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    mctk2kamo10

    @mctk2kamo10

    道タケと牙崎漣
    ぴくしぶからの一時移行先として利用

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    mctk2kamo10

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    でこにーなのりばーしぶるきゃんぺーんが何回聴いてもレンレンなんですよ……という話
    「光へ」のおまけ小話なので道タケタグ失礼します

    #腐向け
    Rot
    #エムマス【腐】
    #道タケ

    こんな筈ない 足を何度となく床に擦り付ける。それで感覚が消えることを願ったがそういうわけにもいかない。むずがゆい、幻肢痛のような不快感を吐き捨てるように漣は舌打ちをした。
     目の前にいる男は、見えなくなる病が両目とも進行していたという。自分より小さいくせにそんなハンデを抱えてどうするつもりなのだろうと思っていたら、もう一人の男が常に寄り添うようになってしまった。漣にとって世界は父と、下僕であるプロデューサーと、美味い飯をつくるらーめん屋と、そして倒すべき相手であるチビの四人と、その他大勢くらいのもので(さすがに事務所の仲間くらいは名前も覚えたが)自分の心の大部分を占める人間四人のうちふたりが、ふたりっきりになることを選んでしまってはどうしようもなかった。父はもうこの場にはいない。プロデューサーはプロデューサーでしかなく、漣個人の味方ではない。それくらいは理解している。では、残りのふたりは、と思って、漣はまた地面を蹴りつける事しか出来なくなる。
     残りのふたりは、漣が自ら壊した。自覚はしている。事故だとしても、タケルを蹴り飛ばしたのはこの足だ。その感覚がずっと消えない。
     ダンスレッスンはもう出る気にはなれなかったが、ずっとレッスンスタジオにいた。いつものように寝床を探すのも疲れていた。頭が痛い。タケルや道流を見ると耳の奥で金属音がして、思考が途切れる。声が出てこなくなる。そんな体の不調と向き合うのも、もう、嫌だった。十分苦労してやっただろう、もういい加減もとに戻ったって良いだろう、と思うのに、いつまでも足に感覚が残っていて、どうやったって消えない。吐きそうになる。舌打ちが止まらなくて、スタジオに籠って眠った。食事は摂らなくても何故か腹は減らなくて、どうしてもとプロデューサーが懇願してくるから菓子パンを数個食べて、のちのち吐き戻した。
     スタジオについているシャワーで風呂を済ませて、タケルが沈んだ鏡の前で眠る。そうしていて思い出すのはあの父親のことだ。
     あの日、自分はどうしていたのだろう。大陸横断鉄道に乗って、走り去る景色を見ながら、夢を見て、そして。私闘禁止を言い渡された。己の弱さを知れと言われた。だからなんだというのだ、と思いながら、その言いつけは守っている。自分の弱さというものを、理解しようとはしている。到底見つからないけれどちゃんと探している。――そうして辿り着いた場所がこの冷たい床か。漣は自嘲して体を丸めた。
    「チビ、オマエだけは、絶対に……」
     呟いてみて、ああ、と思った。あの時のように置いていけば、いいのだ。父の手を振り切って。ポケットに収まるだけの大切なものだけ持って。思い出は、全部忘れてしまって。人をみな置いてけぼりにしてやって、ひとりで、どこかへ。
     思い至ってみれば至極簡単なことだった。勝負が出来なくなったところで、最強を示すだけなら出来る。目立てばいいのだ。父親にも届くくらい、タケルにも届くくらい。道流さえ、認めるくらい。それくらいの強さなら、もう、持っている。最強なのは自分だ。こんなところで蹲っているのは柄じゃない。
     くはは、と笑ってみれば、なんだかすごく可笑しいことで悩んでいたような気がしてきて、漣は一晩中笑い続けた。オレ様が壊した、なんて罪悪感も、置き去りにすればいい。最後に勝つのは自分だ。それだけ。勝利だけ自分の手に握られていればいい。

