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    道タケと牙崎漣
    ぴくしぶからの一時移行先として利用

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    感情が未分化な漣と恋愛感情を理解したくないPの漣×創作男性P~道タケ未満を添えて~

    #腐向け
    Rot
    #エムマス【腐】
    #漣P
    #道タケ

    恋を知らないエゴイスト

     プロデューサーという肩書ではあれど、小さい事務所なのでマネージャーの真似事もする。私はスマートフォンのアラームと共に表示されたスケジュールを確認して、THE虎牙道の迎えがそろそろかと車を飛ばした。
     THE虎牙道は本日舞台仕事の読み合わせの日だった。台本は先日演出家経由で受け取り、渡してあるのだがスケジュールが立て込んでいてじっくり読むような時間はなかった。道流さんはともかくタケルさんと漣さんはてこずっているだろう。台詞さえ覚えてしまえば他の役者には表現できないほどのアクションを見せてくれるのが彼らではあるが。
     読み合わせ会場である貸会議室にノックをしてから顔をのぞかせる。やはりというか、少し時間は押しているようだ。まだ評価段階だ。
     いつまでもドアを開いたままにしているわけにもいかない。部屋に入ってしまい、他のキャストのマネージャーたちの横に並ぶ。
     そこで演出家が口元に手をやりながら呟く。
    「まだ、読み合わせの段階だが」
     演出家はずいぶん言葉に迷っているようだった。かけるべき言葉がわからないのだろう。役者など皆どこかしらとびぬけた個性を持っているものだが、THE虎牙道はそれに引けを取らないどころか圧倒的な差をつけて個性的な面々だし、中でもひときわ漣さんは個性的だ。漣さんと同じタイプに出会ったことがなければ当然言葉にも迷うだろうし、そもそも「漣さんと同じタイプ」が存在するかもあやしい。
     結局彼は言葉を選ばないことにしたようだった。ストレートな言葉をまっすぐにタケルさんと漣さんにぶつける。
    「大河と牙崎はまだ読み上げすらぎこちない。次はもっと表現を磨いてくるように」
     結局のところ彼は正解の言葉を選んだように思う。タケルさんはわかったと頷いて、漣さんは焚きつけられたように声を荒げる。
    「ああ? わけわかんねェ」
    「牙崎、お前は主演で座長だ」
     事実をはっきりと伝える方が、きっと漣さんには良い。演出家の言葉選びはもしかしたら漣さんと相性が良いのかもしれない。
    「クライマックスのシーンには力を入れたいから読み込んでおいてくれ。詳しいことは読み込みが終わってから伝える。以上だ」
     演出家が先に席を立ち、私からは会釈を。他のキャストからのお疲れさまでしたとの声が彼の背中にかかる。その中で漣さんはひとり「なんだあのオッサン」とあからさまな怒りの言葉を呟いている。ただ自分がうまくできなかったこと、最強ではなかったことは十分わかっているようでその手から台本を離しはしない。クソ、と一度床を蹴った。
     対して道流さんとタケルさんは一緒に漢字の読みや意味を確認しているようだ。三者三様を体現している彼らに近づく。
    「THE虎牙道の皆さん、お疲れさまでした」
    「ああ」
    「師匠。お疲れさまッス」
     次の仕事はありませんがどうしますか、と声をかける前に漣さんが私の手首をつかんだ。
    「おい、下僕! なんか食いもんよこしやがれ!」
     漣さんのこれは漣さんなりの甘え方だと気づいてからは問題ないが、気づくまでは相当時間がかかった。手をほどいて、キャンディとキャラメルがありますよと二つ三つその手に乗せる。
     改めて道流さんとタケルさんに向き合う。
    「さて、次の仕事はありませんが……」
    「自分は帰らせてもらいます。男道らーめんのシフトが足りてなくて」
    「わかりました」
    「じゃあ俺も円城寺さんの手伝いに行く。今日演出家に言われたことは明日までには必ず直してくるから」
     タケルさんは言ったことはきちんと守る人だ。道流さんも世話好きなところがあるし問題ないだろう。それにもわかりましたと頷いた。確かここから男道らーめんはそう遠くない。歩いて(もしくは二人のことだから走って)向かうだろうかと思いながら「車で送りましょうか」と尋ねると、笑って首を横に振られた。
    「二人で走っていきます。荷物もそう多くないッスからね」
    「わかりました、気を付けてお帰りください。じゃあ漣さん、行きましょうか」
     このあと一人で練習するつもりでしょう、と言外に含ませて漣さんを見るが伝わってはいないようだ。小さく笑って、漣さんを車まで案内する。やはりこの人には真っすぐ伝える方が良策なのだろうな、とは思うがそれが自分にできるとは思わない。
     助手席に漣さんを乗せて事務所へと戻る。それほど渋滞に引っかからずに戻ってこれたので、私自身の仕事にも少し余裕があった。どっかと応接用ソファに腰を下ろした漣さんが、本を取り出したその横に座る。
    「なんだ、下僕がオレ様に近づくんじゃねえ」
    「違いますよ。台詞を覚えるお手伝いをするだけです。」
     いつもやっている通りだ。漣さんも納得したのか台本を私に完全に投げ渡した。さっさと読め、と言うようにふんぞり返って腕を組む。

