貴女のことばかり頭の痛さに目が覚めると、そこは見知らぬ天井だった。
「昨日……どうしたっけ……」
昨夜の事を思い出そうとするが、記憶が曖昧だ、というか覚えていない。最期の記憶は、高専から自宅に送って貰って、家の前に着いた所までだ。とりあえず状況を把握しようと左手を上げると、ジャラッという金属音と手首に重みを感じた。そちらを振り向くと、ベッドから繋がる鎖に繋がれた皮のベルトに拘束された自分の手。
「…………は?」
反対を振り向くと、右手も同じ物で拘束されている。長さがあるので動けるが、ベッドから降りる事は不可能だ。自分にかかるシーツを捲ると、足には枷は付いていなかった。しかし、何故か着ているものが変わっている。家の前で途切れている私の記憶。そのままならば、本来は任務の時に着ている服を着ているはずなのに、今私は高級そうなバスローブを着ている。胸元を少し捲ると、高級そうなベビードール。え、誰が着替えさせたの?てか、どうなってるの?
私が動揺していると、部屋のドアが静かに開いた。
「起きましたか?」
低い声が聞いた。私が返事をせずに居ると、声の主はこちらへと近づいてくる。隣の部屋からの逆光で顔は見えないが、高い身長としっかりした体躯はわかる。彼はベッドに腰を下ろすと、警戒する私の頭を愛おしそうに撫でた。
「だれ?」
「直接会うのは初めてでしたね。私は七海建人といいます」
「ななみ、けんと」
「貴女を漸く迎えに行く事が出来ました。準備に少し手間取ってしまいましてね」
「む、かえ?」
彼の言っている事が全く理解できない。迎えって何?というか、直接会うのはって……前から私の事知ってたって事?
「貴女を初めて見たのは一ヶ月ほど前ですね。もう一目惚れでした。それからは毎日貴女の事ばかり考えていましたよ。肌の質感は、抱き心地は、どんな声で啼くのか、もう考えただけで興奮しました」
恍惚の表情で語る彼に私は声も出なかった。こいつ、頭おかしい。逃げないと確実にやられる。そうは思うが両手を拘束されているので逃げようもない。ここはとりあえず大人しく従っていた方が懸命かもしれない。
「そんなに私の事を?」
「えぇ。愛しています」
そう言いながら奴は私の頬を撫でる。気持ち悪い。鳥肌が立つ。しかし、私のそんな気持ちなど気にもせず、奴の頬を撫でていた手は唇に触れる。
「思っていたよりもずっと柔らかいですね」
うっとりとした表情で私の唇を親指で押し込む。そのまま親指は私の口の中へと侵入し、舌を押さえた。そして奴の顔が近づき、唇が触れ、舌が口内に差し込まれる。歯列、上顎、頬の順になぞり、親指が抜かれると舌が合わさる。逃げても追うように口内を蹂躙されていく。気持ち悪いはずなのに、段々と体が熱を持っていく。こいつ、キス上手すぎ……。
「はぁ……最高だ」
散々私の口内を舐め回した後、満足そうな顔をした奴が言った。不覚にも息が上がった私は、座っているのもやっとの状態で、奴が回している背中の腕に支えられている状態だ。悔しい。
「そんなに良かったですか?嬉しいですね」
私の状態を見た奴は、随分と嬉しそうに口角を上げた。
「このまま先に進みたい所ですが、楽しみは後に取っておきましょうか」
背中を撫で、反対の手で首筋を擦りながら言った。妖しく体を撫でられ、少しでも反応してしまう自分の体が鬱陶しい。暫く私の体を撫でた後、奴は「あぁ」と何かを思い出したように口にした。
「先に言っておきますが、逃げようとしても無駄ですよ」
「は?」
「ここは流石の五条さんでも来れませんから」
「え……五条さんの事……知ってるの?」
思わぬ人の名前が出て驚きを隠せずにいると、奴はクスリと笑った。
「えぇ。知ってますよ。私も元は呪術師ですから」
「元……」
「呪術師はクソだと思って社会に出ましたが、社会もまたクソでしたね。耐えきれずに思わず殺してしまいました」
ふふ、と笑いながら立ち上がると、奴はカーテンを開け、窓を開け放った。
「……嘘でしょ……」
窓の先には一面海しか見えず、何処までも水平線が広がっている。
「もしかして……海の上……?」
「そうですよ。言ったでしょう?準備に手間取ったと。貴女と快適に過ごす船を探すのに苦労しましてね。やはり愛する人と過ごすなら最高の物を用意しないといけない。この室内も特別仕様なんですよ?素晴らしいでしょう?」
さも当たり前のように語るこいつは何?完全にイカれてる。頭がおかしい。
「本当はその鎖も取ってあげたい所ですが、貴女も呪術師。逃げられでもしたらうっかり殺してしまうかもしれない。だから、暫くは我慢してくださいね」
首を傾げながら微笑むその姿と台詞が全くあっていない。天使の様な姿で、悪魔の様なことを言っている。もう意味がわからない。頭が状況を理解する事を拒む。
「大丈夫、時間は腐るほどありますから。二人で愛を育んでいきましょうね」
奴は私の頬を撫で、軽く口付けるとニコリと笑って部屋から出ていった。私は閉まる扉をただ見つめる事しか出来ない。余りの絶望に止まってしまった思考が、唯一私に告げた。もう、逃げられないのだと。