Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    urtrmurow

    @urtrmurow

    くろてらの成人向け用

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 31

    urtrmurow

    ☆quiet follow

    イノブレ本の三章没原稿。本だと初陣の部分。一部無配にした気がする。
    まだ設定とか固まってなかったころに書いたから用語があやふやかも。
    ミラーマッチというシチュエーションが大好き人間なので次の本でリベンジしたいなと思いつつ。
    してやられて怒り心頭のザドギエルさんがお気に入り。

     鏡の館。鏡には自分が一番邪悪だとおもうものがうつる

     三ヶ月目が迫っていた。ACの手ほどきで確実に実力はついている。
    (オレはどうだろうか)
     初陣よりも冷静に戦況を判断出来るようになっているとは信じたい。ただ先輩であるACよりは圧倒的に実力不足だと同時に感じていた。
     
     ――お前のその迷い、甘さは誰も救わない。人を救えない使徒など無意味だ。お前が四人の命を背負う隊長である資格はない。

     あの時突きつけられた言葉が脳裏にこびりついている。
    (それでも、オレは)
     ゆっくりと目を開く。目の前の天使像は慈悲とも無表情ともつかない表情で子どもを見下ろしている。

    「約束の三ヶ月よ」
     シスターが口火を切る。五人は詰め所のそれぞれの椅子に座り、シスターをじっと見つめていた。
    「どうかしら、この三ヶ月……先輩達に教わりながら実戦経験を積んできたわけだけど」
    「え、と……大変、でした……」
    「でもいろんな人達に感謝されてスゲー嬉しいよな!」
     ハニエルとラジエルが答える。ザドギエルはそんな二人を見てうん、と頷いていて、サマエルは黙りこくっていた。
    「あなた達がこのチームで問題がないなら、私はその旨を教皇にお伝えするけど……何か問題があるなら今この場で言いなさい。あなた達の命の問題だからよく考えて」
     沈黙が落ちる。あの、と声を出したのはハニエルだった。
    「お、オレは……最初の日から変わってません……サンダルフォンさんに隊長になってもらいたい、です」
    「うんうん、オレも賛成! サンダルフォンがリーダーだとなんか安心出来るっていうか」
    「二人は?」
    「オレもサンダルフォンが隊長であってほしいと思ってる」
     ザドギエルも賛成のようだった。サマエルはカーマインの瞳をぱちりと瞬かせて、それから口を開いた。
    「…………現時点ではサンダルフォンが適当だ。戦況も冷静に把握しているし、力も問題ないと思っている」
    「サマエル」
    「勘違いするな。あくまで今は、の話だ」
     決まりね、とシスターが頷く。そして手元の羊皮紙を見やった。
    「任務よ。これがあなた達の本当の初任務……先輩達抜きの、ね」

