“美丈夫は短命だ”
幼い頃、村でよく聞いていた言葉。新幹線の窓から差し込む日差しを浴びながら、だんだんと懐かしく感じる風景になるにつれ、昔の記憶が蘇ってくる。あそこを離れて何年経っただろうか。遠くの町で暮らそうね、と父親に言われあの村を出たのを未だに鮮明に思い出せる。あれ以来、会っていなかった母の訃報を受け、葬儀のため村に戻ることを許されたのは何とも言えない気持ちだ。昔から、あれだけ母親に会いたいと伝えても父親がそれを許すことは無かった。自分はこっそり村に帰っているくせに。知らないと思っていたのか。村に住む祖母に、電話で帰省したいと伝えたときだってそれを由としなかった。やっと、帰ってこい、と言われたその電話でまさか母親の知らせを聞くとは思ってもいなかった。
「……はぁ、」
ぐるぐる考えたってどうしようもない。葬儀ですら帰ってくるなと言われなかっただけましだ。もうすぐ目的地の駅に着くと分かってはいても、眩しい日差しに目を瞑らずにはいられなかった。
親戚たちが集まる家から太陽が照りつける庭へと一人抜け出す。一晩経つと、少し冷静になった頭が現実を理解していく。本当に、もう動かないんだ。もうあの手が頭を撫で、抱きしめてくれることはないんだ。心が欠けたような、そんな感覚のまま夏の匂いのする風を大きく吸い込んだ。天から降ってくる日差しがスーツに熱を溜めていく。ものの数分で、肌にじわりと汗が滲んだ。頬を撫でる髪が鬱陶しくて耳にかける。少し開いた視界の端に、人影が見えた。反射的にそこへ顔を向けても誰もいない。見慣れたあの大きな木が、人影に見えたのだろうか。ちょっと疲れてるのかも。ネクタイを緩め、大きな木の影へと足を向ける。生い茂った葉が生み出す木陰は、スーツに篭もる熱を少しだけ取り払ってくれた。蝉の鳴き声が聴覚を鈍らせていく。家でお喋りをしながら飲み食いしている人達の声が、聞こえなくなっていった。
『かなしい?』
鈍った鼓膜を、静かな声がはっきりと震わせた。耳元で話している訳でもない距離で、こんなに鳴き声のうるさいこの場所で、その声ははっきりとそう言った。周りを見ても誰もいない。幻聴まで聞こえるとは相当きている。もう今日は早めに寝よう。水分を欲している喉を潤すべく、室内へ向けて足を踏み出す。
『祠、覚えてる?』
聞こえてくる声も気にせず、蝉の鳴き声から距離を取った。
早く眠りについたからか、まだ夜中だと言うのに完全に目が覚めてしまった。冷蔵庫を開け、冷えた麦茶をコップに注ぐ。一口飲み椅子に座ると、昼間あれ程うるさかった蝉は、もう夏が終わったのかと思うほど静かに息を潜めていた。スマホを見ると数時間前に来ていた通知が目に入る。友人からのメッセージを読もうとタップした瞬間、画面が真っ暗になった。あぁ、寝る前充電していなかったから。テーブルにスマホを伏せて、背凭れに体重を預ける。
「…ほこら、」
自然と口から言葉が出た。そんな事考えてもいなかったのに。そう言えば、昼間のあの声が祠とか言ってたような。祠って昔遊んでた、山のところにあるあれかな。縁側からサンダルを履いて庭へと降りる。裏口の門扉を開け、山へ続く畦道をしばらく歩いてから、灯りのためにもスマホを持ってくるべきだったな、なんて思う。
「ま、いっか。」
暗闇の中、記憶を辿ってその場所を目指した。息が上がって汗がTシャツに吸い込まれていく。思い出した記憶は正しかった。見覚えのある祠が目の前に現れる。昔見ていた時よりも、随分と小さく見えた。何故、此処に来たのだろう。ここの山で遊んではいたが、この祠に思い出がある訳ではない。何で祠の事なんて考えてしまったのだろう。あの幻聴のせいか。
「……来たよ」
屈んで祠へ向かって声をかける。瞬間、音が消える。生き物の気配も、草木が揺れる音も、全てが無くなった。
「え……?」
確かに草木は揺れている。なのに何も聞こえない。体調が悪いのかもしれない。早く家に帰ろう。
『待ってた』
背中を向けたそれから、声がした。
『ずっと。待ってたんだよ』
昼間、声が聞こえたときは声の主を探すために振った頭は、今は動かせない。動かそうとは思わなかった。
『君は遅かったね。でも、また来てくれて嬉しいよ』
汗がだらりと流れる。声が、少しずつ距離を詰めている気がして、次は声の主を見つけてしまう気がして、無意識に両手が汗で湿ったTシャツを握っていた。
『悲しくないよ、もう何も聞こえないでしょ』
強張った身体の、自分の心拍すら聞こえない。
『寂しくないよ、』
耳元で囁く声がして、反射的に振り返った。突然燃え上がった青紫色の炎の灯りがそれに当たって、白い肌が晒される。瞬きを忘れたしまった瞳が、目の前にある双眸に捕らえられた。首をかしげたそれは、長髪を揺らして妖しく笑った。
『ぼくが、ついてるからね』
「見目良い男はね、呪様に連れてかれるんだよ。だから、お前は何れ、この村を離れないといけない。この村で生きては駄目なんだ。お前のような美丈夫、…絶対に戻ってきては、いけないよ。」