     THE虎牙道に今回入ってきた仕事は、小説を原作にした和風ファンタジーだった。山に棲む鬼が、生贄として捧げられた兄弟を食べごろを逃してしまうまで育ててしまったところから舞台は始まる。兄は世話焼きで、弟は寡黙だが兄にはよく懐いて柔らかい表情を向ける。鬼はその様を眺めて日々を過ごすうちに、すっかり食べる気をなくしていた。そんなときに村人が「捧げたはずの生贄がなぜかまだ生きているらしい」と山の中で噂しているのを聞いてしまう。村人はこうも言っていた。「なら今の凶作もそのせいだ。もう一度兄弟を探し出して殺し、鬼に捧げなおそう」――鬼は怒る。その過程で自分の中にある兄弟への思いに気づく。
     そんな話だ。世話焼きな兄役には道流さん、寡黙な弟役にはタケルさん、そして主演となる気の強い鬼役には漣さんのオファーが来た。原作小説を知っている一希さん曰く、宛書かと思うくらいよく合ったキャスティングらしい。

     できるだけ演技が入らないように気を付けながら台本から役者と台詞を読み上げていく。漣さんは適宜復唱しながら聞いた音を覚えていく。書き文字が苦手だからかこういったやり方の方が覚えられるようだ。この台詞の覚え方が確立したのはいつ頃だっただろうか。THE虎牙道はミュージカルや舞台のような生仕事の多いユニットだから(ダンスとアクションが得意なのだから当然と言えば当然だ)初期からこうやってきたような気がする。それだけ漣さんと過ごす時間は長い。タケルさんも同じように復唱してもらうことで覚えさせることもあったが、努力家の彼は一人でじっくり書き込みながらの方が最終的に良い演技をする。
     私が読み上げたものを、漣さんが簡単な演技を乗せて言い直す。それを淡々と繰り返して、終盤まで差し掛かったあたりで「なんだ、今の台詞」と突然台詞外の言葉が出た。漣さんの台詞ではない。兄弟たちが顔を見合わせるシーンだった。
     山に棲み、孤独に生きてきた鬼が、兄弟という他人に何を感じていたか。それを表現した台詞のあと、問題の台詞は来る。初めての演技仕事――「卒業」でも告白シーンがあったが、そのときは自分の台詞に戸惑うだけだった。他人の台詞に違和感を覚えるのはシナリオへの理解が深まっている証拠だろう。ただ、それをいちプロデューサーが指摘することではない。
    「そういう台詞なんですよ」
    「はあ? この兄弟は鬼のもんだろうが。なんで鬼を見やがらない」
    「それはこの脚本を書いた人に聞きましょう。今はとにかくご自身の台詞を覚えてください」
    「何わけわかんねーこと言ってんだ」
     無理矢理続きの鬼の台詞を読み上げると、漣さんは感情が乗らないまま、台詞を復唱した。クソ親父、と呟いたような気がするがそれは聞かなかったふりをした。
     一通り読み終えたところでいったん休憩をはさむことにした。当然一度で覚えられるものでもないのでこういったことを繰り返し読んで、復唱していかねばならない。けれど続けて出来るものでもないだろう。それに今回は漣さんも違和感があるようだから余計だ。どうにもいらいらしているようなので、笑って「会議室に行きましょうか」と声をかけると早くしろとの返事があった。
     漣さんのストレス発散方法はわかりやすい。体を動かすだけだ。机を寄せてスペースを作り「怪我しないでくださいね」とだけ言って彼に振り向くと目を輝かせて「ステージ」の真ん中に立った。
     たった一人の舞台の上から漣さんが私を見る。小さなステップをきっかけにダンスが始まる。おそろしいまでに振りが大きくキレのいいそれをぼんやりを眺めて、台本のことを思い返す。
     信頼とはなんだろう。鬼が感じていたものはおそらくそれだ。兄弟がお互いに感じているものは家族愛だが、それと何が違うんだろう。
    ――いや、わかる。それはわかる。家族愛はもっと親密で、嫌な部分も含めて許してしまえるような、自分の嫌な部分も許してもらえるとわかっているような、そこも含めた慈しむような愛だ。信頼ではそうはいかない。信頼と家族愛の区別はわかる。では、「卒業」で彼が表現した恋愛との違いはなんだろう。
     私には恋愛感情がわからなかった。昔から。一般的な言葉での定義は知っていても、体感として理解したことはなかった。それを恥じたことはない。アイドル達の輝きを目前にして狂わないでいられることはプロデューサーとしての才能なのかもしれないと誇ったことさえある。
     そしてだからこそ、漣さんに仲間意識を感じていた。同じだからわかる、漣さんもこのタイプだ。ただ、彼の場合多くの感情が未分化で、まだ恋愛感情になっていないだけなのかもしれないとも思う。そういう意味で完全に信頼することはできないでいるが。
     漣さんが急にダンスをやめた。はあ、と息を吐きながら、頭を掻く。
    「だいたいなんだ、チビもらーめん屋も……」
     そこで言葉を区切る。漣さんの言いたいことはよくわかった。
     恋愛なんて、わからない。タケルさんと道流さんの間にあるものを、私はよくわかっているようで、わかっていない。まだ本人から相談も報告も受けていないので、誰にも言えないのに気づいてしまったそれ。
     漣さんの場合は「どうしてオレ様のことを見やがらない」と続くのだろう。そういう人だ。親近感はある。けれどこれは恋ではなかった。ただの仲間意識だ。
    「タケルさんも道流さんも、漣さんのものではないですからね……」
     なんとはなしにそう呟くと、漣さんは「みんなオレ様のものだろ」と怒鳴るように返した。
    「オマエもだ」
     それに苦笑で返した。

     しばらく漣さんのダンスと台詞暗記に付き合い、事務仕事を片付けてから帰る。隣にた漣さんの希望で遅めの夕食は男道らーめんになった。ピークタイムは過ぎているから、おそらく道流さんが厨房に立って明日の仕込みをこなしながら、タケルさんは台本を読んでいるところだろう。
     漣さんは男道らーめんののれんが見えるなり駆け出して店に飛び込んでいく。
    「らーめん屋! 超大盛だ!」
