勘違いでも愛してる「このキャラクター、お好きなんですか?」
新人の男の子に声を掛けられ、頷いて返すと彼は「僕もです」と笑った。その声に、数年前に居なくなった彼を思い出した。
営業部に、新人ながら敏腕だと噂の男性がいた。女性社員の噂だと、金髪で長身、整った顔立ちで歳の割には随分と礼儀正しい人らしかった。若い子達は、彼を見かけただとか、声を掛けただとか、いつも彼の話題で持ち切りだった。私も興味が無い訳では無かったが、大卒の新人だと私より年下になるし、正直色恋には疲れていた時期だったし、そこまで関わりたい訳でも無かった。
そんなある日。
「この書類はこちらでよろしいですか?」
随分と良い声に声をかけられた。こんな声の人いたかな、と思いつつも、書類を確認し「大丈夫ですよ」と答えながらそちらを見上げると、そこには噂の金髪長身の美青年が立っていた。
「良かった。では、よろしくお願いします」
そう言うと、彼は丁寧にお辞儀をして去っていった。確かに金髪長身でかなりの美青年だが、私にはそれよりも彼の声が印象的だった。
元々低く落ち着いた声が好きだった。歴代の恋人は皆低めの声だったし、好きになる俳優やキャラクターも低い声が多かった。
そんな中、彼の声は一際好きな声だった。丁度いい響きの良い低い声と落ち着いた話し方。一見無愛想に見えるけど、彼の表情は声に現れていた。何度も経費の精算の為に顔を合わせる度に、少しずつ声を聞ける長さも増えていって、私はいつしか彼を好きになっていた。声だけではなく、実直な性格も、周りに持て囃されるほどの外見も、時折見せてくれる柔らかい微笑みも、全てが好きだった。そして、プライベートな話をするようになった頃、彼が言った。
「このキャラクター、お好きなんですか?」
「あ、これ?えぇ。好きなの」
「もしよろしければ、一緒に食事に行きませんか。そのキャラクターのコラボカフェが近くにあるのですが」
「え知ってるの」
「はい」
「私も知ってはいるんだけど、中々一人では入りづらくて」
「でしたら是非……どうですか?」
「七海くんが良いのなら、有難いけど……いいの?」
「えぇ。私も好きですから」
予想だにしなかった誘いだった。でも、彼と食事に行ける事が嬉しくて、私は彼の誘いを受ける事にした。それからたまに時間が合うとランチに行ったり、帰りがけに飲みに行く事が増えた。
しかし、そんな関係が一年程経った頃、彼は言った。
「転職します」
「……え?」
「どちらかというと出戻り、ですかね」
「そ、そうなんだ……」
「はい。今度の仕事は今よりも危険な仕事です。だから、無責任な事は言えません」
「……」
「でももし、次またこうして二人で会えたら、全て伝えます」
「……何を?」
私の質問に、彼は困った様に笑った。
それからすぐに彼は会社を辞めた。一応私の課にも退職の挨拶には来たけど、あれきり二人で話す事は無かった。
あれから数年前が経つ。私は三十代になって、親からはそろそろ結婚の話を出され始めている。分かってはいる。こんな人の多い東京で、また彼に会う確率なんてほとんど無い。彼が何処に住んでいるのか、何の仕事をしているのか、私は知らないのだ。夢見る乙女でもあるまいし、いつまでも過去の男を引き摺って待っていないで、そろそろ婚活でも始めなくては。私は小さく息を吐くと、目の前でこちらを見つめるキャラクターを指でつついた。
「そのキャラクター、まだお好きなんですね」
仕事帰り、いつものコンビニでお弁当を見ていると、低い声が聞こえた。その声に思わず振り返ると、そこには白いスーツに変な柄のネクタイを締めた七海くんが立っていた。その奇抜な格好に思わずじっと見つめてしまうと、変なサングラスを外しながら、彼はまた困った様に笑った。
「お久しぶりです」
「ひ、さし、ぶり……」
「良ければ何処かで食事でもどうですか?私もまだなんです」
「え、あ……うん」
お弁当を指差しながら微笑む彼は、あの頃よりも少しガタイがよくなり、大人の色気が漂っていた。断る理由も無くて、何となく頷いてしまったけれど、今更三十路の女をどうしたいんだろうと正直思った。だけど、心のどこかで喜んでいる私もいて、少し複雑な気持ちでコンビニを出る彼の後を追った。
