【君だけの僕】
「類くん、これどうかな?」
そう言ってくるりとターンしたカイトが身に付けていたのは普段のショー衣装ではなく、怪盗のイメージで作ったという衣装だった。白を基調としていて、ブローチなどの装飾品が多めだったりマントの裏地に柄があったりと、怪盗の言葉とは真逆になかなか目立つ意匠だ。どんな怪盗役の為に作ったのか類には分からなかったが、全体的に明るい印象でまとめてきたのはショーでの見映えも考慮したのかもしれない。
──後でちょっと脚本を見せてもらおうかな。
演出家としての評を定めた後。ベンチに腰を下ろす一個人として、類はカイトの全身を改めてじっくり見やった。
白のタキシードにも似たそれはカイトの落ち着いた雰囲気をよく引き立てていた。端的に言って、かっこいい。どこかで見たような気もするが、今はそれほど気にしなくても構わないだろう。
とりあえず、どちらの意見を告げようかと類は少し思案して──個人の素直な感想の方を告げた。
「うん。カイトさんにとてもよく似合っているね」
微笑むと、カイトも頬を染めて嬉しそうに笑う。
「良かった、司くんに相談して頑張った甲斐があったよ」
「司くんに?」
「うん。僕達は歌う事は好きだし得意だけれど、衣装作りに関しては司くんに一日の長があるからね」
そういえば、司がここ最近やたらと忙しそうにしていたのを思い出す。
なにせ休日の朝から連絡をしても電話が繋がらず、夜になってようやく繋がったと思ったら──「朝からずっとセカイにいてな」──という返答の日もあったくらいだ。何故そんなに通い詰めているのかが疑問だったが、カイトからの頼まれ事があったとなればそんなスケジュールになるのも納得だった。
今度、司くんに好きな飲み物でも差し入れて労おうかな。
そんな事を考えた時、つと疑問が沸いた。……そういえばカイトの好きな物はなんだろうか。
(好きな物……)
類はそこでようやく、既視感の出所に思い至った。
「カイトさん。一つ聞きたいんだけど、アイスは好きかい?」
唐突な質問を受け、濃紺の瞳にありありと戸惑いの色が浮かぶ。
「嫌いではないよ。でも、どうしたんだい急に?」
「カイトさんの衣装で思い出したんだ。昔聞いたカイトさんの……ああ、僕達の世界にいるバーチャルシンガー『KAITO』の楽曲なんだけれど」
「ああー……あの曲、だよね」
全部を聞かずともわかったと言わんばかりにカイトは苦笑う。
類が思い出したのは、怪盗となったKAITOの歌だ。有名な動画投稿サイトに投稿されていた楽曲で、タイトルと曲だけならば単純にカッコイイが、歌詞を聞けば盗むのは好物のアイスである……という親しみやすい『KAITO』の魅力そのままの歌となっている。
類はくすくす笑って続ける。
「だから、カイトさんもアイスを盗むほど好きなのかなって」
「あはは……さすがに盗むほどではないよ。このセカイにいる僕は司くんの想いの影響を強く受けているから、司くんが大のアイス好きだったらそうなったかもしれないけど」
『司くんの想いの影響を強く受けているから』。
半ば予想もしていた、至極妥当なはずの返事の一部は──何故か類の中でしつこく転がった。勝手にリフレインされる度に胸の奥がいやにチクチクする。まるで言葉に微小なトゲでも生えているかのようだ。
──僕は不快に感じている?
演出をつける時の癖とでもいうべきか。己を俯瞰で見て、得た答えに自分で首をかしげた。ここが司の想いで出来ているなど、とうに知っていることなのに、一体何を不快に感じたのだろうか。
(何かが、嫌だった……?)