     ひと眠りして、スタジオを出てぷらぷらと町中を歩く。道流のいるラーメン屋に寄る気にはならなかったが、何故か腹は減っていた。あれほど食べる気にならなかったのに、気持ちに区切りがつけばこの有様だ。こういうとき、自分の体はわかりやすくていいな、と漣は思う。腹が減ったなら食うだけだ。どこで食糧を調達してくるかだな、と空を見上げて浮かんだのはプロデューサーだった。またアイツに何か買わせるか。そうと決まれば事務所に戻るのが一番良いだろう。足取りは軽く、そちらへと向かう。飯を食ったら、それで、事務所を出て、どこかで眠ろう。
     事務所へと向かいながら、日本を出ることを考える。いつ出発するか、どこへ向かうのかは決まっていなかった。金ならあった。それこそ、ビルを一軒まるごと買収できる程度の金は。だったら今すぐにでも出て行けばいいのだが、それで下手に追いかけられても嫌だな、と思う。確か、入院が必要だと言ってた。日本を出て行くなら、そのタイミングだ。行く場所はどこでもいいが、搭乗に手間取って誰かに捕まるのも、と思えばあらかじめタイムスケジュールを決めておいた方が良い気がする。そのあたりは自分がやることでもないとプロデューサーに押し付けながらアイドルをしてきたが、この場を離れるならば自分で決めなければ。
     空を見る。日本滞在がそう長くない漣にとって、季節の変化というものはあまり身近ではないものだった。確か、らーめん屋の誕生日は、まだだから、一応は夏のはずだ。でも少し肌寒くなってきたから、たぶん、秋は近くて、すぐに冬が来るのだ。ライブツアーが終わるころも秋の真ん中くらいになると誰かが言っていた気がする。そうか、北半球は寒くなっていくのか。父は北と南で季節の流れが半年分ズレていると言ってたから、南半分はどんどん暑くなっていくのだろう。こちらが冬のとき、向こうは夏だ。
     夏といえば。漣は昔々、いつか避暑にと訪れた北の果てのことを思い出していた。そこは北国らしい気温の低い、乾いた空気と、そして一度として日の沈まない日々があった。長い長い夕暮れがいつまでも続いて、それがいつの間にか朝焼けになっている。朝と夕方の境目がなくて、昼と夜は存在そのものがない。――そこを見よう。白夜の存在する場所へ行こう。今度は、南の果てへ。
     そう決まれば早かった。プロデューサーには飯を買ってくるついでに「ツアーのあと、オレ様の仕事ぜんぶ無しにしとけ」とだけ言ってスケジュールの都合をつけさせ、パスポートの場所を確認。預かられたときのまま、鍵付きの引き出しの中だ。鍵の場所は教えてもらっている。手荷物はなくていい。あとは現金を持てるだけ下ろして、米ドルかユーロに換えて服の中へ。あとは細かく現地通貨に替えていけばいい。足りなくなったら、また下ろせばいいし、クレジットカードだって一応プロデューサーに作らされていて、パスポートに挟んである。使えるなら、それで。気が向いたら日本に帰って来てやってもいい。だがもう、ふたりには会わない。タケルがステージを降りるその日までは付き合ってやるがそれが最後だ。
     なんて、身軽。漣はそう思いながら、プロデューサーの買ってきたパンをポケットに突っ込んで、弾むように駆け出す。どこに行くわけでもないが、走っていたかった。こんな心地良さを知らなかった。ずっとずっとこんなふうに走り続けていたいような気さえした。 



     そうして、アレのむかつく演説を聞いて、ステージを降りた瞬間に、舞台袖からも抜け、走った。走り抜けていた。道流はこちらを見ていなかったし、他のスタッフも漣よりタケルを見ていたから、まとわりつくものはなかった。一瞬で辿り着いた楽屋、汗を吸って重苦しい衣装を脱いで私服に着替え、金とパスポートだけ回収して、また走り、会場を出た。ライブ終わりだと言うのに力が有り余って仕方ない。走って、走って、風を感じる。空を切る音に自分の心音、呼吸音。それだけになる。思考はからっぽになり、次第に音さえ聞こえなくなっていく。体の中が透明になり、自分の存在はこの皮膚ひとつで、それ以外要らないように感じられる。
     気づいた時には空港に辿り着いていた。搭乗には余裕がある。手元を見下ろして、まあ、なんとかなるか、とは思ったがさすがに何か食べたい。空港内のラウンジや待合スペース、フードコートをうろついて何か食べれそうなものを探してくる。ついでに、と旅に必要そうなものもいくつか買って、小さな小さなバッグも買って、すべて詰めた。残った金はドルに換えた。もう日本に来ることもないだろうから、と、小銭はすべて捨てた。
     チケットを片手に飛行機に乗る。運よく窓側に当たっていた。暗闇の中のフライトになる。「最強になれば向こうが勝手に気付く」、そう言ったのは自分の方だった。あのとき一緒にいたのは、確か、飛べなくなったパイロット。雷を恐れる翼。――今の漣に、怖いものは、何もなかった。それこそこの飛行機に雷が落ちたって、どうだっていいと思えた。窓越しの誘導灯を見つめて、それにも飽きて目を瞑った。

