始まりの鍵プロローグ
長かった授業を終えてお昼を食べ終わったあと。
どこで時間を過ごすかと学園内を歩いていた勇気。
「あれって、ワカサマだ」
見かけたのは一匹の子猫、この学園内にいる猫たちのボスだ。
どこかへ向かう様子が気になって、思わず後を追う。
校舎裏や海岸と色んなところを巡り、最後にたどり着いたのは
寮の裏手。金網と建物の壁というわずかな隙間に入っていった。
ここまで来たら行こうと、どうにか横歩きで潜り抜ける。
「……え」
先程まで校内に大勢の生徒がいたはずだったが、誰も外を歩いている人がいなくなってしまった。あの一瞬で時間が経過したのかと当たりを見渡していく。
そして、大切なことにも気づいてしまった。
「あれ、ワカサマもいない?!」
ここに来るきっかけにもなったはずの猫の姿も見失ってしまい
成す術がなくなり顔を伏せた時だった。
①啓太
「君、大丈夫?」
同じ制服を着た生徒が声を掛けてきた。
顔を見上げると、どこか見たことのあるような顔
「伊藤せん…」
そのとき、以前にオカケンから聞いた話を思い出す。
『タイムスリップ?』
『そうだ、万が一でもそんな出来事に遭遇したら気を付けなければならないことがあるんだ』
『なんだよそれ』
過去の人物に未来の情報を伝えることによる矛盾を起こさせないために
絶対に自分の正体を明かしてはいけない。
「じ、実は猫を探しているんです」
「猫?もしかしてトノサマのこと?」
「違います。ワカサマっていう三毛猫なんです」
「んー、知らないなぁ」
ただこれ以上、自分の事情を伝えるわけにもいかず言葉に窮していると
伊藤先生は一言答えた。
「事情は分からないけど、手伝うよ」
「本当ですか?!」
「同じ年なんだし、敬語じゃなくてもいいよ」
「…うん、分かった」
「改めて、俺は伊藤啓太」
「俺、朝比奈勇気」
「じゃあ、勇気って呼んでもいい?」
「うん」
「えっと、何て呼べば…」
「啓太でいいよ。よろしくな勇気」
こうして、学生の時の伊藤先生と一緒にワカサマを探すことになった。
②丹羽
同じ猫なら、トノサマに話を聞くことになる。
「啓太、猫の言葉が分かるの?」
「いや俺じゃないんだ。海野先生っていうトノサマの飼い主が…」
時折見かける場所として海岸を目指した。
「あ、王様がいる」
そう言って人影のところへ二人で向かう
「お、啓太じゃないか。どうしたんだこんなところで」
「実はその…」
豪快そうな雰囲気の学生 王様と呼ばれるのも頷ける。
啓太が言いづらそうにしているので、自分から声を出すことに
「あの俺、今ね…―――んぐっ!」
猫と単語を口にしようとした寸前で、啓太に口を塞がれる
「お、王様!この辺りでトノサマみませんでした?」
その名前で探し物がなんなのか分かったらしい、突然顔を青ざめて一歩後ろへ引き下がりきょろきょろを辺りを警戒しだした。
「…こ、この辺りにいるのか?!」
「正確にはトノサマを探しているわけじゃないんですけど、同じ三毛なので見かけたかなって」
「俺は見てねぇぞ!」
あまりの怯えっぷりに、猫嫌いであることが一目で分かる。
「それならいいんです、すみません邪魔しちゃって」
「あ、あぁ。気にすんな…」
その場を後にした
「王様に悪いことしちゃったかな」
「すみません、俺のせいで」
「大丈夫、いつものことだから」
笑って返される。海岸を後にして校舎へと戻った
すると今度は、別の人物が二人に声を掛けた
③中嶋
「おい、伊藤」
長身で青い髪、きりっとした目つき、俺の知っている高東さんとは
少し違った知的なイメージにも見える
「中嶋さん、どうかしたんですか」
「どこかで丹羽…、いや“王様”を見なかったか」
「…あー、えっと……」
「俺に仕事を押し付けてくれてな」
「王様なら、向こうの海岸に…」
「わーっ!」
啓太が大きな声を出したが、時すでに遅し。全て中嶋さんに聞こえてしまった
「そうか。やはりあの場所か」
嬉しそうに答える。不敵な笑みに何も言えなかった。
「な、中嶋さん?」
「引き留めて悪かったな。助かった」
話をする間もなく去ってしまう。
④滝
その後、校舎内を猫の姿を探すため歩き回っていると
突然遠くから学生が自転車に乗って目の前で止まった。
「どないしたん、啓太。こないなところで」
「俊介こそ、また仕事?」
