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    流菜🍇🐥

    @runayuzunigou

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    流菜🍇🐥

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    TF主ルチ長編の4章です。起承転結の結の話。次のエピローグで完結します。

    ##TF主ルチ
    ##長編

    長編 4章 目が覚めた時、一瞬だけ、そこが死後の世界であるように感じた。割れるような頭痛に襲われて、その考えはすぐに消え去る。この感覚は、どう考えてもループの後遺症だ。過去に三度も体験したものを、そう簡単に間違えるはずがない。
     室内の様子を捉えようとするが、瞳は使い物にならなかった。視界は鈍くぼやけていて、差し込む朝日の眩しさしか分からない。抽象的に浮かび上がるものの配置から、そこか自分の部屋であることは理解できる。僕の予測が正しければ、これは四度目のループということになるだろう。
     なぜ、僕は生きているのだろうか。何をきっかけに一ヶ月の時を遡り、始まりの日に戻ってしまったのだろうか。前回のループで命を絶った時、僕は繰り返しを望まなかった。にも関わらず、僕の意識はこの時に戻っていたのだ。
     この世界のループは、何を引き金として起きているのだろう。僕が祈りを捧げたから、時が巻き戻ったのではなかったのだろうか。ループが起きる理由や目的というものが、僕には何一つ分からない。ルチアーノを救うことに失敗したから、再び時が戻ってしまったのだろうか。
    「おい、起きろよ」
     そんなことを考えていたら、背後から声が聞こえてきた。いつもと何も変わらない、僕を起こしに来た少年の声だ。セリフがいつもと違うのは、僕が横になっているからだろう。ゆっくりと後ろを振り返ると、さっきよりもクリアになった視界で彼を見上げる。
    「おはよう、ルチアーノ」
     掠れた声で話しかけると、彼は退屈そうに息を吐いた。あからさまに眉をしかめると、起き上がろうとする僕を眺める。
    「なんだ。起きてたのかよ。なら、とっとと支度しな」
     その態度は、いつものルチアーノと変わらなかった。何回もループを繰り返しているが、この反応は初めてだ。いつもは僕が座り込んでいたから、僕の異変に気づいたのだろう。
    「ごめんね、今日は体調が良くないから、デュエルはなしにしてもらえる?」
     様子を伺うように答えると、彼はさらに眉を歪めた。冷たい瞳で僕を見下ろすと、不機嫌を隠さない声で言う。
    「なんだよ。せっかく迎えに来てやったのに。デュエルもできないのか?」
    「ごめんね。明日からは、ちゃんと練習するから」
     言葉を重ねる僕を、ルチアーノは冷たい瞳で見下ろしている。ハイライトの消えた瞳を見ていたら、前回のループの最期を思い出してしまった。心臓がドクドクと音を立て、背筋が冷たくなっていく。恐怖の感情が蘇って、気分が悪くなってきた。
    「分かったよ。全く、人間ってのは脆い生き物だな」
     淡々と吐き捨てると、彼は布を靡かせながら踵を返す。その姿を見ていたら、喉の奥から吐き気が込み上げてきた。口元を押さえると、その場で勢い良く咳き込んでしまう。指の間から垂れた胃液が、僕の指先を濡らしていった。
    「どうしたんだよ」
     後ろを向いていたルチアーノが、慌てた様子でこちらを振り返る。明らかな動揺を見ていたら、少し心が落ち着いてきた。目の前のルチアーノは、僕を殺したルチアーノではないのだ。呼吸が落ち着くと、息も絶え絶えの声で答える。
    「ごめんね。ちょっと、気持ち悪くて。落ち着くまで、少し休みをもらっていい?」
    「分かったよ。そんな状態のやつ、危なくて連れていけないからな」
     少し怯えた様子で、ルチアーノが僕の様子を見る。手伝うべきかどうかで、少し悩んでいるようだった。いくらタッグパートナーとはいえ、他人にこんなものを触らせられない。なんとか立ち上がると、枕元のティッシュを引き抜いた。
    「片付けは自分でできるから。こんなもの見せちゃってごめんね」
     フォローするように声をかけると、彼もいつもの調子を取り戻す。行き場のなくなった両手を動かすと、胸の前で腕を組んだ。
    「また、様子を見に来るからな。それまでには治しておけよ」
     捨てゼリフのような言葉を吐いてから、彼は僕の部屋から去っていく。それが心配の言葉であることに、心の底からホッとした。

