沢北選手のGo to bed with me NBA選手、沢北栄治に飛び込んできたプロモーションの仕事の一つに、ナイトルーティンの動画を撮るというものがあった。
世界的に有名なファッション雑誌の日本版の動画企画で、海外で活躍する日本のスポーツ選手の生活を垣間見れると人気が高かった。
ぜひ、沢北選手の動画も撮らせてくださいと打診があったのだ。
普段はバスケばかりの生活で、そういった撮影は慣れていないし…と断ろうとしたが、撮影にスタッフは同行せず、自宅で簡単な照明とカメラだけ貸し出すので撮ってきてくださいとのこと。
それくらいなら良いか、と思って承諾した。日本のファンから、SNSだけでなくもっと沢北選手の姿が見たいという声が上がっていたのも後押しした。
そして、
【GO TO BED WITH EIJI SAWAKITA】
とタイトルされたその動画は、沢北のファンの間で、伝説として語り継がれる事になる。
営業事務として働くオフィスレディの私の唯一の楽しみは、帰宅後にご飯を食べながら見る推しの動画だ。推し、と言ってもアイドルや俳優ではない。
バスケ選手の沢北栄治。
もともと学生時代にバスケをしていた私は、社会人になってからもバスケ熱が収まらず、日本のバスケリーグやアメリカのNBAの試合が見れるケーブルテレビを契約していた。
そんな中、数年前に見つけたのが沢北栄治。日本人で、アメリカのNBAで活躍している中でも第一人者といっていい。
あの山王工業バスケ部出身で、高校時代からバスケ留学していた天才。しかも顔が超かっこいい。こんな神様に愛されすぎたとしか言いようのない人間がいていいのか、と初めて見た時衝撃を受けた。それからは、エージのSNSをフォローし、エージの試合のスケジュールをチェックし、エージの映像をかき集めて、エージのファンと交流を持つのが、私の日常になった。
推しの勇姿を見守るのが、忙しい毎日の中で私を癒してくれる。本当は生でエージの試合を見たいのだが、エージはアメリカで活躍しているので、なかなかそう簡単にアメリカまで行く時間と懐の余裕がなかった。
そして、今日もまた、録画したエージの試合を流しながら、コンビニで買ったパスタサラダを食べる。ささやかな夕食だが、エージの顔を見ながらだといつも美味しく感じるのは何故だろう。
覚えるほど見たその試合の映像を横目で見つつ、いつものようにSNSをチェックする。
「ん…?」
すると、私と同じエージのファンアカウントの数名が、沸き立っているのがタイムラインから読み取れた。なにがあったんだろう。
【やばい】
【こんなの見ていいんですか!?】
【新たなエージの一面が見れて嬉しい】
そんな言葉が踊っている。なんだなんだ、なにがあったんだとスクロールすると、一本の動画のURLが貼られたポストが大量に拡散されている。
『GO TO BED WITH EIJI SAWAKITA』
そんなタイトルの短い動画だ。サムネイルに、半裸のエージの画像。動画投稿のアカウントは、世界的に有名なファッション雑誌の日本版。
これってまさか。
「エージのナイトルーティン動画…!!」
思わず声が出た。
オタクは感極まった時独り言が多くなるが、もちろん私もそうだった。1人で延々と喋っている。これは、見るしかない。というか、なんでエージ半裸なの。かっこいい、いつも寝る時そんななの?えろすぎやばすぎ。
いろんな感情が駆け巡って、なぜか興奮で泣きそうになった。まだ見てないのに。
と、仲良くしているエージファンの子が、タイムラインで【かめこさんしなないで】と私信ポストを送ってきているのを見つけた。
かめこ、というのは私のSNSでのハンドルネームだ。亀が好きだから適当につけた。
「えっ、なに、しぬようなやつ…?」
私の独り言は止まらない。ほぼ口に出した言葉そのままに、SNSでも呟くとすぐにリプライが届く。
【いろいろ覚悟して見て】
友人はすでに見たようだ。言葉が重い。
【正座して見る】
そう返信すると、いいねのグッドボタンがついた。それを確認し、私は本当に正座の体勢をとる。推しの新しい動画、しかもほぼプライベートに近い映像。最高です。ありがとう。感謝の気持ちを胸に、私は再生ボタンを押した。
「こんばんは〜沢北栄治です!今日はオレのナイトルーティンを紹介します!」
