共同作業 玄関の引き戸はおそろしく立て付けが悪く、開け閉めのたびに絵に描いたようながたがたという音を立てる。おまけに、開閉にはちょっとしたコツが必要だった。いわく、ななめに押し上げるようにして力をかけるとスムーズに開くだとか、引き開ける瞬間の勢いが肝心だとか。主張はみな違っていて、獣人寮の住人はそれぞれが自分なりのやり方を持っていた。
今にも羽根が外れて飛んでいってしまうのではないかと心配になるほど旧式の扇風機は、それでも日々黙々と首を振っている。開け放った窓から控えめな風が入ってくるのを、半透明の扇風機の羽根がゆるくかき回す。二階の自室にいるよりも一階の談話室にいた方が涼しい気がして、サモナーは何をするでもなく床に転がっていた。ソファがあるのに腰を下ろさないのは、ソファの布地が肌に張り付くのを嫌ったからだ。
死んだようになって天井の木目を見上げているサモナーの耳に、玄関の引き戸の開く音が飛び込んだ。
獣人ではない身ながらも、この寮に住み着くようになってから随分経つ。有り余るエネルギーをぶつけるように、スピーディーに開け閉めするのが誰かは分かっている。自分のバディ、アールプだ。
きっとスニーカーを脱ぐなり、ばたばたと足音を響かせて階段をのぼるだろう。そのあとまた下りてきて、談話室か食堂に顔を覗かせるのがルーティンなのは、なにか甘いものを物色しに来るからだ。
ふと廊下から、どたべしゃっ、と、ものが崩れ落ちたような音が響く。それはなかなかの重量感をまとっていた。もしや、と思い、サモナーは床とほぼ一体化していた体を慌てて起こす。
はだしの足裏をどたばた言わせて廊下に出てみれば、あがりかまちのところでうつ伏せに倒れていたのはやはりアールプだった。
「なに!? どうしたの、大丈夫!?」
いつだって元気なアールプがこんな風にうずくまっているなんて、めったに目にすることはない。
駆け寄り、背中に手を当てる。Tシャツ越しにも、彼の体がかっかと火照っているのが感じられた。アールプはもぞもぞと顔を上げる。飛んで様子を見に来てくれたのがサモナーだと確認するなり、ひゅっと息を吸い込む。
「暑すぎるのっ!」
ひと声、夏の道理を叫んだ。
叫んだことそのものに体力を使ったのか、アールプは再びぐったりとうつ伏せる。呼吸に合わせて、丸っこい背中が上下した。
「あまりにも暑いの……」
「えっ、まさか外でダンスしてきたとか?」
夏休みの補習が終わるなり寮に引き上げ、とろとろとぬるい夕方の空気を味わっていたサモナーにとってはとても考えられない。
まさか熱中症になってやしないかと、咄嗟にアールプのひたいに手を伸ばす。なめらかな毛皮はじっとりと湿っていた。
「うーん、ダンスしようと思ったんだけど、暑すぎてあきらめちゃった。ちょうど知り合いが通りがかったから、お喋りしてたんだけど」
それだけでも暑くて暑くて、もうやんなっちゃった、とアールプは言う。
「もう夕方でしょ、気温もマシになったかなって思ったんだけど。なんでこんなに暑いのー?」
「駅前は人も多いし、アスファルトもまだめちゃくちゃ熱そうだよね」
言いつつサモナーは談話室に引き返す。冷凍庫を開け、アイスキャンディーを一本取り出した。まだ食べてなくて良かった、と思いながら、自身の分のオレンジ味を持って玄関へと引き返す。
普段であれば手洗いうがいをしてからと言うところだけれど、いまは緊急事態なので仕方ない。暑いよーとだれた声をこぼすアールプの視界に入るように、アイスを差し出した。
「わー! アイスじゃん!」
予想通り、アールプの声はみるみるうちに生気を帯びる。うつ伏せの状態から機敏な動きで半回転し、あお向けの体勢を取る。よく冷えたアイスをわくわくした手つきで受け取ると、あっという間にビニールを取り払って口へ運んだ。
「あーおいしー! 生き返るの!」
転がったまま、アールプは器用だ。しゃりしゃりと涼しげな音を響かせてアイスキャンディーを味わい、その合間にありがとうとおいしいを繰り返し、サモナーに視線を送ってはにこにこしている。
「もー今日は、談話室でゆっくりするの」
「それがいいよ。のんびりしよ」
周りの建物との位置関係が絶妙なのか、やたらと風の通り道になっているのか、談話室は妙に涼しい。
とはいえそれはヒト型のサモナーだからこその感想で、毛皮をまとったメンバーが数人集まれば問答無用でエアコンのスイッチが操作される。それはともかくとしてサモナーが談話室で過ごしたがるのを、アールプは知っていた。
「というかアールプ、先にお風呂に入ったら?」
あっという間にアイスキャンディーは食べ尽くされ、細い木の棒だけがアールプの口元に残る。とがった犬歯が、平べったい棒をゆるく噛んだ。
「お風呂かぁ……」
「汗すごいじゃん。一回流してさ、さっぱりしようよ」
「うん……でもオレ……今日、お風呂掃除の当番なんだよね……」
大浴場と呼べるほどの広さではないものの、獣人寮には共同の風呂場がある。カランが数個、三人ほどが入れば浴槽はいっぱいになるようなささやかなものだけれど、自分ひとりだけのために湯をはるよりも安上がりだし、街の銭湯に出向くより手間がない。
こんな疲れてるのに掃除なんてしたくないよ、とだだをこねるアールプを前に、サモナーはにっこりしてみせた。
「自分も手伝うよ」
途端、アールプの瞳が輝き出す。そこには感謝と期待がにじんでいた。
「ほんとっ?」
「二人でやれば早く終わるでしょ。掃除して、お風呂入って、そのあと一緒にごはん作ろ」
最後の一言に、アールプは何かを思い出したように声を上げた。
「あっ、キミ、そういえば今日の夕食当番だった?」
「……バレたか」
サモナーは途端ににやっとする。ごはん作りは嫌いではないものの、なんとなく億劫という日があるのだ。今日という日はまさにそれだった。
サモナーの意図を嗅ぎ取ったアールプは、得意気にふふんと笑う。いまだ廊下の床板に転がったままの体が、ますます丸く膨らんだ。
「いいよ。オレがお手伝いしてあげるの」
「ありがと、アールプ」
もったいをつけたような言い方に、サモナーは嬉しくなる。元気が出たみたいで何よりだ。思わず、ふふふと笑う。
「だからまずは、オレを起こして?」
少しばかり芝居めいた口調で告げて、アールプは片手を差し伸べた。