     そう叫んだ漣さんに対する、道流さんの嬉しそうな「わかったわかった」という返事が聞こえる。すぐに追いついてのれんをくぐると道流さんが気の良い笑顔を見せてくれた。
    「師匠はどうします?」
    「並でお願いします」
    「はい! 漣の面倒見てくれたんで煮卵おまけしときますね」
    「オレ様にもだ!」
    「はは、わかった」
     そのまま鼻歌を歌いつつもラーメンを作り始める。道流さんは漣さんにも臆することなく接する。威勢の良い子が好きなのかと思ったがタケルのようなタイプの方が本命のようだから、単に強者の余裕なのだろう。THE虎牙道はそんな余裕を相互に持っているからこそ成り立っているような気がする。特に、Enthralling Dancerをやり遂げてからの道流はそうだ。
     店内はやはり人が少なかった。常連なのか、アイドルに興味がないのかは知らないがTHE虎牙道が揃っていても変に舞い上がったり、不審がったりする様子はない。タケルさんは漣さんに隣を陣取られて不機嫌な顔をしながらも台本を開いてペンを持っている。漣さんはいつもタケルさんの左隣を陣取るから、左利きのタケルさんと手が当たっていた。
     タケルさんにもう晩ご飯は食べたんですかと声をかければ「まかないをもらった」と頷いてくれた。
    「読み込みはどんな調子ですか」
    「ああ、問題ない。このあとも円城寺さんの家で台詞覚えるのを手伝ってもらうつもりなんだ。お礼にラーメン屋の仕事を手伝ったし」
     なんてことはない発言だ。しかし彼らの間にあるものを思うと、二人で居たいのだろうな、と思ってしまう。事実、道流さんが話に入ってきて「漣も一緒にどうだ」と言い出してもおかしくはないのに、そうする気配もない。
     アイドルを預かるプロデューサーとしては、止めなくてはいけないのだろう。ユニットのバランスを崩しかねない、危ない感情だ。けれど道流さんもわきまえているからか、元からTHE虎牙道が「勝利」という感情のもとに成り立つものだからか、今のところは指摘するに至らない。
     そして彼らの良き友人である一個人としては。そこまで考えて私は口をつぐんでしまう。他人が感じるその感情に抵抗はない。むしろ愛おしいとさえ思う。自分に向けられたときに嫌悪するだけだ。だからこそ生半可なことは言えない、と感じる。
     考え事をしていたら、目の前にことんとラーメンが置かれた。隣の漣さんの超大盛に比べたらずいぶんと小ぶりで、大盛くらい食べられたかも、と思ってしまうがこれが案外多いので並でも十分だと身をもって知っている。
    「はい、漣に超大盛と師匠に並ッスね」
     食べ物を前に余計な考え事は無用だ。いったん恋愛の話を頭から追い出す。昔からのことなので慣れたものだ。昔から誰が好きだの誰と付き合っているだのという話題についていけなくて曖昧に笑っていた。その日々に比べたら仕事にプライベートな話を持ち込まないで済むプロデューサーの仕事はずっと良い。頷いて、無心のままラーメンをすする。
     結局私がラーメンの並を食べきるまでの間に漣さんは超大盛を食べきっていた。今夜はどうするのかといつもの質問をすれば「一人で寝る」との返事があったのでそのままにしておくことにした。18歳とは言え人を、アイドルを野宿させることに抵抗はあるが漣さんの場合は下手に追及するほど嫌がられる。引き際はここだろう。
     一人の帰路につくと、先ほど追い出した思考もまた蘇る。
     タケルさんと道流さん。年齢差はある。アイドルでもある。でも、そういうことを除いてひとりの人間とひとりの人間のことだと思えば。ふたりが自分の気持ちとよく向き合って、自分の気持ちを大切にして、その上でお互いを大切にし合えるならそれは幸せなことだ。応援したい、と素直に思う。ただ私にできることはそこまでであって、それ以上のことは何もできない。恋路を手伝うことも反対することも無論だ。
     部屋に辿り着いたら、スーツを干し、シャワーを浴びて、ベッドに横になる。
     ふたりのようになりたいとは思わない。けれど一人の部屋に孤独は感じる。ああ、と呻いて「寂しいなあ」とひとりごちて笑った。家族、というものは欲しいのかもしれない。




     師匠に相談があります。事務所に入ってきた途端に道流さんが真剣な顔をして言ってくるから、私は気圧されるまま頷いた。内容は想像がつく。タケルさんのことだろう。
     賢さんはちょうど大学の授業に出ている時間帯だ。社長は営業のため外回り。急ぎですか、第三者はいない方がいいですか。投げかける質問のひとつひとつに対して道流さんは丁寧にはいと頷く。
     念のため事務所の内鍵をかけて(社長は鍵を持っているから無意味だが、気休め程度に)応接用のソファに腰かける。
    「あの、ッスね」
    「ゆっくりでいいですよ」
    「……」
     思えばこうして道流さんが何かを相談してくれるのは珍しいと思う。彼はいつも自分と向き合うことを良しとして、他人には見守らせるタイプだ。人懐っこく愛嬌もあるがある種の孤独を好む節もある。
     ということは相談とは言っているものの実際にはただの報告なのではないか。自分の中でもう十分考えて、結論は出しているのではないか。ならば受け入れるだけだ。タケルさんのことにせよどう言われるのかはまだわからないが心の準備さえできればなんてことはない。まっすぐに道流さんを見つめ返す。
    「あの、師匠」
    「はい」
    「叱られる覚悟は出来てるんスよ」
    「叱られるようなことなんですか?」
    「ええまあ、……タケルを、好きになりました」
     やはりそうだ。頷いて続きを促す。
