メンソールの煙草 メグに取り憑かれていて記憶の消えた一週間、ハンター仲間を殺したことを思い出してしまうメンソールの煙草が苦手になってしまった。
悪魔に取り憑かれていたとはいえ、ハンターを殺したことには変わりない。
十字架を背負うように、取り憑かれていた間に吸っていた煙草を捨てられずにいる。
人間より嗅覚の優れた魔物と闘うハンターにとって、匂いの残るものは御法度である煙草をまた吸うのでは? と心配するディーンが、いつまでも吸わない煙草を捨てない僕に少し苛立っている。形の良い眉を顰めて「そんなもん捨てちまえよ、煙草の残り香がベイビーについたらどうすんだよ」と吐き捨てるように言った。
「そうだね」と吸わない煙草をジッと見つめながら、何故この煙草を選んだのだろう? この煙草に見覚えがある、と記憶の引き出しを開けていく。
あれは、バーで「ポーカーに自信がある」と言う壮年の男性をディーンがひどく打ち負かした夜のことだった。
「こんなに負けたのは初めてだ」とディーンをえらく気に入り「今夜のお前達の酒代は全て、俺が奢ってやる」と言われ、カード詐欺とポーカーで日銭を稼いでいる僕達にとってはありがたい申し出に、いつもより酒が進んでいた。
たわいもない話をしながら、男は胸ポケットから煙草を取り出し、火をつけようとする。ところが、肝心のライターを失くしたらしく、身に付けている服のポケットというポケットを弄っていく。
「ほらよ」気を利かせたディーンが持っているライターで男の煙草に火を付けてあげた。
煙草を一口吸った男が礼を言うと「ディーンも煙草を吸うのか?」と聞いた。
「いや、吸わない。一度も吸ったことはない」
「なんで吸わないのに、ライターなんか持っているんだ?」
幽霊退治の為に、墓をこじ開けて死体を燃やすからと答えられる訳がなく「我が家に伝わるお守りみたいなもんかな」とディーンが微笑みを浮かべて嘘を吐く。酔いで少し潤んだヘーゼルグリーンの瞳を酒場の照明が照らし、キラキラと輝いている。
「折角だから一本どうだ? 何事も経験だろ?」
ディーンに新しい煙草を差し出そうと箱の中を確認した男が、残念そうに小さく肩をすくめると「今吸ってる煙草が最後の一本だった」と答えた。
「なら、その煙草を一口くれよ」
酔って少し焦点の合わないディーンの一言に、男は煙をゆらゆらと立てる吸いかけの煙草を上機嫌に差し出した。
ビールで濡れたローズピンクの唇を舌でペロリと舐めると、男の煙草をスゥーと吸い込む。ぽってりとした唇に挟まれた煙草がジュッと音を立てて小さく燃える。ディーンの清らかな美しさと煙草の不健全な色気が混じると、映画のワンシーンのようだった。
——間接キスしている
煙が気管に入ったみたいでゲホゲホと咽せたディーンを見てケラケラと笑うと、男は煙草を取り上げ、ディーンが吸った煙草を吸い続ける。そうだ、あの男が吸っていた煙草の銘柄がこのメンソールの煙草だった。
僕の「初めて」は何でもディーンに捧げてきたのに、ディーンの「初めて」は何でも他人が奪っていく。初めて吸う煙草も目の前の男に奪われた。あの時の僕は確実に嫉妬していたのだが、ディーンへの兄弟以上の気持ちに気付いていなかった。目の前で起きた間接キスにイラついているのだが、どうしてイラついているのか分からない。イラつきへのイラつきもあり、ただただ不貞腐れながら、男が奢る酒を飲んでいたのだった。
「おい、聞いてんのか?」
煙草をジッと見つめたまま、記憶の海に溺れて上の空になっている僕をディーンが呼び戻す。
「いくらサミーでも煙草吸うならキスしねえぞ。大体煙草吸う男は嫌なんだよ」
「間接キスはするくせに」
何の事を言われてるのか分かっていないディーンが再び眉を顰めて「いいから捨てろよ」と声を掛ける。
「それを見てると、お前が居なかった一週間を思い出して嫌なんだよ」
心配そうに顔を覗き込むディーンの瞳が、あの日、男が吸っていた煙草の煙のようにゆらゆらと不安で揺れている。
「………そうだね。僕も別の嫌な事を思い出しちゃった」
いつまでも守らないといけない可愛い弟と思い込み、僕を頼ってくれないディーンは親父が死んだ辛さをひたすらに背負い込んで、今にも壊れそうになっている。この煙草を捨てることでディーンが楽になるなら捨てよう。やはりメンソールの煙草は苦手だ。この煙草には嫌な思い出ばかり残っている。