祝福写真「旅行、楽しかったですね」
「…楽しかったなぁ……うん……」
一ヵ月前。長年追っていた組織を捕らえることが出来た。達成感に浸る間もなく、迫り来たものは書類の山だった。何日目の徹夜か思い出せなくなった頃、虚ろな目でノートパソコンの画面を見ていた風見の独り言から始まった。
「…これが終わったら、旅行に行きたい…」
おでこに冷却シートを付けて、顎には髭が薄っすらと生えている風見の何の気なしに言った先の見えない休日の予定に、顎髭こそ生えていないが、目の下に毛嫌いするほど嫌いな隈を作った降谷は疲れ切った声で賛同した。
「いいな…旅行…行こう…新婚旅行だな……」
カタカタ、カタカタ、タンッと、一定のスピードで入力作業をしていた風見の指がピタッと止まった。止まった指先と画面を見つめる目はそのままに、風見は降谷が言った言葉の意味を頭の中で考えていた。
(しんこん、りょこう。心魂、旅行…いや違う…新婚、旅行…新婚旅行?)
数秒ほど考えた風見は画面の前で小さく頷くと、隣に座っている降谷と向きう形になるように椅子を回転させた。
「…どうした、風見」
風見の行動に右へ倣えと、ノートパソコンの画面から視線を外して、降谷も椅子を向き合うように回転させた。
「ふぅー……」
「……?」
「あの、降谷さん…自分たち、付き合っていませんよ」
「うん…?あぁ、そうだったな。好きだよ、風見。ずっと好きだ。付き合って欲しい。だからこれが終わったら新婚旅行に行こう」
へにゃりと、効果音を付けるならそれくらいの顔をした降谷は風見の手を握った。
「……失礼ですが、降谷さんは潜入先でハニトラしてらしたんですよね?」
「君、失礼だな…それで返事はどうなんだ。僕の気持ちは伝えたぞ」
「あまりにも雑ではありませんか……はぁ……」
「知らなかったか?僕はまどろっこしいのは苦手なんだ」
喉の奥から出かかった「そうですね」の、言葉を呑み込だ風見は、降谷に捕まれている手を無言で見つめた。
(この手、返事をするまで絶対離さない気だな…)
掴まれている手から、ゆっくりと視線を上げると、バーボンでも安室でもない降谷が時折見せる年齢相応の笑顔だった。
「で、どうなんだ。答えてくれるまで僕は仕事に手を付けないし、手も握ったままだ。君の部下はきっと困るだろうなぁ…朝来たら上司と、その上司が仲良く手を繋いでるなんて」
笑顔から一転。ニヤリと、悪巧みを考えている子供のような表情を見せる降谷に対して風見は「はぁ……」と、分かりやすくため息をつくと、やや呆れた声で答えた。
「…新婚旅行の行き先は自分が決めてもいいですか」
「…ふふふ、そうか…!それはいいぞ。一緒に決めたかったが、今回は他ならぬ君の頼みだ。新婚旅行の行き先は任せた。その代わり運転は僕に任せてくれ」と、降谷は無邪気な笑顔を見せた。
プロポーズが終わったあとの降谷と風見は、ノートパソコンの画面と向き合った。仕事を片付けるモードに切り替わると、窓から朝日が差しこむ頃には溜まっていた書類の山は綺麗さっぱり片付けられていた。
書類整理が終わったあと、おぼつかない足取りで安室名義のマンションに辿り着いた降谷と風見は、シャワーを浴びる暇もなくベッドに倒れこんだ。それから一日泥のように眠ったあとに、溜まっていた休みを消化する名目で新婚旅行に行ったのだった。
新婚旅行から帰ってきた降谷と風見は現像した写真を安室名義のマンションで見ているときだった。始めは興奮気味に、あれが楽しかった。これが美味しかったなと、写真を見ながら感想を言っていた降谷だったが、一枚一枚写真をめくるたびに表情が暗くなっていった。
「あの…降谷さん。先ほどからあまり元気がないようですが…今日はもうお休みになられたほうが…」