     ルチアーノがいなくなると、僕は這うように洗面所へと向かった。洗面台に寄りかかるように立つと、震える手で蛇口を捻る。頭が割れるように痛くて、立っているのがやっとなくらいだ。ふらふらしながら口元をゆすぐと、再び地面を這って部屋へと戻る。
     床を掃除する余裕なんて、今の僕にはあるわけがなかった。ループ酔いと記憶の混乱で、胃の奥がジリジリと熱を持つ。込み上げる胃液を飲み込みながら、布団の中に潜り込んでやり過ごした。そうしているうちに、僕の意識は夢の中に紛れ込んでいく。
     退廃した街の中を、僕は必死に走っていた。隣を走っているのは、髪を後ろに靡かせたルチアーノだ。普段とは少し装いが違って、顔の半分を覆う仮面は外されている。僕たちはしっかりと手を握っていて、何かから逃げているようだった。
     僕たちの背後から、何かが壊れるような騒音が聞こえてくる。続いて聞こえてきたのは、甲高い女性の悲鳴だった。僕たちの後ろにいた誰かが、敵襲によって命を失ったのだろう。背後を振り返ることもできなくて、一心不乱に足を動かす。
     しばらく走っていると、繋いでいた腕が引っ張られた。隣で足を動かすルチアーノが、苦しそうに肩で息を吐いている。彼の身体を気遣うように、僕も少しスピードを落とした。背後に鳴り響く騒音と悲鳴が、ジリジリとこちらに近づいてくる。
     もう、騒音はすぐ近くに迫っていた。閃光が空を瞬いたかと思うと、すぐに轟音が襲ってくる。地面が大きく揺さぶられて、立っていることすらできなくなった。僕のすぐ後ろにいる人が、一際大きな悲鳴を上げる。命が尽きたのだということは、考えなくても分かった。
     僕の視界の端で、再び眩い閃光が瞬く。僕たちの近くに建っていた建物が、音を立てながら崩れ始めた。瓦礫からルチアーノを守ろうと、彼の身体に覆い被さる。背中に大きな衝撃が走って、一瞬だけ意識を失った。
     気がついた時には、僕の身体は宙に浮いていた。地上に視線を向けると、倒れている自分の姿が見える。隣に膝をついているのは、さっきまで一緒にいたルチアーノだ。倒れた僕にすがりつきながら、大きな声で叫んでいる。
    「おい、死ぬなよ。起きろってば!」
     ポロポロと涙を流しながら、ルチアーノは僕の顔を見つめる。顔に手を当てると、余計に大きな声で泣き始めた。そんなルチアーノが気にかかったのか、近くを走っていた大人が声をかける。一緒に逃げようと言っているようだが、ルチアーノは聞き入れはしなかった。
     ルチアーノのすぐ近くを、眩い閃光が駆け抜ける。命を危険に晒す姿を見ながら、僕にはどうすることもできなかった。僕は死んでしまっていて、もう身体を動かすことはできないのだ。上空をふわふわと彷徨いながら、ただ彼の姿を眺めている。
     目が覚めた時には、全身が汗びっしょりになっていた。息が苦しくて、何度か大きく深呼吸をする。頭の痛みは消えていたが、気分は少しも晴れなかった。
     悪い夢を見た。そう断言できてしまうほどに、僕の見た夢は恐ろしかった。ルチアーノを救えなかったことが、僕の精神に影響を与えているのだろう。僕の見た死の光景は、ルチアーノが要塞で語った未来の光景そのものだ。何度ループを繰り返しても、そんな夢は見たことがなかったのに。
     僕の精神状況は、おかしくなり始めているのだろうか。だとしたら、今度こそループを終わらせなければならない。このままだと、僕は正気を失ってしまうだろう。

     このループを終わらせる。そう誓ったところで、僕には何の手段も思い付かなかった。そもそも、このループそのものが、何を理由にして起きているのか分からないのだ。僕が死を迎える度に、僕を取り巻く時間は大会1ヶ月前に遡る。僕の死因や祈りの有無に関わりなく、それだけは確定しているようだった。
     勉強机に腰をかけると、引き出しからノートを引っ張り出す。前のループでも使っていた、何の変哲もないノートだった。時間が巻き戻されたことで、中に書かれていた情報は全て消え失せている。再び状況を整理しようと、これまでのループの経過を書き込む。
     一度目のループでは、僕はルチアーノの心を動かそうとした。彼に日常生活の楽しさを教え、死を撤回させようとしたのだ。でも、この作戦は失敗してしまった。彼の心に巣食う悲しみは、その程度のことでは覆せなかったのだ。
     二度目のループでは、遊星たちに協力を求めることにした。イリアステルの計画そのものを止めることで、ルチアーノの死を覆そうと考えたのだ。でも、そんなリスクの高い計画が、彼らに気付かれないはずがない。僕の作戦はルチアーノに筒抜けで、遊星たちは傷を負わされてしまった。
     三度目のループでは、ルチアーノの本心にアプローチする作戦を取った。彼から真の目的を聞き出して、それを元に説得を試みようとしたのだ。しかし、この計画も失敗して、余計に警戒される結果になってしまった。僕の試した計画は、全て失敗に終わったのだ。
     ルチアーノを救うには、どうすればいいのだろう。どうしたら、ルチアーノは本当のことを話してくれるのだろうか。彼という存在が産み出された経緯も、抱えている悲しみの正体も、僕は何も知らないのだ。ただひとつだけ分かっているのは、彼が両親の死をきっかけに、死を望むようになったことだけだ。
     そこまで考えて、僕はあることを思い付いた。まだ試していない作戦が、たったひとつだけ残っていたのだ。それは強力な手段となるけれど、フィクションのループものでは禁忌にあたることである。世界の法則に適合しなければ、どうなってしまうか分からない。
     僕の考えた最後の手段は、ルチアーノにループを明かすことだった。僕の重ねた経験全てを明かした上で、計画を止めるように説得するのだ。僕が隠し事をしていると分かったら、ルチアーノは絶対に本心を教えてはくれない。彼の目的を聞き出したいなら、こちらから明かすべきだと思った。
     でも、本当にそれでいいのだろうか。ノートに文字を書き込みながら、僕は心の中で呟く。強力な最終手段は、同時に大きなリスクを孕んでいるのだ。もし、ルチアーノの機嫌を損ねたら、ループを終えるどころではない。
     結局、何も決められないまま、ただ時間だけが過ぎていった。日が登っては落ちていき、僕は再び眠りにつく。微睡みの中で見るのは、またしても恐ろしい悪夢だった。滅びゆく世界の光景の中で、走って逃げるルチアーノと僕の姿を、上空にいる僕の意識が眺めている。僕は閃光に貫かれて命を落とし、一人残されたルチアーノは、泣き叫びながら僕の遺体にすがり付くのだ。恐怖に叫びながら目を覚ますと、背中は汗びっしょりになっていて、喉はカラカラに渇いている。
     もう、限界だった。これ以上ループを繰り返したら、僕の心は壊れてしまう。今回のループが、僕が正気を保っていられる最後のチャンスなのだ。ここまで追い詰められたのだから、リスクがどうなんて言っていられない。どんな結末になったとしても、最後の手段を取るしかないだろう。
     僕は、ルチアーノに全てを告白する。これまでのループ全てを明かした上で、僕の想いを伝えるのだ。