     眠っているうちにフライトは終わっていて、どこに着いたのか理解もせず漣はその地に足を下ろした。久しぶりの、日本以外の場所。何もこの体にまとわりつくものはなくて、湿気の少ない乾いた空気が心地よかった。顔を上げればWelcome to Australiaの文字。ふうん、オーストラリアか。それだけ呟いて、空港を出た。もっと南へ行こう。南に向かって、そして白夜を見るのだ。
     時間と太陽の方向だけを頼りに、南へと歩く。ここがオーストラリアのどこなのかは知らない、が、まだ道が続いているということは南端ではないのだろう。食事を摂れそうなところを見つければそこで物を食らい、眠れる場所を見つければそこで体を休め、誰かに襲われそうになっては適当に殴らせ逃げることでやり過ごした。溜まった鬱屈は時折走ることで誤魔化した。走って、走って、そうして心が落ち着いて来ればまた歩き始める。そうやって歩き続けて、だんだんと気温の低下を感じ始めた頃、やっと水平線が見えてきた。これが南端だろう、と思う。
     結果から言えば、白夜は見れなかった。海の見える場所で一日ぶらぶらと過ごしたが、あっけなく日は沈んだ。短く、どこか白んだ夜ではあったが、太陽は見えなくなった。あとから知ったことだが、白夜となるには緯度が足りなかったらしい。そもそも、南半球の白夜圏(正しくは南極圏)に、人は住んでいない。
     つまんねえの。それだけ呟いて、仕方なく、またどこかに行こうと思った。場所はどこでも良いが、朝日を見ていて、日の昇る方、という言葉が浮かんできたので東に向かうことにする。
     一番近い空港を探して来た道を辿り、勘と運だけで国際線に辿り着くなり東行きであろう便に乗った。別に正しくは東に向かわなくても良かった。西も東も一周まわれば同じ場所に帰ってくるのだし。とにかくまた移動がしたかった。南アメリカの国名が見えたのでそれを選んだ。同じように飛行機に乗って、眠っているだけでどこかに着いていた。今度はチリか、と思って頭を掻いた。日本を出たときの爽快感はもう消えていて、何かが心に巣食っているのを消化しきれずにいる。空港を出てみれば、今度は西に水平線が見えて、まだ東に土地があることを悟った。移動する覚悟は決めたが、それより腹ごしらえだな、とバッグだけを抱えて町中へと入っていく。
     チリの南端。夏といえどこの緯度にもなるとかなり涼しく、日本の夏などもう二度と経験したくないと思える。――日本?
     漣は振り返る。海を見る。この海のはるか、北西の方。赤道をも超えた先に日本がある。それくらいの位置関係は把握している。いや、確かに気が向いたら帰ってやってもいいとは思っていた。だけど、まだ日本に帰ろうとは思わない。まだだ。なのにどうして日本のことなど思い出したのか。まさか、寂しいだなんて? 思うというのか。自分が。
    「そんな、弱っちいわけねえだろ、オレ様が」
     バッグを握る手に力がこもる。走るか、と頷いて、道の続く限り走り抜けて、体力を切らした。欲しいのは、勝利で満たされる、その感覚だけだ。仲間も、慣れ合いも、要らない。空っぽになりたい。自分を皮膚だけの器にして、それを勝利でいっぱいにしたい。それだけだ。勝負が出来ない場所なら要らない。勝ちをくれないなら誰も必要じゃない。そうやって、父親さえ捨てて、この場に辿り着いたのだ。今更誰に会おうと言うのか。
     走り抜けた先で、もう日が沈もうとしているのが見えた。海の中に太陽が落ちていく。それを見て、異国だと、確かに感じた。父と旅をしていたのはアジアが中心で、どこまででも陸続きで西へ行けた。日本もたいていは東京にいたから、夕日なんて山かビルの間に沈んでいくものだった。だけどここは海に落ちていく。長い長い時間をかけて。
     日本は小さな国だ。父と共に過ごしてきた国とは比べ物にならない。もちろんもっと小さな国はあるし、ケイザイテキには発達していたのだろうけど、それでも。文化は閉じていて、排他的。英語も喋れない奴らがゴロゴロ存在して、「日本人ではない」というだけで物珍しいのか珍獣扱い。小さな国だ。実際あれほど最強を目指すと言っていたのに、日本を出て、彼らの名前を一度として聞かない。同じように、きっと父には自分の名前は届いていなかったであろうことに、漣は思い至って、何もかもを吐き戻しそうになる。
     結局、誰も勝利をくれなかった。
     道流に頼って、ステージを降りるタケルの姿を思い出していた。父親も漣に勝敗ではない何かを教えようとしていた。道流もタケルも、あの日以来勝負をしてくれなくなった。プロデューサーだってタケルに付きっきりになって、自分を見なくなった。たった四人だ。その四人から勝利をもらえなかった。勝利を奪えなかった。空っぽの器は空っぽのままになった。勝利が欲しかったはずなのに、何かよからぬ感情が代わりに心を埋めている。
     そんなふうに、誰も認めてはくれなかったけれど、愛着ならあったはずだ、と漣自身がわかっている。居場所をもたないはずの自分が足繁くラーメン屋に通い、事務所に通い、毎日同じ顔を見て、ずっとずっとあんな小さな国に留まっていた。そんなふうに、愛着ならあったはずだ。なにしろたった四人しかいない中の三人があそこにいたのだ。それくらいの愛着はあったはず。
     こんな簡単に切り捨ててよかったのだろうか。異国にまで来て、やっとそんな簡単な疑問に辿り着く。でも考えるのも性に合わない。答えなんて特に求めていないのだ。自分が欲しいのは、この体を埋める勝利の興奮だけ。会いたい、なんて思ってない。思っていないが、切り捨てたことを、たぶん、自分は、後悔している。

