励まし その日、僕は落ち込んでいた。
シティ中央で行われるデュエルモンスターズのイベントに、見事に抽選で落選したのである。先行一次二次の全てに応募して、何一つ当選できなった。というのも、そのイベントは大会開催何回目かの節目を祝う大型イベントで、海外の有名プロデュエリストがゲストとして登壇するらしい。プロデュエリスト同士のエキシビションマッチもあれば、アマチュアの参加者がプロに挑むチャレンジマッチも予定されていた。
そんな豪華なイベントが開催されるのだから、デュエリストとしては行かないわけにはいかない。そして、そう考えたシティの住人は、僕たち大会参加者だけではなかったのだ。シティ住人向けに募集された先行抽選は、落選者が多発するほどの倍率だったらしい。その後に発表された一次や二次募集も、僕は見事に落選した。
二次募集の結果が通知された時、僕はドキドキが止まらなかった。普段なら置きっぱなしにしている端末をポケットに押し込んで、メールが届くのを今か今かと待ち続ける。着信を知らせるバイブレーションが響いた時には、手元の作業を放り出してしまったくらいだ。しかし、最後の頼みの綱である二次抽選も、僕は見事に落選してしまった。
指先で端末の電源を落とすと、僕はソファに腰を下ろす。全体重を預けた僕のお尻が、表面の弾力に跳ね返された。座面に深く沈み込むと、そのままがっくりと肩を落とす。気分が深く沈み込んで、しばらくは動く気になれなかった。
何をする気も起きずに固まっていると、空間が歪む気配がした。一日の任務を終えたルチアーノが、僕の家へと帰ってきたのだ。足音を立てながらこちらへ近づくと、僕の近くで足を止める。真上から視線を向けると、彼は呆れたように言った。
「何してるんだよ」
「ちょっと…………放っておいて…………」
しかし、僕の口から零れた声は、悲しみによって掠れてしまった。落選のショックから立ち直れなくて、ルチアーノと話すことすら億劫だったのだ。そんな僕の様子を見て、彼はむきになったようだった。僕の目の前まで顔を近づけると、鋭い声で問い詰める。
「どうしたんだ? もしかして、何かされたのか?」
今にも仕返しを始めそうな声色に、僕は思わず顔を上げてしまう。僕の視界に映ったルチアーノは、眉を縦に吊り上げていた。ここで変に誤解されてしまったら、後々面倒なことになるだろう。余り気乗りはしなかったが、先に弁明をしておくことにする。
「違うよ。ちょっと、悲しいことがあって…………」
「悲しいこと? イリアステルに逆らう不埒ものが、このシティにいるって言うのか?」
「違うよ。デュエルのことじゃなくって、もっとプライベートなことなんだ」
ルチアーノの暴走を止めるために、僕はしぶしぶ解説する。イベントの詳細から抽選についての大まかな流れを、簡単に噛み砕いて説明した。僕の話を最後まで聞くと、ルチアーノは拍子抜けしたように表情を崩す。呆れたように大きく息をつくと、気の抜けた声で呟いた。
「なんだ。そんなことか」
「そんなことじゃないよ。今回を逃したら次はないくらいの、本当に大きなイベントなんだから! 海外のプロデュエリストだって来るんだよ!」
簡単にスルーされそうになって、僕は声を荒らげてしまう。彼にとっては大したことないかもしれないが、僕にとっては大事だったのだ。これほどの規模のイベントなんて、この先何度あるか分からない。それも、海外の有名デュエリストが登壇するなんて、滅多なことがなければ実現しないだろう。
「デュエリストモンスターズのイベントなんて、この先いくらでもあるだろ。それに、海外のプロデュエリストの話が聞きたいなら、僕だってそうじゃないか」
「そうだけど、ルチアーノの肩書きは偽物でしょ」
執拗に話を横に逸らされて、僕はトゲのある言葉を返してしまう。僕よりも子供っぽい性格のルチアーノは、その言葉に機嫌を損ねたようだ。わざとらしくそっぽを向くと、腕を組みながら言葉を返す。
「失礼なやつだな。確かに記憶は書き換えてるけど、実力はそこらのプロよりも上だぜ」
お互いが機嫌を損ねたまま、そこで僕たちの会話は終わってしまう。ちょうど夕食の時間が迫っていたから、先に食事を取ることにした。こんなに心が沈んでいても、不思議なことにお腹は空くのである。静かにソファから立ち上がると、端末を机の隅に置いた。
真っ直ぐにキッチンの冷蔵庫に向かうと、冷凍庫の中身を探りだした。ハンバーグとコロッケを引っ張り出すと、一つずつレンジの中に放り込んでいく。ルチアーノもこれ以上話したくはないのか、黙ったままソファに腰を下ろした。彼の後ろ姿を眺めながら、僕は一人で食事を取る。
