【癒しのバスタイム】
「どうだ類、気持ちいいかっ?」
「……そうだね。広いし、悪くないよ」
大人がちょうど二人は入れそうなほどに広い、真っ白の浴槽。なみなみと入っていたお湯の中に力強く押し込まれた僕は、浴槽の外側から、縁に両手を添えてまぶしい笑顔を向けてくる腰タオル一枚の司くんに生返事を返した。
──なぜこんな状況になったのだろう──
もう何度も繰り返した自問をまた繰り返し、ちらと浴室の中を見回す。……一般の家庭よりも明らかに広々とした浴室内。白を基調としているが汚れは一切なく、壁は淡いライトブルーの小さなタイルやシーグラスで飾られていてデザイン性も高い。もし目隠しで連れて来られていたなら、おしゃれなホテルの浴室だと言われても気づかなかったかもしれない。
しかし、ここは天馬家の浴室だ。
そもそも僕達は今日もフェニックスワンダーランドでショーを行っていたのだが、そのショーと片付けが終わるやいなや、突然司くんに襟首をひっつかまれ。大した説明もなくここまで連行されたのだった。もっとも説明もない状態で為すがままにされていたのは、すぐに行き先が司くんの家だとわかって──少しばかりの下心が出たからだけれど。
(下心が無ければすぐに帰りたかったんだけどね)
今回の自問も特に得るものがなく、内心ため息をつく。彼の行動の理由はどれだけ考えても分からない。最初は『いいから来い』と言うばかりで何も教えてくれなかったが、目の前にある上機嫌そうな笑顔を見るに、そろそろ答えてくれそうな感じもするが……。
眉根を寄せて思考を深めていると、司くんが急に立ち上がって浴室の隅から黄色い洗面器を運んできた。
「おっと、大事なことを忘れていたな! ほら類、こいつらも混ぜてやってくれ」
「こいつ?」
僕の返事も待たずに洗面器が傾けられ、その中に入っていたらしい手のひらサイズの固まり達がお湯の上にぼちゃぼちゃっと勢いよく着水する。ぷかりと浮かんだ内の黄色いボディのそれを掬い上げた僕は、その愛らしい瞳としばらく見つめ合った後にはっきりと首をかしげた。
「………………アヒル?」
よく玩具コーナーにあるような、アヒルのおもちゃだった。軽く指先で押すと、ピィッ、と甲高い音がなるあれだ。
洗面器を床に置いた司くんがひとつひとつ指をさす。
「アヒルだけではないぞっ。そいつはカルガモで、そっちにはイルカにクジラ、他にもイカ、タコ、カメに金魚だっているんだからな!」
「水辺の生物大集合といったところかな」
「ふっふっふ……甘いぞ、類! 一番の主役はこいつだ!」
そう言うと彼は、鏡の前に並んだシャンプーのボトル達と肩を並べていたペガサスを手のひらに乗せて、目の前に突きつけてきた。
「我が家の風呂場の主にしてスター! その名も! ペガサス王子だ!」
他の生物達同様にデフォルメされた可愛らしいデザインだが、王子という名に相応しく他より一回り大きくて風格がある。ただ本当にそれゆえの命名なのかは司くんのみぞ知る、だが──ともあれ司くんは、そのペガサスを僕の前にぷかりと浮かべた。
「そいつはオレ専用なのだが、類には特別に貸してやろう!」
「え? いや、僕は」
「遠慮することはないっ。さぁアヒル参謀を野に放ち、ペガサス王子を押してみるがいい!」
──このアヒル、参謀だったんだ。
策が練れそうには見えない純真な眼のアヒルを湯に浮かべると、おすすめのペガサスを手に取り。言われた通りに身体を軽く押してみた。……と。白いペガサスの身体が七色に点滅し始める。
「わっ!?」
「ハッハッハ、驚いただろう! 光のパターンは何種類かあってな。押す度にランダムで変わるぞ」
その言葉に二度、三度と押してみると、確かに明滅パターンが変わった。色も七色ではなく単色だったり、三色がランダムに光ったりする。想像もしていなかった光の乱舞に、僕はつい見入ってしまった。
「フフ、これは面白いね。この明滅パターンは改良の余地があるけれど、色のランダム加減なんかはショーにも使えるかもしれないな」
半ば独り言だったその言葉に、ペガサスの向こうの司くんが──ふ、と頬を緩ませた。
「やっと笑ってくれたな、類」
「──え?」
彼に改めて視線を合わせる。司くんは浴槽の縁に頬杖をついて、僕の額をつんとつついてきた。
「ショーのラストシーンでの照明のミスからこちら、ずっとお前の顔が沈んでいたからな。何も言わずに悪いとは思ったが、説明するとお前は平気だと逃げてしまうから強引に引っ張ってきてしまった。悪かったな」
……そう、僕はショーでミスをした。彼の言葉通りのミスを。皆がカバーしてくれて無事成功には終わったものの、それが心に重くのし掛かっていたのは事実だ。ただ、そこまで顔に出ているとは思わなかったけれど。
──心配してくれていたのか。
胸の奥にあった淀みも、疑問も晴れて。ひどくすっきりした心持ちで微笑んでみせた。
「ありがとう、司くん。おかげですっきりしたよ」
「オレは当然のことをしたまでだ。仲間の笑顔を守るのは座長の務めだからなっ」
だが──と言葉を継いだ司くんが声のボリュームを大分と落として、お湯からの熱気ではない何かに頬を染めた。
「それとは別に、類と一緒に風呂に入ってみたいとは、よく思っていてだな。……だから、その、……」
「もちろん構わないとも。ほら、おいで」
端に身体を寄せると、顔を輝かせていそいそ入ってきた司くんが僕の足の間に腰を落とす。その手に王子を託した僕は──万感の思いを込めて、彼の身体を優しく抱き締めたのだった。