっすぐにアポロニオがヴァッカリオを見て、そんなことを言った。
     なんでもないことなのに、そのまっすぐに向けられた視線は真剣そのものだ。
     どんな敵であろうと、怯むこと無く挑んでいくその瞳の奥にうっすら揺らいでいるものが恐怖であることに気付いて息を飲む。幾度も悪人を圧倒的な力でねじ伏せてきた、絶対に勝てないと分かった時に彼らが自分の未来を想像して、その瞳の中に見せるのと同じもの。
     きっと誰も見たことが無い。アポロンⅥが見せる恐怖、なんて。
     本当に、これは自分だけのものだ。
     Ⅷ曰く、兄は二度、弟を失った。
     そして自分は兄を手放した。
     お互いそれを後悔している。
     おいらも、お兄ちゃんを失うのは怖い。
    「うん、約束する」
     兄が安堵したように息を吐く。たいそうな約束でも無いのに。
    「ヴァッカリオ、小指を出せ」
    「何?」
    「幼い頃やっただろう」
     あぁ、と頷いて小指だけ立ててアポロニオの前に出す。思い返してみても、兄が約束を破ったことは無かった。まだ自分が幼くて何も分かってなかった頃、既にヒーローだった兄は忙しいだろうに、ヴァッカリオのわがままをいつも聞いてくれた。
    「指切りげんまん嘘ついたら針千本の~ます♪」
     小さく声を合わせて歌って笑う。
    「今日はおいらに付き合ってもらったから、次はお兄ちゃんの行きたいとこ、考えておいてよ」
     なんか堅苦しい場所になるかもしれないな、と思ったけれどそれもまた、ちょっと世間知らずの兄となら楽しいかもしれない。ダーツをしてみたいと兄が店の隅のゲームコーナーを指さす。やったことがないわけじゃないが、矢を射るゲームでアポロンⅥに勝てる気もしない。でも、これは付き合わなきゃいけないやつだろう。
     もしかして、あの一杯で酔っているかもしれないから、もしかしたら勝てる勝てる可能性もゼロじゃない……かな?
     とりあえず明日も二人とも休みなのだ。今日は羽目を外して遊ぶのも良い。おっさんが青春しても良い。ここは、そういうコンセプトの店のはずだ。
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    💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖👏😭😭😭💖💖💖💖💖💖💖
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    Replies from the creator

    うたこ

    DONEにーちぇさん(@chocogl_n)主催の合同誌に載せていただいた、ディアエンのダンシャロです。
    エンブレムの最後は悲劇的な結末になることが確定しているので、互いを思う二人に幸せな時間がありますようにと思い書きました。書いたのが8月でGAの発表もまだだったので、今開催中のイベントとは雰囲気が異なるかもしれないです。
    インターリフレクション 白く清潔なテーブルの上に置かれたマグカップから、フルーツの香りが漂う湯気がふわっと湧いた。ほのかに異国のスパイスの匂いも後から追いかけてくる。
    「先生、ヴァンショーです。あったまりますよ?」
     この香りは昔、嗅いだことがある。
     何百年も前の風景、ガス灯や石畳の町並みが一瞬だけ脳裏に浮かんだ。へにゃっとした緊張感の無い少年の笑い顔と一緒に。
     懐古趣味なんてらしくねぇなぁ。
     頭に浮かんだ人物と風景を追い払ってマグカップに口を付ける。
     甘い。
     ヴァンショーは葡萄酒に柑橘系の果物とスパイスを加えて煮るのが一般的だが、出されたものには甘いベリーがたっぷりと入っていた。この医療都市にそびえ立つパンデモニウム総合病院には、もちろんしっかり空調が完備されている。真冬の今も建物内に居る限り、さほど寒さは感じない。大昔、隙間風の入り込む部屋で飲んだヴァンショーとはありがたみが随分違う。
    9331

    うたこ

    DONE黒猫男子きょう何食べたい?企画のお話。
    さじゅさんとう゛ぃれさんが出ます。
    たいやき。 飽きませんか? と聞かれて何のことを聞かれているのか分からなかったのは昔の職業のせいだろう。昔はそこそこ真面目にお仕事をしていたから、当たり前だと思っていたのだ。
     そういうもの、だと思って居なければ飽きるかもしれない。張り込みなんて。
     言われてみれば、ほとんどの時間は、動きの無い現場をただ見張っているだけだ。退屈でつまらない仕事だ。
     厄介な資産を回収してこいとルダンに命じられて、面倒そうだけど、仕事だからしょうがない。サボりながらやるかと出向いた先には先客がいた。資産を持っているのは没落貴族の娘だそうで、その資産というのは値の張る宝飾品だそうだ。よくある話だが、家宝の古式ゆかしく豪華なアクセサリーには多くの人の恨み辛みが宿っていた。よって幻想銀行に相応しい資産というわけだ。持ち主を不幸にするとか、取り殺すとかそういうアレ。まだ彼女の家が栄華を誇っていた頃にはその家宝の宝石を巡ってどろどろした争い事がたくさん起こったのだそうだ。そうして沢山の怨念を取り込んだ宝石は意思を持つようになったのか、更なる不幸を呼び始めた。彼女の両親も、突如気の触れた侍女に刺し殺された。
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