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    #千至
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    ##千至

    千景さんへの気持ちを消すために寮を出た至さんの話 ㊦「お疲れ様です、お先に失礼します」
     千景が酔った至を部屋に送り届けたあの日以降、至は千景の顔を見ていない。正確には、姿が見えそうになったら全力で顔を背けていた。そんな至の態度にも、千景が何かを言ってくることは無かった。今週末には春組の稽古がある。平日の稽古は申し訳ないが仕事が忙しいなどと言い訳をして参加を極力減らしていたが、週末となれば話は別だった。それにできる限り稽古には参加したい、一人だけ置いていかれる訳にはいかないというプライドもある。
     食事だってあの日千景に言われたことを気にしてもっと体に良さそうなものも選ぶようにした。そのせいで増した食費のためにゲームに費やす金額を減らしているので、日々ストレスが溜まっていく。しかしどんなにイラついても当たる先はゲームしかない。
     今日も適当にコンビニで野菜が沢山入ってると謳っている惣菜を手に取った。これをおかずに晩御飯はレトルトのカレーを食べる、それがここ最近の習慣だった。
     千景の手作りのカレーを食べてから、どうにもカレーが食べたくて仕方がない。千景が作ったものにはゴロゴロと野菜が入っていたのだが、レトルトとなるとそうもいかないので、仕方なくコンビニの惣菜を合わせていた。
     千景には会いたくないと、あの日のことを思い出すだけで怒りが込み上げるのに、辛いながらも優しさの詰まったあのカレーの味が忘れられなかった。
    「…………最悪かよ」
     コンビニに滞在していたのは長くても10分ほどであったのに、外に出てみればバケツをひっくり返したような雨。もちろん天気予報なんて見ていない至が傘を携帯しているわけもない。
    「チッ……」
    舌打ちをひとつこぼして、大雨の中を進んで帰った。