     村はずれの屋敷には最早誰も住まうものがいない、筈だった。元々村から畏れられていた貴族の館だ。数年前、主人が病没してからは誰も近寄らず荒れ放題になっていた。

    「広い、ですね……」
    「ああ、慎重にいこう」
     ザドギエルとハニエルが二階にあがった先はどうやら部屋のいくつかにつながる廊下のようだった。とりあえずは悪魔の気配もなく、右手に持っていたナイフを持つに留める。ハニエルも手に掛けていた剣の柄から手を離す。
     ザドギエルが先行して一歩踏み入れる。手入れのされていないカーペットから埃が舞うのも気にせずに進んでいく。とりあえず近くの扉を開けてみたが、何の変哲もない部屋だった。どうやら婦人の部屋らしく、朽ちたクローゼットとドレッサーがもの悲しい。
    「……外れかな」
    「……」
    「ハニエル?」
     静かになった相棒を不思議に思い、振り向く。少し離れた後ろで壁を見ているハニエルに歩み寄ってそちらを見れば、大きな姿見があった。
    「どうした」
    「いえ、大きい鏡だと思って……」
     ハニエルは勿論、ザドギエルの姿もゆうに写す事の出来る大きさだ。豪奢な誂えのそれは、ここに人がいたころには美しい婦人の姿を映し出していたに違いない。意外にもその鏡面は曇らずに輝いていて、はっきりと二人の姿を映し出していた。
    「オレの気のせいかもしれないですが……」
     姿見から目を離してハニエルがザドギエルを見上げる。ザドギエルが首を傾げて聞く体勢に入ればそろりと視線を彷徨わせ、口を開いた。
    「このお家、鏡が多くないでしょうか……」
    「……」
     ちら、と部屋を見やる。隣の壁、向かいの壁、ドレッサー、デスクに置かれた手鏡。確かに、という言葉のみでは言い表せないほど、それはしつこく視界に存在した。
    「玄関にもありました……鏡……さっきの廊下にも」
    「何かのまじないか、もしくはよほど自分が好き、なんだろうね」
     異様なほどの数の鏡、という存在が意識の中に置かれたことでザドギエルとハニエルに緊張が走る。
    「他にも何かないか見てみよう」
    「は、はい……」
     既に住まう者が居なくなったとはいえ婦人の部屋を漁るのは些か気が引けたが、仕方ないと手分けして調べだす。埃の被った本棚、クローゼット。壁にかかった鏡も見てみる。最初にハニエルが見ていたそれと同じで、鏡面に曇りはない。ぐるりと一周してみて、やはりザドギエルが気になるのはあの姿見だった。
     一方ハニエルは机周りを調べていた。オークで作られたそれは引き出しがいくつかついている。鍵はかかっておらず、引いてみれば軋みながら開かれた。
    「……あ」
     そこにあったのは革製の筆記帳だった。使い古されたであろうその表紙を撫で、手にとる。眼の御力を使い、悪魔の力が無いか確かめるが何の変哲もなかった。
    「……ごめんなさい」
     一言謝り、それを開く。日記、らしい。自分達が生まれるずっと前から書かれたものだった。最初の頁にはこう書いてある。
     
     ――鏡は真を写すものである。美しいものは美しく、その姿を褒め称え、醜いものは醜く、人に突きつけ戒める。そう、古い書に書いてあった。ならば私は美しくいようと思う。身も心も、美しいと言われるように常に鏡を置いて、心に留めよう。
     
     これでこの屋敷に鏡が多いわけの理由のおおよそが分かった。ぱらぱらと捲り、読んでいく。治めていた領地のことや、招き招かれた舞踏会、勃発した戦争に対する不安。そして、疫病。
     この屋敷の誰かも、あの忌まわしい病にかかったのだと読み取れた。どす黒く染まる皮膚を醜いと畏れる文言。自分もああなるのではないか、これほどまでに正しく、美しくあろうとして努め、そして家族にもそうあれと言って実践させてきたのに、家族はいとも容易く黒い病に倒れ、醜い屍を晒した。それが恐ろしいと。
     そしてこの部屋の主は狂っていったらしい。頁を捲るのが躊躇われる。今まで綴られていた神への感謝や祈りはぱったりと途絶え、綴られるのは畏れと〝それ〟から逃れる為に苦悶し、道を外す人間の思考。所々に秘術や血、と言った単語が書き綴られている。
    「これ、を読んで貰わないと……」
     皆に。ここに答えが書かれている。そう確信した。とにかく、今一緒にこの場にいるザドギエルに声をかけなければ。
    「ザドギエルさ……」
     顔を上げて呼びかける。しかし返事は帰ってこず、その姿がない。
    「え、あれ……ザドギエルさん?」
     どこに行ったのだろう。別の部屋を調べにいったのだろうか、と日記を持ちながら部屋から一歩踏み出す。
     背後から、殺気を感じて振り向くと同時。