駅前の地下にある個室の居酒屋に着くと、彼は早々に注文を済ませ小さく咳払いをした。
「……今、お付き合いしている人はいますか?」
「……はい?」
唐突な質問に聞き返すと、彼はバツが悪そうに口を開いた。
「あの時、本当は待っていて下さいと言いたかったのですが、今の仕事は命の危険もある危ない仕事なので、確信が持てるまでは貴女の為にも言わない方が良いと思ってました」
「ん?」
「ですが、今の仕事にも慣れ、命の危険はありますが、すぐに死なない程度には強くなれました」
「う、うん」
「なので、貴女を迎えに来ました」
「……ん?」
「待たせてしまってすみませんでした。その分、大切にします。結婚してください」
「……………………はい」
彼の言葉の意味が理解出来ず、真剣にこちらを見つめる綺麗な瞳をただ見つめ返す。
今、結婚して下さいって言った?え?私達って……
「ごめん。確認なんだけど、私達、付き合って、た?」
「はい」
淀みなく答える彼に、私は何と言っていいかわからない。付き合った記憶なんて全くない。
「えっと……いつから?」
「以前私が会社勤めしている時に……え、もしかして、付き合ってると思ってたのは……私だけですか?」
「あー、うん……ごめん」
としか言えなかった。すると彼は、暫く考えた後、白い頬を段々と赤く染めていった。
「あぁ……すみません。私の、勘違い、だったようです」
「いや、なんか……ごめん」
「いえ、貴女が謝る事ではありません。私一人先走ってしまって……すみません。いつも食事に誘うと嬉しそうにしてくれてましたし、酔うと偶に甘えてくれてたりしたので……キスもしましたし……自然と、付き合ってるものだと思ってしまいました。」
「えっ私甘えてたえていうか、キスした」
「はい。お酒が入ると、隣に座ってくれたり、手を、握ってくれたりしてました。その流れでキスも何度か……」
「……ごめん。記憶に無い」
「……まぁ、結構酔ってたみたいでしたし。ですが、少なくとも貴女からの好意も感じていたのですが……それも、私の勘違いでしょうか」
グラスを持つ私の手に、大きな手が重なった。こちらを見る彼は不安そうに眉を下げている。そんな顔して見ないで欲しい。諦めようと思っていたのに、こんな偶然再会してしまって、嬉しくてどうしようもないのに。もっと先を望みたくなってしまうでは無いか。
私は彼の手をそのままに、翠の瞳を見つめ返す。
「それは、勘違いじゃないよ。私も七海くんが好きだった」
「……だった?」
「七海くんが思わせぶりな事を言って居なくなるから、ずっと忘れられなかった。でも、私ももう三十だし、そろそろ現実見なくちゃなと思ってたら、七海くんに会ったの」
「……」
「そしたら、七海くんは変な趣味のネクタイしてるのに、随分と逞しくかっこよくなっちゃってて」
「あ、これは仕事で……」
「これじゃぁ、もっと好きになっちゃうよ」
「なって、下さい」
「……三十路の女にそんな事言っていいの?本気にしちゃうよ?」
「私は元から本気です」
重なっていた手をぎゅっと握られ、先程より真剣な瞳が私を射抜く。
「愛しています。私と、結婚して下さい」
「本当に、私でいいの?」
「貴女以外考えられません」
「……よろしく、お願いします」
私が答えると、彼は握った手を自身の方に引き寄せ、口付けを落とした。
「大切にします」
「お願い、します……」
何だか現実感が無くてフワフワした頭に彼を見つめていると、何故か彼の眉間に皺がよった。意味が分からず首を傾げると、彼はため息をついた。
「そんな顔で見つめないで下さい」
「そんな顔……?」
「こっちは何年我慢していると思ってるんですか」
「へ?」
「……とりあえず食事をしましょう。その後は私の家へ」
「七海くんの?」
「何故、なんて野暮な事聞かないでくださいね」
「……うん」
頬を熱くしながら頷くと、彼は複雑そうな顔をして微笑んだ。
その後の食事の味なんて、もちろん分からなかったけど、彼の家に行ってからも、色々分からなくなるほど分からせられた気がして、彼の愛の重さを知った。それでも、出来る限りそれに応えたいと思っている私も大概だな、と思ったのは、翌日の昼の事だった。