「当たり前やろ!仕事のあるところ俺ありや」
自信満々に答える関西弁の学生。自転車の乗りこなしに目を奪われる。
「なぁ俊介、どこかで三毛猫見なかったか?」
「猫ぉ?なんや、トノサマ探してたんか」
「トノサマじゃなくて、別の猫がいるみたいなんだ」
「悪いけど、見かけへんかった。ただトノサマならさっき女王様んとこ入るの見かけたで」
「本当?!」
「お、おぅ。つか、お前初めて見る顔やな」
「あ、えっと…」
どう返そうか困っていると、遠くから声が聞こえる
「俊介ー!デリバ頼みたいんだがー!」
「まいどおおきに!今すぐ行くわー!」
そう言ってその場を去ってしまった
⑤西園寺と七条
校舎に入ったあと、向かった先にある扉を叩く
「失礼します、伊藤です」
「入っていいぞ」
相手の返答を聞いてから扉を開けば、室内は内装が大きく変わっていた。
まるでデュラックの部屋を思い出す。
「お前が突然来るとは珍しい」
「いらっしゃい、伊藤君」
「すみません、西園寺さん、七条さん」
優雅な空間に驚いて言葉が出ない。
「別に構わない。俺に何か用があったのだろう」
「はい。実は俺達トノサマを探してまして」
「海野先生の猫なら、私からおやつを貰ったあと外へ行ったぞ」
「遅かったかー」
肩を落とす勇気
「伊藤くん、その生徒はどなたですか?」
「あ、えっと彼は…」
「俺、朝比奈勇気って言います。実がとある事情でワカサマっていう猫を探してるんです」
自分で答えた
「事情は俺にも分からないんですが、困っているみたいだったから手伝っているんです」
「相変わらず啓太は面白いな」
その言葉にふっと笑う。そしてジッと勇気の立ち姿を見た後で何かに気づいた様子だったが何も言わずに言葉を返した。
「……朝比奈だったな、悪いがここにはもうお前の探している猫の手がかりはない」
「はい、分かりました」
「部屋を出た後は食堂の方へと歩いていったので、もしかしたらまだ食べるものを探しているかもしれません。そちらへ行ってみてはどうでしょう」
「西園寺さん、七条さん。ありがとうございます」
お礼を伝えて、室内を後にした。
⑥篠宮と岩井
七条さんのアドバイス通り食堂へ。自分の知っている場所なのにどこか別の場所に見える
まじまじと室内を見渡していると、いい匂いが奥から漂ってくる。
自然とお腹が鳴ってしまう
「何か食べようか」
「うん」
調理場へ行くと、園田さんがいつも立っている場所に一人の学生が食事を作っていた
「篠宮さん」
「あぁ、啓太か」
「岩井さんの食事ですか?」
「そうだ。せめて軽く食べて欲しくてな」
「一緒に食べていってくれ」
「ありがとうございます」
「なるほど、それで伊藤は一緒にその猫を探していたのか」
経緯を説明すると、それ以上は何も聞かずに話を聞いてくれた。
食事を載せたトレイを持って岩井さんのところへ向かう
「岩井、これだけでも食べてくれ」
「…ありがとう、篠宮」
「君は…」
「あ、えっと俺、朝比奈って言います。実は…」
先に席に座っていた岩井さんにも改めて事情を伝えた。
すると、そういえばと声を出して岩井さんが持っていたスケッチブックをペラペラとめくり出した
「この、猫だろうか…」
そういって見せてくれたのはワカサマの絵
「ワカサマだ!この猫どこにいました?!」
「この猫なら、テニスコート近くにいるはずだ。だがかなり時間が経っているから、いないかもしれない」
俺達は食べ終えたあと、すぐに目的の場所へ向かった
⑦成瀬
「ハニーじゃないか、俺に会いに来てくれたんだね」
嬉しそうに声を掛けてきたのは金髪の学生。スポーツウェアを着ていて
テニスラケットを見て何のスポーツをやっているかが一目で分かる。
伊藤先生をハニーと呼んだことに少し驚いていると、当の本人は慣れているのか
そのまま話を続けた
「成瀬さん」
「嬉しいな、啓太が来てくれるだけでやる気がみなぎって来るよ」
「それは良かったです。あの、成瀬さん。この辺りで猫を見ませんでしたか?」
「それって、トノサマのことかい?」
「いえ、トノサマより小さい三毛猫です」
「彼が探しているんです」
「君は…?」
不思議そうな顔をされ、すぐに名前を名乗って事情を伝える。
もちろん本当のことは伝えずに目的だけ。
「そっか、でも見かけてないんだ」
「そうですか…」