    「男同士という点は責められることはないにせよ、自分は成人なのに未成年に、アイドルの身分で同じチームメイトに、と……思いはすれどどうしても気持ちが抑えられないんです」
     道流さんの視線はそれでも下がらない。やはりもう悩みつくして答えは出ているのだろう。ならば聞くことはひとつだった。
    「それで、道流さんはどうしたいと思いましたか?」
    「タケルが欲しい」
     案の定の即答だった。
    「タケル以外要らない、なんてことは言いません。今持っているものはそのまま、タケルの心を手に入れたい。ただ、恋愛感情を抱いてはいけないこともわかっているので相談しに来たんです」
     道流さんならそう言うだろう、という予想そのままの答えに小さく笑いながら、心の奥底が冷えるような感じがする。恐れていたことを目の前に突き付けられて恐れない人間などいるものか。逃避の様に考えながら、それでも昔からの疑問を目前に立ちすくんでしまう。
     どうしてそんなふうに人に対して熱を持つことができるのだろう。
     どうしてどこまで人に貪欲になれるのだろう。その恋という感情はいったいどこから沸き上がるものなのだろう。
     わからない。きっと道流さんに共感してやることはできない。結論を悟ってしまっていたから、どう答えるべきか悩む。
    「タケルさんは視線を離さないような魅力がありますからね……」
     呟くようにして、私の方から目を逸らしてしまった。けれどこんな答えが道流にとっての何になるわけでもない。人として応えることができないのであれば、プロデューサーとして応えるべきだ。息をして、視線を戻す。
    「まず、こうやって報告してくれたこと、ありがとうございます」
    「はい」
    「プロデューサーとして、できる提案は『隠し通してください』でしょうか。ファンにも、他のアイドルにも」
    「叱らないんッスね」
    「叱ってどうにかなるものでもないでしょう」
     恋のことはわからないが、そういうものだろう。少なからず道流さんにとっての恋はそうらしい。自分でどうにか抑えられる感情ではなかった。だからこうして私に話してくれている。
    「しかも提案って……師匠は優しいッスね」
    「そうでしょうか?」
    「そうじゃなきゃ、自分の覚悟が無駄になった理由がつきません」
     道流さんがここまで困ったように笑うのも珍しい。本気で叱られる覚悟を持ってここまで来たのだろう。
    「今からでも叱った方がいいですか?」
    「自分の禊という意味では、お願いしたいところッス」
    「困ったな。叱ること、苦手なんです」
     今度はこちらから苦笑を返す。恋愛感情のわからない私が、恋愛感情について他人を叱るなど考えもできない。
     へにゃ、という擬音が似合うような形で笑い合って、じゃあどうしようかと切り出したのは道流さんの方だった。
    「今師匠は他のアイドルにもと言いましたけど、タケルに伝えるのは……」
    「そうですね」
     プロデューサーとしての返事の続きだ。それならば多少は言えることもある。
    「他人に隠すこと以外に二つ、お願いしましょうか。一つはタケルさんの成人を待つこと。一つは仕事に影響しない範囲内に留めること」
    「はい」
    「この二つを守ってくださるなら、道流さんは気持ちを……タケルさんもかもしれませんが、とにかくご自身の気持ちを大切にしてほしいと、私は思います」
    「はは、タケルもだと嬉しいッスけどね」
     間をおいて道流さんは頷く。
    「わかりました。それで」
    「社長や賢さんには私から上手く言っておきます」
    「助かります。二人にも一応隠しておきますね」
    「ええ、その方向で。特に賢さんは妙におっちょこちょいですからね」
     そろそろ内鍵を開けるか、と立ち上がったときに道流さんが「師匠」と私を呼び止めた。まっすぐに自分を射抜く目。この目が道流さんの本質のはずだった。映画村で見たような、Enthralling Dancerで見たような、この真っすぐな目だ。けれどこれがタケルさんに向くときだけ柔らかく解けるのを私は知っている。
     知っていて、怖いと思う。人をそれほどにも変える恋とはなんだ。
     言葉が出ない。身構えるように拳を握る。道流さんは覚悟を決め直したように呟く。
    「背中を、思い切り叩いてもらえませんか」
    「……はい?」
     思わぬ方向から飛んできた言葉に、急に力が抜けてしまった。せなか、たたく、としどろもどろに繰り返す私に向かって道流さんはまた困ったように笑った。
    「昔から背中を叩いてもらうと気合が入るんです。さっきの禊のこともありますし、いろいろ言ってもらえたので、こう、お願いできないかなと」
    「いえ、そんな……」
     言葉を飲み込む。その資格があるのか? 私に? 考えるまでもない。そんな資格はないのだ。恋愛を知らない私に恋愛を語る資格はなく、同じく恋愛を知らない私に道流さんの恋路に口を挟む権利もない。プロデューサーとしてならできるのかもしれないが、一個の人間である私が、怖いと叫んでいる。
    「……できませんよ、そんな、アイドルの体を叩くなんて」
     それらしい言い訳を付けて断ると、道流さんは「そッスか」と笑うだけだった。


     舞台の稽古は上手く進んでいる。THE虎牙道だけをプロデュースしているわけではないのですべての稽古を確認できているわけではないが彼らの様子を見ている限りでは手ごたえはありそうだった。
     ただそういった観察だけでは不十分なのでいくつか確認をとるべきだろう。話せる時間を作るべく、稽古終わりにもう夜も遅いからと押し切って車に乗せた。タケルさんと漣さんを隣同士にすると喧嘩になるからと後部座席にはタケルさんと道流さん、助手席に漣さんだ。ハンドルを握る。