     ルチアーノの来訪は、思ったよりも早かった。二度目の悪夢から目を覚ますと、真上に彼の顔があったのだ。心配そうに表情を強ばらせて、真っ直ぐに僕の顔を見下ろしている。僕が目を覚ましたのは、どうやら彼のおかげらしかった。
    「どうしたんだよ。相当うなされてたぞ」
     僕が目を開けると、彼は間髪入れずにそう言った。声に笑みが含まれないところに、言葉の真剣さが現れている。そういえば、彼の前で大きく体調を崩したことは一度も無かった。体調を崩した人間というものが、怖くて仕方ないのだろう。
    「大丈夫だよ。ちょっと、悪い夢を見てたんだ」
     ゆっくりと身体を起こしながら、僕はルチアーノに声をかける。こんな状況になっていても、彼に心配をかけたくなかったのだ。しかし、僕の強がりなどお見通しのようで、彼は不安そうな表情を崩さなかった。
    「どこが大丈夫なんだよ。唸りながら手足をバタつかせるなんて、正気とは思えなかったぜ」
    「大丈夫だって。もう、体調も良くなったから。練習も再開できるよ」
    「本当かよ」
     精一杯の強がりを見せる僕に、ルチアーノは訝しげな視線を向ける。ループはリセットされたとはいえ、半年の付き合いがあるのだ。違和感には気がついているのだろう。それでも、無理に止めようとしないのは、心配を悟られたくないからだろうか。
    「本当だって。じゃあ、僕は支度してくるから」
     それだけを告げると、僕はそそくさと布団の中から這い出した。ループ酔いはとっくに覚めているから、ふらついたりすることはない。それでも、心臓がバクバクと音を立てているのは、僕が緊張しているからだ。
     次にルチアーノと顔を合わせた時に、ループの存在を告白する。それが、僕か自分に課した任務だった。決意した時に口に出さないと、僕はいつまでも言えなくなってしまう。それほどまでに、この決断は重大だったのだ。
     震える手で蛇口を捻ると、冷たい水で顔を洗う。肌がひきつるような感覚がして、一気に目が冴え渡った。今から言うぞと決意しながら、僕は自分の部屋へと足を踏み入れる。それなのに、ルチアーノの姿を見た途端、口は動かなくなってしまった。
     まだ、今じゃなくてもいいのだ。家を出るまでは、いつだってそのチャンスはある。そう自分に言い聞かせると、僕はそそくさと着替えを始めた。葛藤と先延ばしを繰り返しながら、食事と片付けまで終えてしまう。このままでは、口にできないまま時間が過ぎてしまいそうだ。
    「支度は終わったみたいだな。練習に行くぞ」
     キッチンから出てきた僕を見て、ルチアーノが淡々と言葉を告げる。僕が挙動不審になっていることに、彼は気づいているのだろうか。察しのいい彼のことだから、違和感くらいは感じているだろう。だとしたら、チャンスは今しかない。
    「どうしたんだよ。まだ体調が悪いのか?」
     黙ったまま立ち尽くす僕を見て、ルチアーノが怪訝そうに顔を覗き込む。切迫感と緊張に、心臓が飛び出しそうだった。
     僕は覚悟を決めた。ルチアーノの目を見つめ返すと、一度大きく深呼吸をする。緑の瞳に視線を固定したまま、はっきりとした声で言った。
    「体調は大丈夫だよ。でも、出かける前に話したいことがあるんだ」

