眩しくて目が覚めた。昨日、遮光カーテン閉め忘れたんだろう。……あれ、そもそもいつ寝たんだっけ。
まだ眠くてぼうっとしていると、顔の辺りがいきなり影になった。
「おや、お目覚めになりましたか。 おはようございます、ボス」
「………あ、ちぇずれい…… おはよ」
「フフ、まだ夢うつつのようだ」
チェズレイが僕の顔を覗き込んでいる。
ここは、うちだ。エリントンの自宅。チェズレイが来る予定なんて聞いてもいない。
昨日遊びに来たとか?
そもそも昨日、なにしてたっけ。
「……なんでここに?」
「おや、覚えていらっしゃらない?
あんなにも熱い夜だったのに」
「……えっ?」
そういえば着ているのもいつものパジャマじゃない。なんかつるつるしてるしちょっと袖が長い。
なんで違うパジャマを着ているのかと考えたら、チェズレイが着せてくれたんだろうと考えるしかなくて。
なんで僕はチェズレイに着替えをさせてるのか。脱ぐような事をしちゃったのか?
「まだお辛いでしょう。どうぞそのままで」
「それ……って」
やっぱりしちゃったのか? そういえば全身痛いような気がする。
ずっと僕の片思いだと思ってたのに。
告白した記憶の欠片もないけど、なにがどうなって…?
「乱れるボスの姿もまた可愛くはありましたが、覚えていないなんてつれないですねェ。 これは私の胸の痛みの責任を取っていただかないと」
ベッドに上がり、僕の身体に乗り上げたチェズレイが僕の前髪を除け、こつんと額同士を合わせた。
近いよ!
チェズレイの髪から爽やかで甘い香りがして、至近距離の目が紫色できらきらして目が離せない。
ねェ、と念押しされたら頷くことしかできない。
「ぼ、僕にできることならなんでも」
これはもう、そういうことなんだろう。
なんで記憶がないのかよくわかんないけど。
「では」
身体を起こしたチェズレイが、チェズレイが僕の着ているパジャマのボタンを上から外していく。
「え、朝から、そんな……」
「朝だからこそですよ」
「そういうものなのか………?」
チェズレイが手にした短い棒のようなものを僕の脇に挟んだ。
ひんやりした感触がすぐ体温と混ざっていく。
うん、流石にこれは分かる。なんかすごい勘違いをしていたな。
「…えっと……チェズレイ?」
チェズレイが応える前にピピピと脇に挟んだものが鳴る。
それを取り出したチェズレイが小さなディスプレイを確認した。
「38.1℃……。 寝起きでこれではまだ上がるでしょう。なんとおいたわしい」
「……そんなことだろうと思ったよ」
いつも思わせぶりなことばかり言うんだから。
こっちがどれだけ翻弄されるのか、からかって遊んでるだけなんだろう。
つまり、熱い夜は体温が熱くて、乱れてたというのは寝返りとかそんなもの。
「おや、何か違うことを想像なさっておいででした?」
「っ…、……な、なんでもないよ。」
「そういうことにしておきましょうか」
くすくす笑うチェズレイには多分見透かされているんだろうなと思う。
熱があるんだと意識すると一気に体調が悪く感じる。
ひと息ついたところでチェズレイがボタンを留めている。
「いや、自分で出来るから」
「病人は病人らしく甘えてください」
チェズレイがちょっと楽しんでる気がしたのでお任せすることにした。高くて繊細そうなボタンを壊してしまうのも忍びない。
「そう言えば、チェズレイはどうしてここに?」
「もちろん、看病のためですよ。 帰宅途中に倒れたのは記憶にありますか?」
「……倒れた記憶はないけど、署を出て、うちの近くまで戻ってきた記憶はなんとなく……」
「ええ。 寒空の下、道端で倒れているあなたを見つけたときはこちらの心臓が止まるかと思いました」
「心配かけたんだな。ごめん」
「当初の計画では連勤から解放されたボスを労ろうと思っただけでしたが。 ……でも計画よりなによりもあなたの大変な時に手を伸ばせる位置にいられて良かったですよ」
毎度スケジュールがばれているが今更だろうな。
ボタンを留め終わった後、頭を撫でられた。
自業自得な経緯があるから優しい視線がちょっといたたまれない。
「さて、ボス。 食欲はありますか」
食事、最後に食べたのいつだっけ?