あてがなくなり落ち込んでいると、再び成瀬さんが声を上げた
「ねぇ。あそこにいるの海野先生じゃないか?」
確かトノサマの飼い主だという人の名前
はっと振り向くと、そこには俺より身長の小さい人物が見えた
白衣を着ているところを見ても先生だということは分かるが
傍から見たら生徒にしか見えなかった。
「海野先生―!」
声を掛けると同時に、その足元には一匹の猫がいることに気づく
⑧海野
「伊藤君、どうかしたの?」
「海野先生、すみません。俺達トノサマに用があって…」
「トノサマ、伊藤くんたちが君に用だって」
「にゃあー」
「ワカサマっていう同じ三毛猫を知りませんか?」
猫を前にして真剣に問いかける。
「ぶにゃ」
「知らないって」
トノサマが首を振り、なぜか海野先生が答えてくれた。
本当に話していることが分かるらしい
そしてその答えで、本当に行き詰まってしまった。
⑨和希
屋上に向かうと、外は既に夕方になっていた
「はぁ…」
手がかりを見つけた瞬間に、見失ってしまい落ち込む
「もう遅くなるし、今日は俺の寮に泊まっていくといいよ」
「ありがとう、啓太」
このまま元の時間に戻れなかったらどうしようと、一瞬の不安が過る
「大丈夫だよ」
「え」
「皆、見つけたら教えてくれるって言ってくれたし、諦めなければそのワカサマっていう猫もすぐ見つかるって」
俺の背を叩いて先生の時と変わらない前向きな言葉をかけてくれる。
前に聞いたことがあった学園を巻き込んだMVP戦という騒動のこと。きっと色んな大変なことがあったのだろう。それは今日一日ここで過ごしてみて改めて実感した。
「啓太は強いんだな」
俺の言葉に、啓太は首を振る。
「最初から強かったわけじゃないよ。ここに来た時の俺は運の良さだけが取り柄だったんだから」
ここで沢山の人達と出逢い話をして、色んなことを知って心を通わせ、一緒に困難に打ち勝ってきた。自分一人だけの力じゃ、きっと乗り越えられなかった。
「この学園の皆がいてくれたから、俺は胸を張ってこの学園に居られるんだ」
夕日が照らした啓太の顔は穏やかで、幸せそうな笑みを浮かべる。
自分の知っている伊藤先生と何も変わらない。この人は本当に、この学園が好きなんだ。
「勇気は、この学園に来てどうだった?」
「俺は…」
返事をしようとした瞬間、啓太がグランドの方角を見て声を上げた。
「なぁ、あそこにいるのってトノサマ…?」
指を差した方を見ると、確かに猫のような姿が見える。
けれど先程海野先生の側にいたトノサマより少し小柄だった。
「あれ、ワカサマだ!」
ようやく見つけた手がかりを逃すまいと、俺は屋上から走り出して
テニスコートから弓道場へと向かう一匹の猫の後を追った。
「行っちゃった…」
置いてけぼりにされた啓太。入れ替わるように屋上に人が入ってきた。
「ここにいたのか、啓太」
「和希」
学校の外へ出かけていたクラスメイト。
「今さっき、階段を駆け下りていく生徒を見かけたんだが知り合いか?」
「うん、そうなんだ」
「それにしても見ない顔だったな」
複雑そうな顔を浮かべると、学校のチャイムが鳴り出す。
「そろそろ寮に戻ろう」
「そうだな」
寮に帰る。
エピローグ
一方、勇気はというと今度は弓道場の裏手側、塀と塀の合間を進むワカサマを見失わないようにくらいついて行く。
「ワカサマ待って!」
先程と同じようにどうにか体を狭い隙間に滑り込ませて進ませていく
「……っ、やっと出れた…」
ようやく向こう側に出たと思ったら、先程と同様周りに人の姿はない
代わりに通りかかった一人の教師の姿があった
「朝比奈君!いままでどこにいたんだ」
「啓太…?」
「え?」
「じゃなくて、伊藤先生!」
「授業にも顔を出さないし、どこにもいないから皆探していたんだ」
「そうだったんですね」
安堵する。自分の世界に戻ってきて大きくため息をつく。
「あの、伊藤先生」
「なんだい?」
首を傾げる相手を見て、つい先ほどまで学園中を駆け巡った友達の顔を思い出す。
最後に問いかけられた質問に答えを伝えた。
『勇気は、この学園に来てどうだった?』
「俺…、俺もこの学園に来られてよかったです」
もちろん、伊藤先生は突然の言葉に少し戸惑っていたけれど
俺の表情を見て少しだけフッと笑うと
「それはよかった」とだけ言ってくれた。