     頭痛がした。

     弱い、弱いと父親の声が脳内にリフレインしている。己の弱さとはなんだ。そんなことを考えさせるな。もう何もかもが重たい。バッグを地に叩き付け、何度となく地面に足を擦りつける。弱くない、と叫び返そうとする自分がいる。けれど喉が痛んで声にならない。「ああ」と呻き声のような、情けない声だけが出た。
    「クソ、ちくしょう、オレ様は」
     続く言葉もない。自分の中に確かに存在していた四人のことを思えばそれだけ頭痛が増す。考えたくないのに、顔と声が、蘇ってくる。お前は弱い、と、勝利を取り上げる言葉と共に。
     足を思い切り振り上げ、大地に叩き付ける。地球の真ん中に届かせるつもりで強く強く何度も地を蹴り、そして。
     ああ、と思った。覚えている。覚えているダンスがある。もう一度踊りたくなって、漣は再び足を上げ、腕を構え、ステップを踏み始めていた。二人が難しいと言って苦戦した振付も一瞬でクリアして覚えてやった。前に出ようとした。隣にいるアイツに、あのふたりに、絶対に負けたくなかった。三人で繰り返したあの歌を、全員のパートをひとりで歌い、ひたすらその場で踊り続ける。
     歌って、踊る。それだけだ。そんなことで息が上がるほどやわな体ではない。だから自分たちが出した曲全部やってしまって、それでも足りなくて、二周目に入った。悔しくなってふたりのソロ曲も覚えている限りで踊った。見様見真似であったが自分の方がよっぽど上手に踊れていた。なんだ、あのチビも、あのらーめん屋も。下手なダンスで、そのくせリーダーだ年上だなんだと。センターをとって、いつもオレ様の前で踊りやがって。なんなんだ。らーめん屋もそうだ。どうして、チビに寄り添おうとする。
     そんなことじゃ、なくて。もっと空っぽでいい。自分たちはただただ戦い続ける獣でいい。確かに仲間ではあったが、同情なら必要ない。欲しいのは、勝利の味だけ。同じように願ったからこの三人は仲間だったのだ。ずっとずっと、戦い続ける獣でいなくてはいけない。そうでなければ、この三人はきっと。
     はぁっ、と息を大きく吐いて、ごろんとそこに寝転がる。見慣れない星が見える。面倒なやつに絡まれたら、でももう、人を、殴れは。いろんな考えが頭を巡って、しかしもうどうだっていいやと流されてすうっと空っぽになっていく。「寝るか」呟いてみれば、ひどく単純なことにも思えた。そうだなと自分で頷いて、荷物を抱いてそこで眠った。もう、頭は空っぽだ。何も考えなくて良い。

