NTR今年の冬休みは日本に帰れそう、とテツに手紙を書いたら、すぐに航空チケットが送られてきた。
「母さんもたくさん餃子作らなきゃって、栄治が帰るのを今から楽しみにしてる。気をつけて帰ってきなさい」
丁寧な字で綴られた手紙を元通りに折りたたみ、クッキー缶へしまった。チケットは、失くしたり忘れたりしないように、まだ荷造りもしていないスーツケースの内ポケットへ。それだけで、たった二週間だけの一時帰国がいまから待ち遠しくなる。
帰国するのは今回が初めてで、実に三年ぶりの日本だ。テツにもミサにも話したいことがたくさんあった。久しぶりに山王のみんなにも会いたい。もう成人しているのだから、居酒屋とかで集まったりするのも楽しいのかもしれない。もちろん、酒を飲む前にはたっぷりバスケもしたい。
帰国後のことを想像したら居てもたってもいられなくなったオレは、壁の時計を確認してから、電話帳を片手に部屋を出た。
「よう、エージ。例のガールフレンドと電話か? お熱いねぇ」
「残念。日本の友達にかけるだけだよ」
廊下ですれ違ったチームメイトに肩をすくめて応えると、
「そんな態度じゃ愛想つかされちまうぜ」
とありがたい忠告をもらった。
「その時は、またバスケが恋人になるだけだね」
「ワオ! かっこいいな! フラれても泣いたりすんじゃねーぞ」
彼はひとつ口笛を吹いて快活に笑うと「おやすみ」を言い残し、自分の部屋へと戻っていった。
近くの恋人よりも、いまは日本にいる山王のみんなだ。オレは寮の電話の受話器を肩に挟み電話帳を開きながら、これだけはすっかり覚えた「00181」の番号をプッシュした。
「エージ、冬休みは日本に帰るんでしょう?」
「そうだけど。だれから聞いたの?」
「だれって、みんなそうしてるから、エージもそうなのかなと思っただけ」
夏休みは、練習やキャンプがあるからそんな暇はほとんどないけれど、寮そのものが閉まる冬休みはスクールのほぼ全員が里帰りをする。
去年までのオレは、精神的にも成績的にも帰国している余裕がまったくなくて、冬休みはチームメイトの実家に転がりこんで、課題や自主練に付き合ってもらっていた。休み明けには「来年はだれの家に泊まるんだ?」と揶揄われたりもしていたけれど、新学期が始まった今年の八月から転入してきた彼女がそれを知らないのは当然とも言える。
近ごろの彼女は、オレのすべてを知っておかないと気が済まないのか、いろんな人にオレのどんなちいさな話でも聞いてまわっているらしいから、つい責める口調になってしまった。
「十日の飛行機で帰るんだ。せっかくの休みなのに、いっしょに過ごせなくてごめん」
コーヒーのカップをテーブルに置き、頭を下げる。カフェテリア中の視線が集まるのを感じた。もちろん、つむじにもじっと視線が刺さる。
「いいのよ。ねえ、エージ、ママにも話したんだけど、わたしも冬休みは日本へついていこうと思うの」
「……え?」
突然の宣言に顔を上げる。彼女はその印象的なくちびるをきゅっとつりあげた。
「せっかくの休みだもの。日本へ行けばあなたといられるし、観光もできるでしょ」
「でも、クリスマスは家族と過ごさなくていいの? 楽しみにしてただろ」
「毎年一緒に過ごしてるんだから、今年くらいは平気よ。それに、日本人はクリスマスを恋人と過ごすものだって聞いたわ」
膝へ置いた手に、彼女の手が重ねられる。一年中ラケットを握っている彼女の手のひらはアスリートらしく、厚くしっかりとしているが、明確な意図をもってオレの手の甲をなぞる指先は、まぎれもなく女の子のそれだった。上向いた睫毛と瞳が、甘えるようにこちらを見つめる。
こうなった彼女が梃子でも意思を曲げないことをすでに知っているオレは、「わかった」と頷くほかなかった。
浅草で着物を着て散策をし、歌舞伎町のシンボルの前で写真を撮って、原宿で買い物がしたい。富士山と京都にも行ってみたいし、寿司とすき焼きとラーメンを食べてみたい。ガイドブックをめくりながらうきうきと胸を膨らませる彼女とは反対に、オレの気分はどんどん重くなっていく。久しぶりの日本だっていうのに、実家でゆっくり過ごすなんて到底できなさそうなスケジュールだ。
「エージのおうちは浅草から近い? あなたのパパとママにもご挨拶したいわ」
ご機嫌なその提案には首を振り、ガイドブックの関東近郊マップを開いて、地元をとんと示す。
