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    motsunabe26

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    爪を切る光鹿

    「なあ光秀、鋏どこにあるか知らないか?」
    「鋏?」
    ふと廊下から投げかけられた鹿介の要求に、光秀は書物から視線を上げる。
    「引っかけちゃったみたいでさ」
    苦笑しながら掲げられた右手の人差し指の爪は、中ほどから割れ赤い肉がのぞき血もにじんでいた。どう見ても、鋏よりも薬箱を探すほうが先である。
    「俺が聞いてこよう。鹿介はここで待っていろ」
    「無いなら小刀でスパッとやっちゃうからいいんだけど」
    「すぐに戻る。おとなしく待っていてくれ」
    痛々しい傷にもあっけらかんとしたその物言いを捨て置けず、立ち上がった光秀は鹿介の肩を叩く。「大袈裟だなあ」と苦笑する鹿介は、ともあれ素直にそこへ腰を下ろしたので、光秀は彼と入れ替わるように部屋を後にした。
    利三なら屋敷のどこに何があるのか把握しているのだろうが、あいにく先ほどから姿が見えない。――女中を捜したほうが早いだろうか。早くせねばしびれを切らした鹿介は宣言通り小刀で爪を切り落とし、ろくに処置もしないままどこかへ行ってしまいそうだ。
    自分が同じ状況なら間違いなくそうする自負が光秀にはあった。ならばなおのこと急がねばなるまい。自身はともかく、鹿介の指が化膿しては一大事だ。
    そんなことを考えながら足早に廊下を進むと、角に人影を見つけた。途端、意図せず足がさらに速度を上げる。
    「すまない、少し聞きたいのだが――」
    よほど鬼気迫る顔をしていたのか、普段光秀が話しかけると色めきたつ女中たちがこの時ばかりはおびえたように顔を引き攣らせたことは余談である。



    光秀の手がたどたどしく動くのを、鹿介はじれったい気持ちで見ている。
    部屋を飛び出していった光秀は存外早く戻ってきた。が、彼は鋏だけでなく大仰な薬箱まで手にしていたので正直面くらった。
    ――俺は中途半端にぶら下がっている爪さえ処理できればそれで構わなかったのに。
    鹿介とて音に聞こえた勇士である。これまでいくさや鍛錬で作った傷は大小いくつにものぼる。それらに比べれば爪が割れた程度傷のうちにも入らないというのに、光秀は「いいから俺に任せてくれ」といつになく強情な態度で譲らず、膝を突き合わせて座り込むと箱から軟膏とさらしを取り出した。
    「痛かったら遠慮なく言っ――」
    「わかった、わかったってば。よろしくお願いします明智先生」
    結局、鹿介が折れて好きにさせている。
    剥がれて浮いた爪を鋏で切り、患部へ軟膏を塗って細く裂いたさらしを巻く。ただそれだけの作業をいやに慎重に行う光秀は真剣そのものだ。
    歪んで切れた爪の形や明らかに多く塗りこまれた軟膏、いつまでも結び目が定まらずに緩んでは巻き直されるさらし。あくびが出そうなほどたっぷりと時間をかけてようやく満足いく仕上がりになったのか、光秀が「できた」と言ったころにはすっかり影が長くなっていた。



    傷の手当など初めてしたが、なかなかいい出来栄えではないだろうか。光秀が一人満足している傍らで、鹿介は手を握っては開き、その感覚を確かめている。
    「どうだろうか」
    「うん、ありがとう光秀」
    いつも女中や利三に向けられる笑顔だ。眉を下げたどこか情けなくも愛嬌のあるそれを、光秀は初めて真正面から見た。すると、どこか誇らしいようなくすぐったいような心地に包まれる。
    と、その間に鹿介が膝を立てたので光秀は慌ててくだんの手を掴む。
    「待て、どこへ行くんだ?」
    「どこって……終わったんだしもういいだろ?」
    目を瞬かせる鹿介の手を、彼の眼前に掲げてやる。
    「爪がこんなに伸びている。空気が乾いて割れやすい時期なのだから、こまめに切らなくてはまた怪我をするぞ」
    先ほどの女中たちからの受け売りだった。その話を聞いた時から、そうしようと決めていたのだ。光秀は傍らの鋏を引き寄せる。
    「ついでだから俺が切ろう」
    鹿介がまた要らぬ遠慮をする前にほったらかしの爪へ刃を当てる。
    彼は何か言いかけたがひとつ嘆息をして、
    「もう、光秀の気が済むまで好きにしてくれ」
    とだけ言った。



    夕闇が迫っている。
    明かりを用意させようかと鹿介が問うと、光秀は視線を手元から離さずに「まだ見えるからいい」と断った。暗い中、おぼつかない手つきに爪を任せている身にもなれと思ったが、中座させるほうが面倒な気がしたので黙って頷いた。
    「光秀はさあ、人の爪切って楽しいか?」
    二度目の降伏をしたとはいえ、鹿介には他人の爪を切りたがる光秀の執着がわからず辟易していた。わがままに付き合っているのだから多少の責めたような口調は許してほしい。
    「べつに楽しいわけではないが……」
    ぱちん。最後の爪を切り落として光秀が顔を上げる。
    「鹿介のために、俺にできることがあるのは嬉しい」
    「そ、うなんだ」
    「あと、俺に身を委ねてもらえるのも嬉しいな」
    「……なるほどね、よくわかった」
    「誰にでもしたいわけではないぞ」
    「わかったって! ごめん、もういいよ!」
    思いもよらない返しだった。薄暗い部屋の中でも判るほどにきっと今の自分は顔を赤くしているのだろう。背けた顔に光秀の視線が定まるのを感じる。
    目だけで見やった光秀は鹿介の手を取ったまま形を確かめるように爪を撫でている。
    「今度は怪我をする前に俺に切らせてくれ」
    その顔があまりにも柔らかく笑むので、鹿介は三度目の兜を脱いだのだった。
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