紅葉流るる 親父から頼まれたごとがあって、車で行かなかんとこだで、手伝ってくれんか?
空却からの電話に「おっけ、行くわ」と仕事のスケジュールを調整して、降り立った早朝のナゴヤ駅。
「一郎ー!」
いつものように、思い切り手を振ってくる空却の赤髪をみとめ、一郎も「おう!」と手を振り返す。
お互いに二年前の誤解がとけてからの再会。あれから何度となく彼がこうして新幹線の降車口で出迎えてくれる光景が、一郎は嬉しくて仕方なくて。
必死で崩れ切ってしまいそうになる顔をなんとかきり、と保ちながら改札を潜る。
今回もちゃんと仕事の依頼だでな、交通費も依頼料も親父が出すでよ、とカラカラ笑う空却の横を共に歩みながら、親父さんに余計にイロつけなくていい、て言ってくれよ、いつも倍くらい出そうとするから逆にめっちゃ悪いんだよ、と答えれば
「貰っときゃええがや!」
と、また彼は白い顔にこれまた白い歯を映させてニカッと笑う。
「ダメだって、俺だってプロの萬屋なんだ、いくら、その、お、お前の彼氏だからって、気ィ遣って貰うのはその、なんだ……」
「まぁそれは後で親父と話しゃぁ、とりま車! レンタカー屋こっちだで」
「お、おう」
そう。
お互いの誤解がとけて、ナゴヤとイケブクロ――距離こそあるものの、共に過ごすようになった、出来るようになった相棒に、一郎は早々に「これは恋の」告白をして勢いで空却を「分かった」と頷かせ、なんやかんやで今では空却との仲は、彼の父の灼空にも知れているし、(最初こそ寺中大騒ぎになったが)認めてもらっている。
そうして空厳寺の所用も〝依頼〟として受けるようになり、本日もそういう一件だ。
「同じ宗派のな、お坊様んとこ、届けモンと挨拶いってこい言うでよ」
手軽で燃費の良さそうな、レンタルの軽自動車の助手席でチューイングガムを噛みながら、空却が手際よくカーナビをセッティングした。
「えっ〝でら〟山ん中じゃん」
カーナビの示す目的地の周りの等高線を見て思わず叫んだ一郎に、空却が金色に藤色のハイライトが映える瞳を真ん丸に見開いた後――
「ヒャッハハハハハ! でら! でら山ん中だて」
「……あ~~……」
移っちまった、と恥ずかしそうに苦笑いすると、一郎は「ブクロに帰った時気を付けねぇとな……」と隣で腹を抱えて笑い転げる空却の頭を軽く叩き「シートベルト!」と、慣れた手つきでアクセルと踏んでハンドルを切った。
ナゴヤの中心から一時間以上かけてたどり着いた渓谷は、今――秋晴れの中で真っ赤に燃えるように美しい紅葉の谷であった。
観光地としても有名らしく、川に沿った山の麓に多くの店が並び、大変な賑わいの中を、すたすた歩く空却の後をついていけば、やがて山の麓に古刹の名が刻まれた石碑が見えた。
「此処」
空却が石碑を指さし、次に向かって左手、東側に面するこんもりした山の上を指さした。
「ま……まさか」
この頂上
一郎が悲鳴を上げれば「こんなん、一時間もかからんがや!」と自分より頭一個背の高い彼氏の腰を叩いたのだった。
狭くて急こう配の山道を、自分より歩幅の狭いはずの空却が、先を鼻歌交じりにひょいひょい登っていくことを「まるで栗鼠か猿みたいだな」と。そして「やっぱり山の中に居る時のほうが、生き生きしてるな」と、イケブクロでは決して知り得ない彼の一面を見られたことに、一郎はふ、と汗と一緒に笑みをこぼした。
「一郎! まさかもうへばったのか」
まだ半分も来とらんぞ、と山腹の――この山城を拠点していたという侍一族の墓の横で。空却が脚を止めていつのまにか手にした栗の木の枝を振り回した。
「違げえよ、あっちぃの」
上脱ぐわ、と一郎がジャンパーを脱いで腰に巻いた時。
「一郎、下見てみろ」
山道の端に立ち、空却が指さした山下には。
あっ、と一郎が息を呑むほどに、透明に燃え上がるような紅に染まった――紅葉が敷き詰められた山々が、むかしばなしの挿絵のようにこんもりと、秋晴れの青空とコントラストを成して広がっていた。
「うわ……これめっちゃ綺麗だわ……」
「だろぉー?」
お前と見たかったんだよな、と。
へへ、と少しはにかんで八重歯をのぞかせて笑う空却に、一郎はもう一度驚いて息を呑んだ。
「え……」
「めっちゃ綺麗だから」
ここの山から見る紅葉は。
「あー、一郎と一緒に見てぇなーって、思っとったん」
何気なしに伝えられた想いに、一郎が一瞬ためらった後。静かに想う人に問いかけた。
「……それ、俺のこと好きだから?」
「おう」
こちらを見ず、変わらずに山下の紅葉を見ながらの答えだったが、空却の耳が其の紅葉のように朱くなっているのを見て。
「……っっはぁあ~~~」
大声で脱力しきって、一郎がその場にへたりこんだので。
「は なんで どうした」
慌てて空却が振り返り、うなだれた一郎の肩を揺らせば。
「だって……だってずっと俺ばっか好きだ好きだ、って言ってた気がしてたから」
お前は俺のことちゃんと恋のほうの好きなのか、ずっと不安だった。
「……お前が二年前俺の前から去っちまった時も、今だから言えるけど、俺、左馬刻の前でバカみたいに大泣きしちまって」
そのくらい、お前のこと好きだった、あの頃から。
その告白に――
空却の眼がこれでもかと見開かれた後、静かに長く濃い睫毛が伏せられて。
「拙僧は、ずっと吐いてた」
「は」
とんでもない返答に、一郎が思わず顔を上げて叫んだ。
「人生で初めて入院するくらい、なんかメシ食えんかったり、吐いてた」
「な……ッッ」
「多分、〝俺はこんなに一郎のこと好きなのに、なんでこんなに憎いんだ〟って、ヒプノシスマイクの洗脳に必死で、心が抗ってて、拙僧はなんとか克ちたかったんだと思う」
「く……う、こ、う……」
「そいでも勝てんかったで、まぁありゃどえらいシロモンだわな」
おそがいわ、とナゴヤ弁で「おっそろしいわ」とひとり納得するように頷く空却を――一郎はぎゅう、と抱きしめた。
「ごめ……ッッ」
震える声で、必死で泣くまいとする気配を感じて
「なんで」
と、空却も彼の広い背に腕を回す。
「お前が謝るこたねぇがや!」
「……俺、俺、お前がそんな苦しんでたことも知らずに」
好きなのは俺だけなんじゃないかって
「……彼氏面してただけかよ、って……!」
ますます強く、もう二度と離さないし傷つけない、と誓うように。
己を抱き締めてくる一郎の髪から、彼の使うシャンプーの香りと汗の匂いがすることに、空却は目を細めた。
「んなもん、拙僧もだが」
負けないくらいにぎう、と空却が腕に力を籠めれば、お互いに「苦しい!」と叫びながら顔を上げて、目が合って――
赤い頭が飛び跳ねて、ついばむようにいとしい人にキスをした。
驚いて赤と緑の色違いの眼を見開く一郎に、上目遣いでいたづらっぽく微笑んで。
「また来年も来よまい、彼氏さん」
出来たら諸々片ァつけてなぁ、と続けて。空却が明るい秋の青空の中、赤毛を太陽のように映えさせて笑った。
【了】