     幸い、誰にも襲われなかったらしい。目が覚めたときに潮風が体にまとわりついて鬱陶しいと思ったくらいで、それ以外のところは妙にスッキリしていた。長く続いたはずの朝日も高めの位置に来て真っ白な光を届けてくれている。少し悩んで、考えるのも馬鹿らしくなって、その場でバッグを開けた。日本の空港で買ったはがきが一ダース、そのまま入っている。ペンと、小型の点字機も。どうしてこんなものが空港にあったのか、今でも不思議だが、あったものはあったし、買ってしまったのは自分だ。深く考えることもなく、まずはペンを取る。
     宣戦布告のつもりで唯一覚えていた男道らーめんの住所を書きなぐった。裏面にはあのチビへのメッセージを、と点字機で文字を打ち込む。――日本にいた間に、ひらがなだけは、覚えていた。
     完成したものを一応読んでみるが、左右が逆転していたことに気づく。まあいいか。チビなら気づくだろ。そう考えて、荷物をバッグに詰め直し、適当に町中へと歩き出した。はがきは適当なところで投函し、もう国を出ることにした。行き先はとにかく東、そして北へ。日本にはそうしていればいずれ辿り着くだろう。徒歩で国境を越え、気が向いたのでまたブラジルの空港ではがきを出した。

     そしてブラジルからは飛行機でアフリカ大陸へ。南半球を中心にまわっていたがここから先は北半球に移らねばならない。気ままに歩いて、時折車を拾って、北上し、赤道付近の国に気が済むまで滞在しては東へと出て行くのを繰り返した。その時折ではがきを一枚ずつ消費して、日本に向けて放つ。どこか楽しくなっていた。父親と辿った道を逆方向に歩いて、さすがに面倒になれば電車や飛行機を使って。パスポートを埋め尽くすようにスタンプが並び、それを見るたび鼻を鳴らした。
     そういえばあのチビは、と漣は思い出す。タケルはハワイでライブをしたのが初めての渡航で、プロデューサーに付きっきりでパスポートを作ってもらっていた。入国審査で面白いほどに緊張していて、英会話のメモまで持って。道流の方は国際試合の経験から何度か海外経験があったようだが、それでもこれほどまでの国に渡ったことはないだろう。オレ様の勝ちだな、と漣は呟く。
     もう一度、勝負がしたい。漣の望むことはそれだけだ。今から日本に帰ろうとするのも、勝負がしたいから。 



