すったもんださにちょぎ序章 刀剣男士と色恋沙汰なんて、どうかしている。
会議とは名ばかりの雑談大会ではさすがに口には出せなかったが、俺はずっとずっと、そう思っている。会議といっても通信機器を介したもので、一時間程度の長さだったが、そのほとんどが中身のない話だったので、疲れを通り越して脱力してしまった。情報収集のためにわざわざ演練で不慣れな交流をしたというのに、いざ定例会議というものに飛び込んでみれば、本丸運営に関する話は一割あったかどうかで、あとは刀剣男士の趣味嗜好から始まり、あの本丸の加州清光と審神者がついに付き合うことになったらしいとか、最近万屋通りの裏路地にできた店は成人向けだから刀剣男士は伴わない方がいいとか、でもあのアイテムは結構良かったとか、そういう、本当に、どうでも良ければ俺には縁のない話ばかりだった。簡単わんわんなりきりプレイセットとか知るか! 誰が使うんだ!
さすがに、初めて参加した俺が少し引いているのを察したのか、少し交流のある先輩が「まあまあ、脱線はそのくらいで」などと言ってくれたものの、それでも次の話題は「巷で話題の【恋仲の刀剣男士に贈って喜ばれるものランキング】の真偽について」だったので礼を言う気力も最早失せていた。
そんな具合だったから、会議が終わっても、俺の頭はさっきの話題を引きずったままだった。どうして、誰も彼もが刀剣男士と深い仲になってしまうんだろう。昔は禁止されていたとかいないとか、なんかいろいろあったらしいけど、そんなことは関係なくて、そもそも多少特殊とはいえ一城の主ともあろうものが、率いるべき臣下とどうにかなって本丸内でなんやかんやみたいなの、俺は良くないと思う。住居兼とはいえ、職場だぞ? どうせ俺はオフィスラブ物で抜けない男だよ。
……いや、俺の性癖はどうでも良くて。
……そもそも性癖関係なく!
とにかく、主と臣下として良好な関係を築くべきであるとは思うけれど、それでも一線は引くべきだ。特に――戦績表と政府からの評価書類が視界の端に入り、無意識に唇を噛んだ。
――特に、俺みたいな新参者は。
「主、会議は終わったかな。入るよ」
「っ、ああ」
反射的に返事をしたものの、襖が開くと同時に俺は慌ただしく書類を引き出しにしまい込む。
「……わざわざ隠さなくてもいいんじゃないか、それ。俺は全部知っているんだから」
慌てすぎて、しまうと同時に指を挟んで悶絶する俺を、山姥切長義はあきれたように見下ろしていた。情けないが、似たようなことはよくあるので俺もいつものように見上げた先の美丈夫に作りなれた苦笑いを返した。
「……気持ちの問題だよ」
「へえ?」
わかったんだかわかってないんだか、みたいな返事をひとつすると、長義はすぐに「それより、次の調査の編成だが」と本題に入る。掘り下げられたくないと思っている部分には触れず、切り替えが早いのは彼の性格か、それともこの本丸では一番一緒にいる時間が長いからか……多分、両方だろう。
いわゆる、引き継ぎ審神者というやつだった。事情があって審神者不在となった本丸は、その戦績や面子によっては解体されず、場所も刀剣男士もそのままに、新しい審神者を迎え入れる。一応、当人たちの希望があれば刀解なり他本丸への異動なり聞き入れる体制ではあった。しかし、審神者が円満に引退することなんて稀で、大抵は『事情』によって新たな審神者が据えられることになると、住み慣れた本丸に残ることを選び、審神者が変わること自体は時間をかけて受け入れてくれるし、不慣れな新参者に寄り添ってくれる場合が多い。刀剣男士達は。
問題は、というか正直嫌なのが、新しい審神者を据える判断をした政府の人間達で、こちらが新しい生活に慣れない内に、嫌みったらしく前任の戦績と今の戦績を合わせて送ってきて、お世辞にも良いとは言えない評価付けをしてくる。悪いのは俺だと、わかっている。この本丸に残ると決めた刀剣男士達は十分な強さで、既に修行を終えたものも多い。だから元々戦績も良かったのだが、それが今では全盛期の半分ほどの成果も出せてない。俺がうまく率いていないからだ。まだ前任が残した各自の資料を整理できてないししっかり目を通せていないし、理解していなければうまく戦略を立てることもできない。戦績だけでなく、この本丸には元々いた刀剣男士と、後から俺が顕現させた刀剣男士がいて、彼らがうまくやれるかどうか目を配ることも大事だし、演練で情報収集もしないとだし、それから、それから――なんて考えていたら、刀剣男士と、どころか浮いた話だって一つもあるはずがなかった。