「オレの家はここ。交通の便も悪いし、山しかないようなところだから、今回は観光だけしようよ。オレの両親には、またいつか会わせるから」
彼女は一瞬不満そうな表情をしたけど、わがままを言いすぎている自覚はあるようだった。すぐに笑顔を作って「約束よ」と言い、オレは「うん」とあいまいに頷く。
唯一の救いといえば、彼女がオレと同じ日に航空チケットを取れず、三日遅れて日本にやってくることだった。つまり、オレの実質的な里帰り期間はたったの三日だけ。一日目は時差ボケ解消に費やすとして、残り二日だ。
どうしてもこの二日間で調整してほしいと、同期だった高橋に頼みこんだ沢北カップ(仮)とプチ同窓会は、どうにか一定数のメンバーが集まったらしい。「貸しだからな」と何度も言っていた高橋のため、おみやげに〝こっち〟のビデオを用意してやらなければいけないのだが、それはともかく。
「必ず参加する」と返事をくれたというメンバーの中に、オレが期待していた名前はなかった。「行けたら行く」なんていい加減な返事をよこしたのは大学の練習スケジュールが未定だからだそうだが、三年ぶりにアメリカから帰ってくる後輩よりも大事な練習なんてあるのだろうか。
「それ、河田さんが聞いたら久々シメられそう」
「オレだって本当に思ってるわけじゃねえよ。言葉の……なんだっけ、リョータの彼女の名前の……」
「言葉のアヤ?」
「それ!」
「どんな覚え方してんだよ」国境を越えた先で、高橋が呆れ笑いをする。「でもさ、沢北がそんなに深津さんに会いたがるなんて意外だったよ。お前ら仲良かったっけ?」
「だってガードだし、主将だし。バスケでは世話になりっぱなしだったもん。あと、単純にいまどういう接尾語使ってるのか気になる」
「ハハッ、たしかに。それはすげー気になる」
愉快そうに同意した高橋は、それ以上突っ込むことはせず「それで体育館の利用時間だけど……」と流してくれたので、オレはそっと胸を撫でおろした。
リストアップされた名前の中からその文字列を一番に探してしまうくらいには、オレはあのときのことを気にしている。
毎日の講義とレポートにテスト、全体練習と個人トレーニングに加えて自分の身の回りの世話をしていれば、帰国の日はあっというまにやってきた。
「エージ、しばらくお別れね」
「うん」
「わたしもすぐに追いかけるわ」
「うん、待ってる。気をつけて」
「あなたもね」
たった三日離れるだけだっていうのに、わざわざ空港までついてきた彼女は、今生の別れのように熱烈なハグとキスをくれた。弾力のあるくちびるが押しつけられ、勢いそのままに肉厚の舌がオレの歯列を割ろうとするので、あわてて肩を押して離れる。
「ま、まずいよ」
童貞の明確な拒絶を、彼女はにっこり微笑んで許した。大人びた容貌が、年齢相応の少女めいた印象にぐっと変わる。
「そうね。続きは日本でゆっくりしましょう」
いたずらな手の甲が、デニム越しの股間をするりと撫ぜる。「だからやめろって」と日本語で抗議するオレを、彼女は可笑しそうに見つめた。
「本当に、すぐ涙が出るのね」
どこかで聞いたような揶揄に、オレはどんな態度を返しただろう。
◇
入国審査と荷物の受け取りを済ませ、国際線のゲートを出ると聞こえてくる会話のほとんどがなじみのある響きになる。すれ違う人の頭もほぼ真っ黒だ。そこでようやく、日本に戻ってきたと実感できた。オレはすっかり硬くなってしまった体をぐっと伸ばしてから、待ち合わせ場所の駐車場へと向かう。
平日の日中なのだから無理をしなくていいと断ったのに、テツは迎えにいくと言って聞かなかった。
「三年ぶりなんだ。世話くらい焼かせろよ。あんまりゆっくりはできないんだろ?」
そう言われてしまうと返す言葉もない。遅れて日本へやってくる彼女を観光に連れていくことは、すでに話してあった。テツの口調は責めるようなものではないだけに、申し訳なさが募る。
「じゃあ、お願いします」
改まって電話の向こうに頭を下げると、テツは「任せなさい」と笑った。
「栄治!」
スーツケースを転がしてテツの車を捜していると、先に向こうがオレを見つけたようだった。受話器を通さない、なつかしい声が呼ぶ。
「テツ! ただいま」
「おかえり。時差ボケは平気そうか?」
「まだわかんねーけど、いまのところは平気。テツこそ、チケットと迎えありがとう」