     日本に降り立ったとき、そのまま膝をついてしまうかと思うほど、力が抜けた。まとわりつくような湿気があるくせに、埃立った空気。そういえば今の季節は「大陸の方から黄砂が飛んでくるんだ。花粉とかもあるし」なんて、プロデューサーか道流が言っていただろうか。黄砂とか花粉とか、それがなんなのかはわからないがこの喉の痛みが砂のせいならよっぽど面倒な敵である。唾を何度も飲み下した。
     こんな場所だっただろうか。人は小さく、手足は短い。潰れた顔をしている。小さくて、どうしようもない国に密集している。聞こえてくる音、空気、言葉、そのすべてがこの身を包んで、肌を舐めている。歓迎されているとは思わなかった。
     は、とひとつ息を吐く。歓迎されていない、それが、なんだ。最初からこんなところ居場所じゃなかったと思うだけだ。けれど、確かめなくてはいけない。あの場所だけは。あそこだけは。
     降り立った空港から勘だけを頼りに歩いて歩いて、やっと見知った場所に出た。あの日のコンサート会場だ。今日も何かの催しがあるのか、人だかりができている。あの人数、いや、もっと多くの視線を集めていたのがもう半年ほど前の話。懐かしい気がして、けれどかぶりを振る。ステージに立つ理由がない。アイドルをやる理由が、だって、勝つためだったのだから。勝負が出来ないなら舞台を降りるし、勝負をするために戻ってきた。
     歩き続ける。そうしてどこか祈るような思いで顔を上げたところで、喉が渇いたと思った。男道らーめんののれんが視界いっぱいに広がっていて、体中が震える。緊張している? まさか。これは、戦う前の興奮のはず。武者震い、とかいう、やつ。空っぽになっていたはずが何かで埋め尽くされて、体が重い。頭が痛い。ずっと痛い。オレ様は弱くない。きっと勝てる。負けたくない。負けるはずがない。でも、勝負さえしてくれなかったら、どうしよう? そうして、どこへ行こう。もう日本の外側も見てきた。それでもここに戻ってきてしまった。だったら、ここに歓迎されなかったら、この地球のどこにも居場所がない。
     まあ、それでも、いいか。最初からどこにも居場所なんてなくて良かったのだ。寝る場所と飯だけあれば生きていける。頭痛さえねじ伏せると、漣は思いっきり引き戸を開けた。
    「おいチビ、勝負しろ!」
     叫んだ声はいつも通りで、ちょうど彼らの顔が見えて、緊張が解けた。
     ぎゃんぎゃんと噛み付くような間合いでタケルと言い合い、席に着く。タケルはもう昼飯を食べてしまっていたようで早食い勝負は拒否された。道流はカウンターの向こうからこちらを見るだけで、特に移動する様子がない。むず痒い気がして、足を床に擦り付けた。
     タケルがカウンターの向こうに回っていくのを、イライラと見送った。ふたりがこちらを見てくれない、と感じる。――それも当然か。思い至って、漣は少しだけ笑った。
     省かれているなど、当たり前の感覚だ。置いてきたのは自分の方なのだから。ふたりをふたりきりにしたのは漣だった。それだけ深まった仲もあっただろうし、自分が割り込める関係ではなくなった。そしてだからこそ、ここは居場所じゃなくなってしまった。
     ふたりの出してくれたラーメンとチャーハンを見て、喉の渇きがすっと消えた。心は凪いでいていて、頭痛もしない。
    「チビの作った飯かよ」
    「具を乗せることしかしてない」
    「ま、食えりゃなんでもいいけど」
     漣にしては小さな声で会話しながら、割り箸に手を伸ばす。割って、麺を摘まみ上げて、啜る。その瞬間だけ、懐かしさで心が揺らいだ。しかし揺らいだだけだ。勝ち負けが関係ないなら気にすることじゃない。自分に言い聞かせて皿を開けていく。麺がもうない。どんぶりを担ぎ上げて、汁の一滴まで飲み干す。
     ラーメン鉢を置いて、息を吐いたところでまたわずかに苛立ちが蘇った。牙の字。らーめん屋が嬉しそうに作っていた。これと揃いの、虎の字のどんぶりもあるはずだ。
     だから、何だと言うのだろう。これを見て何を思えと言うのだろう。「クソ」と呟き、頭を掻いて、立ち止まるように動作をやめる。
    「漣」
     名前を呼ばれるが顔を上げたくない。ごちゃごちゃと喋りかけられるが、返事もしたくない。頭痛が蘇ってくる。決めたのだ。ここは居場所じゃない、だから出て行く。
    「メンドクセェな」
     それだけを呟いて、立ち上がる。最初からどこにも居場所なんてなくて良かったのだ。
    「要らねえよ。オレ様に家なんて要らねえ。帰ってくる場所なんて作る方がめんどくせぇ。家族も要らねえ。なんだよ、テメェら腑抜けやがって。あのクソ親父みたいに意味わかんねえこと言いたいなら勝手に言ってろ。オレ様はひとりで最強になる」
     彼らの顔を見てみれば、唖然とした間抜け顔で、ほんの少しの優越感が心を満たした。なんだ、簡単に勝てるじゃないか。何が恐ろしかったのかもうわからない。ツーステップ、軽い足取りで店を出て、走った。
     体が軽い。どこまででもいける。この広い土地も、海も、空さえも自分の居場所のような気がして。
     次はどこへ行こう、と心が躍る。もっと遠くへ行きたい。そうしてそこから自分の名を轟かせて、ふたりの手の、届かないところへ。そうして勝負に勝ち続けていたい。全能感を持ちながらもなお空っぽに飢えた獣になって、漣は光の昇る方へ向かっていった。
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