     結論から言うと、しっかりと風邪をひいた。大雨に濡れた後にすぐに着替えはしたものの、次の日起きた瞬間から倦怠感に襲われた。午後になれば頭痛や咳も加わり、いよいよ病人らしくなってきた。たまに咳き込む至を近くの席の同僚が心配してくれるが、無理矢理作った笑顔で大丈夫だと言う他なかった。
     そんな日に限って残業を回避できず。早く帰りたいのに体調不良のせいかなかなか今日中に仕上げる分が減らない。そろそろ本格的にまずいかもしれない、と思ったとき。とっくに帰宅した隣の席の同僚の椅子が引かれた。
    「…………な、」
     デスクの上に置いておいたUSBメモリを勝手に読み込み、このあと至が確認して添削をする予定だった後輩の作成した説明資料に目を通し始めたのは、千景だった。
     無言で至の仕事を奪うその姿に、思わず声をかけてしまった。
    「なに、してるんですか……」
    「こんな遅くまで残業してる奴がいたら誰だって気にかける。……それにお前、あんまり体調良くないだろ。寝不足?」
    「…………」
     当たり前のように助けてくれる優しさに喜んでしまう。けれど、その誰が残業していても助けていたのではないかと感じさせるような言い方に胸が痛んだ。体調が良くないのを悟って手伝ってくれるその優しさが、弱ったメンタルには耐えられなかった。嬉しい、そんな気持ちが溢れてしまいそうだった。目頭が熱くなるような感覚があった。
    「さっさと終わらせて早く帰って……これでも食べて、寝ろ」
     画面に映し出された資料を確認していた千景が手を止めて、脇に置いていた鞄から包みを取り出す。そしてそれをそっと至に手渡した。
     条件反射で受け取ってしまった至はそれがなんなのか分からず、包みと千景の顔を交互に見る。
    「……今朝、臣に栄養のバランスの取れてるおかずを作ってもらったんだ。楽しそうに茅ヶ崎用にタッパーに詰めてくれたよ」
    「そ、う……なんです……か?」
    「ああ。九門からも覚えきれないくらい色々な食べ物を教わったよ」
    「はは、それは想像出来る……」
     明るくて、暖かくて、大切なカンパニーの話。千景と話すなんてもう嫌だと、そばにいるのも苦しいと思っていたのに、いつの間にかこんなに力を抜いて話せていたのだろうか。気づけば口角は上がって、肩の力は抜けていた。
    「どう、終わりそう?」
    「いや全然終わらなさそうですけど、もう諦めて明日でもいいかなって思ってきました」
    「明日で問題ないなら明日にすればいいんじゃない? また手伝ってあげるから。今日はもう早く寝て、調子を整えてこい」
     ゆっくりと至の方を振り向いた千景が、ふわりと優しく笑った。その慈愛に満ちた笑顔が、何より好きだった。
     帰宅するとなったら準備は早く、至の分の荷物まで千景がまとめてくれて、あっという間に帰路に着くことができた。特筆すべき会話もないまま、駅までの道のりを一緒に歩く。時間が時間だからか、辺りに人はおらず、まるで二人だけしかいないようだった。
     無言でも気まずくない、心地よい雰囲気が幸せだった。こんな小さな幸せだけでもいいから今後も欲張ってもいいのだろうか、至は千景の革靴を眺めながらそんなことを考えていた。
     もうすぐ、駅に着く。二人が乗る電車は逆方向で、ここが別れ場所だった。もし一緒に帰ることになってしまってもすぐに別れられるように、今借りているマンションを選んだのは至だ。
    「……じゃあ、先輩。お疲れ様でした。手伝ってくれて本当にありがとうございました」
     この先は一人になると思うと、忘れかけていた倦怠感が戻ってきた。このままここで寝てしまいたいくらいには身体が重たいが、千景の目がある。あと少しだけ、頑張らないと。そう自分に言い聞かせて至は両足に力を込める。
    「お疲れ様。……お前、本当に顔色が悪いな。もしかして寝不足が原因じゃない?」
    「そんな、こと……」
     駅構内の眩しいライトに照らされた至の顔色に、千景の表情が曇る。まるで何かを確かめるかのように頬を人差し指で撫でられた。その擽ったさに、続けようとしていた言葉は霧散してしまった。
     口を噤んでしまった至の様子を見て、くすりと千景は笑った。頬に触れていた手を持ち上げて、ふわふわと跳ねている髪の上に乗せる。ゆっくりと手を左右に動かして、優しくその頭を撫でる。
    「早く良くなって、茅ヶ崎」
     もう我慢の限界だ、直感的に至はそれを感じた。
     優しく笑う千景の表情が。至を心配していると伝えてくる言動が。頭を優しく撫でる手から伝わるささやかな熱が。その全てが、愛おしい。
     体中が熱くなってきたのは体調不良のせいではない。心臓がバクバクと音を立て、情けなくも表情には力が入らない。ダメだ、と思った。
    「……ちが、さき?」
    「ぁ……、」
     きっと今、どこからどう見ても蕩けた顔をしている自覚が至にはあった。千景のことが好きだと、表情が、目が、肌が、物語っているようであった。
     そんな至を見ていた千景の瞳が驚いたように見開かれるのを確認し、至は急に冷水を浴びたように頭の先から冷えていく心地だった。
     まずい、このままでは気持ちが全てバレる。
     名残惜しい体温から逃げ出し、そのまま帰宅方向へのホームへと走る。後ろから至を呼び止める声がしたのかしてないのかもわからない。ただただ必死に走って、タイミングよく停車していた電車に乗り込むと、その扉はすぐに閉められた。
     その後の千景がどうなったのかも分からないまま、至は家に帰った。