自分自身に問いを投げる。
直後、
「──まるでカイトさんは司くんのものみたいだね」
「え?」
目を丸くする、カイト。
しかし、一方の類も自分が口走った言葉に驚き、きょとんとしていた。自問への答えが口をついて出たことよりも、何よりその内容に驚いたのだった。
望むと望まざるに関わらず司の影響を受ける、カイト。その事をまるで疎ましく──否、羨ましく思っているかのような言葉が出てくるとは、類自身思いもしなかった。しかも、そんな言葉を吐き出しただけで胸の痛みが少し落ち着いてしまったのだから、尚更だ。
だが、それが類の自答だったなどカイトは知る由もない。
類の言葉を真正面から受け止め、腕組みをして眉間にシワを寄せる。
「司くんの、か。うーん……そうだね、そう言えるような、言えないような……」
明後日の方向を見上げながら真面目に返答に悩むカイトに、類はふうんと生返事を口ずさむ。あまり口を開くと、自問がない今度は、何か言わなくてもいいような言葉が飛び出してしまいそうな気がしたからだ。
こんな時は沈黙に限る。口を閉ざした類は大して意味も効果もない曖昧な笑顔を浮かべて、自分の身体を抱きしめるように腕を組んだ。
と。それに気付いたカイトが類の顔をのぞきこんだ。
「類くん?」
問う眼差しは強い。類の異変に気付いていると言外に主張する、カイトにしては珍しい態度だった。
──見逃がしてくれそうにないね。
類は心の中で降参の白旗を、実際には腕組みを解いて軽く両手をあげて苦笑いした。
「何でもないよ。ただ……僕も自分のセカイを作れたなら、僕のカイトさんがいたのかなと思っただけさ」
口から出任せではない。ほとんどただの夢想でしかなかったが、確かに類は時々考えていた。
自分の想いが形になったセカイを見たい。
自分の影響を受けたバーチャルシンガー達に会ってみたい。
……自分を無条件に求めるカイトに会ってみたい、と。
「セカイはそう簡単に出来るものじゃないよ」
「わかってる。きっと僕には無理だってこともね。でも……」
少し、司くんが羨ましくなってしまったよ。
両手を下ろしてぼそりと呟く。──答えながら、先程の不快の理由に気付いたことは、やはりひた隠したまま。
カイトは隣に腰をおろして、優しく類の肩を叩いた。
「ねぇ類くん」
目だけ動かしてカイトの方を見る。決して印象のいい挙動でないのは類自身よくわかっていた。ひどく子供じみていることも。だが、それでも態度を改めようという気は起きなかった。しかし視線が合ったカイトは何も気にしていないようで、にっこりと笑った。
「今、君の目に映っているのは誰だい?」
「カイトさん、だね」
「他には誰かいる?」
「いや、誰も……」
改めて視線を巡らせるが、周りには他のバーチャルシンガーはおろか、ぬいぐるみ達もいない。もちろん司達も。どこかから聞こえてくる明るいテンポの曲だけがいつも通りで、類は今さらカイトと二人きりなのだと強く意識した。
カイトは類の返事に満足げにうなずく。
「うん。じゃあ──」
言葉が区切られた、直後。
カイトの手が類の頭を軽く引き寄せたかと思うと──こめかみに柔らかいものが押し当てられ、ちゅ、と小さな音がした。
──キスをされた──
息を止めて完全に思考停止した後。さらに一拍分の混乱を挟んでから、やっと類は事態を理解した。
でも。なんで。どうして。
そんな三つの言葉が猛スピードで頭の中を駆け巡る。だが、考えれば考えるほど、驚きと期待に飛び跳ねだした心臓の音がうるさくなった。顔がかあっと熱を帯びていくのを止められない。
一周回って、夢か気のせいだったのでは、という結論に落ち着いた類が恐る恐るカイトの方を振り見ると、 いたずらっぽい微笑みに出迎えられた。
「今、君に触れたのは?」
「……カイト、さん」
「そうだよ。……だから」
優しく伸ばされた両腕が類を抱き締める。
「今ここにいる僕は、類くんだけの僕、じゃないのかな」
──それはつまり、どういう意味で。
類は喉元まで出てきた問いを飲み込んだ。
聞くだけ野暮だろう。バーチャルシンガーは──少なくとも今目の前にいるカイトは、そういったことを冗談でするような性格ではない。だがそれでも半ば信じられない類は、振り払われる想像をして心の防衛をはかりながらも、そろりと抱き締め返してみた。
しかし、カイトは何も言わなかった。もちろん類の手を振り払うこともない。ただじっと類からの返答を待っている。
……伝わってくる、暖かいぬくもりと優しい鼓動。類はどういう顔をしたらいいのかわからなくなって、熱い顔をカイトの肩口にこすりつけて笑った。
「フフ、じゃあ遠慮なく独り占めさせてもらうとするよ」
「いいよ。じゃあ僕も……」
僕だけの類くんを独り占めさせてもらおうかな。
カイトの言葉を合図に二人の距離がゆっくりと縮まり、どちらからともなく唇を重ね合う。
セカイの賑やかな気配はまだ少し遠く。
ゆるやかに流れる時間に、しばし甘く身を任せたのだった。