     ソファの上に腰を下ろすと、僕はルチアーノに向かい合った。片方しか見えていない緑の瞳が、真っ直ぐに僕を捉えている。これから、彼に真実を伝えなくてはならないのだ。緊張による心臓の鼓動は、さっきよりも強くなっていた。
    「なんだよ。話って」
     正面から僕と向き合うと、ルチアーノは不満そうに眉をしかめる。急かすような声色に、余計に緊張が増してしまった。これから話そうとしていることは、自分でも上手く説明できるか分からないのだ。どう伝えるかを考えながら、僕は最初の言葉を発した。
    「えっと、これは、信じてもらえないかもしれないんだけど、この世界はループしてるんだ」
     そう前置きを重ねてから、僕はこれまでの経験を語った。最初のループから今のループまでの、僕の行動と世界の結末である。ルチアーノの心を開こうとした経験から、ルチアーノを裏切ったことや遊星と共闘しようとしたことまで、隠し事ひとつなく伝えていく。辿々しい言葉になってしまったけど、ルチアーノは黙って聞いてくれた。
    「そうか。だから、あんな顔をしてたんだな」
     僕の話が終わると、ルチアーノは小さな声で言った。いつものような笑みを含まない、真剣そのものの声である。少し俯いた顔にも、からかうような笑みは浮かんでいない。彼のそんな顔を見るのは、要塞で向き合った時以来だった。
    「そんな顔って? 僕は、いったいどんな顔をしてたの?」
     尋ねると、彼は迷ったように顔を上げた。僕に視線を向けると、落ち着いた声で言葉を返す。
    「最初は、ちょっと違和感を感じるだけだったんだ。でも、胃液を吐いた辺りから、明らかに様子がおかしくなった。顔は真っ青になってたし、体温もいつもより低かったからな。人間の使う言葉で言うなら、死んだような顔をしてたんだぜ」
     その言葉を聞いて、僕はようやく納得した。あの日の彼の動揺は、決して大袈裟なものではなかったのだ。きっと、あの時の僕は、本当に死人のような顔をしていたのだろう。ループする直前の記憶で、本当に殺されていたのだから。
    「ごめんね。心配かけたよね」
     心から謝ると、ルチアーノは恥ずかしそうに俯いた。いつもの彼からは信じられないことに、何も言い返さずに座っている。きっと、彼も困惑しているのだろう。ただのタッグパートナーだと思っていた相手が、重すぎる感情を告白してきたのだから。
     重苦しい沈黙が、二人の間を流れていく。僕が何かを言わなければ、話が進む様子はなかった。でも、僕が言いたいことなんて、たったひとつしか存在していない。少し迷いを含みながらも、僕は彼に声をかける。
    「ねえ、ルチアーノ」
    「……なんだよ」
     隣に座るルチアーノが、少し緊張した声で答えた。真面目な態度を返されて、僕は余計に言葉に詰まってしまう。これから尋ねようとしていることは、彼にとっては何よりも重い問いなのだから。
    「ルチアーノは、本当にシティを消滅させるつもりなの?」
     なんとか言葉を発すると、彼は戸惑ったように顔を上げる。僕の質問の真意は、彼にも伝わっているのだろう。敏い男の子なのだ、分からないはずがない。その証拠に、彼は再び沈黙を漂わせ始めた。
    「本気だよ。それが、僕の目的だから」
     しばらくの沈黙の後に、彼は小さな声で言った。小さいけれども、はっきりとした声だった。やはり、彼の望みは変わらないのだろう。無意味なことは分かりきっているが、僕は説得を試みる。
    「僕は、ルチアーノに生きていてほしいよ。シティの住人も傷つけたくないし、ルチアーノのことも失いたくない。二人で、一緒に生きていきたいんだ」
     必死の思いで告げるが、ルチアーノの様子は変わらない。ただ、悲しそうな顔で、下の方に視線を向けていた。
    「君の願いは、ちゃんと分かってるつもりだよ。でも、それは僕の願いに反するものなんだ。僕は神を裏切ることなんてできないし、この世界で生き延びるつもりもない。モーメントと共に、この世界から消滅するんだ」
     どれだけ言葉を重ねても、彼の返事は変わらなかった。繰り返される重い言葉に、僕の心臓は強い痛みを感じる。やはり、僕には彼の心を変えることなどできないのだろうか。黒くて悲しい感情が、胸の奥を満たしていく。
    「どうしてなの? どうして、ルチアーノはシティを滅ぼそうとするの? どうして、生きることを諦めようとするの? ルチアーノの過去に何があったの? ちゃんと、言葉で話してよ……!」
     投げかける声は、少し震えてしまった。頬に熱いものが伝って、自分が泣いていることを自覚する。それは次から次へと流れてきて、やがては拭わなくてはならないほどになった。
     涙を流す僕を見て、ルチアーノがこちらに視線を向ける。光の入らない緑の瞳が、真っ直ぐに僕を捉えていた。そこに浮かべられた表情は、やはり真剣そのものである。鋭い瞳で僕を射抜くと、彼ははっきりとした声で告げた。
    「君は、そこまで思い詰めてたんだな。なら、僕も教えてやるよ。僕がこの世界から、肉体を消滅させたい理由を」
     彼の言葉に驚いて、僕は全ての動きを止めた。ポロポロと零れていた涙も、その衝撃で止まってしまった。ついに、ルチアーノは話してくれる気になったのだ。長かったループの着地点が、ようやく見え始めた気がした。
     