ニコッと笑った笑顔が眩しい。ああ最高!今日もかっこいい。胸上からのバストアップの画角に、背景はホテルみたいに綺麗なバスルーム。おそらくロスの自宅だろう。奥の窓に夜のネオンが煌めいてるのが確認できる。すげーとこ住んでる。
半裸にシルバーのネックレスをつけただけだが、その肉体美が肩までしか映ってなくても十分にわかった。首も太くて肩の筋肉も凄くて超かっこいい。ネックレスが妙にエロい。いつもつけてるやつだから知ってるけど、ほんとに一日中つけてるんだと感慨深くなる。
「スキンケアはね、もともとそんなに興味なくて」
台本があるのか、スキンケアについて、という字幕が表示された。
もともと興味なかった?なのにそんなに肌綺麗だったの?細胞から違うんだなあと羨ましくなる。
「でもさすがに、やったほうがいいって言われてさ。それでやりはじめたんだよね。」
目線を落としたエージが、はにかむように口元を緩ませた。誰に言われたんだろ、家族とかかな。
「それにロスって陽射しやばくて!日本と同じように過ごしてたら肌荒れもしてさ、日焼け止めとかもつけるようになった」
これだよーって手の上に載せたのは、アメリカンなパッケージの日焼け止め。SUNSCREENって書いてある。字幕で商品名も出てるから、あとで検索して通販で買おうと心に決めた。
「今日はもう落としちゃうけどね。てことで、まずはクレンジングです」
手に取ったのは、日本でも有名なブランドのクレンジングオイル。お高いけど高評価なやつだ。クレンジングに1万はちょっとな〜と思ってたけど、エージが使ってるなら私も買う。決定だ。
「これは、なんか、サクラの香りのやつ?今も売ってるのかな?」
日本人名のブランドで、日本のサクラの商品を使っているところに好感がもてる。アメリカナイズされすぎてないところが好き。
「そういえば、桜木がこれ見てオレじゃんって言ってた。ちげーよってね」
エージがいたずらっ子みたいに笑った。
桜木、というのはおそらく桜木花道選手のことだろう。アメリカに数年いたから、その時に親交があったのか、時々SNSでも名前が上がることがある。
「これで落としていきます。優しくね」
クレンジングオイルで日焼け止めを落とす推しが見れる日が来るなんて。すごい、エージも私たちと同じように顔洗ったりするんだと感動した。
と顔を擦る手の指に、きらりと指輪が光っているのに気付いた。
えっ、指輪してる。しかも薬指。知らなかった〜てかなんで薬指。と驚いた。
いや分かってるけど。こんなかっこよくて才能溢れた人に彼女いないわけないと思ってるけど。
分かっててもちょっと複雑だなあ。
「次はこれ、洗顔!アメリカに売ってるやつ、みんな洗浄力強すぎてさ、すごいつっぱるんだけど。これはその中でも洗い心地よかったし、肌にあってる感じして気に入ってる」
洗顔フォームは見たことのないやつだった。日本で売ってなさそう。でも探そう。
洗顔まで終えたエージは、ふかふかの白いタオルで顔を拭いてにっこり笑う。あーさっぱりした、なんて完全に素の表情で、リラックスしてて、こんな可愛い顔するんだって嬉しくなる。まだ動画は3分も経ってないのに、もう胸がいっぱいだ。
薬指の指輪だけが気になるけど、まあ置いておこう。結局のところは誰にも分かんないし。
「はい!次ね、トナーです。Soothing Toning Lotion」
めっちゃ発音いい。これも百貨店に入ってる化粧品ブランド。いいやつ使ってんだなあと遠い目をしてしまう。エージの使ってるスキンケアで全部お揃いにしたいけど、今でもう私が普段使ってる化粧品の総額より大幅に高くなっている。
「オレ顔がベタベタするのやなんだけど、これは結構水っぽいのにとろっとしてて、でも乾燥しなくて最高。女の人にも合うと思う」
女性ファンへの言葉に歓喜した。やっぱり買います、エージがそう言うなら。
「次も同じシリーズの、ナイトクリーム。ライン揃えたほうがいいって、この間メイクさんに教えてもらったからその通りにしたよ」
メイクさんありがとう。
クリームを伸ばすエージの手と、顔の大きさがほぼ同じで、マジで超小顔じゃん…って見惚れた。しかもお目目がきゅるっきゅる。至近距離のエージの顔なんて滅多に見れないから、カメラを鏡がわりにしてクリームを塗るその顔に、私はため息をついて胸を押さえる。ほんとかっこいい。
「からの、一回リップクリーム塗ります」
ええええ推しがリップ塗ってるところを!?いいんですか!?
