天体観測「あれ?まだ来てないか」
薪の家近くのコンビニに駐車し、あたりを見回した。
珍しい……いつも約束の時間前には来ている薪が。
天体観測に行ったことがないという薪を初夏の軽井沢へと誘った。軽井沢には叔父の別荘があり時々家族で使わせてもらっている。免許を取り立ての長距離ドライブはちょっと不安でもあるが、薪に綺麗な星空を見せたいし……博識だけど経験がない薪は、初めて経験する事に子供のような表情をする。一生懸命隠そうとしているが、隠しきれなくて口がモゴモゴする様が可愛くて、最近は薪の初めてをもらう事に夢中になっている自分がいる。
……コーヒーでも買ってのんびり待つか。
「鈴木!悪い。遅れた!」
コーヒーを2つ買ってコンビニから出てくると、小さな体に大きな荷物を担いだ薪が赤い顔をして駆けてきた。
「ちょっと、剛くん……荷物多くない?」
思わずその姿に笑ってしまう。パンパンな荷物を抱えた薪は夏休み前の小学生みたいだ。
「だって…何が必要か分からなかったから…」と小さく口を尖らせて答える姿に、薪が楽しみにしていた様子を感じ取って嬉しくなる。
「車だしな!」と、笑ってトランクを開けると、「鈴木、免許取ったばかりだろ。無事に着くかな」と憎まれ口を叩いてくる。
今日は、雲がない快晴だから夜には星がよく見えるはずだ。
澤村さんが亡くなって、一年が過ぎた。助手席に座って景色を眺めている薪をチラリと盗み見る。俺にも隠しているつもりだろうが、細い身体がますます薄くなっている。夜もあまりうまく寝れていないようだ。大きな目の下にうっすらクマができている。
しばらく走ると車の揺れが心地いいのか、薪は少しウトウトし始めている。
「剛くん、昨日楽しみすぎて寝れなかったんでしょ。ちょっと寝ときな。星空見るのに夜眠くなっちゃうぞ。」と小さな頭を撫でると素直に「うん……」と小さく返ってきた。
叔父の別荘は、高台にポツンと建っている西洋風の建物だ。周辺に民家もないので、星が綺麗に見えるから、小さい頃から良く親父と一緒に星を見にきていた。今日は、月明かりも無く天の川がはっきりと見える。
「薪ー!!準備出来たぞー!」
「待ってよ、鈴木。もうちょっとでお皿洗い終わるから……」と勝手口から出てきた薪が息を呑む。
空に満天の星が輝いており、大きな目をまん丸にして上を見上げている。
「すごい……」
「ほら。電気消してこっちに来いよ。望遠鏡も組み立てたし」
「……降ってきそうな星空ってこういう事を指すんだな……」
薪が隣に腰を下ろした。
「ほら。あれが夏の大三角形。夏の星空で、他の星と比べて輝いてるだろ?」
「はくちょう座のデネブ、わし座のアルタイル、こと座のベガだな。」
2人で交互に望遠鏡を覗いては、笑い合った。
「これが天の川か。本当に川みたいに見えるんだな……図鑑よりずっと綺麗だ」
薪の目がキラキラと輝いているのを見て連れてきて良かったなと純粋に思った。
澤村さんが起こした事件は、きっと一生薪の心からは消えることはないだろう。
自分を手に入れるために殺された両親。そして、殺したのが本当の親だった。
……小さい頃から澤村さんを信じ切れず、でもどんなに信じたかっただろう。
その願いは叶わなかったが、例え歪んだ愛情であったとしても、薪は確かに澤村さんから愛を感じていたに違いない。
だからこそ余計に苦しく、澤村さんへの言葉を口に出せないのだろう。それは、両親を殺したことを許すことになる。
「アルタイルとベガは、彦星と織姫星だったな……もうすぐ七夕か」とポツリと薪がつぶやいた。
「愛し合った二人が仕事をさぼって怒った神様に引き離されて、1年に1回しかあえなくなったんだろ?」
「アルタイルとベガは15光年離れているからな。光の速さで進んでも15年かかる」
「そしたら、行き帰り考えると一生で3回も会えないな」と俺が苦笑すると、
「でも、それでも会えるだろ……」と薪は空を仰いで小さく呟いた。つられて俺も星空を見上げる。
もう薪はどんなに願っても会いたい人達に会うことは叶わない――
「……昔の人はさ、桶に水を張って2つの星を水面に写したんだってさ。それを揺らして2つの星を近づけたらしいぜ」
「……」
「これから先、俺たちが離れ離れになったとしても、会いたいって薪が言ったら、どんなことをしても、どんな姿になっても、会いに行ってやるからな!例え15光年離れていても。約束する」
にっこり薪に笑いかけると、「お前、彦星みたいに仕事さぼって遠いところに行かされそうだもんな」とふいっと顔をそむけた。
可愛くない言葉を吐きながら耳が真っ赤になっていて、俺の剛くんは本当に可愛い!!!と星空に叫んでしまいそうになった。
……薪の幸せを、薪の両親も澤村さんも……もちろん俺も望んでいる。
本当は許されるなら薪の側にずっと居てその笑顔を見ていたい。
落ちてきそうな星空に流れ星が流れていき、俺は願い事を呟いた。
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「薪さん!池の柵の中に入ると危ないですよ!」
ほっそりとした薪の姿を池のほとりでようやく見つけた。
本格的な夏が近づいてきた7月、薪が今日は九州に泊まりに来ている。舞が「薪ちゃんと一緒に花火がしたい!」と近所の公園に歩いて来た。大きな池は整備されて柵があるが、所々途切れていて、薪はそこから入って池の淵でしゃがんでいた。見ると水面に手を入れている。
「何してるんですか?」と聞くと、「星が水面に映っていたから……」と小さく返ってきた。「田舎だから天の川もくっきり見えるでしょう。綺麗ですね」と微笑みかける。「ほら。舞が向こうでおばあちゃんと花火の準備しているので行きましょう?」と手を差し伸べると、薪さんが手をとって立ち上がった。
――その時、ざぁっと一面に強い風が吹いた。
「……き?」と薪さんが呟いた。目が合うと「何でもない」と繋いだ手を解こうとしたが、すかさず「暗いので繋いでいきましょうね」と細い指を握り直し、こめかみにそっとキスを送った。
――薪、どうか幸せに――
そのまま2人で夜空に優しく瞬く星を指差しながら、ゆっくりと進んでいった。