    「僕の目的を教える前に、ひとつ教えてくれないか? 君は、僕たちのことをどこまで知ってるんだい?」
     改めて向かい合うと、ルチアーノは僕にそう尋ねた。これまでの彼は絶対にしなかった、核心を突くような発言である。本当に真実が語られるのだと、僕は身体を強ばらせる。大きく深呼吸をすると、思いきって答えた。
    「大体は、さっき話した通りだよ。イリアステルが、未来を救うためにモーメントを壊そうとしていること。目的が達成されたら、僕たちも一緒に死んでしまうこと。そして、ルチアーノがそれを望んでいること」
     僕の言葉を聞くと、ルチアーノは呆れたように息を吐いた。直前までの緊張がほどけたような、柔らかい吐息である。少しの間を置くと、彼は軽い口調で言葉を返した。
    「それは、さっき君から聞いたよ。僕が聞きたいのは、僕自身のことをどれだけ知ってるかだ。ただのロボットじゃないことは、君だって気づいてるんだろ?」
     ルチアーノに指摘され、自分が同じ話をしていたことを理解する。ループの記憶が混合していて、どこまで話したのか分からなくなっていた。いや、分かっていても、何度も話してしまうのだろう。最近の僕の頭の中は、ループのことでいっぱいだったのだから。
    「ごめん。ちょっと、記憶が混乱してて。……ルチアーノのことについては、あんまり知らないんだ。歴史の流れを変えるために未来から来たロボットだってことと、創造主と呼ばれる人物に作られて、その人の命令を聞いて行動してること、それから、神と呼ばれる存在の他に、両親がいたことくらいだよ」
     僕の返事を聞くと、ルチアーノはあからさまに表情を変えた。さっきまでの安堵は消え失せ、緊張した空気を纏わせている。僕の知っている情報が、核心に迫ったのだと分かった。
    「そこまで知ってるのか。なら、話は早いな」
     僕に視線を向けると、ルチアーノは小さな声で呟く。一度呼吸を置くと、再び小さな声で呟いた。
    「『愛してくれる者を失った絶望』。それが、僕の本当の名前だよ」
    「えっ?」
     唐突に語られた言葉に、僕は疑問符を浮かべてしまう。彼の口から飛び出した言葉の羅列は、おおよそ人の名前とは思えなかったのだ。ぽかんと口を開ける僕を見て、ルチアーノは自嘲的な笑みを浮かべる。
    「僕は、神に作られた神の代行者だ。でも、僕の身体と記憶は、僕のものではなかったのさ。……神のかつての友だった、今はいない人間の記憶が、僕の中には刷り込まれているんだよ。それが、『愛してくれる者を失った絶望』なんだ」
    「ルチアーノ……」
     脳裏にある光景が蘇って、僕は思わず声を上げる。僕が何度も夢に見た、廃墟を逃げていく僕たちの姿だ。この夢の元になっているのは、ルチアーノが僕に告げた昔話なのだろう。両親と共に廃墟を駆け抜け、自分だけが生き延びてしまった悲しい記憶だ。
    「僕の記憶メモリには、決して消すことのできないデータが眠っているんだ。両親を失った子供の、埋めることのできない空白がね。僕という機体が存在している限り、メモリーに刻まれた記憶は愛を求めてしまう。求めたところで、愛してくれる人間なんていないのにね」
     僕を無視するように言葉を続けると、ルチアーノは甲高い笑い声を上げた。耳を突き刺す少年の高音が、部屋の空気をピリピリと揺らす。狂ったようなその笑い声は、でも、どこか寂しげな響きを含んでいる。彼の重ねてきた孤独の歴史が、そこには詰まっている気がした。
     彼は、ずっと寂しかったのだ。胸に孤独を抱えたまま、ひとりぼっちでこの世界を生きてきたのだろう。こうして死を選ぼうとするのも、その悲しみから逃れるためなのだ。だとしたら、その空白を埋めることができたら、彼は生きることを選んでくれるのだろうか。
    「じゃあ、これからは、僕がルチアーノの側にいるよ。本当の家族にはなれなくても、一緒に暮らしてあげられる。ルチアーノが寂しい時は、僕が心を暖めるよ。だから、一緒に生きよう」
     心からの想いを込めながら、浮かんだ言葉を投げかける。本心を全て語ったから、どこか愛の告白みたいになってしまった。それほどまでに言葉を重ねたのに、ルチアーノは少しも表情を変えない。悲しげな笑みを浮かべたまま、甲高い声で笑っている。
    「君は、本当に馬鹿なやつだな。いや、馬鹿じゃない。何も分かってないんだ。そんなことをしたって、僕の空白は埋まらないんだよ。それに、君が死んだら、僕はまたひとりぼっちだ!」
     ルチアーノの言葉に気圧されて、僕は一瞬だけ口を噤んだ。その一瞬の隙をついて、ルチアーノはさらに賑やかに笑う。目の前のルチアーノの姿は、今までに見たことのないほどに狂気じみていた。恐怖が心の中を満たして、背筋を冷たく凍らせる。
    「始めから、手段なんてないんだよ。ただの人間である君に、僕の心なんて救えない。僕が救われる唯一の方法は、この世界から消え失せるだけだ。肉体が消滅した時に、僕はこの絶望から解放されるんだよ!」
     引きつった笑みを浮かべながら、ルチアーノは甲高い声で捲し立てる。狂ったような笑い声には、揺るがない決意が込められていた。きっと、どれだけ言葉を尽くしても、ルチアーノの気持ちが変わることはないのだろう。僕が何をしたところで、彼を救うことができないのだ。
     黙り込む僕を見て、ルチアーノは不意に表情を緩めた。僕の深い悲しみが、彼の心にも伝わったのかもしれない。衝撃的な話の連続に、僕はもう涙すら流せなくなっていたのだ。笑い声を引っ込めると、ルチアーノは優しい声で言う。
    「まあ、そんなことを言われたって、すぐには理解できないよな。無理矢理道連れにするわけにもいかないし、特別に考える時間をやるよ。次に僕がここに来るまでに、パートナーを継続するか考えておきな」
     一方的に告げると、彼はソファから立ち上がった。空間を切り裂くと、光の中に飲み込まれていく。あっという間に、彼の姿は宙へと消えていった。ひとり部屋の中に取り残されて、僕は深くうなだれる。これまでやってきた全ての積み重ねが、無意味だったことを突きつけられたのだ。
     僕は、いったいどうしたらいいのだろうか。失意の中に沈みながら、僕はそんなことを考えた。


     再びルチアーノが僕の元を訪れたのは、それから二日ほど経った頃だった。いつものように時空を切り裂くと、淡い光を伴いながら僕の部屋へと姿を現す。昼間からベッドに潜り込んでいる僕を見て、少し心配したように尋ねた。
    「起きてるか? ……こんな時間まで寝てるなんて、まだ調子が悪いみたいだな」
     彼の声に応えるように、僕はゆっくりと身体を起こす。彼は身体の不調を疑っているみたいだが、僕の身体の健康状態は至って正常だった。ただ、心の健康状態が、地の底まで落ちているだけで。
    「身体の方は、何も問題ないよ。ちょっと、考え事をしてただけで」
     彼の方に身体を向けると、僕は小さな声で答える。久しぶりに言葉を発したから、それは掠れて震えてしまった。ベッドの真横に立っているルチアーノが、目を伏せながら僕を見下ろす。あんな話をした後だから、彼にも後ろめたさがあるのだろう。
    「…………で、決断はできたのかよ」
     しばらくの沈黙の後に、ルチアーノはようやく言葉を発した。淡々とした声を装っているが、語尾が少し震えている。彼も緊張しているのだと知って、僕は少し安心した。
    「できてるよ。ずっと、伝えたいと思ってた」
     はっきりと言葉を返してから、僕は真っ直ぐにルチアーノを見つめる。僕を見つめ返す彼は、寂しそうに目を伏せていた。彼のことだから、僕がパートナーを解消すると思っているのだろう。そんなことはないのに、変なところで後ろ向きなのだ。
    「僕は、ルチアーノと一緒に戦うよ。今までと同じように練習をして、WRGPの決勝に出るつもりだ。裏切ったりもわざと負けたりもしない。ちゃんと最後まで戦うよ」
     はっきりと告げると、彼は驚いたように両目を開けた。真っ直ぐに僕を見つめると、彼は声を荒らげる。
    「何でだよ。僕に協力したら、君は死んじゃうんだぞ! 死にたくなかったから、何度もループを繰り返してたんじゃなかったのかよ。気でも狂ったのか?」
    「僕は正気だよ。真面目に考えたから、ルチアーノと一緒にいたいと思ったんだ。ルチアーノを、ひとりで死なせるわけにはいかないから」
     はっきりと答えると、彼は再び表情を変える。安心したようであり、呆れたような表情だった。自分が抱えている感情を、はっきりと出力できないのだろう。彼の抱えているものは、そんなに単純なものではないのだから。
    「君って、本当に変なやつだよな」
     溜め息混じりにそう言うと、彼は弱々しい笑みを浮かべる。何度も聞いた言葉なのに、妙に新鮮に感じた。