     翌日。千景から受けとった臣特性のおかずとゲーム類を全て諦めたおかげで得た十分な睡眠のおかげか些かマシになった体調で出社した。事務的な作業を午前中に終わらせて、午後は外回りからの直帰の予定。このまま千景に会わずに帰って、あとは週末に何食わぬ顔をして稽古に出ればいいだけだ。
     一旦顔を合わせない時間を作りその間に何も無かったことにしてしまえばそれでいい。そして今日は一度も千景の顔を見ることなく無事に外回りまで終えてマンションに帰ってこれた。ああ、よかった。そうほっとしながら玄関の戸を開けた時。
    「ああ、おかえり。茅ヶ崎」
    「…………は?」
     玄関からリビングまでを真っ直ぐに繋いでいる廊下はもっと物に溢れていなかっただろうか。適当に包んだゴミや、脱ぎ捨てた衣類があったはず。そして消したも消さなかった記憶もないリビングの電気はついていて、その向こうからは至を出迎える声がした。酷く聞き覚えのあるその声に、至は動きをとめた。
     千景が、いる。どうして。自問したところで答えが返ってくるはずもない。焦った思考のまま至が立ちつくしていると、なかなか上がってこない至を心配した千景がやってきた。ジャケットを脱いだだけの千景は、靴も脱がずにぼんやりとしている至の頬をペちりと軽く叩いた。
    「なに放心してるの。晩御飯が冷めるから早くおいで」
    「……はい、?」
     それだけ言ってリビングに戻ってしまった千景の優しい笑顔が忘れられないまま、至はほぼ放心状態のまま靴を脱ぎ、とぼとぼと廊下を歩いた。リビングから漏れる晩御飯の香りに、つい頬が緩む。
    「……カレー、か」
     誰かさんたちのように特別カレーが好きだったわけではない。けれど、それでも。あの日の千景のカレーの味が忘れられず、それ以降ずっとレトルトのカレーを食べていた至にとってはどんなご馳走よりも誘惑的な匂いだった。
     ようやく辿り着いたリビングで待ち構えるは、乗せていたものが全てどこかに追いやられてさっぱりしたテーブルと、その上に並ぶカレーが2膳。
     まるで吸い寄せられるように席に着いた至は、水の入ったコップを持ってきた千景を視線で追った。至の元にコップを置き、同じく席に着いた千景は少しだけ困ったように、けれども笑顔で肩を竦めた。
    「茅ヶ崎に、話があってきたんだ」