    「うわっ、また鏡!」
     引き出しを開けたラジエルがうんざりした声をあげて、サンダルフォンが小さくため息をつく。最初に鏡が異様に多いことに気付いたのはサマエルで、扉ほどもあろうかという姿見を前に妙だ、と呟いた。妙? とサンダルフォンが聞けば。
    「わからない、が違和感がある」
     そう呟くだけで、じっとそれを見つめたまま黙りこくってしまった。
     ザドギエルとハニエルと別れて三人がいるのは、おそらくはこの屋敷の主人の書斎だろう。本棚にはずらりと書物が並び、凝った調度品は当時の生活を想像するに難くない。ラジエルが能力を使いながら部屋を物色する。しかし悪魔の手がかりになりそうなものは見当たらない。
    「どうする?」
     少し頭を抑えながらラジエルが聞く。サンダルフォンが考え込み、ややあって
    「一度合流しよう。二人が何かを見つけているかも」
     そう答えればラジエルは頷いた。
    「サマエル、行こうぜ」
     サマエルの方に向き直り声をかける。
    「…………っ」
     そこには目を見開いて鏡を見つめるサマエルがいた。じっと鏡面を凝視して、どことなく顔色が悪い。
    「サマエル?」
     サンダルフォンが怪訝に思い、近寄る。答えないサマエルの傍に立てば、鏡にはサマエルがうつっている。
    「どうしたんだい」
     サンダルフォンの言葉には応えず、一歩後退りする。
    「……なん、で……お前達がいる……」
    「サマエル?」
     震える声で鏡に言葉を投げかけるサマエルと、鏡面を交互に見る。鏡面には相変わらず青ざめたサマエルしかない。
    「サンダルフォン! 下がれ!」
     ラジエルの鋭い声に我に返り、サマエルの手を引いて鏡面から離れる。ついさっきまでサマエルしか写さなかったそこに、人影の群れが浮かび上がってきた。それはゆっくりとこちらに近寄ってくるように大きくなり、やがて。
    「っ……」
     そこから人、が出てきた。数人、悪魔でも使徒でも、軍隊でもない、ただの人だ。ここに来るまでに出会った村人に近い格好。しかしその表情は憤怒に染まり、こちらを睨み付けている。人間の群れの先頭、男が口を開く。
    「悪魔め、悪魔め、悪魔め! また作物を枯らしたな、鶏が泡を吹いて死んでいたぞ! お前もあの悪魔の仲間なのだろう!?」
    「何のことだ?」
    「んなの後でだって! 逃げるぞ! ああ、もう、サマエルってば!」
     ラジエルが二人の腕を引っ張って走り出す。サンダルフォンもすぐに気を取り直して自分の意思で走り出したが、サマエルは呆然としてラジエルが引くのにされるがままだった。
     玄関ホールに辿り着いた瞬間、二階の方で何かが盛大に壊れる音がする。
    「っ!?」
     階段の上で戦っているのはハニエルと、ザドギエルだった。圧されているのはハニエルで、懸命に剣でザドギエルの剣を受け止めているがやはり力負けしている。
    「なんで二人が!?」
    「皆さん! っあ!?」
     甲高い金属音がして、ハニエルの剣が弾き飛ばされる。回転をつけて飛ばされたそれは床に刺さり、その反動でハニエルの身体がよろめき足を踏み外してそのまま落ちる。
    「ザドギエル、やめろ!」
     サンダルフォンが叫び二人の間に入る。背中から落ちるハニエルを受け止め、加護の御力を解放すれば振り下ろされたザドギエルの剣は薄い膜に防がれた。すぐに剣をおろし、ザドギエルが睨み付けてくる。深い青色が冷たくハニエルを見下ろしていた。
    「どけ、サンダルフォン!」
     ザドギエルが叫ぶ。体勢を立て直したハニエルが震えている。サンダルフォンが戸惑いながらも二人を見るが防御の加護は解除しない。
    「どうして二人が戦っているんだ、説明してくれザドギエル!」
    「そいつは悪魔だ! ハニエルを殺して化けやがった!」
     吐き捨てるように答え、ザドギエルがハニエルを指さす。信じられないような顔でサンダルフォンがハニエルを見やる。
    「ち、違います! オレは……!」
     琥珀色の眼を見開いてハニエルが首を振る。
    「どっちを信じればいいんだよ、どっちかが悪魔ってことだよな?」
    「それか両方か、どちらも違うかだ」
     幾分か落ち着きを取り戻したサマエルが低く唸る。
    「お、オレ達……部屋を調べていて……いつのまにかザドギエルさんがいなくなって、探そうとしたらザドギエルさんが……!」
    ザドギエルが何らかの幻惑にかかっている可能性もある。どうすればいいとサンダルフォンが唇を噛む。
     
    「オレを信じないのか、サンダルフォン」
     忌ま忌ましげにザドギエルが詰る。
    「オレは……、」
    「オレを信じろ、隣に居るそいつを殺せ……さもないと」
    「どうするつもりだい」
    「裏切り者として殺す。悪魔に惑わされた馬鹿な使徒としてだ。残念だ、サンダルフォン、ラジエル、サマエル。お前らはもっと賢いと思っていたのにな」
     青い目がきゅ、と細められる。どこか結論を急かしているような、声色だった。
    「サンダルフォンさん」
     小さな声が耳に届く。そちらを見ればハニエルが不安げにこちらを見ている。その姿はザドギエルとやりあって、少なからず傷ついていた。
     
    (――傷?)
     