     微睡みの中で、頬に暖かいものが触れた。それは何度かそこを撫でると、今度はツンツンとつついてくる。意識が浮かび上がってくると、今度はお腹に重みを感じた。ゆっくりと両目を開いて、目の前の男の子に視線を向ける。
    「おはよう、ルチアーノ」
     半ば寝惚けたまま口を開くと、彼は楽しそうに笑い声を上げた。瞳を細めると、覗き込むように僕の顔を眺める。再び頬をつつくと、からかうような声色で言った。
    「やっと起きたのかよ。全く、君は寝坊助だなぁ」
     パートナーの継続を決めた翌日から、ルチアーノは毎日のように僕の家を訪れた。大会のための練習をするわけではなく、彼の気まぐれで街を散策するのだ。機嫌がいい日には、僕の家で遊んだり、シティの娯楽施設に遊びに行ったりもする。兄弟のような生活を、今の僕たちは送っていたのだ。
     支度を済ませてリビングに向かうと、ルチアーノはソファに座っていた。僕の姿を見かけると、待ち構えていたかのように席を立つ。二人で家の外へ出ると、彼は耳元で囁いた。
    「ほら、手を出せよ」
     彼に催促されて、僕は慌てて右手を差し出す。ルチアーノの暖かい左手が、僕の手のひらを包み込んできた。まだ遠慮が残っているのか、それは指を絡めない恋人繋ぎだ。交際経験のない僕にとっては、それだけでもドキドキしてしまう。
    「やっぱり、君の手は温かいな。生きている人間の温もりだ」
     僕の手を握り締めると、ルチアーノは小さな声で囁く。軽く語られる重い言葉に、僕は何も言えなくなってしまった。彼にとって人の温もりというものは、触れたくても触れられなかったものなのだろう。彼がどのような想いで僕を見ていたかを考える度に、僕は心臓が苦しくなる。
     あの日以来、ルチアーノは人が変わったようにおとなしくなった。今でもからかうような仕草は見せるものの、その言葉はどこか優しい。僕に触れる手つきも優しければ、距離も明らかに縮んでいた。現に今も、こうして僕の手を繋いでいる。
    「ねえ、急にどうしちゃったの? 今までは、こんなにくっついてこなかったでしょ?」
     行動を再開して数日が経った頃、僕は彼にそう尋ねた。急な態度の変化は、どう考えてもあの日の会話が原因だろう。何かしてしまったのではないかと、僕だって不安になる。
    「どうもしてないぜ。今の僕が、メモリーに刻まれた本性なのさ。僕の真のアイデンティティは、両親を失くした子供の人格だ。愛されることを望んでしまうし、人の温もりを求めてしまう」
     僕の隣に寄り添うと、ルチアーノは柔らかい声でそう言った。真の人格を見せているのか、その声は甘えたように蕩けている。年相応なその姿が、胸を締め付けるほどに苦しかった。
    「だからって、いろいろと急すぎるよ。僕は、今までの強気なルチアーノしか知らないんだから」
     僕が反論すると、彼はうっすらと笑みを浮かべる。今までのような狂った笑みではなく、柔らかく包み込むような笑みだった。彼がこのような笑顔を見せることすら、僕はこれまで知らなかった。
    「それは、ずっと隠してたからだよ。人間たちの前では、神の代行者を演じなくてはならないんだ。それが、僕の使命だからね」
     そう語ったルチアーノの表情を、僕は未だに忘れられずにいる。その顔は安堵しているようで、どこか寂しげでもあった。それが死を思い描く人の顔なのだと、僕は直感的に理解したのだ。
    「ねえ、今日はどこに行くの?」
     頭に浮かんだ記憶を振り払うように、僕は彼に問いかける。隣を歩くルチアーノが、嬉しそうに僕を見上げた。強がりな外面を脱ぎ捨てた彼は、どこからどう見ても幼い男の子だ。あどけない顔を見つめていると、それはにやりとした笑みへと変わった。
    「今日は、旧サテライトエリアに行こうと思うんだ。郊外に行けば、強敵とデュエルできるかもしれないからな」
     いたずらをする子供のように笑いながら、彼は甲高い笑い声を漏らす。本性を明かしたと言っても、猟奇的な趣味嗜好は変わらないままだった。長い間本心を殺してきた彼の心は、いびつな形に歪んでしまったのだろう。絶望の片鱗を見せられる度に、僕の心はチクチクと痛んだ。

