冬に添う 五 《指輪》「ほほう、上手く育ったのう」
「確かに春の子じゃな。……ふむ、確かに手紙にあった通り、春の気配と冬の気配が混在しておる」
「「これは面白いのう」」
目の前で少年二人にくるくると踊られてネロが目を白黒とさせている。助けを求めるようにこちらを見るので、ブラッドリーは溜息を吐いて自分の隣を指した。すぐさまやって来たネロを座らせて、まだ踊っている双子を示す。
「あいつらが冬の双王。この国全ての統括者だ」
「統括者……?」
「あんな見てくれしてるが、中身はウン千歳のジジイどもだよ」
「ちょっとブラッドリーちゃん!」
「ジジイじゃないって言ってるでしょ!」
文句を散々垂れた後に、双王と呼ばれた少年二人はネロの前に座り直した。
「それにしても二十年かそこらで、春の子がよくぞ此処まで育ったものじゃな。なぁ、ホワイト」
「うむ。一際成長が遅いとされるのにのう」
きゃっきゃと目の前ではしゃがれて、ネロは困惑したままブラッドリーの後ろに隠れようとしていた。
背後に控えていたザウエルがネロを庇い立てするように出てきて、彼の姿を隠してしまう。
過保護め、と呆れながらブラッドリーだけが双子に向き直った。
「……あんな、ジジイども。てめえら呼んだのはネロを揶揄わせるためじゃねえんだよ。シャイロックには話通じてんだろうな?」
「そりゃ勿論」
「仕事をした上でこちらに来ておる」
シャイロック、とネロが呟いた。灰青色の髪を覗かせて、ザウエル越しにこちらを見ている。
「ネロ、おまえの兄貴だろ。シャイロックは」
「……うん」
「……そもそもおまえの救助に向かったのは、おまえの慈悲深い兄貴からの依頼だ。俺はそれを反故にして、おまえを捕らえた。自分のためにな。そんな構図になってんだよ」
「ッ……違、ボスは俺を!」
「ネロ」
言葉を押し留めると、ネロは愕然とした顔でブラッドリーを見つめた。
「俺様は厳冬の国、力ある三者の一派だ。誰が人様に乞われてガキ助けて、そいつが育つまで匿うってんだ。……何度も言ってんだろ。おまえは俺が財宝を得るための材料で、ただの人質だ」
配下でも、部下でも、ましてや、相棒となるべき者でもない。春の国へ運べるようになるまで手元に置いていただけ。
「……はい」
ネロは、悔しそうに唇を噛んで俯いた。ザウエルが気遣わしげにネロの頬を舐めて、そんな言い方しなくても、とブラッドリーを横目で睨んでいる。おい、てめえは雄だろ……何で母親面してんだ。
「その人質ちゃんが立派に育ったのはブラッドリーちゃんのおかげじゃけどね」
「内包する魔力、既に持ち得ている腕力。冬の国の精霊として表に出しても恥ずかしくない程度には育っておるしなぁ」
「ごちゃごちゃうるせえよ、こいつが自分で力をつけた結果だ。俺は何もしちゃいねえよ」
わらわらと寄ってくる双子どもを退かせ、改めて彼らを見やる。
「戦が始まんなら、その前にこいつは帰す。送るのは三日後だ。それまであの馬鹿兄二人に始めんなよって言い聞かせとけ」
「そんなブラッドリーちゃん、言うに事欠いて馬鹿兄って。わしらもどうかと思うところあるけど」
「短慮なとこあるけど一応ブラッドリーちゃんより年取ってるんじゃよ? ……ちょっと考えが足らんところもあるがの」
「うっせえなぁ。どうせ血も繋がってねえんだから兄つっても名目だけだろうが。……オーエンの野郎には特に言い聞かせとけよ。隙ありゃうちの狼狙って来やがって」
オーエンという名を口にした瞬間、ザウエルが唸った。ネロが悄然としたまま、その首を抱いて落ち着かせている。そして、ぽつりと口にした。
「戦いがあるから、俺は帰されるんですよね?」
「……端的に言えばな」
「何故、戦いが起きるんですか?」
如何にも不可思議そうな顔をしていた。
「……ネロ、この国の土地は豊かか?」
問えば、ネロは困ったように眉を下げた。
「雪だらけの万年凍土だろ。恵みの季節である春や秋に至っては一瞬で、人間どもはその僅かな恵みに頼って、地に張り付くように生きている。庇護が高位精霊の条件なら、奴らには生き長らえて貰わなくちゃなんねえんだよ」
「こんな国でも多少は豊かな地がある。南下すればの」
「地の割譲に当たっては力が物を言う。地が増えればその分精霊は力を増す。何十年かに一度、総出で取り合う時期が来るんじゃ」
「だから戦が起こる。大体ミスラが隣の弱小精霊にけしかけて泣かしてんな」
その泣かされた精霊から伝播するように戦の火種が拡がって、そのうちこの雪国は戦禍一色になる。
力を持て余した高位精霊が他の地域を舐めとっていくのが常で、三大勢力に分かれてしまっているのもそれが原因だった。