山姥切長義は、俺が審神者として最初に迎えた刀、という意味では初期刀みたいなものだった。本丸を引き継いだ直後に特命調査を命じられ、わけもわからず、無我夢中で顔を合わせたばかりの刀剣男士達と協力してどうにか『評定:優』をもぎ取った後に迎えた、初めての俺の刀。今思えば、『優』は完全にまぐれじゃないかと思うけど。長義は元々政府にいたこともあって、俺や本丸の事情をほとんど把握していた。特命調査の後、少し落ち着いてから鍛刀で迎えた刀もいるが、やはり、長義は少し、特別だった。いや、特別って言っても、こういう事情があったら誰だってそうなるはずだ。
おかしな会議に参加して、変に意識してしまったけれど、俺の考えは変わらない。刀剣男士との色恋沙汰なんてどうかしてるし、俺に関しては特にありえない。そんなことを考える前に、やるべきことがあるはずなんだ。
切り替えるために自分の頬を二、三度叩き、長義が編成の話と共に置いていった資料に目を通すことにした。前任者の情報は、引き継いだというのに俺に対して全てを開示されておらず、長義が元職場のよしみで時折持ち込んでくれる書類に頼ることも多かった。前任の戦法をまねるのか、それとも参考にするだけに留めて自分なりに戦略を立てるのか、そのあたりは俺に委ねられているが、悩んだ時には長義が相談に乗ってくれるので感謝しかない。戦績はまだまだ前任には及ばないとはいえ、それでも最初よりはマシになってきたし、長義が来てくれてからは右肩上がりなんだから政府には多めに見てほしいものだ。
「昨日はごめんね」
演練場に着くと、顔を合わせた途端に頭を下げられた。会議に誘ってくれた人だ。名前は互いに非公開となっているので、便宜上俺は『先輩』と呼んでいた。
「先輩が謝ることではないですよ」
「うーん、でもまあ、君の力になればと思ったのに、中身あんなんだったから申し訳なくて。あれでもいつもよりマシなんだけど」
「あれでも……」
俺がげんなりしたのを見て、先輩は苦笑いする。
「最近比較的平和だからね。前は物騒な事件とか、情報不足とかがあったからああいう情報交換の場があって助かったんだけど……ま、平和なのはいいことだよ」
「それは、そうですが」
確かに、俺は日々戦績との睨み合いが終わらないが、全体的な戦況はというと、本丸が壊滅するレベルの襲撃などもほとんどなく、戦いは続いているとはいえ、比較的落ち着いてはいる。
「主」
「あ、ごめん待たせて」
会話が途切れたタイミングで、長義が音もなく身を寄せてくる。俺と先輩の雑談が長引きそうなのを見てか、「先に演練表を見てくる」と囁いてまた離れていった。
「ごめん、ありがと」
言えば、既に背を向けた長義は軽く手を上げて応えると、勝手知ったるという足取りで離れていった。
「……昨日は聞けなかったんだけどさ」
声が届かないくらいに離れたのを見計らったように、今度は先輩が小声で囁いてくる。
「はい」
「山姥切長義と付き合ってる?」
「は? あ、いや、付き合ってないですけど」
反射的に冷ややかな声が出て慌てたものの、先輩は気を悪くした風もなく、「だよね」と頷いた。
「俺は多分違うよって言ったんだけど、昨日のメンバーは何人かがそうじゃないかって邪推しててさ、それで話を聞きたかったらしいんだよね。君がほとんど発言しなかったから、話を振れなかったっぽいけど」
「……なんでまた」
「仲良さそうだから?」
「? 普通です」
「距離も近いし」
「……そうですか?」
少しね、と先輩は言って、微笑ましいものを見る目で微笑んだ。その生ぬるい視線、やめてほしい。
「なんというか……山姥切長義って、あまり審神者と距離を詰めないイメージがあるんじゃないかな。一線を引かれているというか。元監査官だし、ちょっと特殊だよね」
一線を引くのが普通じゃないのか、とは言わなかった。気を遣ってくれてはいるが、この先輩も本丸の誰かと恋仲だったはずだ。
「長い付き合いになると、そうじゃない部分も見えてくるけど、なかなか心を開いてくれないなあ、と思う時があるんだよね。俺は」