    「今日は、君の家に泊まってもいいかい?」
     太陽が西へと傾き、地上が橙色に染まった頃に、不意にルチアーノはそう言った。雑談の中に混じるような、流れるような誘いの言葉である。全く意識していなかったから、危うく聞き逃しそうになってしまう。
    「えっ?」
     予想もしていなかった言葉に、僕は大きな声を上げてしまった。周囲からの視線を感じて、慌てて口元を押さえる。明らかに動揺する僕を見て、ルチアーノはにやりと笑みを浮かべた。
    「聞こえなかったのかい? 君の家に泊まりたいんだよ。僕が泊まったら迷惑かな」
    「迷惑じゃないけど、ちょっとびっくりしたよ。これまでのループでは、僕が誘って断られてたから」
     なんとか言葉を返すと、ルチアーノはくすくすと笑みを浮かべた。可憐な笑顔で僕を見上げると、柔らかい声色で言葉を続ける。
    「そうだな。今までの僕なら、人間の家に泊まるなんて論外だったよ。でも、今は違うんだ。もう、君を突き放す必要はなくなったから」
     そう語る彼の声色は、さっきよりも柔らかくなっていた。きっと今の言葉は、彼の本心なのだろう。破滅への道を進んでいるというのに、こうして甘えてもらえることが嬉しかった。
    「これからは、もっと甘えていいんだよ。ルチアーノの寂しさは、僕が全部受け止めるから」
     少年の可憐な笑顔を眺めながら、僕も心からの言葉を返す。再び手を繋ぐと、僕たちは同じ帰路へとついたのだった。

     洗面所からは、微かにシャワーの流れる音が聞こえてくる。浴室に向かったルチアーノが、小さな身体を流しているのだ。この状況になるのは、ループが始まってから三回目である。これまでに経験した記憶の中では、この状況はあまり良いものではなかった。
     破滅の記憶を思い出しながらも、僕の心は落ち着いていた。ルチアーノと本心を語り合って以来、僕の心は生への執着を失ってしまったのだ。破滅を恐ろしいとは思わないし、彼の意思をねじ伏せてまでも命を救いたいとは思わない。その心境はまるで、彼の絶望が移ってしまったみたいだ。
     水音の聞こえる廊下を通り抜けると、僕は自分の部屋に向かう。ベッドの隅に腰をかけると、これからのことを考えた。僕が語る言葉だけでは、ルチアーノを救うことは不可能だ。彼の本心を知ってしまった今、僕にはその事が痛いほど分かった。
     このループを終える条件は、一体何なのだろう。今回のループを迎えるまで、僕はルチアーノと共に生き残ることが条件だと思っていた。しかし、そんな無理難題を、世界というシステムが求めるだろうか。まだ、僕が辿り着いていないところに、正しい選択肢があるのかもしれない。
     そんなことを考えていたら、ルチアーノが部屋へと入ってきた。タオルで髪を拭いながら、僕の元へと歩いてくる。隣に腰を下ろすと、ふわりといい香りがした。
    「髪、拭いてあげようか?」
     髪を湿らせたルチアーノを見て、僕はそう声をかける。普段なら断られそうな提案だったが、彼は黙って受け入れてくれた。しっとりと濡れた赤い髪を、湿ったバスタオルで包んでいく。髪全体を包み込むと、手のひらで押して水滴を吸い取る。
    「ねえ、ルチアーノ」
     後ろから髪に触れながら、僕はルチアーノに声をかけた。後ろを振り返ることができないから、彼は前を向いたまま答える。
    「なんだよ」
    「やっぱり、一緒に生きるつもりはない?」
     思い切って尋ねると、彼は一瞬だけ沈黙を見せた。しばらくの間を空けてから、いつもと変わらない語調で言う。
    「しつこいやつだな。何回説得しようと、僕の気持ちは変わらないよ。この世界に存在している限り、僕の心は常に絶望に囚われる。この命を終えることだけが、絶望から救われる唯一の手段なんだ」
     返ってくる言葉は、はっきりとしていて明瞭だった。その語調の強さに、彼の覚悟が感じられる。前に話をした時にも思い知ったことだが、彼の決意は簡単には変わらなかった。何度確認したところで、彼は同じ言葉を返すのだろう。
    「そうだよね。ごめんね」
     反射的に謝ると、ルチアーノは黙ったまま前を見つめる。それから、髪を拭き終えるまで、彼は一言も口を利かなかった。


     死が近づいているという意識は、僕たちの生活に確実に影響を与えていた。限りある時を無駄にしないためにと、四六時中二人で寄り添ってすごす。ルチアーノのお願いはできるだけ聞くようにしたし、僕も遠慮なく外出の提案をした。ルチアーノは外見相応の子供のように甘えていて、その姿が僕には嬉しかった。
     どうせ半月で死ぬのだから、身の回りのことは後回しでいい。僕の日常生活は、目に見えて自堕落になっていった。僕にとって重要なのは、ルチアーノの心の空白を埋めることだ。彼さえ笑っていてくれれば、他のことはどうなってもいい。
     そんな日々の間に、僕は何度かルチアーノに同じ質問をした。繰り返される問いかけに、彼は必ず同じ答えを返してくる。無意味だと分かっているから、僕もそれ以上の説得をしようとは思わない。これは意思の確認であって、説得などではなかったのだ。
     ルチアーノの言葉は、冷たい雪のように僕の心に降り積もっていく。日々を重ねれば重ねるほどに、絶望は僕の心を侵食した。僕が何度生きる希望を伝えても、ルチアーノは必ず死を選び取ってしまうのだ。何度ループを繰り返しても、結末は何一つ変わらない。