    「稽古の様子を聞かせてもらえますか」
     何か困ったことは、と聞くと何もなかったと首を振る人も多いのでこういった聞き方をすると、珍しくタケルさんが真っ先に口を開いた。
    「円城寺さんが、よく俺を助けてくれる。兄弟役だからか?」
     タケルさんが隣にいる道流さんを見上げる。あっけらかんと「そうかもしれんな」と笑う道流さんをミラー越しに見て、私まで笑った。
    「読み合わせのときに少してこずっていましたが、それも?」
    「ああ、円城寺さんがほとんどつきっきりで言葉の読みとか意味とか、教えてくれて」
     どうやらこういった方も順調なようだった。道流さんの恋心を知る人間としてどう反応すべきかはわからないが、タケルさんのプロデューサーとしてなら上手くできる。よかったですね、と笑うだけだ。
    「本番の演技が楽しみです」
    「ああ、最高のもんを見せられるって思う……楽しみにしててくれ」
    「ハッ、なんだそれ。チビよりオレ様の方が最強の演技を見せられるに決まってんだろ!」
     こういうところで突っかかってくるのが漣さんだ。あからさまにむっとしてみせたのはタケルさんで、どうやら思うところがあるらしい。
    「オマエはまだクライマックスの演技が上手くいってないだろ」
    「ハァ? あんなのオレ様の最強の演技をわかってねえあのオッサンがわりーに決まってんだろ」
    「はは、今回の漣にはひとりで向き合う時間が必要かもなあ」
     道流さんが間に入る。思い返せば確かにTHE虎牙道の面々は道流さんに限らずひとりで自分と向き合うことで一皮剥けた印象になる。道流さんの場合Guardians of Sanctuaryのジョウエン王しかり、Enthralling Dancerのエミドゥしかり。漣さんもバンカラLiveではひとりで踊ることで答えを見つけていた。
     読み合わせの日に踊っていた漣さんのことも思い出す。左隣にいる漣さんを横目に、道流さんの家に辿り着く。タケルさんもここで降りると言うので頷いて二人を降ろした。漣さんは、と言うと「今日は下僕のとこでメシ食って寝る」とぶっきらぼうな返事があったので、乗せたまま帰路につく。社用車なので一旦事務所に置くと、徒歩で帰れる自宅へ。
     自慢ではないがそれなりの食料しかない。それでもたまにアイドルを泊めることがあると学んでからは多少のものは用意するようになっていた。
    「シャワー、浴びててください。ご飯の準備しちゃいますね」
     返事はなかった。かなり悩んでいるようだ。そっとしておくに越したことはない。
     ひとまず炊飯器ぎりぎりまでの米を早炊きにして、冷凍庫を開ける。冷凍しておいた肉と野菜に合わせ調味料で一品作るとして、もう一品。漣さんはカラスの行水だから手早く作れるものの方が良いだろう。インスタントの味噌汁に決める。
     材料を取り出して手順を頭の中で組んでいたところで、背後から声をかけられた。
    「おい、オマエ」
     ぼた、と水滴を垂らした、恐ろしく美しい男がそこにいる。髪が拭けていない。服は私のものを勝手に着たようだ。でも人間ではないような、そんなぞっとするほどの恐怖を覚えて「れんさ、」と言葉にならない言葉が喉から飛び出す。
    「早くメシよこせよ」
     急に現実感のある言葉で引き戻される。はい、と慌てて調理に戻ろうとしてはっとする。
    「髪拭いてください! まだ濡れてます!」
     どうせまともにタオルも使っていないのだろう。新しいものを一枚引っ張り出して、漣さんをその場に座らせる。タオルを頭にかけて、水分を拭き取る。
    「あの台詞がひっかかっているんですか」
     鬼が兄弟に向かって台詞を叫んだあと、兄弟たちが顔を見合わせるシーン。そこで出てくる台詞。もちろんそれを受けての鬼の台詞もある。その表現に納得できていないのだろう。
     雑談程度に話を振るが答えはない。図星と判断して言葉を続ける。
    「漣さんはお父さんと旅をしていたんでしたね」
    「それがどうした」
    「漣さんはお父さんのこと嫌いですか?」
    「好きなわけがねーだろ、あのクソ親父」
    「ええ、そんなふうに思っていても、家族ですからね。家族は選べないものです」
     家族愛という言葉があって、その反対の言葉がなくても、家族を憎む気持ちは存在する。一般的に家族は選べないものだからだ。
     だからこそ、家族を選べるなら、大切に選ばなければならない。
     でも漣さんは「みんなオレ様のもの」と言ってはばからない。漣さんにとって「自分のもの」とは家族とほとんど同義だろうに、最近の漣さんはそうやって人をすぐ懐に入れてしまう。特にBullets of Heresy以降顕著だ。タケルさんだけでなく、他のアイドルのことも弟子にするようになった。
     みんな自分のもの。その言葉に、安心するようで、ぞっとする自分もいる。「選べる家族」という言葉に、少なからず恋愛の意味を想起する者もいるはずで、自分がそう見られたくないと思ってしまう。けれどやはり皆一律漣さんのものであるなら、例に漏れないという安心感もあって。
    「漣さん、今日はどうして私の家を選んだんですか」
     少しいじわるな質問を投げかけると漣さんはばっと振り返った。目が合う。その金色。
    「オマエがオレ様のもんだからに決まってんだろ」
     軽い、けれどまっすぐな返事があった。そこに気の抜けるような炊飯器の音が響く。