元から力を持っている方が有利だ。食われるほうが悪い。この国はそうして力を高めて、まぁ、内々で喧嘩しまくってるせいで他国からの影響を受けない。
魔力を含む動植物は他国からすれば涎が出そうな宝ではあるが、それを手に入れるために腕を噛み砕かれる趣味がある奴はいない。
ブラッドリーは戦は嫌いではなかった。狼どもを使って他の地を乗っ取るのは祭気分であったし、泣き喚く他の精霊から宝物を奪うのは楽しくて仕方がない。
戦略を練るのも好きだ。馬鹿兄二人からも幾度か宝物を奪い取ったことがある。
「奪うことが主流。負ける奴が悪い。……てめえは、その範疇外の存在だ。関係ねえ奴が巻き込まれる謂れはねえよ」
「……関係、ない、か」
「……てめえは、てめえの場所に帰んな」
俺の傍は、おまえの居場所じゃねえよ。
続けて言うと、ネロは大きく目を見開いて、何も言わずに部屋から出て行った。
残されたのはすっかり冷えてしまった食事と、双子と自分と狼。そのうち狼はネロを心底心配しているようで、ちらちらと視線を投げてくる。
行ってやれと言うと主人を飛び越して走り去って行った。
「こんな時期ではなければな……春の子にとっても、ブラッドリーちゃんにとっても酷なことになったのう」
「……何でそこで俺の名前が出てくんだよ」
「だって気に入っとるんじゃろ?」
「あーぁ、やっと嫁取りする気になったと思ったのにのう」
「はぁ……馬鹿言ってんじゃねえ」
自分に添えるやつなど、それこそ獣の類だ。
冬国の中では生きていけないほど柔な、あんなに優しいやつなど、添うべきではない。
⁑
「ネロ!」
叫ばれる名前。ネロは、庇われた毛皮の下からやっとの思いで這い出た。
目の前は赤い。何もかもが赤くて、冬の国には似つかわしくない熱さがあった。
館が、燃えている。狼達の怒った声と、何かの叫び声がそこら中で響いていた。
「無事だな! くそ、オーエンの野郎……」
「ボス、その血……怪我して、」
引っ張り上げて助け起こしてくれた存在は、頭から血を引っ被ったような見てくれになっていた。
「大したことねえよ。……ネロ、俺が時間稼ぎする間に行きな。裏に大橇がある。シグ、よく庇った。怪我はねえな? てめえが曳け」
『ボス……!』
「口答えする暇はねえぞ」
言って、ブラッドリーは長銃を撃ち放つ。
撃ち抜かれたのは見たこともないくらいに醜い、鳥のような怪物だった。
「何だ。本当にいたの、春の子」
ネロの背が怖気立つ。この凄惨な環境など何の意にも介した様子のない細身の男が、浮いていた。
「オーエン! てめえジジイどもの約定は何処にやりやがった!」
「そんなもの、魔物に食わせたよ。馬鹿な弟。さっさと春の子を食べれば良かったのに」
そうすれば、おまえはもっと強くなれたのにね。
「《アドノポテンスム》!」
ニヤニヤ笑う男の額が弾かれたように仰反る。力を失って落ちるそれを舌打ちして踏みつけながら、ブラッドリーはこちらを睨んだ。
「早く行け、馬鹿ども! こいつは不死身なんだよ!」
「……ッ! ブラッド、俺!」
ブラッドリーの目が、見開かれた。ボスとばかり呼ぶネロに対し、じゃあこう呼べと許された名前であったが、口にしたのはこれが初めてだった。
「絶対、ここに帰ってくる! あんたが何て言ったって、どれだけ掛かったって、此処が俺の場所だから、」
言葉は最後まで言い切ることができなかった。
ブラッドリーが片手で繰った魔法によって、ネロは窓を突き破り外へ放り出されていた。
着地した場所は大橇の上。揃って放り出されたシグにすぐに装備が絡み付いて、ネロは唇を噛んだ。
行けと、早く行っちまえというブラッドリーの意思が、否応なしにわかってしまう。
爆風が破れた窓から噴き出す。獣たちの悲鳴。そこには親しんだ狼達のものも混ざっているのだろう。
『……ネロさん、行きます』
シグが地を蹴り出した。大橇は重さなどまるで無視して、すぐさま浮き上がってしまう。
夜の吹雪が顔に吹きつけた。見下ろした雪の野に、今までネロが過ごした館だけが、赤く、小さく光っていた。それが崩れて、余計に赤くなっていく。
あぁ、涙が溢れて止まらない。
もう二度と泣くまいと決めていたのに、不安定な橇の中でネロは唇を噛んで耐えた。
ふと、手に小さな感触がある。それを見て、ネロは瞠目した。ブラッドリーが常頃、右手の中指につけていた指輪があった。
彼の血に汚れて、曇ったそれ。託されたのは、わざとなのか、偶然なのか。ネロには分からなかった。
ただ、それを固く握りしめてネロは厳冬の景色を目に焼き付ける。睫毛が凍っても、頬が凍傷で傷ついても、駆ける光景から一切目を離さなかった。