    ──僕たちはここで、ネオドミノシティが消滅するのを見届けるんだよ。これで僕は……やっと、あの時の絶望から解放されるのさ。

     ループの最後の日に、要塞で彼が告げた言葉が、僕の脳内を支配する。ルチアーノは、ずっとこの苦しみを抱えてきたのだろうか。彼と関わり、時には愛を語った人間が命を失う姿を、彼は何度も見届け続けたのだろう。他者の愛を望んでしまう彼にとって、それはどれ程の苦しみだったのだろうか。
     絶望というものは、きっとこういうものなのだろう。人が救いを求める度に、それは心を打ち砕いてくる。心に染み付いてしまった絶望は、仮初めの優しさなどでは救うことができないのだ。絶望と共に生まれ、絶望を負いながら生きる存在は、絶望を抱えたまま消えるしかない。
     どうして、僕は気がつかなかったのだろう。ループを終わらせる唯一の方法は、ずっとすぐ近くにあったのだ。初めから、ルチアーノは正しいことだけを言っていたのに、僕だけが気づいていなかった。自分のあまりにもの愚かさに、穴があったら入りたいくらいだった。
     もう、覚悟は決まっていた。今の僕には、何も怖いものなんてない。今度こそ、僕はルチアーノと共に幸せになるのだ。

     そうして、僕たちにとって最後の大会が始まった。最後の大会と書いたのは、僕がそうなるように願っているからだ。これ以上ループを重ねることは、僕の精神が耐えられない。なんとしてでも、この大会で終わりにする必要があったのだ。
     とはいえ、大会そのものについては、心配する必要などどこにもない。僕は何度もループを繰り返しているし、ルチアーノは超人的な強さを持っているのだ。淡々と対戦相手を倒して、決勝へと駒を進めていく。あっという間に、僕たちはチーム5D'sとの対戦が決まった。
    「ついに、最後のデュエルだな。僕たちがチーム5D'sを倒した時、この町を覆うサーキットが完成する。ようやく、僕の願いが叶うんだ」
     僕の隣に寄り添いながら、ルチアーノはそんなことを語る。甲高く響く声色は、どこか狂気的に歪んでいた。大会が始まってからというもの、彼は狂ったように笑うことが多くなっている。近づいてくる破滅の気配が、彼の気持ち高ぶらせるのをだろう。
     そんな彼の姿を眺めながら、僕は悲しさを感じていた。彼が狂気を見せれば見せるほどに、僕の心は苦しくなるのだ。ルチアーノの中に眠る狂気は、彼の抱えてきた絶望そのものである。真実を知ってしまった今は、かつてのように魅力として捉えることができない。
    「君は、本当に良かったのかい? 僕に協力するってことは、一緒に命を失うってことなんだぜ。君はまだ若いんだ。こんなところで死ぬのは嫌だろう」
     黙り込む僕を見て、ルチアーノはそんなことを言った。大会はほとんど終わりに近づいているから、今更すぎる確認である。いや、今さらだからこそ、彼はこの質問をしているのだろう。今ならまだ、彼に拒絶の意思を示すことができるのだ。
     でも、僕に拒絶の意思などなかった。ルチアーノと一緒に生き延びることは、既に諦めていたのだ。今の僕は、彼と同じ絶望を持つ人間だ。この世界から消えることに、未練など少しもなかった。
    「いいんだよ。もう、覚悟はできてるから。ルチアーノと一緒にいることが、今の僕の望みなんだ」
     僕が答えると、ルチアーノはくすくすと笑い声を上げる。可憐な声をしているけれど、声色は狂気じみていた。小さく息を吸ってから、彼は僕へと視線を向ける。
    「君って、本当に変なやつだよな。僕と一緒に、道連れになって、この世界から消えてくれるなんてさ」
     口から零れた声は、僅かに震えていた。それがどのような意味を持つのかは、僕には推測できそうにない。何も答えることができないから、黙ってその言葉を聞いていた。
     きっと、今がこの言葉を言うときなのだろう。数日前に覚悟を決めてから、ずっと伝えたいと思っていたことが、僕の胸の中に眠っていたのだ。この言葉を口にするまでは、僕は死んでも死にきれないだろう。
     覚悟を決めると、僕は大きく深呼吸をする。ルチアーノに視線を向けると、思いきって口を開いた。
    「僕はずっと、生きることだけが人生の正解だと思ってたんだ。どんなに苦しいことがあっても、誰かと一緒に生きていれば、いつかは救われるんだと思ってた。でも、そうじゃないってことに、今になってようやく気がついたんだ」
     ルチアーノの瞳を見つめながら、僕は必死に言葉を紡ぐ。ずっと伝えようと思っていたことなのに、うまく言葉にできなかった。対するルチアーノは、静かに僕の言葉を聞いている。透き通るような緑の瞳を眺めながら、僕は続きの言葉を告げた。
    「積み重ねられた絶望は、生きる希望なんかじゃ埋められないんだね。生きている時間が長ければ長いほど、それは心を苦しめる。自分が幸せになれないことを知りながら生きるくらいなら、この世界から消えた方がましなんだ。だから、ルチアーノは破滅を望んでたんだね」
     僕の言葉を聞いて、ルチアーノは大きく目を開いた。こちらに視線を向けると、ゆっくりと笑みを浮かべていく。それはいつものようなにやり顔ではなく、可憐で子供らしい笑顔だった。初めて見せる純粋な笑顔に、今度は僕が気圧される。
    「やっと、気づいたんだな」
     柔らかい笑顔を浮かべたまま、小さな声でルチアーノは言う。彼がこんな顔をするなんて、僕は今日まで知らなかった。自分が正解に辿り着いたことを、心の底から確信する。
    「遅くなってごめんね。これで、終わりにしよう」
     はっきりと口にすると、僕はルチアーノに手を差し出す。意図が伝わったのか、彼も手のひらを重ねてくれた。温かくて柔らかい手のひらが、僕の手のひらと絡み合う。僕の長い長いWRGPが、ついに結末を迎えようとしていた。
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