「気にするな。さ、母さんも待ってるから、さっさと帰るぞ」
「うん」
テツのSUVにスーツケースを積み、後部座席に乗り込む。テツが車をゆるりと発進させたころは、向こうでの生活や練習やチームメイトの話をしていたのに、なつかしい車のにおいとテツの声に安心したのか、だんだん眠たくなってきた。
「寝てていいぞ」
「うん……」
しきりに目をこするオレに、バックミラー越しのテツが微笑む。オレはうとうとしながら、テツの目じりのしわはこんなに深かったっけ、と考えた。雑にまとめている長い髪はもちろん、伸ばしっぱなしの髭にも白いものが目立つ。駐車場を歩いたときに並べた肩は、記憶よりも細かった。老けたなあ、と思った。さみしいような申し訳ないような、複雑な気持ちだった。
車はどんどんスピードを上げ、防音壁の向こうの景色が次々に後ろへ流れていく。
そんなに急がなくてもいいのに。まどろむ意識のなかでそう思ったのが最後で、オレはいつのまにか眠ってしまった。
「沢北くんのこと、もっと知りたいの。私とお友達になってくれませんか」
「もしあなたが、今後オレと友達以上の関係になることを望んでいるなら、友達にはなれません。いまはバスケに集中したくて、恋愛なんてしてる暇はないから」
きつい言い方なのは自覚しているけど、中途半端に期待を持たせるよりはハッキリと断ったほうがいい。そうでなくても、夏が終わったら留学すると決めてから手紙や呼び出しの数がぐんと増えて、正直オレはうんざりしていた。
「ごめん、練習始まるからもう行くね」
大きな瞳いっぱいに涙を溜めた少女はオレを引き留めようとしたけれど、これ以上彼女に割いてあげられる時間はなかった。最後のインターハイまでのカウントダウンはもう始まっている。オレは振り返らずに体育館へと足を向けた。
「モテる男は大変だピョン」
「深津さん……」
「さっきの容赦のない返事、痺れたピョン。あの娘かわいそうだったピョン。沢北くんはひどい男だピョン」
「なにが言いたいんですか。河田さんに言いたきゃ言えばいいじゃないっすか」
いったいいつから見ていたのか、バスケ部専用の体育館の玄関をくぐったとたんに深津さんから面倒くさい絡みかたをされて、オレも棘のある物言いになる。
外履きのシューズを下駄箱に突っこんだ勢いで深津さんを見ると、意外にも深津さんはまじめな顔でひたとオレの顔を見つめていた。白目との境界がハッキリした、その瞳はどこまでも深く真っ暗で、吸い込まれそうだ。
「おまえがそういうやつで安心してるピョン」
「はあ?」
「バスケに集中したくて、ってところピョン」
「はあ……」
深津さんが、なにを言いたいのかわからない。
このひとはたまにこういうところがあって、もっとわかりやすく言ってくださいとオレが頼むと、底意地の悪い顔で「いやだピョン」と笑うのだった。
「あこがれの沢北くんが留学しちゃうから、秋田中の女の子はみんな、おまえの特別になりたくて焦ってるんだピョン」
「オレ、そういうのできるタイプじゃないです。いまも、たぶんこれからも、自分とバスケのことしか考えらんねーし。カノジョほしいとか、まだよくわかんねーし」
いままで付き合ってみた女の子はみんな、もっと自分を見てほしいとか、練習時間を削って会ってほしいとか、全然かまってくれなくてつまらないとか、オレになにかを期待して、求めてきた。そのたびに、オレはひどく煩わしい気持ちになる。どうしてオレにバスケ以外のことを考えさせるんだろう。一番じゃなくてもいいと言ったのはそっちのほうなのに、と。
「おまえは、きっとそれでいいピョン」
深津さんは静かにそう言うと、すこし微笑んで「いまはただ、やるべきことに集中するときだピョン。全部おわったあとで、恋愛でもなんでも好きにすればいいピョン」と続けた。
「それって、オレがジジイになって、バスケできなくなるまで童貞でいろって言ってます?」
オレとしては半分冗談で半分本気だったその言葉を、深津さんはお気に召したようだった。
「バスケに操立てるピョン? そこまできたら、ただの変態バスケ狂じゃ済まないな」
黒目がちな、深い色の瞳が三日月形にしなる。ぐっと持ちあがった頬の肉に連動して、印象的なくちびるも左右均等に吊りあがった。