     何かが引っかかる。小さな引っかかりだ。ゆっくりと瞬きをして、ザドギエルを見た。
     戦いによる怪我だろう、ところどころ切り傷が出来ている。
     確信した。サンダルフォンの口がゆっくりと開かれる。
    「……ザドギエル、落ち着いて。殺さなくてもいい方法があるんだ、分かるだろう」
    「どういうことだ?」
     ザドギエルが眉を寄せ、サンダルフォンとハニエルを睨む。それが少し可笑しくて、にやりと笑ってしまった。
    「分からないのかい? 君はもっと賢いと思っていたのに」
     サンダルフォンの嘲るような声にザドギエルの目が見開かれる。刹那。何かが割れる音がホールに響いた。
    「ハニエル! 眼を使え!」
     ザドギエルの叫び声がする。それに反応したハニエルがばっと顔を上げて、目の前の〝ザドギエル〟を見据えた。
    「……首、です!」
    「っ!」
     〝ザドギエル〟が後ろへ飛びすさる――のをサマエルの赤い蛇が巻き付き、そのままホールの床に叩きつける。恐らく常人では今の一撃で息絶えているだろう。しかし〝ザドギエル〟は呻きながらよろりと立ち上がろうとして、はっと顔を上げた。
    「やってくれるじゃねえか」
     低く冷たい声。割れた鏡の破片で傷つき、血を流したザドギエルが己の姿をさせた悪魔の頭を掴み、酷薄な笑みを向けていた。
    「畜生、てめぇなンでいやがる!」
    「ギャーギャー喚いてみっともねえ姿晒してんじゃねえぞ、このクソ悪魔ァ!」
     ザドギエルの右手にナイフが輝いている。躊躇することなくザドギエルはそれを振り下ろし、悪魔の、喉元に突き刺した。耳をつんざくような断末魔と共に〝ザドギエル〟の姿をしたそれは、ナイフを突き刺した場所から凍り付き、一瞬で砕け散った。そこには肩で息をするザドギエルが、いた。
     一瞬、沈黙が降りる。
    「ざ、ザドギエルさん!」
     それを破ったのはハニエルだった。サンダルフォンの隣からよろけながら階段を降り、ラジエルに介抱されているザドギエルに駆け寄る。
    「ごめんなさいっ……! オレ……!」
    「いや、今回は完全に俺が下手打ったんだ……っ、ハニエルは悪くない……」
    「ザドギエル」
     サンダルフォンも近寄り、ザドギエルを見つめる。はは、と苦笑いをしながらザドギエルがサンダルフォンを見つめた。
    「サンダルフォン、よく分かったな?」
    「……だってザドギエルなら、血を使うだろ?」
    「あ、そっか……」
     ようやく気がついたラジエルが納得したように手を打つ。
    「ザドギエルもハニエルも戦いで血を流していたのに、ハニエルは平気だった。ならば偽物はザドギエルの方、ということか」
    「そう……で、ザドギエル。これは一体どういうこと?」
     サンダルフォンの問いにううん、とザドギエルが首を傾げる。オレもいまいち状況が理解出来なくてと前置きした後。
    「鏡から俺が出てきたんだ」
    「さっきの?」
    「そう、そのまま鏡に引きずり込まれた。気がついたらオレは真っ暗な場所にいて、目の前には同じような鏡と、その向こうでハニエルに斬りかかる俺がいた」
     ザドギエルの言葉にハニエルが頷く。
    「オレとザドギエルさんは部屋を調べていて、気がつくとザドギエルさんがいなくなっていて……どこに行ったんだろうって探そうと部屋を出たらいきなり後ろから……ザドギエルさんの姿をした悪魔に斬りかかられてそのまま戦闘に……本当にそっくりで……オレも本物のザドギエルさんが幻惑にかかったものかと」
    「なるほど、鏡に写った人の姿に似せる、悪魔か」
     サンダルフォンが呟くのを聞いて、ラジエルが瞬きをする。ちょっと待て、と首を振った。
    「じゃあサマエルが見ていた鏡は? 知らない人達が出てきたぜ?」
    「っ……」
     サマエルの肩が大きく跳ねる。サマエルの様子に気付かず、確かにとサンダルフォンが頷いた。
    「そっちも何かあったのか」
    「ああ、サマエルが見ていた鏡の中から人が……」
    「あ、あのっ!」
     ハニエルが声をあげて、四人が一斉にそちらを向く。ひゅ、と息を呑んで俯いてしまったハニエルにザドギエルが促した。
    「お、オレ……日記を見つけて……読んで欲しくて……」
    「本?」
     す、と差し出された古いそれを受け取り、サンダルフォンが開く。ぱらぱらと頁を捲っていけば確かに、この館の婦人のものだった。
    「なるほど、こんなに鏡があるのは彼女の考えからなんだな」
    「自分を律するために色んな所に鏡を置いていたけど、流行り病がきっかけで狂っていったということか……どこで作られたか怪しい鏡も集め出したみたいだね」
    「それがさっきの……ザドギエルの偽物が出てきた鏡ってことかな。鏡自体に何か呪詛のようなものがかかっていたとか」
     どれどれ、とザドギエルが日記を受け取って読み出す。
    (己が真に邪悪だと考えているものを写し出す姿見を二つ、買った……)
     なるほど、と苦笑いする。それが自分が見た鏡だとすれば合点がいく。サマエルの鏡がそれだとは分からないが。
    「とにかく!」
    「おわっ」
     サマエルが叫び、話を遮る。驚くラジエルをよそに視線を彷徨わせて、とにかく、ともう一度呟いた。
    「鏡を壊せばいいだろう。それで解決じゃないのか」
    「そんなに簡単だろうか?」
    「少なくとも俺達がみた二つの鏡はそうだろうな。とりあえず二階のものはいいとして、書斎から処理しよう」
     ザドギエルの提案に四人が頷く。床に刺さったハニエルの剣を抜くのに少し手こずりながら、書斎に向かった。