「……そういうもの、ですか。いやでも、俺も心を開いてもらってるとは思わないですけど」
「……そう?」
「他の刀に比べて、気安いのは確かです。でも俺がそう思ってるだけで……勘違いされるほど仲が良いとは思ってないし……」
「……それって、向こうもそう思ってるかな?」
「? どういう意味ですか?」
「だってさっき、あ、」
先輩の視線がふいと俺の後ろに反れる。つられて振り向くと、両腕を組んでいかにも待ちくたびれたという顔の長義と目が合った。刀剣男士ってほんと音もなく移動するよな。慣れたけど、毎回びっくりはしている。
「話は終わったかな?」
表情と同じくらい不機嫌な声で言われたので時計に目をやると、演練開始時間の五分前を切っていた。所定の位置につくのにギリギリだ。もっと早く声かけてくれてもいいのに、と口を開くけど、その前に軽く溜息を吐かれる。
「声をかける前に気付いて欲しかったんだが」
「……」
「あー、ごめんね、呼び止めて。俺もそろそろ行かなくちゃ」
見れば、先輩の近侍はへし切長谷部で、気付けば同じように後ろに控えていた。互いに、また今度と軽く言葉を交わして、それぞれの待機場所へ向かう。演練開始三分前。本当に、俺が気付けばよかったのは確かにそうなんだけど、もう少し早く言ってくれてもいいんじゃないか。
「走るよ」
「ああ、うん」
返事をするのと、長義の手が俺の腕を掴んだのは同時だった。あ、と思う間もなく、強くて、けれど確実に力加減はされているな、というぐらいの力で引っ張られる。飛ぶように駆けながら、俺は確かに、手套越しの熱を感じたのだった。
***
「刀剣男士の手って、普通に暖かいんだな」
演練になんとか間に合ったかと思えば、手を離して第一声がそれだったので、さすがに長義もとっさに言葉を返せなかった。返せないうちに、男士側も所定の位置に着かなければならない時間だ。
「……行ってくる」
「はい、今日も頑張って」
軽く頭を下げた審神者はにこりともしない。審神者というのは、こういうものか。主というのは、こういうものか。それが長義には、まだわからなかった。
審神者とは、依存関係になればなるほど良い。
というのが近年の政府の考え方だった。ひと昔前であれば、人間と刀剣男士が懇ろになるなんてとんでもない、という雰囲気だったのだが、いつの頃からか、審神者とその刀剣男士が深い仲であればある程本丸の運営は安定する傾向にあるという調査結果が出てからはむしろ推奨するようになった。恋仲、両思い、それがいきすぎていっそ依存関係になっても良い。審神者が本丸運営を続けるのなら。
さすがにそれを表だって推奨しているわけではないが、政府内では周知の事実だった。ばかばかしい、と思ってはいたものの、いざ自分がいち本丸に属す刀となると、無関係の話ではなくなってくる。
ばかばかしい、けれど、まあ、そういうことになったとしても、別にかまわない。情を掛けてやることになったとしても、まあ。長義にとっては、その程度だった。ただでさえ少し特殊な経緯で、熟練の男士が多い本丸の主となった年若い男だ。傍で見ていても、よく不安そうにしているのが分かった。けれど自暴自棄にならず、自分に出来ることを何でもやるように行動しているのは見ていて好ましくもあった。
ある時、いつものように顔を付き合わせ、本丸運営のあれやこれやを話していて、ぽつりと審神者が呟いた。
「俺にとっては、きっと長義が初期刀みたいなものなんだろうな」
「は?」
一瞬、とても怪訝な声が漏れたのは不可抗力だった。自分には縁のない単語を耳にしたのだから。書類に目を落としていた審神者は長義の様子に気付いた様子もなく、「だってさ」と続けた。
「ここの刀はほとんどみんな、前の審神者のものだし……。今は俺に従ってくれているし、別に、不満があるわけじゃないけど。初まりの刀、というのは縁がないだろうと思っていたから余計にかな」
「……なるほど?」
「長義はそれでいうと、監査官始まりではあったけど、俺が最初に迎えて最初に顕現した刀だから……初期刀みたいなものだろうな、って」
「ああ、まあ、そうかもね」
曖昧に頷くと、審神者はちらりと長義の方を見てから、再び書類に目を落とし、先程なぞったのと同じところを見直し始めている。何をしているんだ、さっきから、とは言わなかった。慎重に言葉を選んでいるのが分かったからだ。