     数日の稽古を経ても、漣さんはまだ掴めていないようだった。演出家は相変わらず真っすぐに言葉を選んでいるが、漣さんが上手く受け取れていないのだ。また、漣さんにひとりで向き合う時間をという意味なのか、道流さんはラーメン屋の人手が足りないからとそちらに行ってしまったし、タケルさんも手伝いに向かっている。
     しかしそうやってひとりにさせてもまだ掴めていないのだ。稽古の残り日数を考えても今のうちに軽く手を入れておいた方が良いだろう。漣さんの前に立ち、まっすぐに言葉を投げかける。
    「少し残って私と読み合わせしましょうか」
     漣さんはいつも通り「下僕なんだからオレ様に付き合うのはトーゼンだろ」と横柄な態度ではいたが、頷いてはくれたのでスタジオの利用延長許可をもらいに事務局へ。
     枠は空いているので構わないという返事をもらって使用料を支払ってから漣さんの元に戻ると、彼は一人で鬼の台詞を叫んでいた。
    「『彼奴らは我のものだ』」
     それは鬼が自分の愛した兄弟を奪われそうになったときに出た言葉。一希さんをして漣さんの宛書かと言わしめた、所有欲にも似た愛情の発露だ。
     その声と共に、空気が塗り替わっていた。漣さんの声、それひとつでスタジオが山の中に変わるような。
    「『誰にも渡すものか。誰にも殺させてなるものか』」
     確かに、鬼がその場にいたのだ。鬼は人間を相手に立ち回り、唸り声をあげながら暴れて村の人間を殺していく。そして兄弟に向かって、最後の叫び。
    「『貴様らは我のものだ』」
     それに答える兄も弟もこの場にいない。ならば、そう。答えるべきは私だ。しかし言葉が出てこない。ずっと漣さんを見つめている。
     漣さんも私に気づいて見つめ返してくれる。
    「ああ」
     漣さんが息を漏らす。
    「オマエ、やっとオレ様のことを見たな。そうやってオレ様にずっとチューモクしてればいいんだよ」
     そう言われてはっと気づく。そういえば道流さんの件があってから漣さんのことはおざなりになっていたかもしれない。THE虎牙道だけをプロデュースしているわけじゃない、道流さんに相談を受けたばかり、漣さんは一人にした方が良い――いろんな言い訳のもとで、漣さんから目を逸らしていた。
     ああ、そうか。そうなのか。彼はずっと言っていたじゃないか。気づいてみれば簡単なことだった。
    「漣さん、見てほしかったんですか」
     そう言いながらずっと見つめてみる。見つめれば見つめるだけ漣さんの目に熱が灯る。
     ああ、と息を吐いたのは私もだった。反響するように胸が高鳴る。自分の中に湧いて出た未知の感情に戸惑うしかできない。これは恋か? 違う。きっと違う。そんな、道流さんがタケルさんに抱くような熱い気持ちじゃない。でも家族愛でもない。信頼ともまた違う。でもこの勢いだけの勘違いでもない、と思うのだ。
     特別だった。特別としか言えない、大きな感情。自分の熱が相手に伝わって、同じように相手の熱が伝わってくる感動。
    「私が見ています。だから、舞台で最高の漣さんを見せてください」
     漣さんの瞳がひときわ大きく開かれて、漣さんの口角がにっと上がった。




     相談があります。いつか聞いた言葉と同じ言葉で道流さんに向き合った。
     道流さん以外にいない店内で、食べ終わったラーメン鉢にレンゲを置いた。相談料としてピークタイムを過ぎたこの時間にラーメン大盛に煮卵トッピング。食べ過ぎで少しばかり苦しい。だがそれも飲み込んで真っすぐに問いかける。
    「すごく個人的なことなんですが」
    「個人的なことを師匠が自分に、ッスか」
    「はい」
    「なんというか、相談してくれることがうれしいッスね。もう師匠は自分の秘密を知る人なので!」
     つまり共犯者だと言いたいのだろう。そういう悪者ごっこのような遊びにも彼は喜ぶ節がある。妙なところで子供っぽいのだ。これは彼の好ましいところなので、タケルさんも恋愛感情はどうあれ道流さんのこういうところは好きだろうなとは思う。
    「恋愛感情がわからないんです、私」
    「はい」
     特に驚いたような顔は見れなかった。そうなんスねと軽く流して続きを求められる。
    「でもわかりたいと思うわけでもないんです。誰かにその感情を向けられたときに、応えてあげられないことが怖いと思うくらいで」
    「はい。……もしかして、自分とタケルのことを聞くのも苦しいとかは」
     よく気づく人だ。こういった機転の良さ、気づきの速さが彼を金メダルに導いた一因なのかもしれない。そして、きっとアイドルとしての頂点に導くものでもある。
     とにかく「聞くだけ」に限れば苦しいといったことはない。大きく首を振る。
    「いいえ、それはむしろ応援したい気持ちでいますから」
     ただ、口を挟むつもりも資格も権利もないだろう、ということは黙っておく。
    「本題なんですが……そんなふうに恋愛感情を理解していない人間が、同じく恋愛感情をわかっていない人間に対して特別な感情を抱いたときはどうしたらいいんでしょう」
     道流さんはラーメン鉢を洗いながら「そうッスねえ」と考え始めた。難しい話だ。一人で抱えるには重たい、人に話すにも重たい。共犯者はぴったりの相談相手だったのかもしれない。
    「それは、恋ではないんスよね」
    「はい、恋ではなく、特別なものを特別なままにしておきたい、と思うような……きっとファンがアイドルを推す感情にも近いのかもしれません。それにしてはもっとエゴかもしれません」
     口に出して自分で驚く。はっと目を見開いて道流さんを見つめると、道流さんも皿洗いをやめて私を見た。
    「エゴ、ッスか」
     案外強い言葉だったのかもしれない。でも気づいて見ればこれ以上最適な言葉も見つからない。
