強硬手段 名前を呼ばれて振り返ると、唇に柔らかい感触が触れた。何が起きたのか理解出来なくて固まっていると、段々と焦点が合ってきて、目の前に七海の顔が見えた。
「好きです」
「……………………は?」
固まる私をいい事に、七海はもう一度軽く口付けてから少し離れた。私を見つめるその目は優しく細められていて、愛おしそうに私を見ている。
「え、今、キス……」
「しました」
「な、んで……」
「好きだからに決まってるでしょう」
「え、私達、付き合ってないよね?」
「えぇ、今はまだ」
『今はまだ』その言葉が全てを物語っていた。コイツ、私を落とす気なのか。
七海は高専の後輩だ。私より三歳年下で、正直接点がそんなに無かった。出戻ってからも、お互い近接戦闘タイプだったからアサインされる事はそうそう無かった。ただ、可愛がっていた後輩の硝子とは良く飲みに行く仲らしく、そこから少しずつ話すようになった。顔を合わせれば挨拶はするし、多少の世間話や近況を話したりはする。でも、いきなりキスされるような仲では断じて無い。
「あのさ、今何でキスした?」
「したかったので」
「いやいや、君ってそんなに奔放な子だったっけ?」
「貴女にだけです」
「いやだから。付き合ってないよね?」
「はい。今はまだ」
話が通じてるのか通じてないのか。彼は私を微笑みながら見つめ、淡々と返事をした。
七海は大人オブ大人とか、紳士とか、常識人とか言われてるし、確かに私も彼は大人だなと思っていた。しかも『事実に即し己を律する』とか言ってなかった?どの口が言ってんの?付き合ってないっていう事実に即せてないし、律せてない。キスしたかったからって、それ恋人にするやつだから。何度も言うけど、私は七海とは付き合ってないし、そういう目で見た事も一度もない。確かに良い男だとは思う。日本人離れした顔は言わずもがな、その素晴らしい体つきに丁寧な応対、嘘をつかない実直さ。男としては申し分ないと思う。知り合いでなければワンナイトしたいくらいの男だ。しかし、彼は私の後輩だ。何なら硝子の飲み友達だし、同じ呪術界を生きる同僚だ。面倒臭い事が大嫌いな私が、社内恋愛など考えるはずも無いのだ。
「出戻ってから貴女を好きになり、今まで散々アピールしてきました」
お?急に饒舌に話し出した。
「それなのに貴女は全く気づかない。わざとなのかは知りませんが、もう我慢の限界です」
「はぁ……」
「なので、強硬手段に出る事にしました」
「は?何、その方向転換」
「酔った勢いでどうにかしようとしましたが、流石家入さんと飲みに行くだけあって、貴女はザルだ」
「え、今さらっと怖い事言ったよね?」
「ならば、強制的に意識してもらおうかと思いまして」
「え、それなら先に告白すればいいんじゃ……」
「そんなもんじゃ相手にされないと家入さんに言われました」
硝子め……余計な事を。確かに、告白されたくらいなら私もきっとスルーしていただろう。アイツ、後で覚えてろよ。
「ですので、こういう手段に出させてもらいました」
「それはわかったけどさ、私年上だよ?おばさんだよ?」
「貴女がおばさんなら私はおじさんです」
「まぁ……」
「それに、貴女はおばさんと言うには綺麗すぎる」
「き」
その瞬間、ぶわっと顔が赤くなるのが分かった。
「ふふ。家入さんの言う通り、褒められるのは慣れてないようですね」
悪戯っ子のように七海が笑う。何その顔。……悪くない。
「私から見たら、貴女は美しいですよ。鍛えられた肉体も、真っ黒な髪も、楽しそうに笑う顔も、今の照れたその顔も。全部が可愛らしくて、愛おしい」
全身を血液が凄い勢いで駆け巡る。恥ずかしくて心臓が早鐘を打つ。顔だけじゃなくて、全身が真っ赤になっているんじゃないかって位熱い。今すぐこの場から逃げ出したいのに、七海がジリジリと距離を詰めてくる。きっと今逃げ出しても、あの長い腕に掴まれて逃げられない。
「もう諦めて下さい。私からは逃げられない」
妖艶な笑みを浮かべる七海の顔が近づく。両頬には、彼の大きな手が添えられて顔を背ける事は許されない。
「愛してます。私のものになって下さい」
三度柔らかい感触が唇に触れる。でもそれは、先程までとは違い、唇を食むように何度も角度を変えて重ねられる。
「はいと言って下さい。もう私は貴女のものです」
「な、なみ……」
「愛してます。心から」
触れる唇から体温が移る。その感触が心地よくなってしまっている私は、きっともう彼からは逃げられないのだろう。