食事を終えてもなお、僕たちはまともに話さなかった。お風呂が沸くのを待ってから、一人ずつ洗面所に向かっていく。僕が入浴を済ませて自室に移動した頃に、彼はようやく口を開いた。
「なあ、まだ凹んでるのかよ」
僕の様子を探るかのような、控えめで大人しい声だった。不器用な彼なりに、僕の気持ちを考えてくれていたようである。彼の思いに答えるように、僕も素直に言葉を返した。
「ちょっとね。このイベントは、僕にとって特別だったから」
改めて口にしたことによって、余計に悲しさが蘇ってくる。今回のイベントだけは、どうしても落選したくなかったのだ。せっかくシティで暮らすようになったのだから、その恩恵はできるだけ受けておきたい。しかし、そんな僕の想いとは裏腹に、抽選というシステムは無慈悲だった。
「そうかよ」
返す言葉が思い付かなかったのか、ルチアーノは小さく言葉を返す。僕がベッドに腰を下ろすと、さりげなくにじり寄ってきた。ちらりとこちらに視線を向けるが、気まずそうにすぐ逸らしてしまう。そのまましばらく様子を窺うと、彼は小さな声で言った。
「なあ、僕が慰めてやろうか」
「…………え?」
すぐには言葉の意味が理解できなくて、僕は間抜けな声を上げてしまう。隣に座っていたルチアーノが、不満そうに鼻を鳴らした。再びこちらに視線を向けると、鋭い瞳で僕を見上げる。僕が理解していないと分かると、少し尖った声で繰り返した。
「だから、僕が慰めてやるって言ってんだよ。まあ、君がいらないって言うなら、断ってくれてもいいけどさ」
「断らないよ! …………でも、本当にいいの?」
ルチアーノの言葉が信じられなくて、僕はまたしても確認してしまう。彼が僕を甘やかしてくれることなんて、普段であれば滅多にないことなのだ。神の代行者としての誇りを重んじる彼は、人間と関わることすら疎んでいるところがある。ましてや、人間を甘やかすなどということは、彼のプライドが許さないだろう。
「いいって言ってるだろ。そこまで言うなら、許可を取り止めるぞ」
「お願いします!」
隣から飛んでくる圧に押されて、僕は迷わず言葉を返した。ここで彼の機嫌を損ねたら、せっかくの恩寵が台無しになってしまう。今は細かいことは考えずに、彼の気まぐれに乗っていればいい。そう思って隣に視線を向けると、彼はおもむろに両腕を広げた。
「ほら」
誇らしげな表情を浮かべたまま、彼は僕に行動を促す。彼の動作から考えるに、腕の中に入ってこいという意味なのだろう。子供に抱き締められるなんて、歳上としては少し恥ずかしい。しかし、僕がためらっていた時間は、ほんの一瞬の間だった。
大きく息を吸って覚悟を決めると、僕はルチアーノの胸に顔を埋める。彼の方が背丈が低いから、僕が少し屈む体勢になった。平らな肌に顔を押し付けると、布地越しに体温が伝わってくる。腰を抱き締めるように腕を回すと、彼も恐る恐る抱き締めてくれた。
彼の温もりを肌で感じながら、僕はそのまま息を吸い込む。ルチアーノの仄かに香る体臭が、僕の鼻の奥に入り込んできた。学校のコンピューター室に漂っているような、機械的で埃っぽい香りである。何度か深呼吸を繰り返していると、彼は不満そうに言った
「あんまり嗅ぐなよ、変態」
「……ごめん」
小さな声で呟いてから、僕は少しだけ息を潜める。とはいえ、全く呼吸をしないわけにはいかないから、静かに深く呼吸をした。体温に包まれながら呼吸を繰り返しているうちに、ま瞼を重力が襲いかかってくる。しばらくうとうとしていると、頭の上から声が降り注いできた。
「おい、何寝てるんだよ」
頭上から響く甲高い声に、僕は思わず顔を上げる。退屈そうに両目を細めたルチアーノが、呆れたように僕を見下ろしていた。正面から目と目が合うと、彼は大きく息をつく。寝ぼけた顔の僕を一瞥すると、冷めた声で口を開いた。
「今、寝てただろ」
「寝てないよ。…………少しうとうとしてたけど」
誤魔化すように言葉を返すと、彼は再びため息をついた。呆れが滲み出ているのか、さっきよりも大きなため息である。振り払うように僕を膝から下ろすと、彼はわざとらしくそっぽを向く。
「それを寝てたって言うんだろ。まあ、寝る元気が出たならよかったよ」
突き放すように言葉を吐くと、僕に背を向けてベッドに上がる。軽い気持ちで口にしたはいいものの、後になって恥ずかしくなったのかもしれない。僕と一緒に過ごすうちに、彼にも人間らしい感性が育ってきたのだ。自分から恋人との密着を提案するなんて、彼にとってはプライドに関わることなのだろう。
「ありがとう。ちょっと元気が出たよ」
素直なお礼の言葉を告げながら、僕はベッドの上によじ登る。ルチアーノの隣に腰を下ろすと、そっと彼の横顔を窺った。仮面に大半が隠された顔は、ほんのりと赤く染まっている。彼の動揺する姿が可愛らしくて、僕は口元に笑みを浮かべた。