(タイトル未定)ガランとした中央本部メインルーム下層。オフィサー1人いないだだっ広い部屋に1人、イゴリーは佇んでいた。アブノーマリティへの作業を終えた彼には、気がかりなことがひとつあった。
(……どこいった、アイツ)
同じく中央本部第2チームに配属されているはずのニコルの姿が先程からどこにも見当たらないのだ。彼女は同じく中央本部に収容されている別ののアブノーマリティの観測を進めていたはずだ。死亡の連絡などは受け取っていないはずだから、必ずここにいるのは間違いないはずなのだが…。
(そのうち戻って来んだろ)
僅かな不安を振り切り、イゴリーはもう一度作業へと向かった。その時だった。
「……あ」
ちょうど作業を終えたらしいニコルが収容室から出てきた。頭上に何かハートのようなものを浮かべてはいるものの、いつも通りのその姿に安心して話しかけようとする。しかし__
「お前、どこ行って「すみません、失礼します」…あ?」
「おい待て、ニコル___」
話しかけるより早く。ニコルは脱兎のごとくメインルームの方へと走り去ってしまった。明らかに様子がおかしい。
いや、もともと時々おかしなことをしでかすような奴ではあったんだが。だとしても今日の姿は、明らかに違う。作業が終わったら絶対に問い詰めてやる、とイゴリーは小さく呟いて収容室へと向かった。
作業を終えて戻ろうとしたその時だ。廊下の隅、メインルームと反対側でニコルが縮こまっているのが見えた。
「……おい」
「!?なん、ですか。メインルームに戻ったはずじゃ」
「こっちのセリフだわ。こんなとこで何してんだ」
「私は廊下で待機命令が出ているのでここにいるだけです」
「ハァ?さっきお前メインルームまで逃げてったろ」
ニコルは言葉につまる。表情こそ変わらなかったが、一瞬だけ、目が泳いだ。そんなことには構わず、イゴリーは続ける。
「お前、今日ずっと俺の事避けてるだろ」
「避けてるんじゃないんです。本当に廊下で待機していろ、と管理人が仰っているだけです。先程はリアクターの回復機能を利用するために一時的にメインルームに戻っただけで…」
「だとしてもあんなにビビって逃げてくことねぇだろ、今更」
「それは、その……」
なおもニコルは言葉を濁して答えようとしない。痺れを切らしたのか、イゴリーがぽつりと呟いた。
「あそこまで様子違かったら心配にも、なるだろ」
「…え?」
「普段は無駄にちょっかいかけてきたり訳わかんねぇこと言い出すくせに。急に静かになったらさすがになんかあったんじゃねぇか、って不安にもなるだろうが」
いつもの口調でそう零すのとは裏腹に、その声色にいつものような凄みはなかった。ハァ……とため息をつく姿を見て、ニコルも思わず罪悪感を覚える。
「……すみません、その。心配させるつもりはなくて」
観念して口を開き始めた。彼女の担当している[溶ける愛]というアブノーマリティは感染能力を持っているらしく、近寄ると他の職員にもそれが伝播してしまうんだそうだ。そして、感染者数が一定以上になるか、クリフォトカウンターが0になれば感染している職員は全員死んでしまうらしい。
「……だから、私が近づいたらイゴリーにも伝染ってしまうから、なるべく距離を取ろうと思って。廊下で待機していたのも、感染拡大を防ぐための管理人からの指示です
。処刑弾で処理した、とは仰っていましたが、万が一に備えての事だそうで」
「ハァ〜……そんな理由かよ……」
理由を知ったイゴリーは大きなため息をついた。心配して損したような気分だった。
「そんなってなんですか!こっちは貴方を死なせないように真剣なんですよ!」
「んなもんテメェ次第だろうが」
「それは、そうですけど……」
「どうせオフィサーはみんな死んでるんだから、お前がミスんなければいいだけの話だろ。んなことでうだうだ言ってんじゃねえ」
「簡単に言わないでくださいよ!第1ALEPHクラスの作業なんて安定してできるわけ……」
言いながら顔を上げると、イゴリーと目が合った。腕を組んで当然のように「お前ならできるだろ」と言わんばかりの表情を浮かべている顔が、僅かに溶け始めているのが見えた。ニコルは小さくため息をついて、反論の代わりに答えた。
「……分かりましたよ。絶対死なせませんからね」
「ん。それでいい」
さっさと戻るぞ、と言いながらメインルームに戻るイゴリーの背中をニコルは急いで追いかける。広いメインルームに、2人の足音だけが響いた。