あまりの衝撃に私は耐えられず一時停止ボタンを押した。エージの薄くて形のいい唇がきゅっと突き出されているシーンで止まっている。静止画でも絵になるんだこの人。
はあはあと乱れる呼吸を整えた。少し落ち着いてから動画の続きを見ないと死んでしまいそうだ。突然の供給過多に。
動画の再生バーはやっと半分まで来ていることを示していた。ほんの10分程度の映像なのに、半分の5分間でこんなにしんどい。推しってすごい。
「よし」
気合を入れて再生ボタンを押す。
「いつでもキスできるようにってね」
あああああもうだめほんとエージ。
私は反射的に、再び一時停止ボタンを押した。
整えたと思ったらすぐこういうこと言って乱してくるのは反則じゃん。もう半泣きだ。そんな可愛い顔でそんなこと言わないで。
指輪の相手とするんじゃないだろうな、と思わず嫉妬してしまうほど羨ましい。そんなぷるっぷるの唇でさあ、キスなんかされたらさあ、もう骨抜きになっちゃうよね。
泣きながら、震える指で再生ボタンを押した。
「嘘だよジョーダン。はは」
エージはそう言いながら笑ってるけど、ものすごく甘い顔をしていた。多分これ半分は本気じゃん。
「最後!顔のね、気になるところにティーツリーオイルです。ほら、こことかにちっちゃくニキビできるんだよね」
エージがカメラに近づいて、おでこのあたりを指差した。ああそんな至近距離で。ありがとございます。てか睫毛なが。
「学生の頃よりはできにくくなったんだけど。まだちょっと気になるから。これはね、もらったやつなんだ。使ったら凄くよかったからって。それからはオレも自分で買うようにしてる」
ちょんちょん、と顔の気になるところにオイルを塗るエージ。小指が可愛い。爪の形まで綺麗で、
ちゃんと短く整えられてて清潔感があって最高。
「顔が終わったら、歯を磨きます。オレは電動歯ブラシ派。楽だよね」
ウイーンと電動音を立てながら、歯磨きする推し。電動歯ブラシってのも解釈一致すぎる。時々見える白い歯が眩しい、歯並びまで綺麗。
「一応なんだけど」
歯磨きを終えてそう言ったエージは、小さなボトルでプシュッと口内にスプレーする。えっ、マウススプレー?
「まあもう寝るだけなんだけど、朝起きた時に口が臭くなるのイヤで。念の為」
ああもうこれは、確実に朝キスする相手がいるでしょ。悲しいんだけど嬉しいような、いや分かってたって諦めもあるような。羨ましすぎるけど、相手が。
念の為、って一言添えたのもやばい。多分本当に相手のためだ、すごいなあエージって多分恋人としても最高でしょ。
「はーい、そしたら最後の最後、ほんとに最後ね、お気に入りの香水振りかけます。」
うわ、マリリンモンローみたいなことするじゃん。そしてそれが似合う。
香水はマリリンモンローのやつじゃなく、アメリカのブランドだったけど、そのセレクトもセンスが光ってて良かった。あとで品番調べたら、スパイシーで男らしい香り、とあった。今度買いに行きますこれも。
「これも結構好評なんだよね、オレらしい香りってよく言われる」
もうここまでくるとそれを言ったのは、家族でも友人でもなくほぼ確実に恋人なんだろうと確信に変わってくる。はい分かります分かってます、エージのファンとしての勘だけど、こういうの誤魔化せないタイプだよね。
「フィニッシュ!終わりです!」
にかっと笑ったエージの顔が最高にかっこいいし可愛い。あっという間の10分間、だけどものすごい情報量の多い動画だった。ありがとう神様、ありがとう動画企画提案してくれた人。
そしてありがとう、エージにここまでさせてくれる恋人。美人な人だといいな。
「見てくれてありがとうございました!ぜひオレのバスケも見てね。今度日本で試合する予定もあるので、楽しみにしててください!」
これはきっと台本だけど、カメラをまっすぐ見て話すエージに、私は顔が緩むのを抑えられない。
日本で試合する予定あるの嬉しすぎ。絶対行きます、エージと同じスキンケア用品でケアして最高の状態で。
「じゃ、恋人がベッドで待ってるからいくね。おやすみ!…これは本当にウソ、誰もいないよ。はは、じゃあね!」
カメラに向かって手を振るエージのその最後の言葉に、私は今度こそ全部持ってかれた。
「絶対ウソじゃないじゃ〜〜〜〜ん!!!!」
今日イチのでかい声が出た。
ひらひらと振った左手で、綺麗な指輪が光ってるのによく言うよ!
