コーヒー 冷蔵庫の扉を開けると、ブラックコーヒーのペットボトルを取り出した。スーパーで棚に並べられているような、安価な一リットルサイズのものである。氷を入れたグラスに注ぎ入れると、それはカラカラと音を立てた。涼しげなその音色に、夏の訪れというものを感じる。
コップをカウンターの上に置くと、今度はキッチンの引き出しを開けた。ガムシロップとフレッシュを取り出すと、蓋を開けてグラスの中へ投入する。黒一色に染まっていた液体は、すぐに薄茶色のカフェオレになった。一口飲んで甘さを確認すると、さらにガムシロップを追加する。
グラスを片手に机へと戻ると、ルチアーノが呆れたように僕を見た。激甘コーヒーを流し込む僕を見て、珍獣でも見たかのように目を細める。僕がグラスから口を離すと、彼は吐息混じりに語る。
「よく、そんな甘いもん飲めるよな。そんなに甘くしたいなら、最初から甘いものを買っておけばいいのに」
グラスを机の上に置くと、僕はルチアーノに視線を向ける。退屈そうに座っている横顔に、僕は弁解の言葉を告げた。
「こういうのは、自分でカスタマイズするからいいんだよ。甘さだって、その日の気分で変えたいでしょ」
「甘さを変えるなんて言ってるけど、必ず砂糖は入れるんだろ。飲めないって分かってるのに無糖を買ってくるなんて、君って変なやつだよな」
厳しい言葉に、僕は反論の余地を失ってしまう。彼の言うことは、痛いほどにごもっともだったのだ。僕はよくコーヒーや紅茶を飲むけれど、無糖のものはそこまで好きではない。アキから差し入れをもらうときにも、砂糖を要求するくらいだったのだ。
「一応、無糖だって飲めるんだよ。たまには、そのまま飲むことだってあるし……」
精一杯の見栄を張るように、僕は小さな声で言い返す。好きではないからと言って、全く飲めないわけではなかったのだ。それに、十八にもなってブラックコーヒーが飲めないなんて、子供みたいで恥ずかしい。ルチアーノに知られたら、からかいのネタにされてしまうだろう。
「一口か二口飲んだくらいじゃ、飲んだうちに入らないぜ。ちゃんと、グラス一杯空にしないと」
にやにやと笑いながら、彼は僕の言葉を封じる。僕が無糖を飲まないことは、とうの昔にお見通しだったようだ。観察眼の鋭い彼のことだから、影から見ていたのかもしれない。
「うぅ…………」
僕が言葉につまると、ルチアーノは勝ち誇ったように笑う。からかいのネタを見つけたことが、嬉しくて仕方ないようだった。僕の方に身を乗り出すと、にやにやと笑いながら距離を詰める。
「図星なんだな。砂糖を入れないとコーヒーが飲めないなんて、君もまだまだ子供だなあ」
挑発するような言葉を投げられて、ついついムッとしてしまった。冷めた気持ちで彼から視線を逸らすと、僕も小さな声で言い返す。
「そんなこと言ったら、ルチアーノだって子供でしょ。ルチアーノも、無糖のコーヒーは飲めない癖に」
僕の小さな呟きは、彼の耳に届いていたようだ。苛立たしげに机を叩くと、彼は大声で捲し立てる。
「飲めないわけじゃないぜ。好んで口にしないだけだ」
「それじゃあ、飲めないことと同じでしょ。飲めるなら、ちゃんと証拠を見せてよ」
ルチアーノの言葉に釣られるように、僕は強気な言葉を返す。大人げないとは思いつつも、溢れる言葉を止めることができなかった。売り言葉に買い言葉の要領で、ルチアーノも声を尖らせる。完全に子供の喧嘩になっていた。
「そんなに言うなら、証拠を見せてやるよ。コップ一杯分飲めばいいんだな」