    「先輩、あの。俺、来月から一人暮らしするんで」
     至がそれを千景に伝えたのは突然だった。いつも通り一緒に車で通勤して、会社の駐車場に着いた時。車から降りる間際に突然告げられた。
     何故かと理由を聞けば、ゲームのためだと間を置かずに返ってきた。その後はつらつらと何故このまま寮にいたら不都合なのかを話し始める姿はまるで言い訳をしているようで、千景には酷く不自然に見えた。
     けれども全てを言い切った至はふぅと一息ついて先に車を降りてしまった。もとより千景を待つ気などなかったのか、まだ助手席に座ったままの千景のことを気にする素振りもなく歩いていく。その背中を千景は見つめていた。
     来月から、一人部屋。その事実が、まだ千景の中では現実味を帯びていなかった。
    「千景さん、至くんがいなくて寂しそうですね」
     至が寮を出て行って数日経った頃。急にそんなことを言われた千景は戸惑った。自分は寂しいのだろうか。それがわからなかった。けれども今までとは103号室での滞在時間が圧倒的に変わったことは自覚していた。帰宅してスーツを脱いでから、寝る直前までほぼ談話室で過ごすようになった千景のことは、みんなが知っていた。たまに自室にいることもあるけれど、持ち帰りの仕事なども談話室で行っていることが多い。
     その日からずっと、なぜ自分は至がいなくなってしまった事が寂しいのかと考えるようになった。
     二人の関係から同室者というものが消えただけで、まだ他にもたくさんの名前が残っているというのに。久しぶりに昼食に誘った至が今までよりもなんだかよそよそしく感じて、千景はその違和感が忘れられなかった。しかし稽古の際などにほかのメンバーと話している至にはその違和感は感じられなかった。千景相手にだけ、なのだろうか。
     現在至がどこに住んでいるのか、詳しいことは教えてくれないのだと悲しむ声が聞こえた。どうしてそんなことを隠しているのか見当もつかなかったが、誰も知らない至のことを知りたい。もっと彼と話がしたい。そう感じたのは確かだった。
     だから千景は、3人に協力をあおいだ。そして作戦が実行される日、寮内の飲み会に誘われる至を横目に、千景は計画通り学生組の勉強を見てあげることとなった。
     初めての頃は家庭教師だなんて慣れなかったのに、いつの間にかこれが日常になったのだろうか。そんなことを考えながら千景は談話室を後にした。家庭教師人員は最近一人減ってしまったからか、千景の元に勉強を聞きに来ることは多くなった気がしていた。しかし年々学生も減っていっているのでそこまで苦ではない。むしろ楽しかった。
     今頃206号室ですっかり出来上がってしまった団員が何人いるのだろうかと考えながら、自分の部屋には寄らずに真っ直ぐ足を向けた。
     危なくない程度に酔い潰れていてほしいのが一名、出来ればあまり酔っていてほしくないのが一名、絶対に寝ていてほしいのが一名。そんな願望がある時に限って起きているのだけれど。
    「すみません、遅くなりました」
     二回のノックと共に部屋の扉を開ける。むわりとアルコールの匂い、ではなく、お香のような上品で仄かな香りが千景を包んだ。そんな香りには似合わないような光景が広がってはいたのだが。
     机に突っ伏して寝ているのが一名、その両脇でニコニコと微笑んでいるのが二名、至のことを冷ややか目で見つめる全く酔っていなさそうなのが一名。ほか、罪なきほろ酔いが三名。
    「いらっしゃい、千景。こんな具合でどうかな?」
    「はい。ありがとうございます」
     今回の共犯者は爽やかに笑う。その隣で突っ伏して寝ている可哀想な被害者の背後に回り、千景はそっと肩に手を置いた。うぅん、と少し唸ったことから、意識はまだかろうじてあるらしいと判断をした。
    「…………至、大丈夫? だいぶ酔っているみたいだけど。家まで送るよ」
    「んん……だいじょ、ぶ……」
    「それにお前、車で来てるだろ? 通勤の時に困るだろうから、送ってあげるよ」
    「く、る……ま……忘れて、た……んん〜〜、でも……」
    「眠いんだろ? そのままで寝てていいから。家の場所だけ教えてくれる?」
    「ん……ナビ……入って、……ぅ…………」
     優しく背中を撫でる千景の手の心地良さに、至は話しながら眠ってしまった。よし、と千景が一息ついたところで周りの視線がうるさくて思わず顔を上げた。
     至、だなんて下の名前で呼んだことを面白がっているのか、2人のやり取りを笑っているのか。六者六様の顔をして千景を見ていた。
    「気をつけて行ってらっしゃい、送り狼さん?」
    「いえ……そういうわけじゃないんですけどね」
     送り狼。未だ自分が至に向ける感情の名前も分からない千景には相応しくない名前だった。
     すっかり寝入ってしまった至をそっと抱き上げて、起こさないように慎重になりながら千景は駐車場までの道のりを歩いた。

     ぐっすりと眠っている至を助手席に乗せながら千景は考えた。先程はわざと普段は呼ばない下の名前で呼んだ結果、特に疑いもせずにカーナビに自宅を設定していると教えてくれた至だが、もし聞き出しているのが千景だと知ったら教えてくれなかったかもしれない。そんな現実を目の当たりにしたくなくて名前で呼んだ。きっとそんなことはこの酔っぱらいは忘れてしまうのだろう、千景はひとつため息を吐いた。
     

    「出てってくださいっ!!!」
     そう叫んだ至の表情を忘れられないまま千景は帰路についていた。つらくて、苦しくて、何かが溢れてしまいそうな至の様子が脳裏に張りついて離れない。そんな至に対してざわつくこの気持ちの名前もわからない。
     本当は今すぐにでも至の元に戻りたいのだが、どうして彼を怒らせてしまったのか分からない千景が戻ったところで状況は悪化するばかりであろうことは想像に易い。
    ──────行ってらっしゃい、送り狼さん?
     至を自宅まで送り届けようとする千景に向けられた言葉を思い出した。確かに至を酔わせてほしいと頼んだのは千景の方なのだが、決してそのようなことを望んでいたわけではなく。だいたい至相手にそんな邪な気持ちなんて。
     そこまで考えて千景はふと足を止めた。