「……だから、ええと、そういう意味では、良かったよ。俺は審神者業務というものに不慣れだし、そこでいくと長義には助けられっぱなしだし」
「……つまり?」
「……頼りにしているってことだよ」
言わせるな、全く。
そう言って苦笑いした審神者の耳は少し赤くなっていて、ふうん、と長義は思った。存外、ちょろいのでは、と。しかし、今思えばあれが最高潮であった。
頼りにしている、とはっきり言葉で伝えられ、悪い気はもちろんしなかった。けれどあれ以来の態度を見るに、どうやら言葉以上の意味は全く含まれていないのだと分かると、どうしてか落ち着かない気持ちになる。どうしてなのかは、まだ分からない。
『仲が良いとは思ってないし』
淡々と口にした審神者の言葉に、胸の奥がつきりと痛んだのも、どうしてなのか、分からなかった。
「……ぎ、長義」
「っ、と、何かな」
演練の一件から数日が経った。相変わらず審神者と他の刀達、そして長義と審神者の仲も何かがどう変わるわけでもなく、程々過ぎる距離感を保っている。他の本丸との交流は最近頻度が減っていた。「得るものがなさすぎる」と嘆いていたのは記憶に新しい。その分、本丸内で今まで手をつけられていなかった部分に目を向けるようになっていた。必然的に近侍を務めることが多い長義と共に過ごす時間も増えている。増えているわりには、程々過ぎる距離が全く変わっていないことに、長義はやはり、落ち着かない気持ちだった
「書庫の整理をしようと思って。前任もあまり出入りしていなかったみたいで、誰も何が置いてあるかは把握していないんだって。そのあたりも徐々に綺麗にしていかないとな」
「なるほどね……しかし、これは、中々……」
そうして二人で足を踏み入れた離れの書庫は、あまり出入りがなかったというのも納得という空気の淀み具合だった。入り口から光が差し込むと、埃が舞っているのがよく分かる。内番着でよかった、と思うものの、だからといって長居したい場所でもない。
「灯りもつかないみたいだなあ……片付ける間だけでも窓開けるか」
「窓……こちらの本棚の奥がそうか……?」
「あ、長義、手前の棚気をつけて、」
「は?」
怪訝な声が出るのと、手探りで掴んだ棚がガタン!と音を立てて傾いたのは同時だった。木製のもので、経年劣化の上に中に書物を詰めすぎているのが一目見て分かる。倒れてくる本棚は、長義の目で追える程度にはゆっくりと倒れてきた。中に納められていた本も一緒に雪崩のように落ちてくる。けれど、半歩下がれば埃は立つだろうが、自分にも後ろに立つ審神者にも被害は及ばないだろう。しかし、そこまで考えて動く、ほんの一瞬前に後ろから手が伸びて、長義の腕を強く引いた。
「っ、え?」
目の前で、本棚が倒れていく。中に納められていた本や、書類の束も引力に従って棚から零れ、どさどさと落ちていった。そうして、腕を引っ張られた長義も、引っ張られるまま後ろに倒れ、審神者の腕の中に収まっている。
「……っぶなかった~」
安堵したような溜息はすぐ傍だった。
「昨日少し覗いた時に、結構ぐらついてるなとは思ってたんだけど……」
「ああ、そう……」
長義の体を抱き留めて、普段の目線より少し上の位置から、審神者は気遣うように長義の顔を覗き込んだ。
「大丈夫? 怪我とか……」
「何とも。というか、このくらい普通に避けられるんだが」
「あ、それもそうか」
ふ、と笑った気配も、吐息がかかるくらいには近い。
「長義が怪我するかも、と思ったら、つい。余計なお世話だったな。ごめん」
「は、いや、」
なんと応えるか、迷ってしまった。迷っている間に、審神者は体を離してしまうと、「どこから片付けようかなあ」とのんきに本や書類の山を見渡している。その後ろで、長義が僅かに耳を赤くしていることに気付きもしないようだった。
おかしい、と長義は気付かれないように息を整える。全然ちょろくないどころか、これでは、まるで。
その先は、考えるのをやめた。
つづく
審神者:引継ぎ審神者。婚約者の本丸を託され、引き継いだ。刀剣男士達と元々面識はあったものの、少し遠慮がある。婚約者は他の本丸の刀剣男士と駆け落ちして行方不明。という事情を長義は当然知っていると思っている。
山姥切長義:審神者が訳ありの本丸を引き継いだ後任であるということしか知らない。