深津さんがこうやって笑うのを、正面から見たのは初めてかもしれない。意外と子どもっぽい笑顔だな、とオレは思った。ずっとわけのわからないひとだと思っていたけど、やっと年齢相応の表情を向けてくれて、オレはすこしうれしくなった。
「意外でした」
「なにがピョン?」
「深津さんも、こういう話しするんですね」
「失礼ピョン、オレだって健全な男子高校生だピョン」
「へえ、もしかして好きな子とか、いるんですか」
玄関を入ってすぐ正面にある鉄製の引き戸を開けると、体育館のあちこちから威勢のいい挨拶が飛んでくる。
「チュース!」
オレも深津さんも、おなじみの挨拶を返して体育館へ足を踏み入れる。もうここからは余計なことは考えない。自分のバスケとインターハイ。それだけ頭に入れていればいい。
隅にタオルと替えのシャツを置いて、すでに始まっているストレッチの輪に入ろうと足を向ける。ふいに視線を感じて振り返れば、深津さんがまたあの目でじっとオレを見つめていた。
「なんですか」
「オレも、急がずじっくりやるピョン」
「はあ」
やっぱり、深津さんがなにを言いたいのかわからない。オレがあいまいな返事をすると、深津さんは「ニワトリ並みピョン」とあきれたように首を振った。
沢北カップ(正式採用)は、オレが帰国して二日後の午後、高橋が借りてくれた都内の区民体育館でつつましく行われた。
久しぶりにボールに触るやつ、同好会程度に細々と続けているやつ、強豪大学に進学してがっつりバスケに取り組んでいるやつ。卒業後の進路はさまざまで、体力面や技術面で差がつきすぎるってことで、試合はハーフコートでの三対三、総当たり戦でやることにした。
くじでチームを決め、ひたすらゲームを繰り返す。自分のチームが休みのときはゲーム中のプレイヤーに野次を入れたり、空きチーム同士で思い出話をしたり、近況を報告しあったり。各組合せで一巡しても時間があまっていたのだけど、だれが主導するでもなくメンバーを入れ替えて、またゲームが始まる。
河田さんはさらに身体がごつくなって向こうの選手にも見劣りしないし、美紀男の身体もだいぶ絞られて、ずいぶん動けるようになった。イチノさんは、現役のころみたいに動けないなんてうそぶいていたけど、ディフェンスの嗅覚は衰えてない。野辺さんも、ミドルレンジからの決定率が目に見えて上がっている。ほかのみんなにも変わったプレー、変わっていない癖なんかがあって、それらを見つけるたびにうれしくなる。
「なんかオレ、いま日本帰ってきたってすっげー実感してる」
隅っこで水分補給をしていた高橋へ、改めてお礼を告げる。高橋はちょっと肩をすくめて、
「オレも、こういうの久々で楽しいよ。ありがとな沢北」
と、逆にお礼を言ってきた。なんだかくすぐったい気持ちだった。
「じゃあ、お礼のビデオは要らねえ?」
「なんのためにオレがここまでやったと思ってるんだよ。あとで絶対もらうからな、フケんなよ」
「わかってるって。向こうのチームメイトのお墨付きだから、楽しみにしていいよ」
そんなやりとりをして、久しぶりのメンバーと思いっきりバスケを楽しんでいたら、あっというまに利用時間ぎりぎりになってしまった。
全員でボールを片づけ、床にモップをかけたら、体育館のせまいシャワー室へ我先に駆けこむ。そこでぎゅうぎゅうになりながら汗を流した。近くに銭湯とか、健康ランドみたいな施設があればよかったけど、それは次回の楽しみに取っておくことにする。三つしかないシャワーを奪い合うようにして浴びるのも、高校時代に戻ったみたいで楽しかった。
着替えて体育館を出ると、時間は17時半を過ぎたところだったけど、師走半ばの平日ど真ん中だ。
これからバイトがあるやつ、レポートの追い込みをするやつなんかとは、ここで別れることになる。
「またな、沢北。今度帰ってきたときはゆっくり話そうぜ」
「今日はありがとうございました。バイトがんばってください」
「オレたちもこれで失礼します。沢北さんとバスケできてよかったです」
「次の沢北カップも声かけてくださいね!」
「絶対やるから絶対来いよ」
次の約束を交わして別れを告げ、残ったのは全体の半分ちょいくらい。これから高橋が予約してくれた居酒屋に移動して、飲めや食えやの大騒ぎの予定だった。
「ここから合流するやつも結構いるんだろ?」
お行儀よく二列で駅へと向かう道すがら、河田さんが高橋に尋ねる。
「はい。いちおう20前後の想定です」