     果たして、本当にそうだろうか。
     緩んだ表情のまま眠る至を見て、何も思わなかったかと問われれば上手く答えられない。最近では会社でも至と出会う頻度が減っていた。意図的に至が時間や行動範囲を変えているのだと気づくまでに時間はかからなかった。そんな千景がすぐそばに居るのに幸せそうな顔で眠る至に、本当に何も思わなかっただろうか。なんの欲望も抱かなかっただろうか。
    (違う………………俺は…………)


    「俺はね、自分でも気づかない間にお前と過ごす時間が気に入っていたみたいだ」
     千景が作ったカレーを至と向かい合って食べながら、千景はぽつりぽつりと話し始めた。前回よりも辛さの抑えられたカレーの味。市販のレトルトよりは辛いけれど、至でも安心して食べれるほどであったことが嬉しい。きっとこの前のことを考慮して作ってくれたのだろうと容易に想像できる。
    「だからお前がいなくなって、何だかよそよそしくなって、俺は寂しかったみたいだ。だから過剰に茅ヶ崎に構おうとして……怒らせた」
     それは違う、千景が悪いのではないと至が反論しようとすると千景がそっと手で制した。まだ至には話させたくないらしい。少し不服だが言葉を飲み込んで千景の言葉を待つ至の様子に満足した千景は再び口を開いた。
    「こんなこと言われて、お前は嫌だろうけど。……俺の人生に、お前は必要不可欠らしい」
    「は…………?」
    「好きだよ、茅ヶ崎。この世でいちばん、愛────」
    「待ってくださいッ!」
    「茅ヶ崎……?」
    「やだ、やめて……ダメですよ、先輩」
     うわ言のようにダメだダメだと繰り返す至の様子に千景は困ったように眉尻を下げた。いつの間にか至の目には涙が滲み、語気も弱まっている。少しずつ俯いていく顔は悲しそうに歪んでいた。
    「……駄目じゃない」
    「ぇ…………?」
    「俺が茅ヶ崎を愛おしいと思うのも、ずっとそばにいてほしいと思うことも、駄目じゃない。実現するかは別にして、俺がそう望むことは、駄目じゃないよ、茅ヶ崎」
    「ダメですよ! だって、そんな……千景さんの幸せが……っ、」
    「茅ヶ崎」
     至の声を遮るように、千景の声が放たれた。真っ直ぐに、強い眼差しを向けてくる千景に、至は口を噤んでしまう。
     怒っているのだろうか、苛立っているのだろうか。その真意は至にはわからなかったけれど、千景がなにか譲れないほどの強い意志を持って、至の言葉を止めようとしていることはわかった。
    「茅ヶ崎がいなくなったら、きっと俺は今以上幸せになるなんて無理だよ。お前が嫌でないのなら……嫌になるまででいいから、おれのそばにいてほしい。隣で、笑っていてほしい」
    「…………おれが、いても……千景さんは幸せなんですか、」
    「うん」
    「おれが、どんな感情をあなたに向けていても、それでも、ですか」
    「憎悪や嫌悪だったらつらいけど……もしそれが、愛情と呼べる類いのものだったのなら、これ以上嬉しいことはないよ」
     ふっと力を抜いて、暖かい眼差しに、緩くあげられた口角。優しい千景の笑顔に、至は泣きたくなった。大切な仲間、家族以上の感情を向けてしまっても、愛を向けてしまっても、千景は喜んでくれると言う。こんな夢みたいなことがあっていいのだろうか。まるで至が望んだ夢のようなことがあっていいのだろうか。
    「茅ヶ崎。……好きだよ、愛してる。お願い、俺の隣に戻ってきて」
    「……ちかげ、さん…………」
     零れ落ちていく涙は止められなくて、歪んだ顔を隠そうとした至の手を濡らす。泣くなよ、なんて千景の声が聞こえるけれど至の意思ではどうすることもできなかった。
     痺れを切らした千景が席を立ち、そっと至の隣に移動して身体ごと抱きしめてくれた。暖かな体温と、千景の想いが込められたような力強い抱擁。
     あんなに苦悩して、決断したことはなんだったのだろう。千景の言葉が、勝手にささくれてやさぐれていた至の心を癒していくようだった。

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