     なるほどな、と頷いて数度「エゴ」と口に出してみる。その言葉はよく馴染んだ。
    「エゴ。エゴですね。ああ、今ストンと落ちてきました。エゴなんです、私は私のためにあの人が欲しい、私のためにあの人の輝きを見てあげたい」
     もしかしたら恋愛感情とはエゴの塊なのかもしれない。それでも確証はない。一般的に伴うという性欲も不随しないし、家族愛というにはあまりにもエゴが過ぎる。きっと恋などわからないまま、このエゴを「特別」と思っていたい。そんな気がするのだ。
     ひとりごとのように物を伝える共犯者に対して、道流さんは優しく微笑んで「相手はアイドルですか」と尋ねてきた。
    「アイドルですよ。あなたもよく知る、唯我独尊なようで群れの王者のような、そんな輝きです」
     回りくどい言い方をあえて選んだ。悪事に固有名詞はいらない。共犯者は理解したような顔をして、あっけらかんと笑った。
    「師匠、答えが出たんスね」
    「出ました。これは私のための、私だけの感情です。私のエゴなんです……仕事にエゴを持ち込んだ私を軽蔑しますか?」
    「そんな、まさか。師匠はいつだって自分の光ッスよ」
     どんぶりを洗い終えて、手を拭いた道流さんがキッチンを出て隣に座った。
    「それとも、叱った方が良かったッスか? 師匠」
     いつかの私の言葉をなぞるような言葉に思わず微笑む。
    「道流さんも叱ること、苦手でしょう?」
    「はは、その通り! たしなめるくらいならできるつもりなんッスけどね」
    「私にもそれはできるかもしれません」
    「ちなみに、アイドルである自分なら師匠の背中を叩けますけどどうしますか」
     禊、と言われていたそれ。この立場になって聞いてみれば、これ以上ないほどの名案だった。断る理由もない。
    「お願いします。元柔道家の思い切りはちょっと怖いですけど」
    「加減しますよ」
    「私からするときは思い切りでいいですか?」
     いたずらっぽく笑うと、道流さんの顔が子供のように輝く。
    「もちろんッス! お願いします!」
     ばっと綺麗な一礼を見せた彼に「こちらこそ」と返しながら背中を向ける。そこに一度道流さんの手が当てられる。暖かくて、大きな手だ。それが離れてすぐに、ぱしん、と小気味いい音が響いた。じんわりと振動が広がる。中心から末端へ、熱が伝わっていく。背筋が伸びて、しゃんと前を向きたくなる。なるほどこれは確かに気合が入るものだ。
    「ありがとうございます。ではお返しに」
    「はい、思い切り頼みますね」
    「手加減しませんからね」
     道流さんに倣って一度背中に手を置いた。きっと彼に比べれば小さくて冷たい手だ。それでも何かが伝わると信じて。


     部屋のベッドを陣取って眠っている漣さんの腕を引く。道流さんのように歌って起こせるなら良かったが、そうできない私の場合はここまでしないと起きないのだ。
    「ほら、漣さん! 今日はもう舞台の千秋楽ですよ」
     昨日も舞台を飛んで跳ねての大立ち回りを見せてくれたので多少のことは多めに見るが、遅刻だけはいただけない。私も連日の同行でかなり時間を取られており、残業が重なっていて今日は寝坊してしまった。時間がない。眠る漣さんをどうにか起き上がらせ、着替えさせるべく今度は服を引っ張る。
     けれど漣さんはむずがるようにあくびをしながらも引き返してきたので、そうなっては力負けするに決まっている。
    「わっ」
    「ああ?」
     漣さんの上に倒れ込む形でベッドに雪崩れる。それで漣さんも目が覚めたのか、状況を把握して「下僕のくせに何してんだ」と私の体を振り払った。
    「ああ、もうなんだ下僕が!」
    「漣さんが起きないからでしょう! 私に最高の漣さんを見せてくれるって言ったのに」
    「昨日も見せてやっただろうが!」
    「今日もです! 千秋楽ですよ!」
    「センシューラクだかなんだか知らねえがオレ様はいつでも最強大天才だろ!」
    「遅刻する大天才様がいますか!」
     わあわあと言い合いをしていても時間はなくなる。漣さんの前にいつもの服を積んであげるとしぶしぶ着替え始めた。その間に朝食を準備する。
     米はもう炊いてある。それでおにぎりでも作って会場までの道中で食べさせるつもりだった。具はツナマヨ、塩昆布、肉みそ。肉みそだけは作り置きがあるのでそれを使う。ツナ缶は開けたら油を切ってマヨネーズと和え、とにかくラップに乗せた米で包んで、その場に並べた。漣さんが好きなのは肉みそだろうか。
    「ふーん。これが一番イイにおいがしやがる」
    「え、それ……ああもう!」
     そして漣さんが何故か肉みそのものをピンポイントで当てていく。ラップで包んでいるというのに。その鼻の良さに驚きながらも構っている時間はない。手を洗ってしまったら会場に向かった。
     会場にはマチネの準備ぎりぎりの時間についた。各方面に謝り倒し、とにかく衣装さんヘアメイクさんのところに彼を預ける。先に準備を済ませていた道流さんとタケルさんが心配そうに私を見た。
    「師匠、メッセージにも返事がないから心配したッスよ」
    「アンタ、最近忙しそうだもんな」
    「でもとても充実してますよ」
     漣さんのことを間近で見てられるこの仕事のことをとても大切に思っている。そんな言葉を言外に含めて道流さんに笑いかける。ちゃんと伝わったのか道流さんだけが「ははは!」と大きな声で笑って、タケルさんだけがわかっていない様子で首を傾げた。
    「師匠、実はね、自分もとても充実してるんです」
    「それは良かった。タケルさんもどうですか」