「いや、疲れてはいないよ。ただ、昔のことを思い出しただけだ。同期四人で集まった飲み会の日。抜け駆け厳禁!恋人が出来たときは絶対四人に紹介するって、話したんだ」
「降谷さんの同期、ですか」
言い淀む風見に対して、降谷は特に気にしている様子はなかった。
「僕の、ヤンチャな同期たちさ…風見を紹介したかったなぁ…彼が僕の恋人ですって、紹介したかった」
降谷の視線は旅行先で撮影した写真に向けられたままだった。
「諸伏と…」
「松田、萩原に伊達……みんな、いいヤツらだったよ」
「驚くでしょうね。紹介された恋人は笑顔が可愛い女性ではなくて、強面の男なんですから」
「笑顔が可愛いは、あっていると思うがな。それに始めは驚くとは思うが、アイツらは笑顔で喜んでくれると僕は思う。君がいいヤツだってことはすぐに見破られるさ」
「自分がいいヤツだなんて、おっしゃるのは降谷さんくらいですよ………あと、部下の二人と諸伏…なんなら賭けてもいいですよ」
「ヒロは君に懐いていたからな…それにしても君は自分の魅力が分かっていないなぁ…まあいい。よいしょ、っと…僕は歯を磨いたから飲まないが、君は飲むだろう?」
「はい、お願いします。降谷さんの淹れるコーヒーは美味しいですから」
「…僕を煽ててもコーヒー以外は出ないからな」と、降谷は空になったマグカップを持って立ち上がるとキッチンに向かった。
「違いますよ。正直な感想です」
風見は降谷が机の上に置いた写真の束を手に取り写真を一枚めくった。
「なぁ風見。賭け事はよくないが、もし仮に僕が勝った場合は何をしてくれるつもりだったんだ?」
「んー…そうですね。特に考えてはなかったです。なので、降谷さんにお任せます、よ…………」
キッチンから戻ってきた降谷はコーヒーが入ったマグカップを机の上に置くと、風見の横に座って写真を見つめた。
「じゃあ好きなことをしてもいいってことだな、風見……風見?」
「…ぁ…え…?えっと、無理のない範囲でお願いします」
「…冗談に決まっているだろう…この写真は最後に立ち寄った所だな…うん、良く撮れてる…雲一つなくて、ちょうど人もいなくて、僕らしかいない…眩しいくらい綺麗な海だったな…」
風見が持っていた一枚の写真は浜辺で降谷と風見が手を繋いでいる写真だった。偶然にも誰もいなかった浜辺で撮影した写真は恋人同士になってから初めて手を繋いだときのものだった。
「なんだろうな…この写真が一番好きかもしれない」
「…自分もこの写真、好きですよ」
「お互い笑顔がぎこちないがな…けど、本当に出来たらいいな……結婚式、いつか本当に出来たらいいなぁ…男同士の結婚式なんて誰も来てくれないと思うが、僕はそれでもいいから君と式を挙げたいよ」
「…新婚旅行のほうが先でしたもんね。いつかしましょう。絶対ですよ。必ず祝いに来てくれますから」
「?…うん。それにしても…君の声は落ち着くな…ふぁ…ぁ…眠たくなってきたよ…やっぱり、疲れていたみたいだ…」
「…寝ていいですよ。あとは自分が片付けるので」
「ん……そうか…あとは、任せたよ……かざ、み…」
降谷は風見の肩に頭を預けると安心した表情で眠りについた。
肩に降谷の重みを感じながら、温くなったコーヒーを一口飲むと、風見は目を閉じた。
(あっちでも元気そうだな……)
降谷が言った通り撮影時、空に雲は一つもなく、綺麗な海だった。周囲に人はいなかった。降谷と風見の二人だけ。だからこそ外で手を繋いで撮影した。それなのに、現像された写真には降谷と風見以外の姿が写っていた。
雲一つない空と、キラキラと眩しい海。嬉しそうに、でもどこか気恥ずかしそうな顔で手を繋いでいる降谷と風見を囲むように立っているのは、炎天下にも関わらず、タキシードをビシッと身に纏ったヤンチャな四人組が笑顔で紙吹雪飛ばしている姿だった。