誰でもよくなかったべつにバスケじゃなくてもよかった。
森重寛は小さな頃から身体が大きかった。比例して力も強いし肝も太い。大抵のことには物怖じせずマイペースで、イメージした動きをするには身体をどう動かせばよいのかという感覚は、先天的に備わっていた。スポーツで頂点を取るには充分すぎる素質である。
両親は教育に熱心というわけではなく本人の好きなことをやればいいという方針だったため、なにかを強要されたことはなかったが、小学校にあがったあたりで周りの大人がなんやかんやと口を出してくるようになった。
最初は少年相撲だったような覚えがある。経緯は知らないが地域の大会に出場していて、そこで優勝したのだ。森重はすでに同級生よりもゆうに頭ひとつは大きかったためにまったく勝負にならなかった。そこからいくつかの大会に出た。学校の友だちと遊ぶときにはなにをするにしても手かげんをしていた森重にとって、本気を出してもいい勝負の場は楽しかった。勝つと褒められるのも気分がいい。
しかし楽しかったのは始めだけで、しばらくすると大人があれこれと口を出すようになった。もっと上達するためにはこうしろああしろ、将来のためにどうのこうのととにかくやかましい。負かした相手の保護者にぐちぐちと言われるのもつまらなかった。勝負とは手かげんのないものではないのか。せっかく好きに楽しくやっていたのに興醒めだった。
結局、相撲はすぐに辞めてしまった。柔道、野球、サッカー、剣道、水泳……。近所にあるクラブのおおよそには通ったが、やはりどこも同じだった。始めは楽しくやれているのに、どこからともなくやってきた大人に口を挟まれ、途端につまらなくなる。
正直に言えば、競技なんてなんでもよかった。
思いきり身体を動かして周囲を蹴散らし、自分の力を誇示できればそれでよかったのだ。技術の上達も競技の未来も、子どもの森重にはどうでもいいことだった。
学年があがっても森重と同級生たちとの身長差は埋まるどころか開く一方で、大人たちの指導という名の横槍と保護者の陰口はますますヒートアップする。
すべてにうんざりして、森重は六年生になる前にすべてのクラブ通いを辞めた。両親は周りの大人にはずいぶんとうるさく言われていたようだったが、それでも彼らは息子にはなにも言わずに本人の意志を尊重してくれた。家族に恵まれたことは森重の人生における幸運のひとつだった。
それからの二年間は波風のないおだやかで退屈な放課後を過ごした。
あいかわらず友だちと遊ぶときは手かげんをしなければいけないので窮屈さはあるものの、クラブにいたときの息苦しさに比べればずっとマシであった。
転機が訪れたのは中学二年の初夏である。
体育の授業前に体育館で友人と駄弁っていた時のことだ。なにかのはずみに、
「森重ならダンクできるんじゃねえか?」と、だれかが言った。
「いくら森重でも素人にダンクは無理だろ」
「でもこいつスポーツはなんでもできるじゃん? なあ、ちょっとやってみろよ」
本人そっち抜けで盛り上がる友人らを尻目に、リングの高さ、自身の身長と腕の長さ、おおよそのジャンプ力を目測した森重は「できるだろうな」と思った。春の身体測定で測ったその身長は百八十五センチを越している。
友人から渡されたボールを掴み、ゴール下からやや離れ助走をつける。スピードが乗り、ここだと思った地点で床を踏み切る。脹脛に、膝に、大腿に、腰に、背に、力が伝わる。その勢いのまま、跳躍する。巨体がぶわりと宙に舞う。森重は重力を利用してボールをリングへ叩きつけた──
「──っすげえ、すげえよ森重!」
「迫力ヤバっ! オレ、生でダンク見たの初めてだよ!」
あんぐりと大口を開けて森重を見ていた友人たちは、一拍遅れて興奮気味に賞賛を贈ってくれたが、対する森重は「まあ、こんなもんだろう」と乾いた感想を持った。できると確信した動作ができただけなのだから当然である。
それでも、リングに届かせるためには全力でジャンプしなければならなかった。
久しぶりに出した全力は、楽しかった。
バックボードがぎしぎしと揺れる感覚はまだ全身に残っている。周囲がぽかんと口を開け、目をまんまるにしたあの顔を向けられるのは、やはり心地がいい。
「バスケ部に入っちゃえよ!」
その場かぎりの勢いとノリだけの友人の提案は、そう悪くないように聞こえる。
そういえば、バスケはまだやったことがなかった。
その一ヶ月後の夏、森重は県大会に出場するために名古屋市内にある市営体育館へやってきた。
万年地区予選一回戦負けのバスケ部は、ルールもままならない素人でもスターティングメンバーに入れるほどの人数しかいない。
が、その森重にボールを集め、森重がリングへ放るだけでチームは県大会へのチケットを手に入れることができた。
「なあ、そこのボウズ」
チームメイトとともに体育館を歩いていると、突然どこかからしわがれた声が聞こえてきた。
気にせずすたすたと廊下を突き進むと、「そこのデカいおまえさんだよ」と続いたのでさすがの森重も足を止めざるを得なかった。周りに森重並みに大きい選手はいなかったのだ。
「なんか用?」
べつにバスケじゃなくてもよかった。
森重はいまでもそう思っている。来月にあるユース代表の招集と合宿も、その先に控えたインドネシアでの親善試合もどうでもいいことだった。ただ、それらには諸星が行く。だから自分も行く。それだけのことだ。
あの日、無様にコートに転がって森重を睨みつけた諸星は、いまも森重の下に転がっている。絶対に許さねぇと呻いた唇は「ったくしょうがねぇなあ」と森重のわがままを許し、怒りと屈辱に塗れた強い視線はおだやかに凪いで森重を愛しげに見つめる。どうしてそうなったのかと訊かれると森重にもよくわからない。ただ、なるべくしてなったとは思う。
あの日、鮮烈な光で森重を写した瞳を追いかけてここまできた。諸星は真摯にバスケを愛していた。だから森重はバスケを続けている。バスケをしていれば、彼の瞳は森重を写してくれる。その輝く瞳が写すものは自分だけがよかった。
森重寛は、諸星大でなくちゃ嫌だった。