吐き捨てた勢いのままに、ルチアーノはキッチンへと向かっていく。食器棚からグラスを取り出すと、冷蔵庫の扉を開けた。冷えたペットボトルのコーヒーを、グラスの中に注ぎ込む。足音を立てながらこちらに戻ると、左手のグラスを見せつけた。
「見てろよ。飲んでやるからな」
ご丁寧にも宣言してから、彼はグラスに口を付けた。一瞬だけ動きを止めた後に、覚悟を決めたように手を動かす。斜めにグラスを傾けると、喉を鳴らしながら中の液体を飲み込んでいく。至近距離で見る喉の動きを見ていると、なんだかいけないものを見ている気分になった。
グラスの中身を空にすると、ルチアーノは大きく息をついた。豪快に音を立てながら、空になったそれを机に置く。僕の前で薄い胸板を張ると、自身満々な口調でこう言った。
「ほら、飲んだぞ」
自慢するような声色で告げられるが、僕には反応ができなかった。目の前で胸を張っているルチアーノは、顔が苦々しげに歪んでいるのである。眉は平行になっているし、目も細められている。それで自慢気な素振りをされても、少しも格好がつかなかった。
「そんな顔で言われても、説得力はないよ」
僕が答えると、彼は不満そうに頬を膨らませた。不機嫌を表してはいるが、まだ顔は苦味に歪んでいる。絶妙な表情で僕を睨むと、甲高い声で弁明する。
「これは、そういう仕様なんだよ! 僕の好き嫌いの設定は、人間の子供を元に作られてるんだ! 苦いものを口に入れたら顔は歪むし、辛いものだって食べられない。これは、僕の意思じゃないんだよ!」
甲高い声で捲し立てながら、ルチアーノは唇を噛む。そうこうしている間に、表情はいつものものに戻ってきた。開いた瞳を吊り上げると、鋭い視線で僕を睨む。表情が戻ったこともあって、なかなかに迫力のある態度だった。
「だから嫌だったんだよ! 僕はコーヒーくらい飲めるのに、顔が勝手に歪むんだ。人間の子供を模してるなんて言っても、僕はそいつを知らないのにな」
怒りを吐き出すかのように、彼は次から次へと言葉を捲し立てる。その話の内容は、僕には答えづらいものだった。大人げなく喧嘩を売ってしまったことに、今になって恥ずかしさを感じる。ルチアーノだって、好きで子供の身体に生まれたわけではないのだ。
「そっか。だから、苦いものを飲まなかったんだね」
ようやく口に出した言葉も、彼には気に入らなかったようだ。冷たい視線を僕に向けると、苛立たしげに吐き捨てる。
「他人事のように言いやがって……! お前にも、ブラックコーヒーを飲ませてやるからな。覚悟しておけよ!」
ドスドスと足音を立てながら、ルチアーノは冷蔵庫へと向かっていく。コーヒーのペットボトルを取り出すと、同じように足音を立てながら僕の元へと戻ってきた。中身が半分ほど空になったペットボトルを、突きつけるように僕の前へと差し出す。
「ほら、お前も飲めよ」
彼は飲ませる気満々のようだが、今の僕は応じられなかった。さっき作った激甘コーヒーが、まだ半分ほど残っているのだ。コップ二杯分のコーヒーを飲んだら、カフェインでふらふらになってしまう。コーヒーのグラスを手に取ると、ルチアーノに見せるように前に出す。
「今はこれがあるから、また今度ね」
「分かったよ。いつかは、絶対に飲ませてやるからな」
悔しそうに鼻を鳴らしてから、ルチアーノはペットボトルを片付ける。今回は何とかかわせたが、次もうまくいくとは思えなかった。ルチアーノのことだから、必ず僕にコーヒーを飲ませようとするだろう。
こうなったのは、僕が彼に喧嘩を売ったせいだ。あの時、もう少し理性を保てていたら、コーヒーを飲むはめにはならなかった。自業自得な結末に、自分で後悔したのだった。