「いちおうって」
幹事のおおざっぱな計算に思わずオレが笑うと、高橋は「深津さんは、練習おわりに松本さんと来れるってさ。よかったな」とよけいなことを言った。
「なんだ沢北、おめ深津に会いたかったのか」
「松本さんにも会いたいし、河田さんにも会いたかったですよオレは!」
「こいつ、深津さんが来れないかもって聞いたとき、『三年ぶりのオレより大事な練習ってあるのかな』とか言ってたんですよ」
「ねえ高橋くん、よけいなこと言わないで」
「ほーお、向こうでずいぶん出世したんだなあ、沢北よお」
「ほんとやめてください、もう駅だから! 暴れると迷惑だから!」
「このノリも久しぶりだなあ」
「ほんと。山王の集まりって感じするね」
河田さんから逃げまわるオレを、野辺さんとイチノさんは助けるどころか懐かしむように見つめる。そんなふたりを薄情だとは思わない。オレ自身が、だれよりもこのノリを懐かしいと感じているからだ。
わざわざ道の端へ移動した河田さんから首にロックを掛けられながら、オレは本当に楽しくてしょうがなかった。ずっと今が続けばいいのにと子どものようなことを考える。
あしたになれば、オレは遅れてきた彼女と合流して観光地をめぐらなければなければならない。きっとそれはそれで楽しいだろうけど、今はあんまりそのことを考えたくなかった。
JRに乗り込み、15分ほど移動した先の新宿で、高橋が店を抑えていてくれた。週の真ん中とはいえ、年末の忘年会シーズンのなかで店を探すのは大変だっただろうと、だれかが高橋をねぎらう。
実際、年末の新宿駅はオレの記憶よりもはるかに雑然としており、気を抜くと規格外の大男でも簡単にはぐれてしまいそうだ。なんとか人のあいだを縫いながら時間通りに店にたどり着けば、あとはスムーズだった。店のまえでここから参加するメンバーと合流し、大きな個室に案内され、飲み放題のメニューから一杯目を頼む。サラダ、ポテト、塩キャベツ、ハイボールのピッチャーと、いくつかのジョッキやグラスが届いて、
「今日は同窓会かつ忘年会を兼ねてますので、楽しく飲みましょう。ついでに、オレたちのスーパーエースの帰国を祝して、乾杯!」
と、高橋の音頭でそれぞれのグラスが合わさる。
聞けば、個々で集まることはあっても、何代かそろっての飲み会はこれが初めてらしい。
ハイペースでがんがんグラスを空けるやつ、一杯飲んだだけで顔を真っ赤にしているやつ、糖質制限でソフトドリンクしか飲まないやつ。いろんなやつがいたけど、みんな楽しそうに飲み食いして、昼から何度もしている思い出話に花を咲かせている。
オレも、今日ばかりはアルコールも油ものも解禁して、栄養バランスなんて気にせずに運ばれてきた唐揚げに箸を伸ばした。
「なあ、忘れないうちにうちにアレもらっておきたいんだけど」
さっそくグラスを空にした向かいの高橋が、飲み放題のメニューを開きながら言った。自然なふうを装っているけど、メニューを見る視線が定まらずに泳いでいるのがおかしかった。
オレは、隣に置いていた自分のバックパックから、スポーツブランドのロゴが入った袋を取り出す。
「はい、これ〝おみやげ〟な。幹事やってくれて本当にありがとう」
改めてお礼を言うと、高橋は恭しく両手で袋を受け取った。
「いまこの瞬間、オレの二か月の苦労が報われたわ。今すぐ帰って見てえ」
と、高橋が袋を胸に抱えておおげさに天井を見上げると、同じテーブルのやつらが首を突っ込んでくる。
「なになに、なんの話?」
「あ、それ例の沢北の〝おみやげ〟? 高橋、あとでオレにも回して」
「オレもオレも。向こうのビデオ興味ある」
「つーか一本しかないの? オレのぶんは?」
「ねえよ、おまえらがオレに何してくれたんだよ」
「こうして会いに来てやってるだろ」
同期との気安い会話で盛り上がっていると、ふたつ向こうのテーブルから、河田さんが「沢北」とオレを呼んだ。「ハイ」と振り返ったところで、すぐそばにだれかが立ちはだかり、紺色のジャージが視界いっぱいに広がる。オレは、そのまま視線を上にあげる。
日々のトレーニングの成果が見える肩、やや太めの首に男らしいフェイスライン、印象的な唇、白目との境界がくっきりとした真っ黒な目、やや下がり気味の平行眉にかかる、ゆるく毛先がウェーブした黒髪。
「ふか——」
「久しぶりピョン」