誘拐 夜、家へと帰る時、彼は決まってこう言う。
「この続きは、また今度な!」
次の日になると、彼は決まって僕の前に姿を現した。にやにやと笑いながら声をかけると、澄ました顔で僕の隣を歩くのだ。当然だとでも言うように、タッグパートナーとしてデュエルをしているし、堂々とした態度だった。
これは、彼なりの約束なのだ。直接的な約束をする事に抵抗を感じてしまう彼は、このような間接的な言葉で次を示そうとする。なんともいじらしくて、かわいらしい態度だと思った。
その日は、ルチアーノに用事があるようだった。彼は神の代行者で、複数の任務を抱えている。仲間に何かを頼まれているようだった。
「じゃあ、僕は行くからな。一人だからって、寂しがったりするなよ」
からかうように笑いながら、ルチアーノは言葉を告げる。本当は彼の方が寂しいんじゃないかと思うけど、言わない方がいいから黙っているのだ。
「寂しくはないよ。明日になったら会えるんだから」
そう答えると、彼はにやりと笑った。子供のような笑い声を上げて、僕の顔を見上げる。
「強がっちゃって。本当は寂しい癖に。…………じゃあ、また明日な」
そう言うと、彼は僕に背を向けた。いつもと何も変わらない、平和な別れ際だった。
僕は真っ直ぐに家に帰った。特に用事はなかったし、やりたいことがあったのだ。ルチアーノは僕を任務に連れ出すから、細々とした作業は一人の時にしかできない。
一人の夜は久しぶりだ。最近は、毎日のようにルチアーノが遊びに来ていたのだ。一人で食べる食事も、静かな部屋も、なんだか新鮮な気分がした。でも、寂しくはない。明日になれば、僕はルチアーノに会えるのだから。
翌日なっても、ルチアーノは姿を現さなかった。いつもなら僕を起こしに現れるのに、今日はその気配すらなかった。おかげで、僕は昼近くまで眠ってしまった。
マイペースなルチアーノのことだ。今日は、僕を起こしに来る気分ではなかったのだろう。そう思って、自分から町に出ることにした。それなりに長い付き合いになるから、彼の姿を見かける場所はよく知っている。それに、彼自身も僕に発信器を持たせているのだ。これまでにも、合流で困ることはなかった。
町に出ると、僕は定番の合流場所を巡った。治安維持局周辺を探索し、繁華街を抜け、アカデミアの前へと進んでいく。この辺りに居れば、大抵はルチアーノから声をかけてくれるのだが、今日は現れる気配が無い。龍亞と龍可のペントハウスや、旧サテライトエリアまで探したが、彼の気配は無かった。
気がついたら、夕方になっていた。一日中歩き回っていたから、身体はへとへとだ。暮れ始めた空を眺めながら、僕は考え始めていた。
これまでにも、ルチアーノに会わなかった日は何度もある。彼は気まぐれなのだ。姿を現さないこともあるし、町で見かけたからと言って声をかけてこない時もある。でも、『また明日』の約束を破ったことは、これまでに一度も無かったのだ。
もしかしたら、と、考えてしまう。もしかしたら、ルチアーノに何かがあったのだろうか。彼は人智を越えた力を持つアンドロイドだ。そう簡単には事件に巻き込まれたりしないだろう。でも、だからと言って安心できるわけではなかった。
僕は家に戻った。もしかしたら、ルチアーノが来ているかもしれないと思ったのだ。でも、この希望的観測も、空振りに終わることになった。部屋の中には誰の姿もなかったのだ。
僕はソファに沈み込んだ。なんだか、嫌な予感がしたのだ。ルチアーノに限ってそんなことはないとも思ったが、どうしても心が落ち着かない。大きく深呼吸をすると、もう一度立ち上がった。
その時だった。
端末が、けたたましい音を立てた。いつもと変わらない音量のはずなのだが、今の僕には爆音に聞こえた。飛び上がるほど驚いて、慌てて端末を手に取る。画面には、『非通知設定』の文字が見えた。嫌な予感が、胸の中を駆け抜ける。緊張でボタンを押す手が震えてしまった。
「もしもし?」