意識を食に向けるとすぐ、腹の虫が鳴いた。
「フフ、すぐお持ちします。そのままベッドでお待ちくださいね」
「うん、助かるよ」
チェズレイが部屋を出てふと見渡せば部屋中綺麗に片付いているし、シーツや枕カバーまで新しくなってる。そもそも今寝ている布団自体もチェズレイが買ってくれたんだった。
さらに寝返りを打てばパジャマから爽やかで甘いチェズレイの香りがする。
枕元には小さなプラネタリウムの機械。本棚の一列分はチェズレイの作だ。…いや、正確には本というか手紙なんだけど。
気がつけばチェズレイ関連で家が埋まってる気がする。
「本当は家自体をプレゼントしたいのですが」
「いつの間にか戻ってきてるし心読まれとる……」
チェズレイが一人分の食事のトレイをベッドサイドボードに置いた。身体を起こそうとしたら当然だと言うように介助されてしまった。
「土地はもう用意してあるんです」
「………へ?」
「本当はボスの好みを今日伺おうと思っていたんですよ」
「いや、そこまでしてもらうようなことしてないからな? 買わなくていいからな?」
念押ししないと本当に家が建つ。それは流石に困る。
チェズレイがベッドに置く小さなテーブルを広げた。こんなものなかったような気がする。
その上にトレイが置かれた。
赤いシチューみたいな料理だ。
「これは……ボルシチ、だっけ?」
「ええ、私の故郷では馴染み深い料理です」
「前に送ってくれた野菜のスープだよな。いただきます」
「どうぞ召し上がれ」
「赤くて辛そうに見えるけど、別に唐辛子が入ってる訳じゃないんだよな」
「ええ。辛くはありませんよ。少し酸味が強いかもしれませんが」
スプーンで、まずはスープをひとくち。
温かくて、優しくて、おいしい。
多分、チェズレイの家庭の味ってやつなんだろうと思う。
一度口にしたら、もう夢中でスプーンを動かしてた。
舌先で潰れるくらい具材が柔らかく煮込まれてて、さっぱりして食が進む。
ものすごく、幸せな味がするんだ。
赤ん坊の頃まで退行催眠をしたとき、チェズレイは母親みたいだって思ったけど、母親がいたらこんな料理を食べたのかもしれないって頭をよぎって、嬉しいのに少し切ない。
チェズレイの気持ちはそうでしかないのかな、と。
「おや、酸味が強すぎたでしょうか」
声をかけられてチェズレイの方を向いて、顔がにじんで見えないと気付いた。泣いてるのか。
「え、あ、ちがくて。 美味しすぎて、なんか」
袖で拭おうとして、今着ているのがチェズレイの服だと思い出して手を止めた。
タオルケットに手を伸ばす前にチェズレイが目元にハンカチを当ててくれた。
「体調が悪いと不安定になるのはわかりますから、落ち着いて」
ああ、こんなにも大好きなのに。君がくれる愛はこんなにも素敵なものなのに。
他のものも欲しいなんて、なんて欲張りなんだろうか。
「チェズレイ、僕」
「ボス、今はお食事に集中しましょう。食べないと薬も飲めませんから」
チェズレイは絶対最後まで言わせてくれない。
きっと、ここまでがボーダーなんだろうと思う。
「……うん。」
涙は止まった。
僕は大人しく食事を続けて、チェズレイがベッドの傍のデスクの椅子に戻った。
やっぱり少し酸っぱいかもしれないと思うのは、多分味覚じゃないもののせいなんだろう。
「……食べながら聞いていてくださいますか」
「うん」
「もうじき、計画が終わるんです」
「昔言っていたのより随分早くないか?」
「ボスのお力添えもありましたから」
「いや、君達の力だよ」
警察として、少しは協力できた自負はある。
仕事に誇りも持っている。二人と離れている今の状況に後悔はないけれど、傍で支えられないのは寂しいとも思う。
「ありがとうございます。 それで、決まった拠点を定めようと考えているんです。」
「うん」
「……先程言ったでしょう? 土地は用意したと」
「もしかして、エリントンに?」
「ええ。 ハスマリーやミカグラ、その他にも色々と拠点を設ける予定ではありますが」
「別荘みたいなものなのかな」
「本宅ですよ。 あァ、ボスに家をプレゼントしたいと言うのは少し語弊があるかもしれませんね。 プレゼントと言うのは受け取った方が自由にできるもの。私が渡したいのは半分だけですから」
残り半分をどうするのか。
…本宅なら、一緒に住んでくれるってことか?
「……ええっと、つまり?」
「熱に浮かされた状態で大事な話はしたくありませんから。続きはあなたの体調が戻ってからにしましょう」
ここまで話してお預けってひどくないかな。
「……う、うん。 はやく治すようにするよ」
正直、今の話でオーバーヒートしそうなんだけど。
「ボスは私のことを随分買ってくださいますが、あなたが思うよりきっと濁っているんですよ。 ……子供のような清らかな思いだけを持っている訳ではないんです」
そう言う割に、チェズレイはやっぱり優しい目をしていた。