    「なるべく鏡の前に立たないで、鏡面は見ないこと」
     サンダルフォンが聖水の瓶を取り出す。サマエルとザドギエルが姿見を持ち上げ、その裏を確かめる。案の定、そこには魔術が施された後が刻まれていた。鏡から出てきた村人は既に消えている。
    「さすがに柄頭で殴ってもヒビすら入らなかったあたり、サンダルフォンの力で強制的に呪詛を剥がすしかないだろうな」
    「ああ……その過程で何が出てくるか分からん。警戒するに越したことは無い」
     姿見を元の位置に下ろし、二人が一歩後ろに引く。柄に手をかけつつ、サンダルフォンがその前に立つのを見守った。
    「――……悪魔の気配はありません」
    「屋敷も異常ナシだぜ」
    「ああ、わかった……やるよ」
     ハニエルとラジエルの言葉に頷き、サンダルフォンが十字を切る。祈りの聖句を唱え、使徒の御力を解放する。
     ――すぐに、異変は訪れた。姿見がガタガタと揺れ出して、その鏡面が水面のようにさざめく。
    「何か来ます……!」
     ハニエルが気配を察知すれば、ザドギエルとサマエルの二人が剣を抜く。
    「〝邪な骨を散らせ、骸は捨て置かれ、お前は恥辱を晒すであろう〟」
     サンダルフォンの聖句が力を伴って姿見に向けられた瞬間、鏡面から勢いよく飛び出してきたのは二本の巨大な腕だった。一見華奢で真っ赤な手が差し出されるようにサンダルフォンに伸ばされる。
    「……!」
    「させるか!」
     サマエルが叫び、ザドギエルも剣を振り下ろす。手応えはあった。腕を斬った箇所から、血が噴き出す。赤い腕は痛みに悶え、部屋の壁に拳を叩きつけた。
    「本体は!?」
     しかし本体、腕より先の身体や頭といったものは鏡面から出てこない。ハニエルが薙ぐ腕を避けながら鏡面を見据える。琥珀色が燃えるように輝く。
    「本体は〝腕〟です! それは腕しか存在していません!」
    「腕しかない悪魔って何!?」
    「なら、簡単だ。切り落とせばいい」
     サンダルフォンが剣の二対を引き抜く。ザドギエルとサマエルに目配せをすれば、頷かれた。
    「止めるぞ、ザドギエル!」
    「ああ、任せろ!」
      残りのナイフを手に、ザドギエルが駆ける。向かってくる使徒に反応して赤い腕がそれを薙ごうとしなれば、そこへ赤い蛇が絡みついた。二本の腕を纏めるようにそれは絡みつき、縛り上げる。ザドギエルがナイフを全て投擲すれば、それは肘、手首へと突き刺さった。ザドギエルの赤い血が刃を伝いその傷に触れ、凍り付かせる。悲鳴は無いが、腕で苦痛にもがき、自らを拘束する蛇を振りほどこうと暴れだした。
    「サンダルフォン!」
    「はああぁあ――!」
     ザドギエルの声と共にサンダルフォンが跳躍し、腕の凍り付いた部位目掛けて剣を振り下ろす。氷が派手に砕けるような音と共に二本の腕が肘から切断される。支えるものを失い床に打ち付けられた手は萎びて砕け、鏡面から生えている上腕は、黒い油のようなものになって床に滴り、消えた。
    「鏡が!」
     ラジエルが鏡を指さす。音を立てて鏡面にヒビが入り、それは瞬く間に広がっていく。しかし砕けることはなく、上腕と同じように溶け、黒い液体となって床に流れていった。
     残ったのは、豪奢な枠組みだけである。
    「……悪魔の気配、完全に消滅しました」
     ハニエルが静かに告げる。ほっと息を吐いて、刃についたものを振るって落とした。