震える声で話しかけると、通話の向こうから物音がした。機械が作動するような音の後に、虫の飛ぶような音が響いてくる。しばらくすると、男の声が語り始めた。
「お前のパートナーは預かった。返してほしければ、身代金を用意しろ」
僕は、危うく端末を落としそうになった。慌てて手を添えると、端末の向こうに向かって問いかける。
「お前は、誰だ! どうしてルチアーノを拐う!?」
しかし、向こうから返事はなかった。僕が話を終えるよりも早く、受話器の向こうの声が言う。
「この通達を無視したら、パートナーの命は無い」
そこで、電話は途切れた。ぶつんという音がして、聞こえていたノイズが消える。後には、静寂だけが残った。
まさか、と、思った。ルチアーノに限って、こんなことが起こるはずがない。彼は、人智を超える神の代行者だ。人間くらい簡単に倒せるはずなのである。
しかし、妙な胸騒ぎは消えなかった。心臓がバクバクと音を立て、手が震えてしまう。ルチアーノのことが心配で仕方なかった。
僕は鞄を掴んだ。家を飛び出すと、Dホイールに飛び乗る。エンジンをかけると、目的の場所を目指して発進した。
それから数十分後のこと、僕はポッポタイムを訪れていた。Dホイールから飛び降りると、玄関の扉を叩く。しばらくすると、室内着に身を包んだ遊星が現れた。
「遊星!」
僕が叫ぶと、彼は驚いた顔をした。目を大きく見開くと、宥めるように声をかける。
「どうしたんだ、そんなに慌てて」
「ルチアーノが誘拐されたかもしれないんだ!」
そう言うと、遊星はさらに驚いた顔をした。いつもよりも感情の現れた声で言う。
「ルチアーノが?」
僕は、これまでの経緯を話した。ルチアーノと約束をしたこと。彼が、町にも家にも現れなかったこと、家に帰った僕の元に、謎の電話がかかってきたこと。遊星は、黙って僕の話を聞くと、こう提案した。
「電話がかかってきたのなら、発信源を探知できるかもしれない。端末を貸してくれないか?」
僕はびっくりしてしまった。勢いで遊星を頼ってしまったが、ルチアーノは彼にとって敵に当たる存在である。話をしながらも、取り合ってもらえない可能性を考えていたのだ。
「助けてくれるの?」
「お前は、そのためにここに来たんだろう? 仲間が困ってたら、助けるのが当たり前だ」
「遊星……」
僕は呟いた。嬉しさと安心で、涙が出そうになる。大きく息を吸って、なんとか堪えた。
「チームのメンバーが拐われたら、誰だって心配するからな」
そう言うと、遊星は僕を室内へと案内した。機材の前へと移動すると、コンピュータを立ち上げる。何かのコードを手に取ると、僕に声をかけた。
「端末を貸してくれ」
端末を手渡すと、遊星はそれをコードに繋いだ。端末を操作して、通信履歴を表示させる。目的の通話記録を選択すると、データを解析し始めた。
コンピュータの画面に、見慣れない表示が並んでいる。しばらく端末を操作すると、表示は地図に変わった。
「ここだ」
遊星が、僕に画面を見せる。そこに映っていたのは、倉庫の並ぶ一画だった。画面は白黒で、その場所がどこなのかは分からない。
「ここは……?」
「ここは、旧ダイモンエリアの倉庫だ。通話の発信源はそこになっている。ここに行けば、仲間の一人はいるかもしれない」
「旧ダイモンエリア……」
僕は呟いた。かつてのダイモンエリアは、あまり治安の良いところではなかったらしい。いかにも不穏な展開だった。
でも、逃げる訳には行かない。こうしている間にも、ルチアーノが危険な目に合っているのかもしれないのだ。助けに行くしかなかった。
「行くのか?」
僕の心を読んだように、遊星が問いかける。
「行くよ。……ルチアーノが、心配だから」
答えると、遊星は強く頷いた。真っ直ぐに僕を見つめると、少し思案した後に言う。
「なら、これを渡しておこう」
そう言うと、彼は収納を開いた。ごそごそと音を立てて、中から何かを取り出す。それは、年季の入ったデュエルディスクだった。
「これは?」
