皿が空になるまで 締め切りを目前にしてカーヴェは思い立った……――ホールケーキが食べたいと!
「クリームたっぷりのふわふわのやつが食べたい!! 今回は七回も修正したんだぞ!? なのに依頼人ときたら……ああ、もう!」
カーヴェはモラ袋を持って市場へ駆け出した。
外へ出ると、青々しい草木の匂いと共に、心地良い喧騒がカーヴェを包みこんだ。子供の足音や学生のちょっとした議論、商人のかけ声、穏やかな日常がそこら中にあった。
加えて、眠たくなるような暖かな日差しを浴びてからカーヴェの苛立ちはすっかり鎮まり、気がつけばケーキの材料について考えていた。
「えっと……ミルクと砂糖、小麦粉、それにジャムと……あ、いや甘ったるいか? イチゴも欲しいな、無いならザイトゥン桃にするか……よしっ!」
長考の結果、カーヴェは果物屋と雑貨屋に立ち寄り、材料の他にインクを購入し、帰宅した。
膝下ほどの高さがあるテーブルへ調達した品々を簡単に置くと、材料だけを持ち、足早に台所へ向かった。
エプロンを付け、髪を団子状に纏めてから腕を捲ると、いよいよカーヴェの気分は高まった。
まだ昼間だ。“誰か”が帰宅する夕方までにはケーキにありつけるだろうと目途をつけ、早速調理に取り掛かった。
ケーキ作りというとふわふわした想像をしてしまうが、実際は力仕事だ。ボウルを手で支えながら、ヘラを用いてクリーム色の生地を混ぜていく。カーヴェは息を溢しながら、なるべくダマを残さないよう混ぜ込んだ。
次はスポンジを覆うクリームだ。生クリームは冷えたままでないと、簡単に分離してしまう。料理熟知が高いカーヴェは、ボウルを二つ用意し、一方に生クリームを、もう一方に氷水を入れた。
「着工だ!!」
乗りに乗ってきた彼は一人で叫んだ後、泡だて器でカシャカシャと混ぜ始めた。この時、空気を含ませるように混ぜることを忘れてはならない!
生クリームを口いっぱいに頬張る自分を想像しながら機嫌よく混ぜていたが、腕が疲れてきた。両手剣を振るうときのようにメラックに頼めば良かったかもしれないと思い始めた頃、ようやく生クリームに角が立った。
「はあ……思ったより疲れたな……」
スポンジを焼く工程に移るが、カーヴェは気づいた。
「オーブンどこだよ」
少し考えた結果、生クリームとスポンジ生地、そして果物を鍋に入れることにした。――テイワットでは、どんな料理も鍋一つで完成する。
「最初からそうすればよかったんだ!」
カーヴェが望んだ通りのホールケーキができ上がった。
……さて、一台のホールケーキを皿に移したのはいいが、カーヴェは悩んだ。勢いよくスプーンなりフォークなりを刺して、口に含めばいいのだが、如何せん、勤勉に教令院に務めている男が頭に浮かび、食べづらいのだ。
作る前は一人で完食するつもりだったが、人の気は変わりやすい。カーヴェはそういう男だった。
ケーキの前を三往復してやっと、彼は決めた。
「……待つか……」
余ったフルーツを一口大に切り終えると、コーヒーを注ぎ、優雅にカウチソファーに腰掛けて、ただ待つ……。
「ヴェ……、カーヴェ」
「うぅ……ん?」
聞き慣れた声を聞き、カーヴェは目を開けた。どうやら、寝てしまっていたらしい。しかし、コーヒーを飲んでから寝たことにより、三十分という丁度いい塩梅の昼寝に成功したカーヴェはすっきりとした心地のままアルハイゼンに尋ねた。
「ケーキ食べるか?」
「その前に言うことがあるだろう」
「おかえり」
「ただいま」
「で、ケーキは……」
するとアルハイゼンはカーヴェの隣に座り、本を開くと「あ」と口を開けた。カーヴェの賢い頭は彼が何を求めているのか瞬時に理解し、顔を真っ赤にして声を上げた。
「食べさせろって!? いつから君はそんな自堕落になったんだ! まったく、食べるかどうかの返事もせずに、座って口を開けるだなんて……そんなの、そんなの……」
「恋人のようだ、と?」
アルハイゼンの指摘通り、カーヴェの頭にあったのは最近、教令院で見かけたカップルであった。そのカップルは周りの目を気にすることなく、密着し、ピタを食べさせ合っていたではないか!
のちに、その話をカーヴェから聞いた大マハマトラはこう言った。
『――ピタッと、密着』
やかましい。
口を震わせながらカーヴェは精一杯アルハイゼンへ反論した。
「バカバカしい! 君と僕がそんな関係になることは一切ない、あり得ない!」
「なぜそうムキになる」
「そんなの、僕が知りたいくらいだ」
話の終わりが見えなくなると察したカーヴェは、大人しくケーキを半分に切った。ケーキを前にしても読書を続けているアルハイゼンへカーヴェは言った。
「僕が、僕のために作ったんだ。先に食べてるからな」
「味見ご苦労」
アルハイゼンは本のページを捲りながらカーヴェの呻き声に耳を傾けた。
「ん~~っ、うんまっ!! 鍋に入れただけなのに結構いい感じにできたな……」
その後すぐにケーキを何口か放り込んだカーヴェは、口のなかをケーキでいっぱいにすると顔を弛緩させ、感嘆の声を上げた。おまけに口の周りには生クリームが付いている。
ケーキを頬張る彼の姿は子供のようだが、興味を唆られたアルハイゼンは本を置き、フォークを手にした。
美味しそうに食べる姿を見れば、誰だって食べてみたくなるものだ。
「ちょっと待った」
「なんだ」
アルハイゼンは未だケーキに触れていないフォークを納め、カーヴェの方を向いた。
「食べさせなくていいのか?」
「は?」
「いやだって、君さっき……」
食べさせたいのか、そうでないのかどっちなんだとアルハイゼンは考えたが、彼もまた賢い人間だった。
(そんなに俺に食べさせたかったのか)
ということにし、ケーキが乗った皿とフォークをカーヴェに手渡すと、口を開けた。
「もう分かったよ、食べさせれば良いんだろ……ほら、どうだ?」
アルハイゼンの口に白いふわふわを運ぶと、カーヴェはおそるおそる反応を伺った。アルハイゼンは暫く咀嚼してから、感想を簡潔に述べた。
「……甘い」
「そりゃケーキなんだから甘いだろ! ほら、もっと食べろ!!」
それからどんな原理か不明だが、機嫌を良くしたカーヴェは親鳥のようにアルハイゼンの口へケーキを運び続けた。
温かく、甘ったるい。しかし、そんな日々が愛おしい。