    「お、俺も円城寺さんが良くしてくれるし、楽しい、と思う」
    「何よりです。私はこれから事務仕事に戻りますね。ソワレは関係者席をいただいているので見に戻って来ます」
    「わかりました」
    「俺も円城寺さんも、アイツも最高の演技を見せるから楽しみにしててくれ」
     こういうときにこういう言葉を恥ずかしげもなく言えるのはタケルさんの良いところだ。必ずですよと念押しして事務所に戻る。


     大千秋楽。その関係者席の真ん中をいただいてしまったようだ。まっすぐに漣さんを見つめられる席で幕が上がるのを待つ。
     祈るような気持ちだった。稽古もゲネプロも初日も通常公演も見てきた。そのどれもで大きな怪我はなく、公演はすべて成功と言って良かった。それでも大千秋楽で大失敗する可能性はある。それが舞台という生ものだ。
    「漣さん。見ていますからね」
     呟くと同時に幕が上がった。その真ん中に漣さんがいる。まっすぐに射抜くようでありながら弾けるような光がその瞳に浮かぶ。私を見ている、と感じる。私だけを見ている。その口元がにっと笑った。
     そして周囲の村人に視線が移った。はっと吐き捨てるように、見下すような視線が投げかけられる。
    「『なんだ、貴様ら。我のものに手を出そうというのか』」
     くはは、と不遜な笑い声が響く。ここから早速蹂躙に近い殺陣だ。THE虎牙道、ひいては漣さんの最も得意とするもので視線を引き込んでしまえという構成は大当たりで、観客の息を飲む音すら聞こえてくる。
     舞台の端から端まで、縦横無尽に走り回りながら村人をなぎ倒して鬼は「我のもの」、つまり自分に捧げられた兄弟を守ろうとする。
     殺陣が終わればオープニング。暗転ののちに時間は少し戻って、兄弟と鬼の日常パートを映し始める。
    「『待ってくれ、兄さん』」
     タケルさんが静かに、けれど優しい声で弟の台詞を発した。兄のあとを追う。声に呼び止められて兄である道流さんは「『ああ、すまん』」と笑って立ち止まり、弟を待つ。
     その先の岩場に鬼がどっかと座っていて、「『早くしろ』」とふんぞり返っている。兄弟は仕方ないなとでも言いたげに笑った。
    「『人間というのは育てれば脂が乗って美味いと聞いたが貴様らはいつ脂が乗るんだ』」
    「『それは、きっとあと少し先だろう』」
    「『ふん。そう言って十五年待ったぞ。それ以外に食うものと言えば木の実に鹿の肉、それも今日はずいぶん少ない』」
     兄弟の持ってきた食事を摘まみながら鬼が文句を垂れる。
     ここからしばらくはTHE虎牙道の独壇場だ。信頼を示し合う兄弟と、兄の機転により食べ時を見失っている鬼のややコミカルなシーン。
     道流さんとタケルさんはさすが愛情の表現が突出していた。視線が雄弁に親愛を語る。漣さんは日常からの不遜な態度が鬼に上手く合っていて、現実離れした世界観に引き込まれてしまう。
     そこからはあっという間だった。村人たちが十五年前に捧げたはずの兄弟がまだ生きていると知ってしまう。村人たちは今年の凶作をそのせいだと思い込み、兄弟を再び殺して生贄として捧げなおそう、と考えるのだ。そして鍬や田耕を持って山の中に入ってくるものだから、鬼が村人たちの計画を知ってしまう。
     鬼は怒り狂った。兄弟だけが自分のものだったからだ。
     鬼は愛を知らなかった。人間のこともよく知らずに生きてきた。村に下りて石を投げられたのはもはや何十年、いや何百年前の話か。隣の山には同じ鬼がいたが、その鬼はいかんせん隣の山に住んでいるものだから、なかなか会わない。人間は育てると美味いぞとその鬼に聞いたものの、結局ひとりで獣を食らい、暮らしていた。
     そんなときに手に入れた兄弟を失うことなどできなかった。
    「『彼奴らは我のものだ』」
     鬼は叫ぶ。
    「『誰にも渡すものか。誰にも殺させてなるものか』」
     鬼がその場にいた。舞台の上にいた。人間を相手に立ち回り、唸り声をあげながら暴れて村の人間を殺していく。そうすることが、守ることが鬼の愛だった。そして兄弟以外の人間が舞台から消えたあと、兄弟に向かって、最後の叫びを響かせる。
    「『貴様らは我のものだ』」
     兄弟は顔を見合わせる。目を伏せ、鬼の視線から逃れて、人間の死体を眺める。兄だけがあるひとつの死体の前で膝を折った。
    「『父さん』」
     弟は兄のそばに近づいて祈るように手を組んだ。鬼は納得がいかず、わざわざ兄弟の腕を引いて視線を合わせた。
    「『貴様らを育てたのは我であろうが』」
     声色は優しかった。愛を語る声だった。兄弟は頷く。それを受けて、くはは、と満足そうに笑う鬼の笑い声が山の中にこだまする。

     アンコールとキャストコメントのあと、舞台裏へと回ると「おい!」と叫び声が飛んできた。
     苦笑しつつも振り返って、漣さんと目を合わせる。
    「ずっと見てましたよ、今日も最高でした!」
    「くはは! トーゼンだろ」
     その目から光がはじける。この輝きだ。見つめれば見つめるほど輝度を増す光。私の見たいもの。私のエゴと、愛と、恋に似た別物の感情の行きつくところ。そして彼もまた見られることを望んでいる。
     私たちに恋なんてわからない。私には恋愛感情が欠けていて、きっと彼には人を愛する心すら未発達で。欠落した人間たちでしかない。けれど、求めることはできるのだ。
     微笑みかけると、漣さんの目はまた輝く。
    「オマエはオレ様のものだ!」
     勝利の雄たけびがそこに響いた。
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