「特別製のデュエルディスクだ。アンカーがついていて、相手を捉えられるようになっている。勝利すれば相手のデュエルディスクが破壊されるから、反撃される心配も無いはずだ」
遊星は淡々と言う。しれっと言っているが、かなり恐ろしい代物だった。
「どうして、そんなものを持ってるの」
尋ねると、彼は困ったような顔をした。あまり思い出したく無いことに触れてしまったのかもしれない。
「サテライトにいた頃に、いろいろあってな。何かの役には立つだろう」
「ありがとう」
デュエルディスクを手にすると、僕はポッポタイムを飛び出した。Dホイールに飛び乗ると、薄暗くなった通りを駆け抜ける。夜の風が、すぐ近くまで来ている気がした。
その倉庫は、旧ダイモンエリアの片隅に立っていた。海に面した通りに、似たような倉庫がいくつも並んでいる。夜の薄暗い背景も相まって、いかにもと言った雰囲気だった。
離れたところにDホイールを止めると、倉庫まで徒歩で向かった。せっかく遊星の力を借りたのだ。エンジン音でバレたりしたら意味がない。
倉庫の前に立つと、僕は大きく深呼吸をした。早る鼓動を押さえつけると、遊星から借りたデュエルディスクを構える。思いきって倉庫の扉を開けた。
中は、電気すらついていなかった。端末のライトを起動すると、室内を照らす。部屋の中央に、ひとつの人影があった。
僕は、その人影をライトを向けた。何かの箱に腰を掛け、真っ直ぐにこっちを見ている。背丈は子供のように低く、異様な雰囲気があった。
光に照らされた人影を見て、僕は絶句した。そこに座っていたのは、ルチアーノだったのだ。彼はにやりと笑って僕を見ると、からかうような声で言った。
「ずいぶん遅かったじゃないか」
僕は呆然とルチアーノを見つめた。目の前の状況が理解できなかったのだ。ぐるりと部屋の様子を見ると、目の前のパートナーに尋ねた。
「どうしたの? 誘拐されたんじゃなかったの?」
「誘拐はされたさ。全員、僕が倒したけどね。……周りを見てごらん」
そう言われて、僕は周囲にライトを向けた。倉庫の床には、いくつかの人影が死体のように倒れている。恐らく、ルチアーノの倒した誘拐犯なのだろうが、悲鳴を上げそうになるほど恐ろしい光景だった。
「この人たちを、一人で倒したの?」
「そうだよ。不埒なことをしようとするから、懲らしめてやったのさ」
「じゃあ、電話は? 僕は、身代金を要求されたんだよ」
「あれは合成音声だよ。今時誰にでも作れるだろ」
ルチアーノは平然と言う。つまり、身代金の話は彼の虚言だったのだ。彼は、わざとバレバレな電話を残して、僕に居場所を探らせたのだ。
「何でそんなことをしたの? 普通に帰ってきたらよかったでしょ」
僕が言うと、ルチアーノはにやりと笑った。
「僕は、君が部下として適切な対応を取るかを試したのさ。君が優秀な部下なら、僕を助けに来るだろう?」
「あのね……」
彼の言葉を聞いて、肩の力が抜けてしまった。僕は、ルチアーノの手のひらの上で踊らされていたのだ。心配して損をした気分だった。
「君は、優秀な部下だよ。自分で状況を判断して、不動遊星に助けを求めたんだから」
遊星に力を借りたことも、彼にはお見通しのようである。ここまで来ると、なんだか恥ずかしい。
「もう。どれだけ心配したと思ってるの? 遊星にも迷惑をかけたし、今度からはこういう試し方はダメだからね」
言い聞かせるように言うが、ルチアーノはにやにやと笑うばかりだった。分かってくれたのだろうか。いまいち腑に落ちない。
帰ったら、遊星に連絡をしなければならない。ルチアーノが見つかったことを知らせて、彼の企みについて謝らなければいけなかった。
「じゃあ、帰ろうか」
僕は、ルチアーノの手を取った。誘拐犯たちはピクリとも動かないが、死んでいるわけではないだろう。ルチアーノが人を殺しているとは思えない。このまま寝かせておけばいい。
Dホイールに乗り込むと、僕たちは家へと走り出した。背中には、ルチアーノの力強い腕を感じる。彼の体温を感じながら、彼は何故こんなことをしたのだろうかと考えた。