    「というわけで、あの屋敷の鏡を全部処分したほうがいいね」
     シスター・ゴーに事の顛末を報告し、サンダルフォンがティーカップに口づける。報告書をぱらぱらと眺めながらそうね、専門の部隊を寄越すわとシスターが了承した。
    「どうだったかしら」
    「……まあ、手こずった所もあったけど」
    「ふふ、もうすっかり一人前ねえ。それにしても……」
     報告書と共に提出した屋敷の婦人がしたためた日記をぱらぱらと捲る。
    「皮肉なものね、己を厳しく律していた筈が……それに囚われすぎて悪魔を生み出したなんて。」
    「……それを見たものが真に邪悪だと考えているものを写し出す悪魔の鏡……」
     そうだとしたら、あれは自分が邪悪だと考えるものに違いないのだろう。真っ赤な手。何度も夢の中で見た、親友を攫う赤い手。
     ひどくセンチメンタルなものだと苦笑する。どうしたの、とシスターが問うてきたが、いいや、何もと首を振った。
    「さて、報告は終わり。今日明日は皆休んでもらうから」
    「ええ、勿論よ。また新しい任務が与えられ次第、連絡するわ」
     お疲れ様、隊長。シスターのねぎらいの言葉に頷き、席を立つ。部屋を出れば天気も良く、少し散歩をしたくなった。青い空にはふわふわとした雲が遊んで、鳥の群れが飛んでいる。あの陰鬱な屋敷のことなんてすっかり忘れてしまえそうな、陽気だった。
    (真に邪悪だと考えているものを写し出す悪魔の鏡、か)
     不意に日記に書かれた事を思い出し、足を止める。任務の事を少し振り返る。屋敷に存在する異様なほどの数の鏡。二手に分かれた部隊。鏡から現れた村人達。ザドギエルの偽物。
    「……」
     真に、邪悪だと考えているものを写し出す鏡。
     サマエルが見たそれは何故村人を写し出したのか。そしてザドギエルの偽物が、意味するもの。
     疑念というよりも、疑問、だった。どうしてあれは、そう写し出したのか。
     サマエルの焦りようとザドギエルの、己の偽物に向けた怒りの表情を思い出す。そして、いつの日にかアブディエルに問い詰められていたことを。
    (――やめよう)
     ゆるりと首を振る。ぐ、と伸びをして再び歩き出した。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    💘💘💘💘👏👏🙏🙏🙏🙏
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works