沢北が寝室のドアを開けると、中はすでに暗くてベッドヘッドのオレンジ色の灯りだけがついていた。
大きなキングサイズのベッドには、先客がいる。掛け布団にくるまって寝息を立てるのは、まさしく待たせてしまっていた恋人、深津だ。
「ふかつさ〜ん」
起きて欲しいけど眠りを邪魔したくもなくて、聞こえるような聞こえないような声量で言い、深津の上に覆い被さる。
「うー…ん、」
「寝ちゃった?」
「えーじ…」
「はあい」
腕を伸ばして首に抱きついてくる深津は、寝ぼけた様子で沢北の名前を呼んだ。柔らかく抱きしめて、沢北も隣に横になる。
首筋に鼻先を埋めて、深津は目を閉じたままスンスンと匂いを嗅いだ。
「寝る時の匂いだピョン」
「うん。ナイトルーティンの撮影してきた」
あぁ、と深津は納得した。
有名ファッション雑誌の動画サイトの企画で、プライベートに密着したナイトルーティンの撮影をすると、今夜深津には話していた。
だから先に寝てていいよ、って言ったのに、終わるまで待ってると言ってた深津さん。
でも、眠気に耐えきれず先に夢の中に行ってしまったみたいだ。
「うまくできたピョン?」
とろんとした目で、鼻先をくっつけながらそう言った深津が可愛くて、沢北の顔はでろでろだった。
「ほんとはさ、15分くらいは撮ってくださいって言われてたんだけど、深津さんが待ってると思ったら焦っちゃって10分くらいになっちゃった」
フ、と深津が笑った。
「ちゃんとやれピョン。俺なんていくらでも待ってるピョン」
「そんなことないよ、深津さんがうちにいるのなんて滅多にないじゃん」
「明日も明後日もいるピョン」
「でも5日後に帰っちゃうじゃん」
「そうだけど」
恋人との時間を大切にしたいのに、提出期限がギリギリだったから今日撮るしかなくなった。さっさと終わらせて深津とイチャイチャしようと思ったのに、長くなってとうの恋人が待ちくたびれ、先に寝てしまっては意味がない。
深津の体を抱き寄せて、さらに密着した。伝わる温度が心地いい。寝る時は半裸の沢北の肌に、深津の柔らかい素材のパジャマが触れ、その感触が優しく癒してくれる。
「もう寝る?」
甘えるように囁いたら、深津は少し迷ったような顔をしたけど、すぐに頷いた。
「つかれたピョン」
「うん、分かった。寝よう。明日早く起きてイチャイチャしよ」
「それは予定に入ってないピョン」
「いま入れたんです」
呆れたように笑う深津に軽いキスを落として、沢北も目を閉じた。深津のために手入れした自分の唇が、何もしてなくてもぷるぷるな深津の魅惑的な唇と触れ合って気持ちよかった。
「おやすみ」
「おやすみ」
囁きあって、2人だけの夢の世界に飛び立った。
深津のための、沢北の幸せなナイトルーティンの最後は、必ずキスで終わらせる。深津と一緒に眠る時だけの特別なルーティンだが、沢北の中では絶対に欠かせない大事なものだ。
夢の中でも一緒にいれますように。
そう願って眠るこの瞬間が、最高に幸せで、心地いい。翌朝起きた時のルーティンも決まっている。まずは最初に深津にキス。それからおはようと声をかけるのだ。